議論
2003年2月7日 ちょっと国会中継を見てしまったのだが、そこで繰り広げられていたのが管直人と小泉純一郎との実に白熱した議論。
管さんが言うには、イラク問題について武力攻撃の立場を取っている政府の立場はおかしい。なぜかというと、同じ程度もしくはそれ以上に危険で日本国民にとって切実な北朝鮮を放っておくのはおかしいからだそうだ。
そこまではまだ分かるのだが、じゃあ管さんは所謂「太陽政策」には効果が無くて武力攻撃には効果があるのだと言う立場をとるのかといえばそうではないらしい。そこまで踏み切れない。太陽政策も「北風政策」もそれぞれにそれぞれの良いところがあるんだそうだ。
ここで既に弱い。
しかも、日本国民の事を第一に考えて政策を決めるのならば、イラクは言ってしまえばどうでもいい問題なのだから、武力攻撃をしたって、日本にはとんと預かり知らぬ事だ。逆に、北朝鮮の方が攻撃するとなるとソウルに攻め寄せてくるのは確実で、より危険度の高い事となる。
つまり、日本国民の安全を第一に考えた時、「太陽政策には効果が無い」という立場に立つのならば、北朝鮮には攻撃をすべきである。
しかし、管さんの立場はそこまで太陽政策を否定できる物ではない。そこはかとなく矛盾を感じる。
逆に、太陽政策にこそ効果があるという立場、もしくはどっこいどっこいだと言う立場にたつのならば、イラクこそ攻撃すべきである。日本国民の安全に直接の関係はないのだから。
が、基本的な立場として管さんは、北朝鮮を引き合いに出してイラク攻撃に対する追従を批判しているのだからこれも当てはまらない。
この追求に対して、一体小泉さんはどのように反論してくれるのだろうと見守っていたら、出てくる答弁はイラクと北朝鮮の違いに関する話ばかり。確かに違うと思うし、それはもっともだと思うが、つっこむ所はそこじゃなかろう。
もっと言いようがあるだろう・・・
それに対する管さんの言い分は、「教科書を読み上げるように棒読みしないで下さい」。という言い分を
明らかに以前からそう言ってやろうと決めていただろう口調で「教科書を読み上げるように」言っていた。棒読みではなかったが、明らかにつくっていた。(質問を用意するのは当然で、悪いことは全く無いが、こういうアドリブで言うべきところを用意するってのは、しかもそうと分かりやすいってのは如何な物か。)
頼むから具体的な反論をしてくれぇ。
北朝鮮とイラクは同じだと証明して見せてくれぇ。
この2人は嫌いではない。はっきり言って、小泉は自分が物心ついてから一番マシな首相だと思ってるし、「独裁者」の次は「丸投げ」って批判もおかしいと思う。何かを出来ないとしたら能力ではなく背景の問題だとすら思っている。
管も、前党首の鳩山に比べれば数段マシであり、数年前は首相として期待していた。
この程度の事は先刻ご承知に違いない。何か理由があるのだろう。きっと、何か慣習法みたいなものか、圧力、もしくは揚げ足取りを恐れての事だとは思うのだが・・・
もうちょっと噛み合った、適格な議論をして欲しい。でないと、口を挟みたくてイライラしてしまう。
管さんが言うには、イラク問題について武力攻撃の立場を取っている政府の立場はおかしい。なぜかというと、同じ程度もしくはそれ以上に危険で日本国民にとって切実な北朝鮮を放っておくのはおかしいからだそうだ。
そこまではまだ分かるのだが、じゃあ管さんは所謂「太陽政策」には効果が無くて武力攻撃には効果があるのだと言う立場をとるのかといえばそうではないらしい。そこまで踏み切れない。太陽政策も「北風政策」もそれぞれにそれぞれの良いところがあるんだそうだ。
ここで既に弱い。
しかも、日本国民の事を第一に考えて政策を決めるのならば、イラクは言ってしまえばどうでもいい問題なのだから、武力攻撃をしたって、日本にはとんと預かり知らぬ事だ。逆に、北朝鮮の方が攻撃するとなるとソウルに攻め寄せてくるのは確実で、より危険度の高い事となる。
つまり、日本国民の安全を第一に考えた時、「太陽政策には効果が無い」という立場に立つのならば、北朝鮮には攻撃をすべきである。
しかし、管さんの立場はそこまで太陽政策を否定できる物ではない。そこはかとなく矛盾を感じる。
逆に、太陽政策にこそ効果があるという立場、もしくはどっこいどっこいだと言う立場にたつのならば、イラクこそ攻撃すべきである。日本国民の安全に直接の関係はないのだから。
が、基本的な立場として管さんは、北朝鮮を引き合いに出してイラク攻撃に対する追従を批判しているのだからこれも当てはまらない。
この追求に対して、一体小泉さんはどのように反論してくれるのだろうと見守っていたら、出てくる答弁はイラクと北朝鮮の違いに関する話ばかり。確かに違うと思うし、それはもっともだと思うが、つっこむ所はそこじゃなかろう。
もっと言いようがあるだろう・・・
それに対する管さんの言い分は、「教科書を読み上げるように棒読みしないで下さい」。という言い分を
明らかに以前からそう言ってやろうと決めていただろう口調で「教科書を読み上げるように」言っていた。棒読みではなかったが、明らかにつくっていた。(質問を用意するのは当然で、悪いことは全く無いが、こういうアドリブで言うべきところを用意するってのは、しかもそうと分かりやすいってのは如何な物か。)
頼むから具体的な反論をしてくれぇ。
北朝鮮とイラクは同じだと証明して見せてくれぇ。
この2人は嫌いではない。はっきり言って、小泉は自分が物心ついてから一番マシな首相だと思ってるし、「独裁者」の次は「丸投げ」って批判もおかしいと思う。何かを出来ないとしたら能力ではなく背景の問題だとすら思っている。
管も、前党首の鳩山に比べれば数段マシであり、数年前は首相として期待していた。
この程度の事は先刻ご承知に違いない。何か理由があるのだろう。きっと、何か慣習法みたいなものか、圧力、もしくは揚げ足取りを恐れての事だとは思うのだが・・・
もうちょっと噛み合った、適格な議論をして欲しい。でないと、口を挟みたくてイライラしてしまう。
順位予想
2003年2月4日 ロッテのキャンプというよりローズのキャンプになっている気がする。
今日発売の「週刊プレイボーイ」に「29年ぶりの「ロッテ優勝」で千葉マリン炎上!!」という記事が出ていた。プレイボーイにそんな事書かれたら余計優勝できなくなってしまうんじゃないか。
そう思いつつも、条件反射的に購入してしまう自分が哀しい。
しかし、プレイボーイは去年も「ぐわんばれ!千葉ロッテマリーンズ!」の特集記事を載せていた(当然購入)が、売れているのだろうか。
案外、それなりに売れているのかもしれない。世間で言われているほど巨人ファンは多くないと思うし、ロッテファンも少なくない。多分、年齢層の問題だろう。年配の人にロッテファンだと言うと苦笑いされるが、自分の周りには意外と多い。地元と言う事と、そういう友人が寄ってくる(?)のもあるだろうが、普通に生活していて、二桁近く存在する。別にライトスタンドの友人、というわけでもなく。
戯れに順位予想をしてみる。ロッテ優勝と書きたいが、そこはこらえて真面目に予想。
西武 1〜3位
近鉄 2〜5位
ダイエー 1〜5位
ロッテ 2〜4位
日ハム 3〜6位
オリックス3〜6位
西武ロッテ近鉄オリックスダイエー日ハム、と見た。
戦力分析の時に一番当てにしてはならないのが「即戦力ルーキー」と「若手の台頭」で、「新外国人」はそれよりマシ。で、「トレード」は新外国人並で「FA」は費用対効果は薄いものの、単純な戦力度では他よりも上だろう。爆発力は外国人が一番なのは当然だが。
で、見たときに西武が一番新戦力に対する依存度が少ない。優勝したから当然だが、新人の長田をキャンプに連れて行くくらいか。鈴危険や垣内といったベテランを吐き出したのも吉。ただ、打線は正直、去年が出来すぎだったから、優勝は仮にできるとしても僅差になろう。小関の3割と松井の30本、カブレラの3割はもう無理だろうから。
戦力が大幅に落ちると思っていた近鉄は予想外に落ちなかった。大塚も、何だかんだで野球はするだろう。中村とローズはいつも通り打つだろうから、周りにかかってるが捕手の鈴木加入がかなり大きい。投手陣はボロボロで、「若手の台頭」を待つ他は無いが、これは毎年の事。加藤あたりの活躍が予想される。
ダイエーは厳しい気がする。投手陣では若田部が抜け、開幕ローテーションに和田と新垣というルーキーが2人とも入りかねない状況。いくら大物といってもちとつらい。新人が当たる確率なんて良いとこ7,8分の1。それも長い目で見ての話だから、そんなに都合よく行くか。打線も小久保と松中が明らかに下降線。そうすると城島の打率も当然下がる。そうなってくると、実績はあってもそこまで恐い打線ではない。秋山がいなくなると支えきれなくなる気がする。
ロッテは、投手陣は問題ない。去年と比べてマイナス材料はなく、黒木はクローズアップされているが、小野と合わせてどちらかが復帰すればよし、と言う程度。ルーキーもいるが、当てにしていないというのは良いバランス。打線はかなり問題だが、かなり改善された。ローズは打てる、打てないではなく打てると思わせるところがかなり重要。去年は福浦が孤軍奮闘していたが、マークが分散されればもっと打てるようになる。核が出来れば水準程度にはなろう打線。個人的に新外国人ショートに期待。メディアでは無名だが、3Aで360の首位打者ってかなりすごい事。日本では(というかリーグを変わるとどの選手も)ホームラン打者よりもアベレージヒッターの方が絶対に成功するから大はずれは無い。ただ、いくら条件が揃っても2位以上は黒木が働かないと無理だろうな。良くも悪くもこのチームはそういうチームだ。
ちなみに、去年のロッテの打者は、誰かが良くなっても、見渡してみると他の打率がNBAの身長並なため、徹底マークされてはしぼむと言う事の繰り返しだった。福浦の死球リーグトップ、打率210のボーリックにして出塁率350になるほどの四球マークがそれを物語っている。
日ハムは、まともな新戦力が監督だけってのも辛いはなしだ。野口を出したのに実松が骨折、挙句に山田までダメとあっては捕手は悲惨な状態。エチェバリアがどこまで打てるか。坪井の振り子打法は通用するのか。期待値が低すぎる。小笠原が去年のロッテ・福浦になるのが目に見えるようだ。投手陣も軸となるのが正田と金村。で、正田がはやくも戦線離脱。
オリックスの補強は好きだ。新人には金を出さないが、実績のある海外選手には金を出す、というのは一つの見識だろう。面白い。が、成績がどうなるかは別。投手陣は西武、ロッテと比肩しうる。マックと吉井は期待しすぎると辛いだろうが金田と具がやれれば問題はない。大久保山口萩原も強力。ただ、打線がロッテ以上に深刻。元中日の山崎は、はきり言って無理な気が・・・良くて初芝レベルだろう。そうすると外国人頼みの打線になる。が、いくらメジャーリーガーとはいえ210程度の打率では当てにはならないだろう。
今日発売の「週刊プレイボーイ」に「29年ぶりの「ロッテ優勝」で千葉マリン炎上!!」という記事が出ていた。プレイボーイにそんな事書かれたら余計優勝できなくなってしまうんじゃないか。
そう思いつつも、条件反射的に購入してしまう自分が哀しい。
しかし、プレイボーイは去年も「ぐわんばれ!千葉ロッテマリーンズ!」の特集記事を載せていた(当然購入)が、売れているのだろうか。
案外、それなりに売れているのかもしれない。世間で言われているほど巨人ファンは多くないと思うし、ロッテファンも少なくない。多分、年齢層の問題だろう。年配の人にロッテファンだと言うと苦笑いされるが、自分の周りには意外と多い。地元と言う事と、そういう友人が寄ってくる(?)のもあるだろうが、普通に生活していて、二桁近く存在する。別にライトスタンドの友人、というわけでもなく。
戯れに順位予想をしてみる。ロッテ優勝と書きたいが、そこはこらえて真面目に予想。
西武 1〜3位
近鉄 2〜5位
ダイエー 1〜5位
ロッテ 2〜4位
日ハム 3〜6位
オリックス3〜6位
西武ロッテ近鉄オリックスダイエー日ハム、と見た。
戦力分析の時に一番当てにしてはならないのが「即戦力ルーキー」と「若手の台頭」で、「新外国人」はそれよりマシ。で、「トレード」は新外国人並で「FA」は費用対効果は薄いものの、単純な戦力度では他よりも上だろう。爆発力は外国人が一番なのは当然だが。
で、見たときに西武が一番新戦力に対する依存度が少ない。優勝したから当然だが、新人の長田をキャンプに連れて行くくらいか。鈴危険や垣内といったベテランを吐き出したのも吉。ただ、打線は正直、去年が出来すぎだったから、優勝は仮にできるとしても僅差になろう。小関の3割と松井の30本、カブレラの3割はもう無理だろうから。
戦力が大幅に落ちると思っていた近鉄は予想外に落ちなかった。大塚も、何だかんだで野球はするだろう。中村とローズはいつも通り打つだろうから、周りにかかってるが捕手の鈴木加入がかなり大きい。投手陣はボロボロで、「若手の台頭」を待つ他は無いが、これは毎年の事。加藤あたりの活躍が予想される。
ダイエーは厳しい気がする。投手陣では若田部が抜け、開幕ローテーションに和田と新垣というルーキーが2人とも入りかねない状況。いくら大物といってもちとつらい。新人が当たる確率なんて良いとこ7,8分の1。それも長い目で見ての話だから、そんなに都合よく行くか。打線も小久保と松中が明らかに下降線。そうすると城島の打率も当然下がる。そうなってくると、実績はあってもそこまで恐い打線ではない。秋山がいなくなると支えきれなくなる気がする。
ロッテは、投手陣は問題ない。去年と比べてマイナス材料はなく、黒木はクローズアップされているが、小野と合わせてどちらかが復帰すればよし、と言う程度。ルーキーもいるが、当てにしていないというのは良いバランス。打線はかなり問題だが、かなり改善された。ローズは打てる、打てないではなく打てると思わせるところがかなり重要。去年は福浦が孤軍奮闘していたが、マークが分散されればもっと打てるようになる。核が出来れば水準程度にはなろう打線。個人的に新外国人ショートに期待。メディアでは無名だが、3Aで360の首位打者ってかなりすごい事。日本では(というかリーグを変わるとどの選手も)ホームラン打者よりもアベレージヒッターの方が絶対に成功するから大はずれは無い。ただ、いくら条件が揃っても2位以上は黒木が働かないと無理だろうな。良くも悪くもこのチームはそういうチームだ。
ちなみに、去年のロッテの打者は、誰かが良くなっても、見渡してみると他の打率がNBAの身長並なため、徹底マークされてはしぼむと言う事の繰り返しだった。福浦の死球リーグトップ、打率210のボーリックにして出塁率350になるほどの四球マークがそれを物語っている。
日ハムは、まともな新戦力が監督だけってのも辛いはなしだ。野口を出したのに実松が骨折、挙句に山田までダメとあっては捕手は悲惨な状態。エチェバリアがどこまで打てるか。坪井の振り子打法は通用するのか。期待値が低すぎる。小笠原が去年のロッテ・福浦になるのが目に見えるようだ。投手陣も軸となるのが正田と金村。で、正田がはやくも戦線離脱。
オリックスの補強は好きだ。新人には金を出さないが、実績のある海外選手には金を出す、というのは一つの見識だろう。面白い。が、成績がどうなるかは別。投手陣は西武、ロッテと比肩しうる。マックと吉井は期待しすぎると辛いだろうが金田と具がやれれば問題はない。大久保山口萩原も強力。ただ、打線がロッテ以上に深刻。元中日の山崎は、はきり言って無理な気が・・・良くて初芝レベルだろう。そうすると外国人頼みの打線になる。が、いくらメジャーリーガーとはいえ210程度の打率では当てにはならないだろう。
2002年4月18日の日記とその続き
2003年2月3日―――――――
やはり再販制度は無くしていく方向にあるべきだと思う。売れない作家の本は安売
りして多くの人に読んでもらえば新作を買って貰う事にも繋がるだろう。実際ブック
オフで100円で買った本の作家を好きになって単行本を定価で買ったこともある。
しかし、ヨーロッパの例を持ち出すまでもなく本の安売りをすると言う事は文化の
破壊につながると言う声があるのも知っている。大規模書店しか残らずベストセラー
しか販売されなくなるというのだ。
だが、この状態とはまさに現在の状況ではないのか。中小書店はベストセラーに雑
誌といった画一的な品物しか置かない。否、委託販売制のため置けないのだ。それで
なくとも今、書店は明らかに多い。個性の無い書店が建ち並んでいるのだ。
この際、ベストセラー以外はインターネットによる販売に移行してしまってはどう
だろうか。品揃えと言う点でどんな書店もネットには及ばなくなる日は近い。それで
は書店は必要ないかというとそうではない。そこで再販制度を緩和すればいい。
書店には本の割引販売を認めるのだが、その割引率、店全体でどのくらい割引でき
るかををある程度決めて、各本屋の裁量に任せるのだ。
例えばある店は小説のみを安くするだろうし、ビジネス街のそばにある書店は実用
書を安くする事だろう。そうした店がビジネス街に建ち並べば逆に文芸書を安くする
書店が現れて儲けるかもしれない。老人や学生にのみ全ての本を割引する書店という
のも良いかもしれない。
何にせよ、各書店は知恵を絞るであろうし個性も出るのではないか。テロ事件が
あった後はイスラムの歴史本をどこもこぞって値下げするだろうし、そんな中、児童
書を安くする頑固な店があったりするのではないかと想像する。
品揃えよりも、値段で個性をつける。そうすれば自然と品揃えも個性的になってい
くのではなかろうか。
ネットでは割引はさせない。させてもネット書店全体で一つの書店と見なす。割引
率は同じにする。
また、雑誌も安くすれば良い。1日前の新聞などは10円にしたって良いし、1週間前
の週刊誌は半額以下でも良いだろう。一部ではあるようだが初回特典や、まとめ買い
特典をつけるのも面白いし、アイディアはそれこそいくらである。
色々考えてみたのだが、こういう事を実はやりたかったりする。書店を受けてみよ
うと思ったのはそういう動機があったからだが、あまりにも裁量がなさそうなのでや
めた。紀伊国屋のESにこんな感じの事を、思いを書いたらあっさりと落とされたので
ますます行く気がなくなった。こう言う事を提案するにはどこに行けばいいのであ
ろうか。
考える事をやめた業界に未来はあるのだろうか。――――――
どう考えたって品揃えに関して、書店よりインターネットの方が優れているのだから、実際のところ書店の利点というのは「立読みが出来る事」と「すぐに手に入る事」そして「送料がかからない事」くらいであろうか。
平積みにする事による販促効果は、ネット上でも様々な趣向を凝らす事で代用できるし、書店員の推薦文なぞよりは、読者からの感想の投稿の方がはるかに本を選ぶ時の役に立つだろう。
普通に考えると、そのうち書店はただの本の受取所、送料をを浮かす為にまとめ買いした本を貯めておき、受け取りに来るだけの場になる。
しかし、売れ筋の本などは「受取所」に置いて置くだろうし、そういう本があるかなと思えば、わざわざパソコンを開いてめんどくさい注文をする事もないか。
立読み機能にしても、インターネットで全ての箇所を閲覧可能にする事はないだろう。が、雑誌を一気に立読みする習慣、文庫をパラパラとめくる習慣があるからこそ衝動買いをする機会も生まれてくるわけで、この利点はネットでは生まれまい。
そうすると、それらのために「受取所」に集まる人の為にある程度以上の本は置いておく必要があるし、置いておくべきか。インターネットでの本の売り買いは、時間差がある分よく売れる本こそ取り扱うべきでない事になる。逆に、マイナーな本、書店でも取り寄せ注文する必要のある本こそネットの独壇場か。
結局本屋とは、そこに行けば何でも揃っているというくらいの大型書店以外はベストセラーのみを置いておくだけの存在になってしまうのか。
しかし、本屋の匂いが好き、という人は多いし立読みの利点というのは様々な本を好きに手に取る事が出来る、本と「出会う」場所としての意義は軽んじられるものではない。事実、軽んじられていない。
かといってそれだけの為にあるのでは本屋はやはり成り立たない。何か付加価値をつけなければ。ネットのほうにペナルティーを課してもよいが、そんな規制はすぐに無くなってしまうだろう。
そこまで書いてみて今更思うのは、本をインターネットで買おう、という発想は自分には全く無いという事。欲しい時にはすぐにでも欲しいし、それほどでもないのなら、じかに手にとって選んでみないと買う気にはなれない。
案外ネットでの本の売り買いというのは定着しないかもしれない。今本屋が潰れているのは単にオーバーストアだっただけかもと思う。
反対にネットでの売り買いを促進する為に何をすればいいか考えてみると、やはり強みはマニアックな本を簡単に発見出来ること。それに繋がって検索機能。最後に、情報通信の早さだろう。
今まで書いたことと矛盾するが、ある程度のボリュームの情報。本当に本ではない「情報」程度ならばその場でプリントアウトできるネットの方が便利だ。100文字いくらでばら売りできるのも強みだろう。それを検索する。学術論文や、古典資料などはこの上なく役に立つ事だろう。
現実の本屋のカバーしている、そういう面は奪われるが
共存、できるかもしれない。
やはり再販制度は無くしていく方向にあるべきだと思う。売れない作家の本は安売
りして多くの人に読んでもらえば新作を買って貰う事にも繋がるだろう。実際ブック
オフで100円で買った本の作家を好きになって単行本を定価で買ったこともある。
しかし、ヨーロッパの例を持ち出すまでもなく本の安売りをすると言う事は文化の
破壊につながると言う声があるのも知っている。大規模書店しか残らずベストセラー
しか販売されなくなるというのだ。
だが、この状態とはまさに現在の状況ではないのか。中小書店はベストセラーに雑
誌といった画一的な品物しか置かない。否、委託販売制のため置けないのだ。それで
なくとも今、書店は明らかに多い。個性の無い書店が建ち並んでいるのだ。
この際、ベストセラー以外はインターネットによる販売に移行してしまってはどう
だろうか。品揃えと言う点でどんな書店もネットには及ばなくなる日は近い。それで
は書店は必要ないかというとそうではない。そこで再販制度を緩和すればいい。
書店には本の割引販売を認めるのだが、その割引率、店全体でどのくらい割引でき
るかををある程度決めて、各本屋の裁量に任せるのだ。
例えばある店は小説のみを安くするだろうし、ビジネス街のそばにある書店は実用
書を安くする事だろう。そうした店がビジネス街に建ち並べば逆に文芸書を安くする
書店が現れて儲けるかもしれない。老人や学生にのみ全ての本を割引する書店という
のも良いかもしれない。
何にせよ、各書店は知恵を絞るであろうし個性も出るのではないか。テロ事件が
あった後はイスラムの歴史本をどこもこぞって値下げするだろうし、そんな中、児童
書を安くする頑固な店があったりするのではないかと想像する。
品揃えよりも、値段で個性をつける。そうすれば自然と品揃えも個性的になってい
くのではなかろうか。
ネットでは割引はさせない。させてもネット書店全体で一つの書店と見なす。割引
率は同じにする。
また、雑誌も安くすれば良い。1日前の新聞などは10円にしたって良いし、1週間前
の週刊誌は半額以下でも良いだろう。一部ではあるようだが初回特典や、まとめ買い
特典をつけるのも面白いし、アイディアはそれこそいくらである。
色々考えてみたのだが、こういう事を実はやりたかったりする。書店を受けてみよ
うと思ったのはそういう動機があったからだが、あまりにも裁量がなさそうなのでや
めた。紀伊国屋のESにこんな感じの事を、思いを書いたらあっさりと落とされたので
ますます行く気がなくなった。こう言う事を提案するにはどこに行けばいいのであ
ろうか。
考える事をやめた業界に未来はあるのだろうか。――――――
どう考えたって品揃えに関して、書店よりインターネットの方が優れているのだから、実際のところ書店の利点というのは「立読みが出来る事」と「すぐに手に入る事」そして「送料がかからない事」くらいであろうか。
平積みにする事による販促効果は、ネット上でも様々な趣向を凝らす事で代用できるし、書店員の推薦文なぞよりは、読者からの感想の投稿の方がはるかに本を選ぶ時の役に立つだろう。
普通に考えると、そのうち書店はただの本の受取所、送料をを浮かす為にまとめ買いした本を貯めておき、受け取りに来るだけの場になる。
しかし、売れ筋の本などは「受取所」に置いて置くだろうし、そういう本があるかなと思えば、わざわざパソコンを開いてめんどくさい注文をする事もないか。
立読み機能にしても、インターネットで全ての箇所を閲覧可能にする事はないだろう。が、雑誌を一気に立読みする習慣、文庫をパラパラとめくる習慣があるからこそ衝動買いをする機会も生まれてくるわけで、この利点はネットでは生まれまい。
そうすると、それらのために「受取所」に集まる人の為にある程度以上の本は置いておく必要があるし、置いておくべきか。インターネットでの本の売り買いは、時間差がある分よく売れる本こそ取り扱うべきでない事になる。逆に、マイナーな本、書店でも取り寄せ注文する必要のある本こそネットの独壇場か。
結局本屋とは、そこに行けば何でも揃っているというくらいの大型書店以外はベストセラーのみを置いておくだけの存在になってしまうのか。
しかし、本屋の匂いが好き、という人は多いし立読みの利点というのは様々な本を好きに手に取る事が出来る、本と「出会う」場所としての意義は軽んじられるものではない。事実、軽んじられていない。
かといってそれだけの為にあるのでは本屋はやはり成り立たない。何か付加価値をつけなければ。ネットのほうにペナルティーを課してもよいが、そんな規制はすぐに無くなってしまうだろう。
そこまで書いてみて今更思うのは、本をインターネットで買おう、という発想は自分には全く無いという事。欲しい時にはすぐにでも欲しいし、それほどでもないのなら、じかに手にとって選んでみないと買う気にはなれない。
案外ネットでの本の売り買いというのは定着しないかもしれない。今本屋が潰れているのは単にオーバーストアだっただけかもと思う。
反対にネットでの売り買いを促進する為に何をすればいいか考えてみると、やはり強みはマニアックな本を簡単に発見出来ること。それに繋がって検索機能。最後に、情報通信の早さだろう。
今まで書いたことと矛盾するが、ある程度のボリュームの情報。本当に本ではない「情報」程度ならばその場でプリントアウトできるネットの方が便利だ。100文字いくらでばら売りできるのも強みだろう。それを検索する。学術論文や、古典資料などはこの上なく役に立つ事だろう。
現実の本屋のカバーしている、そういう面は奪われるが
共存、できるかもしれない。
さくさくバイトをしている。
去年の経験上、この時期に焦ってもあまりする事は無いと分かっているからでもあるし、自己PRなぞは一通り既に出来ているからでもある。テストが無いってのも大きい。
が、何故シュウカツで忙しそうな顔をしている人が多いのか。何をやっているのだろう。焦らないと言いつつ焦りだす。
普段はパソコンいじるくらいしか出来ないと思うのだが。
ここ一週間程度は軍資金調達の時期ということにしておこう。
ところが、バイトをやっている時に限って面接用のネタが浮かんできたりするから困りものだ。その時は書き留めておくことも出来ず、バイトが終わると忘れる事も。もどかしい。
飲んで話してる時もそうだが、人間、机とにらめっこをしているとなかなか良いアイディアは出てこないものだ。
そんなわけで
日記用のネタも溜まってきた。いつになったら吐き出せるのか。こればっかりは気分の問題。
復帰したローズは、ブランクは大丈夫だろう。ブランクだけなら。ダメになるとしたら、ブランク以外にマイナス材料が表面化したとき。それによってブランクの問題も噴出してくるだろうから。
怪我とか、精神面とか、体調とか、家族とか。
少なくとも、体重だけはきっちり仕上げてきてくれたようでかなり安心。人は、技術はそうそう忘れないだろうから。
去年の経験上、この時期に焦ってもあまりする事は無いと分かっているからでもあるし、自己PRなぞは一通り既に出来ているからでもある。テストが無いってのも大きい。
が、何故シュウカツで忙しそうな顔をしている人が多いのか。何をやっているのだろう。焦らないと言いつつ焦りだす。
普段はパソコンいじるくらいしか出来ないと思うのだが。
ここ一週間程度は軍資金調達の時期ということにしておこう。
ところが、バイトをやっている時に限って面接用のネタが浮かんできたりするから困りものだ。その時は書き留めておくことも出来ず、バイトが終わると忘れる事も。もどかしい。
飲んで話してる時もそうだが、人間、机とにらめっこをしているとなかなか良いアイディアは出てこないものだ。
そんなわけで
日記用のネタも溜まってきた。いつになったら吐き出せるのか。こればっかりは気分の問題。
復帰したローズは、ブランクは大丈夫だろう。ブランクだけなら。ダメになるとしたら、ブランク以外にマイナス材料が表面化したとき。それによってブランクの問題も噴出してくるだろうから。
怪我とか、精神面とか、体調とか、家族とか。
少なくとも、体重だけはきっちり仕上げてきてくれたようでかなり安心。人は、技術はそうそう忘れないだろうから。
大本営発表
2003年2月1日 NHKの番組は、その多くが民放よりもかなり高い水準を保っている。そう考える人は多いのではないか。民放の質が低いのかもしれないが。
不思議な話で、半官のほうが民間より質の高いものを作るというのは、競争原理とは何ぞやと考えさせる材料になる。
NHKは、ラジオをという媒体も持っているが、そうするとあれが無いのは不思議だ。
国営新聞。
確かに大本営発表になる確率は高いと思うが、意外と良い物が出来るのではないかな。TVやラジオと同じ位の質は保てるような気もする。
仮にガチガチの大本営発表になってしまったとしても、それはそれで面白いのではないか。正直言って、政府に対する批判だけでは客観的な見方が出来ないような不安がある。どんな政策であれ、日本を悪くしようと思って出すわけではない。「向こうの言い分」も聞いたって面白いではないか。理論武装したそれを聞いてみるのも、肥やしになろう。
今回の「どうでもいい」発言やら、「神の国」発言やら、中身が無い事で盛り上がるのはあんまりお寒くないか。それを言ったから現実世界がどうこうなる事もない問題を騒ぎ立てるのはたくさん。具体的な政策論争より、失言を引き出す方がはるかに手軽なのだから、そんな事で支持率が変化するのなら言葉尻の捉えあいになってしまう。
それは不毛すぎるだろう。
そういう事を減らす為にも、あると面白いと思うのだが。文章にして理論武装する場が。
左上の「家」は一日と持たずにページ自体に繋がらなくなってしまった。無念。
不思議な話で、半官のほうが民間より質の高いものを作るというのは、競争原理とは何ぞやと考えさせる材料になる。
NHKは、ラジオをという媒体も持っているが、そうするとあれが無いのは不思議だ。
国営新聞。
確かに大本営発表になる確率は高いと思うが、意外と良い物が出来るのではないかな。TVやラジオと同じ位の質は保てるような気もする。
仮にガチガチの大本営発表になってしまったとしても、それはそれで面白いのではないか。正直言って、政府に対する批判だけでは客観的な見方が出来ないような不安がある。どんな政策であれ、日本を悪くしようと思って出すわけではない。「向こうの言い分」も聞いたって面白いではないか。理論武装したそれを聞いてみるのも、肥やしになろう。
今回の「どうでもいい」発言やら、「神の国」発言やら、中身が無い事で盛り上がるのはあんまりお寒くないか。それを言ったから現実世界がどうこうなる事もない問題を騒ぎ立てるのはたくさん。具体的な政策論争より、失言を引き出す方がはるかに手軽なのだから、そんな事で支持率が変化するのなら言葉尻の捉えあいになってしまう。
それは不毛すぎるだろう。
そういう事を減らす為にも、あると面白いと思うのだが。文章にして理論武装する場が。
左上の「家」は一日と持たずにページ自体に繋がらなくなってしまった。無念。
ちょっとしんみりと
2003年1月30日 なんだかんだで周囲の人間には恵まれてきたように思う。
小学校から高校生まで、ほとんどイジメらしいイジメと言えるものを見た事がない。
中学ではさすがにタチの悪い奴もいた事はいた。が、それほどでもなく、色んな意味でその中の中心だった奴が、意外と義侠心が強かった。地味な女子生徒を「デブ」呼ばわりした教師に殴りかかって謝らせた男が中心だと、問題もそうそう起こらない。
クラスは更に温和で、活発な奴もおとなしい奴も、互いに変なリスペクトがあった。女子の中はドロドロしていたようだが。
高校ではさすがにクラスの男が全員ある程度仲が良い、という事はなくなったがそれでも特に悪いわけでもなく。
進学校だったせいか、変な事する奴はいても無茶する奴はいなかった。そういう学校でありがちな、変にいきがっているような奴もいたが、「別にそういうことする必要なくねぇ?」という一種の諦観と言うか、妙な落ち着きがあったものだ。ありすぎて冷めてる奴は多かったか。モヒカンにしてくるような奴がいたが、そういうのを見て普通に失笑が漏れるというのも。
それでも、半引きこもりで3週間学校を休んだ奴を、全く以前のまま受け入れられる雰囲気は好きだった。
何より、嫌な担任が一度たりともいなかったのが大きい。これだけまっとうな教師に当たり続けると言うのも昨今、珍しいのではないかと思える。担任を本当に嫌ってる奴を、同じクラスで一度も見た事がないと言うのは凄い。
環境と言うのはその人に非常に大きな影響を与える、というのが一般的だと思うが、その全てが外的要因で成り立つ訳ではないと思っている。それを作り上げる個々人の問題もあると思うが、しかし、自分の場合は偶然の産物という要素は大きい。秀才もオタクも、タチ悪い奴も常に少数派でありながら、まさにこれからオペラ歌手になる、とか大学4年にしてセンターを受ける、とか、路上で売れるほど似顔絵が上手い、とか付き合ってて面白い奴が多いのは良い。
昔の事を思い出してみた。
小学校から高校生まで、ほとんどイジメらしいイジメと言えるものを見た事がない。
中学ではさすがにタチの悪い奴もいた事はいた。が、それほどでもなく、色んな意味でその中の中心だった奴が、意外と義侠心が強かった。地味な女子生徒を「デブ」呼ばわりした教師に殴りかかって謝らせた男が中心だと、問題もそうそう起こらない。
クラスは更に温和で、活発な奴もおとなしい奴も、互いに変なリスペクトがあった。女子の中はドロドロしていたようだが。
高校ではさすがにクラスの男が全員ある程度仲が良い、という事はなくなったがそれでも特に悪いわけでもなく。
進学校だったせいか、変な事する奴はいても無茶する奴はいなかった。そういう学校でありがちな、変にいきがっているような奴もいたが、「別にそういうことする必要なくねぇ?」という一種の諦観と言うか、妙な落ち着きがあったものだ。ありすぎて冷めてる奴は多かったか。モヒカンにしてくるような奴がいたが、そういうのを見て普通に失笑が漏れるというのも。
それでも、半引きこもりで3週間学校を休んだ奴を、全く以前のまま受け入れられる雰囲気は好きだった。
何より、嫌な担任が一度たりともいなかったのが大きい。これだけまっとうな教師に当たり続けると言うのも昨今、珍しいのではないかと思える。担任を本当に嫌ってる奴を、同じクラスで一度も見た事がないと言うのは凄い。
環境と言うのはその人に非常に大きな影響を与える、というのが一般的だと思うが、その全てが外的要因で成り立つ訳ではないと思っている。それを作り上げる個々人の問題もあると思うが、しかし、自分の場合は偶然の産物という要素は大きい。秀才もオタクも、タチ悪い奴も常に少数派でありながら、まさにこれからオペラ歌手になる、とか大学4年にしてセンターを受ける、とか、路上で売れるほど似顔絵が上手い、とか付き合ってて面白い奴が多いのは良い。
昔の事を思い出してみた。
アブラ
2003年1月29日 ちょっと前のTV番組で、体の中の油について見て以来、脂っこい物が気になる今日この頃。
もともと、ラーメンが好きな上に、大学に入った頃は安くて腹にたまる牛丼ばかり食べていた。運動量も激減し、それらの相乗効果なのだろう、1年半前に血液を採ったら「若干中性脂肪多過」との結果が。
はっきりいって痩せている身でこれはヤバイ、二桁いくかいかないかだった時もあるのに2%も増えた体脂肪率もどうにかせねばと牛丼を絶ち、野菜ジュースを摂取してきた。体脂肪率は男で20%まで標準らしいが、自分の中では中年になった時のための貯金を、使い切って20%だから今の段階ではまだ貯金をしておかないと。
それでもやはり油は採っていたかなと。外食をするとどうしても取ってしまうし、魚はなかなか手が出ない。
何が嫌だって油が入っていないと美味しいと感じなくなってしまうらしい事。そのイメージが、妙にショッキングだった。
しかし、やはりラーメンは旨い・・・
健康志向が勝つか、嗜好が勝つか。
書いていてよく分からないが、唐突にこういう事に目覚める時がある。昨日飲んだ時も「さくら水産」で刺身ばかり。しばらくは水銀を溜め込もう。
もともと、ラーメンが好きな上に、大学に入った頃は安くて腹にたまる牛丼ばかり食べていた。運動量も激減し、それらの相乗効果なのだろう、1年半前に血液を採ったら「若干中性脂肪多過」との結果が。
はっきりいって痩せている身でこれはヤバイ、二桁いくかいかないかだった時もあるのに2%も増えた体脂肪率もどうにかせねばと牛丼を絶ち、野菜ジュースを摂取してきた。体脂肪率は男で20%まで標準らしいが、自分の中では中年になった時のための貯金を、使い切って20%だから今の段階ではまだ貯金をしておかないと。
それでもやはり油は採っていたかなと。外食をするとどうしても取ってしまうし、魚はなかなか手が出ない。
何が嫌だって油が入っていないと美味しいと感じなくなってしまうらしい事。そのイメージが、妙にショッキングだった。
しかし、やはりラーメンは旨い・・・
健康志向が勝つか、嗜好が勝つか。
書いていてよく分からないが、唐突にこういう事に目覚める時がある。昨日飲んだ時も「さくら水産」で刺身ばかり。しばらくは水銀を溜め込もう。
貴乃花
2003年1月28日 貴乃花が現役を引退したと聞いた時、相撲にほとんど関心がなかった身でも、何やら非常にもったいないという気分になった。貴乃花の意志という事になっているが、そこに相撲界全体の圧力があったことは想像に難くない。
怪我した部分をかばっていると状態、技術が維持できず、稽古をしてると怪我が治らない。そんな状況であったからこそあと1年2年猶予を上げてもよかったのではなかろうか。横綱の特権とは休み続けられる事、降格が無い事それ自体ではなく、「観
客の前で無様な姿を晒さないですむ事」であるべきだと思う。
ロッテの村田や、巨人の桑田のようには待てなかったのだろうか。「横綱の権威」というものに縛られて、結果的に観客動員を減らしてそれが良い判断だったといえるのだろうか。本当に、貴乃花は横綱と大相撲を舐めていたのか?
しかし、こうやって名をとる大相撲も、それはそれで一つのあり方なのだろう。ちょっと古い話で、女性の土俵入り問題が物議をかもした事があったが、あれこそ相撲界の自由だと感じる。伝統と人権、といった問題はそれが誰かの権利を著しく傷つ
けている場合を除いて損得勘定だ。
伝統とは、合理的な理由があるかないかという問題ではないのだから、それを撤廃するとしたら「女性ファンを取り入れるため」、であろう。もしそれをすれば女性ファンが増えて繁栄するとして、そちらを相撲界が選べばそれはそれで良し。しかし、損をしてでも伝統を守り抜きたいと思うのならば、それは他人の口を出す問題ではない。伝統とともに滅び行くというのも立派な選択肢である。
今回も、相撲界は名を選んだ。横綱の、伝統と権威を選んだ。それはそれで立派な選択だった。外国人力士という興業たる「強さ」については実をとり、それ以外のところでは伝統を固持する。貴乃花は惜しいが、相撲界の在りようは、好意をもって見
ていたい。
怪我した部分をかばっていると状態、技術が維持できず、稽古をしてると怪我が治らない。そんな状況であったからこそあと1年2年猶予を上げてもよかったのではなかろうか。横綱の特権とは休み続けられる事、降格が無い事それ自体ではなく、「観
客の前で無様な姿を晒さないですむ事」であるべきだと思う。
ロッテの村田や、巨人の桑田のようには待てなかったのだろうか。「横綱の権威」というものに縛られて、結果的に観客動員を減らしてそれが良い判断だったといえるのだろうか。本当に、貴乃花は横綱と大相撲を舐めていたのか?
しかし、こうやって名をとる大相撲も、それはそれで一つのあり方なのだろう。ちょっと古い話で、女性の土俵入り問題が物議をかもした事があったが、あれこそ相撲界の自由だと感じる。伝統と人権、といった問題はそれが誰かの権利を著しく傷つ
けている場合を除いて損得勘定だ。
伝統とは、合理的な理由があるかないかという問題ではないのだから、それを撤廃するとしたら「女性ファンを取り入れるため」、であろう。もしそれをすれば女性ファンが増えて繁栄するとして、そちらを相撲界が選べばそれはそれで良し。しかし、損をしてでも伝統を守り抜きたいと思うのならば、それは他人の口を出す問題ではない。伝統とともに滅び行くというのも立派な選択肢である。
今回も、相撲界は名を選んだ。横綱の、伝統と権威を選んだ。それはそれで立派な選択だった。外国人力士という興業たる「強さ」については実をとり、それ以外のところでは伝統を固持する。貴乃花は惜しいが、相撲界の在りようは、好意をもって見
ていたい。
筋肉痛です
2003年1月27日 何故人は、自らが忙しい事をいかにも自慢げに語るのであろうか。小学生の時からの疑問。
「いやー、俺、週に5回も習い事があってさー。良いよなー、何もない奴は。」
クラスに1人はいた。何故か優越感に浸った顔をしながらこういう事を言う奴が。(・・・それを皆に言いふらさなければお前は大した奴かもしれなかったけどな)と、子供心にむかついたものだ。ひょっとしたら口に出して喧嘩していたかもしれない。
そんなに何かしていなければ不安なのだろうか。それを人に話さなければ、いても立ってもいられないのか。
シュウカツ時期になると、そういう「自慢」がやたらと目に入るようになってくる。サービス残業当たり前、なんて言ってる会社は論外だが、そういう企業に尻尾を振る学生が多いこと。
忙しいのが当たり前、なんてのは自慢になんてならない事は、ちょっと考えればすぐわかる。仕事に関する無能の証明か、仕事に対しての人員が足りてない、つまり経営的な無能だろうに。そのしわ寄せでいいように使われている事が、そんなに嬉しいのだろうか。
マゾばっかりいる世の中ってのもなんだかな。他人が忙しいんだから、忙しいのが当たり前なんだ、それを受け入れろ、と言われるのは気分が悪い。
「いやー、俺、週に5回も習い事があってさー。良いよなー、何もない奴は。」
クラスに1人はいた。何故か優越感に浸った顔をしながらこういう事を言う奴が。(・・・それを皆に言いふらさなければお前は大した奴かもしれなかったけどな)と、子供心にむかついたものだ。ひょっとしたら口に出して喧嘩していたかもしれない。
そんなに何かしていなければ不安なのだろうか。それを人に話さなければ、いても立ってもいられないのか。
シュウカツ時期になると、そういう「自慢」がやたらと目に入るようになってくる。サービス残業当たり前、なんて言ってる会社は論外だが、そういう企業に尻尾を振る学生が多いこと。
忙しいのが当たり前、なんてのは自慢になんてならない事は、ちょっと考えればすぐわかる。仕事に関する無能の証明か、仕事に対しての人員が足りてない、つまり経営的な無能だろうに。そのしわ寄せでいいように使われている事が、そんなに嬉しいのだろうか。
マゾばっかりいる世の中ってのもなんだかな。他人が忙しいんだから、忙しいのが当たり前なんだ、それを受け入れろ、と言われるのは気分が悪い。
危機管理
2003年1月26日 友人とキャッチボールをした。
運動というものをほとんどしていなかったせいで思うように体が動かないが、汗をかいた後の公園の水飲み場場の水はうまいものだ。
しかしだ、聞くところによると最近は、野球はおろかキャッチボールすら禁止の公園が増えているらしい。危険だからだというのだが、そう言えば確かに、近所の公園の、慣れ親しんだちょっと大型の遊具がほとんどなくなっている。危険だから、だろう。
どこから圧力がかかっているのか知らないが、やるせない思いだ。痛いと感じる経験が、子供に必要ないとでもいうのだろうか。そんなに痛い思いをさせるのが嫌なら、街に植えてある木を全て伐採すればいい。子供が登って落ちたら危ないだろう。
やりかねない気がするから恐い。
小さい頃、アスレチックが大好きだったのだが、一度高いところから足を踏み外して落下し、救急車で運ばれた事がある。当時は考えもしなかったが、そのせいでもしもあのアスレチックが撤去されていたらと思うとやりきれない。子供心にも、「あぁ、ドジやってしまった」と思ったものだ。まさかアスレチックのせいだとは考えない。そんな子供にすらわかる事が、分からない連中がいるのだろう。
危険な思いをしなければ、何が危険かも分からないのではなかろうか。何が危険かも分からない、そんなに危険な事はない。
運動というものをほとんどしていなかったせいで思うように体が動かないが、汗をかいた後の公園の水飲み場場の水はうまいものだ。
しかしだ、聞くところによると最近は、野球はおろかキャッチボールすら禁止の公園が増えているらしい。危険だからだというのだが、そう言えば確かに、近所の公園の、慣れ親しんだちょっと大型の遊具がほとんどなくなっている。危険だから、だろう。
どこから圧力がかかっているのか知らないが、やるせない思いだ。痛いと感じる経験が、子供に必要ないとでもいうのだろうか。そんなに痛い思いをさせるのが嫌なら、街に植えてある木を全て伐採すればいい。子供が登って落ちたら危ないだろう。
やりかねない気がするから恐い。
小さい頃、アスレチックが大好きだったのだが、一度高いところから足を踏み外して落下し、救急車で運ばれた事がある。当時は考えもしなかったが、そのせいでもしもあのアスレチックが撤去されていたらと思うとやりきれない。子供心にも、「あぁ、ドジやってしまった」と思ったものだ。まさかアスレチックのせいだとは考えない。そんな子供にすらわかる事が、分からない連中がいるのだろう。
危険な思いをしなければ、何が危険かも分からないのではなかろうか。何が危険かも分からない、そんなに危険な事はない。
銀行
2003年1月23日 みずほ危険。
1兆円って簡単に言うが、1兆円の黒字を出すのがどれだけ大変か・・・そもそも銀行ってそんなに利益率の高い業界じゃないんじゃなかったか。
しかも、土日の手数料。どうにかならないのか、日本人はなめられてるんじゃないのか。なんで自分の金を使うのに金がかかるんだ。そろそろ、金を預けるのを拒否するぐらいの事をしても良いような気がする。為すがままになってるからつけあがる。
考えてみれば、学生が銀行に金を預けなけりゃならない理由なんてどこにも無い。タンス預金だって、恐くは無かろう。恐がるほど金を持ってはいない。
しかし、バイト代が振り込まれる・・・
結託して金を搾り取られているような。
やはり、銀行は嫌かもしれない。そんなに人気があるのならと、志望してみようかと思っていたのだが。
何故人気があるのだろう。国家予算的赤字の企業など、入りたくはない。どこに魅力があるのだろう。
などと言っているが、知り合いには割りあいみずほが多い。慎もう。
1兆円って簡単に言うが、1兆円の黒字を出すのがどれだけ大変か・・・そもそも銀行ってそんなに利益率の高い業界じゃないんじゃなかったか。
しかも、土日の手数料。どうにかならないのか、日本人はなめられてるんじゃないのか。なんで自分の金を使うのに金がかかるんだ。そろそろ、金を預けるのを拒否するぐらいの事をしても良いような気がする。為すがままになってるからつけあがる。
考えてみれば、学生が銀行に金を預けなけりゃならない理由なんてどこにも無い。タンス預金だって、恐くは無かろう。恐がるほど金を持ってはいない。
しかし、バイト代が振り込まれる・・・
結託して金を搾り取られているような。
やはり、銀行は嫌かもしれない。そんなに人気があるのならと、志望してみようかと思っていたのだが。
何故人気があるのだろう。国家予算的赤字の企業など、入りたくはない。どこに魅力があるのだろう。
などと言っているが、知り合いには割りあいみずほが多い。慎もう。
腹の調子が悪いのが抜けないくらい。
2003年1月22日 養生してシュウカツもキャンセルしているので、日常で書く事が無い。我が家は風邪が蔓延している、とかその程度。
バイト先で「贅沢禁止令」が出ると世の寒風が身に染みる。担当社員まで減っていくとは。何か他に減らすべき部分があるんじゃないのか。
カルロス=ゴーンの春闘に関してのコメント「会社はお客様と株主の為だけにあるのではない」とベアを承認したのに感心。ちょっとなのだろうけど、そういう当たり前の精神が、最近足りてない。
バイト先で「贅沢禁止令」が出ると世の寒風が身に染みる。担当社員まで減っていくとは。何か他に減らすべき部分があるんじゃないのか。
カルロス=ゴーンの春闘に関してのコメント「会社はお客様と株主の為だけにあるのではない」とベアを承認したのに感心。ちょっとなのだろうけど、そういう当たり前の精神が、最近足りてない。
風邪
2003年1月20日 久方ぶりに、寒気がするほどの風邪。今年の風邪は腹に来るらしい。旅行用に買った征露丸に、こんなところでお世話になるとは。
それでもゼミ最後の飲み会に顔を出す。食欲も無いので、ひたすらウーロン茶とトマトジュース。そしてお茶漬け。こんな時に限って先生のおごりで、生まれて始めて居酒屋の4000円コース。
それでもゼミ最後の飲み会に顔を出す。食欲も無いので、ひたすらウーロン茶とトマトジュース。そしてお茶漬け。こんな時に限って先生のおごりで、生まれて始めて居酒屋の4000円コース。
パリーグの観客動員
2003年1月18日 1980年 5,797,500人
1990年 8,609,000人
2002年 9,709,000人
パリーグの人気のどこが低下してるんだと声高に言いたい。2001年には10,124,000人にも達していたというに。
ちなみにセリーグの観客動員。
1980年 10,322,000人
1990年 12,020,000人
2002年 13,243,500人
多分、どちらも水増しはしているだろうが、その程度はほとんど同じじゃないかと思う。最近の巨人戦はテレビで見てても空席が目立つようになってきた。
一番ひどいときには1965年パリーグ2,501,361人、セリーグ6,251,500人 1975年パリーグ3,201,900人 セリーグ9,479,500人とほぼ三分の一しか観客が入っていなかった時もあった。それに比べれば現在は雲泥の差だろう。
にもかかわらず「パリーグは危ない」「一リーグへ」といった論調が多すぎる。ろくすっぽ調べもしないで、アジテーターか、連中は。
などと憤ってみる。
だからこそ西武にも腹が立つ。巨人戦しか見れないような連中があれを見たら、あんな程度で優勝できるのかパリーグは、と思うだろう。
本当にパリーグのレベルが低いのか。
片岡は去年失敗だった。しかし、アリアスがHR数3位ならば、その間にパリーグの打者が5人は食い込んでくるだろう。
ともあれ、パリーグはプレーオフ制を導入するらしい。こういった努力こそが観客動員の接近の大きな理由だろう。営業努力を、パはしている。オリックスなんかはよく叩かれているが、金の使い方を既存の考えから脱却したところに置いているだけで、最近は非常に好感を持っている。
巨人阪神の金の使い方は異常だ。コストパフォーマンスというものをまるっきり考えていない。
しかし、一番責められるべきはセリーグの巨人以外の球団だと思う。今の5球団から、巨人戦を抜き取ったら何が残るのか。パリーグと同程度どころのレベルじゃないのではないか。
聞けば、パは韓国や台湾も視野に入れたリーグの構想があるという。どんどんやればいい。セリーグは巨人を2つか3つ作って140試合巨人とやってればいい。営業努力は、金の額じゃない。金の使い方を考える事だと思う。
営業努力は、金額だから、パの各球団は努力していない、ならやめてしまえ、というのはおかしい。そのおかしい考え方に基づいたウェーバードラフト反対論もまたおかしい。
ウェーバードラフトは、努力してもいないのに強くなれるじゃないか、という意見。
スポーツは社会主義でよいと思う。「企業努力」という名のマネーゲームで勝敗が決まるところなど、観客は見たくはないだろう。球場の外で努力したものが勝つ姿ではなくて、スポーツで努力して工夫したものが勝つ姿が見たいのだ。
どんなにやる気が無い球団でも勝てるシステムが一番だと思う。見ていて面白い。
やはり、智弁和歌山やPLよりは、公立高校が勝ちあがった方が面白いではないか。
しかし、プレーオフをやるのなら2球団くらい増やして、リーグをメジャーのようにチーム4つの地域2つに分けてから1位同士とワイルドカードで争うのが、本当は一番面白いと思うのだが。
いいじゃないか、「やる気の無い球団」を増やせば。
1990年 8,609,000人
2002年 9,709,000人
パリーグの人気のどこが低下してるんだと声高に言いたい。2001年には10,124,000人にも達していたというに。
ちなみにセリーグの観客動員。
1980年 10,322,000人
1990年 12,020,000人
2002年 13,243,500人
多分、どちらも水増しはしているだろうが、その程度はほとんど同じじゃないかと思う。最近の巨人戦はテレビで見てても空席が目立つようになってきた。
一番ひどいときには1965年パリーグ2,501,361人、セリーグ6,251,500人 1975年パリーグ3,201,900人 セリーグ9,479,500人とほぼ三分の一しか観客が入っていなかった時もあった。それに比べれば現在は雲泥の差だろう。
にもかかわらず「パリーグは危ない」「一リーグへ」といった論調が多すぎる。ろくすっぽ調べもしないで、アジテーターか、連中は。
などと憤ってみる。
だからこそ西武にも腹が立つ。巨人戦しか見れないような連中があれを見たら、あんな程度で優勝できるのかパリーグは、と思うだろう。
本当にパリーグのレベルが低いのか。
片岡は去年失敗だった。しかし、アリアスがHR数3位ならば、その間にパリーグの打者が5人は食い込んでくるだろう。
ともあれ、パリーグはプレーオフ制を導入するらしい。こういった努力こそが観客動員の接近の大きな理由だろう。営業努力を、パはしている。オリックスなんかはよく叩かれているが、金の使い方を既存の考えから脱却したところに置いているだけで、最近は非常に好感を持っている。
巨人阪神の金の使い方は異常だ。コストパフォーマンスというものをまるっきり考えていない。
しかし、一番責められるべきはセリーグの巨人以外の球団だと思う。今の5球団から、巨人戦を抜き取ったら何が残るのか。パリーグと同程度どころのレベルじゃないのではないか。
聞けば、パは韓国や台湾も視野に入れたリーグの構想があるという。どんどんやればいい。セリーグは巨人を2つか3つ作って140試合巨人とやってればいい。営業努力は、金の額じゃない。金の使い方を考える事だと思う。
営業努力は、金額だから、パの各球団は努力していない、ならやめてしまえ、というのはおかしい。そのおかしい考え方に基づいたウェーバードラフト反対論もまたおかしい。
ウェーバードラフトは、努力してもいないのに強くなれるじゃないか、という意見。
スポーツは社会主義でよいと思う。「企業努力」という名のマネーゲームで勝敗が決まるところなど、観客は見たくはないだろう。球場の外で努力したものが勝つ姿ではなくて、スポーツで努力して工夫したものが勝つ姿が見たいのだ。
どんなにやる気が無い球団でも勝てるシステムが一番だと思う。見ていて面白い。
やはり、智弁和歌山やPLよりは、公立高校が勝ちあがった方が面白いではないか。
しかし、プレーオフをやるのなら2球団くらい増やして、リーグをメジャーのようにチーム4つの地域2つに分けてから1位同士とワイルドカードで争うのが、本当は一番面白いと思うのだが。
いいじゃないか、「やる気の無い球団」を増やせば。
個性
2003年1月16日「なぁ、1999年7の月に恐怖の大王が・・・って言うじゃん?」
98年冬のある日。
「あぁ、それで?」
「で、核戦争が起こる、とか大地震とか隕石が降ってくる、とかよく言うじゃん?」
「あー。」
「もしもさ、
文字通り恐怖の大魔王が降ってきた
らどうする?」
「そりゃオマエ、俺たちが立ち上がるんだろ?」
「・・・そうか、やっぱそうだよな。腕組んでたりするんだろうな。空に浮いて。」
「絶対四角いバリアーがあるんだって。」
「やっぱ自衛隊の攻撃は効かないんだろ?」
「絶対どこかに剣があるんだって」
高校時代、こんな2人がいた。ボケと突っ込みではなくて、二人でボケ続けるという。側で3,4人、笑い続けていた記憶がある。
(雨みたいに降ってきたらどうするんだ・・・)
なんて考えたものだ。
ともあれ、個性の強い奴等だった。別に「凄い奴」とかではない(と思う。ある種凄いが)。よく世間で言われる「個性のある奴」「凄い奴」ってのは、(例えば海外各地に放浪に行っててマスコミに入った、とかインターンシップに燃えていて、とか)ってのは個性があると思われがちだが、それは違うんじゃないか。それは「個性があるタイプ」という枠組みのなかにある「パターン」だから、本来的な意味での「個性のある奴」ではないと思う。
この場合、「凄い奴」であるかどうかは問題にしていない。別に個性と凄さは同義ではない。
冒頭の会話の一人(足が異常に長い)は、会話がないと突然
「むにゅ」
などと言い出す始末。
文章にしてみるとただの頭のおかしい奴だが、見ていて面白かった。個性は折り紙つきだが、別に「凄い奴」ではない。
で
自分は特に個性のある方ではないと思う(特に知人に強調しておきたい)。いたって平凡な有象無象の一人だと思うし、個性のある生き方なんて全く望んでいない。当然、所謂「凄い奴」でもないと思う。
無個性で良いと思う。個性ってのを求めてるってのは優越感を求めてるのと同じじゃなかろうか。そんなもの、求めるものじゃないし、個性ってのは「変人」だという事で、それはもう、見ただけで明らかに違う(この高校の友人に思い知らされた)。
ある種凄い人を、「個性がある」ともてはやして「自分も個性的になりたい」もしくは「自分も個性的に違いない」ってのはどうなのだろうか。
「個性的な人物」なんてまずいない。10年に1人、20年に1人、そんなレベルでしか会えない人こそ個性的な人物なのだ。
「凄い人」ほど「凄い人」という枠の中にいる「無個性な人」なんじゃないかと思ってたりする。
無論、無個性=凄いってわけではない。
98年冬のある日。
「あぁ、それで?」
「で、核戦争が起こる、とか大地震とか隕石が降ってくる、とかよく言うじゃん?」
「あー。」
「もしもさ、
文字通り恐怖の大魔王が降ってきた
らどうする?」
「そりゃオマエ、俺たちが立ち上がるんだろ?」
「・・・そうか、やっぱそうだよな。腕組んでたりするんだろうな。空に浮いて。」
「絶対四角いバリアーがあるんだって。」
「やっぱ自衛隊の攻撃は効かないんだろ?」
「絶対どこかに剣があるんだって」
高校時代、こんな2人がいた。ボケと突っ込みではなくて、二人でボケ続けるという。側で3,4人、笑い続けていた記憶がある。
(雨みたいに降ってきたらどうするんだ・・・)
なんて考えたものだ。
ともあれ、個性の強い奴等だった。別に「凄い奴」とかではない(と思う。ある種凄いが)。よく世間で言われる「個性のある奴」「凄い奴」ってのは、(例えば海外各地に放浪に行っててマスコミに入った、とかインターンシップに燃えていて、とか)ってのは個性があると思われがちだが、それは違うんじゃないか。それは「個性があるタイプ」という枠組みのなかにある「パターン」だから、本来的な意味での「個性のある奴」ではないと思う。
この場合、「凄い奴」であるかどうかは問題にしていない。別に個性と凄さは同義ではない。
冒頭の会話の一人(足が異常に長い)は、会話がないと突然
「むにゅ」
などと言い出す始末。
文章にしてみるとただの頭のおかしい奴だが、見ていて面白かった。個性は折り紙つきだが、別に「凄い奴」ではない。
で
自分は特に個性のある方ではないと思う(特に知人に強調しておきたい)。いたって平凡な有象無象の一人だと思うし、個性のある生き方なんて全く望んでいない。当然、所謂「凄い奴」でもないと思う。
無個性で良いと思う。個性ってのを求めてるってのは優越感を求めてるのと同じじゃなかろうか。そんなもの、求めるものじゃないし、個性ってのは「変人」だという事で、それはもう、見ただけで明らかに違う(この高校の友人に思い知らされた)。
ある種凄い人を、「個性がある」ともてはやして「自分も個性的になりたい」もしくは「自分も個性的に違いない」ってのはどうなのだろうか。
「個性的な人物」なんてまずいない。10年に1人、20年に1人、そんなレベルでしか会えない人こそ個性的な人物なのだ。
「凄い人」ほど「凄い人」という枠の中にいる「無個性な人」なんじゃないかと思ってたりする。
無論、無個性=凄いってわけではない。
靖国
2003年1月15日 また参拝して、また責められている。小泉さんの苦悩が伺えますな。
A級だろうとB級だろうと、戦犯ってのは言い方がおかしくて、死刑という刑を受けた以上、もはやその人は犯罪者ではないんだな。前科者ではあっても。だから、戦犯を祀ってるんだから参拝するなって理屈はちょっとおかしい。
そんな理屈はどうでもいいのだろうし、言ってる事はそんな理屈ではないのだろうが。
どっちだって良いと思う。もともと、意味なんてあるものではないのだから。そこに意味があるかのように見せかけられてるだけなのだから。
ただ、やめるのは良いのだが今やめるのはちょっと。中国や韓国の連中の「宗教的干渉」に従って、「ゲンメイ」されてやめるというのはかなり面白くない。文句がなくなってからやめればいい、とか思っている。
しかし、本当に宗教的な意味で首相に参拝して欲しい、戦没者を追悼してくれないと安らかに眠れない・・・と思っている遺族の存在を忘れてはいけないと思う。いくらこんなところで日記つけてるバカな戦後生まれが「意味なんてない」と言ったところで、そこに大事に意味を持ち続けている人はいる筈で。そういう人の宗教だって守るのは必要な事だと思う。
「アジアや中国の国民の気持ちは配慮しないのか」そう中国の誰かが言ったらしいが、日本国政府は日本国民の税金で成り立っている訳で、順位が後回しになるのは至極当然だと思う。
タブーっぽい事だけに忘れられがちだが、遺族にとっては一つの宗教的問題。これが他宗教に対するものだったら逆に「中国や韓国が宗教戦争を仕掛けてきている」ととられてもしょうがあるまい。
そうすると、政教分離の原則に反してしまうわけだが。
日本人にとっては「宗教であって宗教ではない」という微妙な感覚があるからな。一連の行事に見られるように。
インドではイスラム教徒ヒンドゥー教が融合していたのをイギリス人が機械的かつ厳密に選り分けたせいで今に到るという事もある。
今更日本が神道原理主義になって他宗教を差別する、というのも現実離れしすぎているし、「宗教であって宗教ではない」という曖昧な立場でも、良いと思うのだが・・・
やはり国際的に通用しないのだろうか。
A級だろうとB級だろうと、戦犯ってのは言い方がおかしくて、死刑という刑を受けた以上、もはやその人は犯罪者ではないんだな。前科者ではあっても。だから、戦犯を祀ってるんだから参拝するなって理屈はちょっとおかしい。
そんな理屈はどうでもいいのだろうし、言ってる事はそんな理屈ではないのだろうが。
どっちだって良いと思う。もともと、意味なんてあるものではないのだから。そこに意味があるかのように見せかけられてるだけなのだから。
ただ、やめるのは良いのだが今やめるのはちょっと。中国や韓国の連中の「宗教的干渉」に従って、「ゲンメイ」されてやめるというのはかなり面白くない。文句がなくなってからやめればいい、とか思っている。
しかし、本当に宗教的な意味で首相に参拝して欲しい、戦没者を追悼してくれないと安らかに眠れない・・・と思っている遺族の存在を忘れてはいけないと思う。いくらこんなところで日記つけてるバカな戦後生まれが「意味なんてない」と言ったところで、そこに大事に意味を持ち続けている人はいる筈で。そういう人の宗教だって守るのは必要な事だと思う。
「アジアや中国の国民の気持ちは配慮しないのか」そう中国の誰かが言ったらしいが、日本国政府は日本国民の税金で成り立っている訳で、順位が後回しになるのは至極当然だと思う。
タブーっぽい事だけに忘れられがちだが、遺族にとっては一つの宗教的問題。これが他宗教に対するものだったら逆に「中国や韓国が宗教戦争を仕掛けてきている」ととられてもしょうがあるまい。
そうすると、政教分離の原則に反してしまうわけだが。
日本人にとっては「宗教であって宗教ではない」という微妙な感覚があるからな。一連の行事に見られるように。
インドではイスラム教徒ヒンドゥー教が融合していたのをイギリス人が機械的かつ厳密に選り分けたせいで今に到るという事もある。
今更日本が神道原理主義になって他宗教を差別する、というのも現実離れしすぎているし、「宗教であって宗教ではない」という曖昧な立場でも、良いと思うのだが・・・
やはり国際的に通用しないのだろうか。
「戦争広告代理店」
2003年1月14日 高木徹のこの著作を読んだ。
ボスニア・ヘルチェゴビナ、ユーゴ紛争においてアメリカのPR会社が果たした役割を描き、NHKスペシャルでも放映された作品だ。
衝撃的な本だった。
戦争、政治、外交における広告宣伝の大事さと言うのはわかっているつもりだったが、まさかそれを商いにして儲けている会社があろうとは寡聞にして初耳だった。
しかも、果たしている役割が並大抵ではない。ミロシェビッチの悪役化はともかくとして、各国首脳部とのパイプつなぎに有名TV番組へのアプローチ、それらはおろか
「民族浄化」という言葉すら彼等の手によるものだったとは・・・
このPR会社がなければユーゴ紛争は全く別の道筋をたどったであろう事が予想される。国内のみに目を向けていたせいで「第二のヒトラー」とみなされたミロシェビッチが哀れにも思える。
時折そのやり方に疑問を抱きつつも、全体としてこのPR会社の手腕を褒め称えるつくりになっている。いわば必要悪、といったところか。
たしかに必要悪なのかもしれないが、釈然としない。有刺鉄線の内側から外の痩せ細った人を撮る事で、あたかも収容所であるかのような写真を作る、「どちらが悪いという事もない」と言った将軍を追い落とすといったやり方は、許されるのだろうか。これに比べれば中国の情報操作など、杜撰で幼稚なものだ。
しかし、中国や韓国が例の歴史問題でこのPR会社を雇ったら・・・と想像するとぞっとする。
逆に日本はこれくらいした方がいいのかもしれない。日本外務省の外交手腕など、幼稚どころの話ではなかろう。
ボスニア・ヘルチェゴビナ、ユーゴ紛争においてアメリカのPR会社が果たした役割を描き、NHKスペシャルでも放映された作品だ。
衝撃的な本だった。
戦争、政治、外交における広告宣伝の大事さと言うのはわかっているつもりだったが、まさかそれを商いにして儲けている会社があろうとは寡聞にして初耳だった。
しかも、果たしている役割が並大抵ではない。ミロシェビッチの悪役化はともかくとして、各国首脳部とのパイプつなぎに有名TV番組へのアプローチ、それらはおろか
「民族浄化」という言葉すら彼等の手によるものだったとは・・・
このPR会社がなければユーゴ紛争は全く別の道筋をたどったであろう事が予想される。国内のみに目を向けていたせいで「第二のヒトラー」とみなされたミロシェビッチが哀れにも思える。
時折そのやり方に疑問を抱きつつも、全体としてこのPR会社の手腕を褒め称えるつくりになっている。いわば必要悪、といったところか。
たしかに必要悪なのかもしれないが、釈然としない。有刺鉄線の内側から外の痩せ細った人を撮る事で、あたかも収容所であるかのような写真を作る、「どちらが悪いという事もない」と言った将軍を追い落とすといったやり方は、許されるのだろうか。これに比べれば中国の情報操作など、杜撰で幼稚なものだ。
しかし、中国や韓国が例の歴史問題でこのPR会社を雇ったら・・・と想像するとぞっとする。
逆に日本はこれくらいした方がいいのかもしれない。日本外務省の外交手腕など、幼稚どころの話ではなかろう。
今年のお題
2003年1月12日 竹橋駅から降りて、徒歩5分。地図も持たずに迷う事無く入り口に入り、スーツでもないのに気後れせずに書類を受け取る。
小学館。
またここに来る羽目になるとは。慣れてしまった自分が嫌だ。
今年の課題作文は「10年後の自分」。よくあるテーマだが、800文字も書いた事はない。せいぜいが2,3行だ。
こんなお題、普通に考えれば答えはかなり限られてくる。出だしが重要だろう。かと言って、去年のネタが使えるのかどうか。
何もバカ正直に10年後の未来予想図もしくは願望図を描く事はない。10年後の自分にちなんで、全然別の事を書いても良いはずだが。
ストックしてある「過去の自分のエピソード」からの使いまわしが出来ないため、悪戦苦闘が予想される。
――――――――
思ったんだが、何十年か後の世界史の教科書では、ブッシュ父子を世界史の慣例にしたがって「大ブッシュ」「小ブッシュ」と呼び分けるのだろうか。
・・・嫌だ。
小学館。
またここに来る羽目になるとは。慣れてしまった自分が嫌だ。
今年の課題作文は「10年後の自分」。よくあるテーマだが、800文字も書いた事はない。せいぜいが2,3行だ。
こんなお題、普通に考えれば答えはかなり限られてくる。出だしが重要だろう。かと言って、去年のネタが使えるのかどうか。
何もバカ正直に10年後の未来予想図もしくは願望図を描く事はない。10年後の自分にちなんで、全然別の事を書いても良いはずだが。
ストックしてある「過去の自分のエピソード」からの使いまわしが出来ないため、悪戦苦闘が予想される。
――――――――
思ったんだが、何十年か後の世界史の教科書では、ブッシュ父子を世界史の慣例にしたがって「大ブッシュ」「小ブッシュ」と呼び分けるのだろうか。
・・・嫌だ。
いろんな本
2003年1月11日 「まれに見るバカ女」というムックが気になっている。宝島からでてるムックだったか。
気になってはいるのだが、買ってはいけないような気もする。 題名が題名だけに。
「女=バカだ」と言っている本ではさすがにないと思うのだが、気になる記事があってもSAPIOを立読みすると恥ずかしい、という気持ちに似てるか。
本当はそんな事考える方がバカだと分かってはいるのだが。
「歴史群像」を買ってしまった。
スパルタクスの乱や、種離の戦い、イラクとアメリカの特集が読みたかったのだが、これも「兵器オタク」向けっぽくて買うのに抵抗がある。読みたい記事そのものに問題がある訳ではないのだが、毎回毎回、ラバウルとかミッドウェーで表紙を飾られるとやはり。
どうにかならないものか。
どこかの新書で出てた、読売と朝日の社説の比較検証本も読みたい。めくってみた限りだと読売寄りのようだったが、さてさて。
「敗戦のローレライ」も買ってないし、陳瞬臣の「耶律楚材」も古本屋で買ってしまった。宮部みゆきの時代モノも読みたいし積んである・・・
目の前にやるべき事があると、本が読みたくなる。
とりあえず、「逆転裁判2」を完了。
気になってはいるのだが、買ってはいけないような気もする。 題名が題名だけに。
「女=バカだ」と言っている本ではさすがにないと思うのだが、気になる記事があってもSAPIOを立読みすると恥ずかしい、という気持ちに似てるか。
本当はそんな事考える方がバカだと分かってはいるのだが。
「歴史群像」を買ってしまった。
スパルタクスの乱や、種離の戦い、イラクとアメリカの特集が読みたかったのだが、これも「兵器オタク」向けっぽくて買うのに抵抗がある。読みたい記事そのものに問題がある訳ではないのだが、毎回毎回、ラバウルとかミッドウェーで表紙を飾られるとやはり。
どうにかならないものか。
どこかの新書で出てた、読売と朝日の社説の比較検証本も読みたい。めくってみた限りだと読売寄りのようだったが、さてさて。
「敗戦のローレライ」も買ってないし、陳瞬臣の「耶律楚材」も古本屋で買ってしまった。宮部みゆきの時代モノも読みたいし積んである・・・
目の前にやるべき事があると、本が読みたくなる。
とりあえず、「逆転裁判2」を完了。