区切り
2003年1月9日 20000HIT。これは良い事なのだろうか。
旅行が好きだ。
今度は東南アジアをめぐって来たいと考えているが、アメリカを、キャンピングカーでも借りて横断するのにも非常に魅力を感じている。出来るのかどうかは分からないが、4人くらいで借りれば、宿代も考えるとそこまで割高にはならないんじゃないだろうか。
来年になると、4人も集まるのかどうかがそもそも疑問ではあるが。
何故好きなのかとか考えてみる。
最近、頭の中に余計な情報が増えすぎているように思う。シュウカツもそうだが、その他にも実に色々な事を日々考えてしまっている。
そんな余分な情報を取り除きたい。
外を走ってみたり、ゲームをやってみたりとする事で、その時は頭を真っ白に出来るのだが、一日をトータルで考えるとまだまだ。
別の国に行くと、そんな余分な情報がキレイになくなってくれる。
次の宿はどこにしようか、何を食べようか、何を見ようか。
無論、期待や希望だけでなく、不安や心配も混じっているのだが、それが非常に快い。本能、というのとは違うと思うが、頭の中が澄み切っていく感覚。
国内旅行じゃ味わえない。どうしても、情報が入ってきてしまうから。しがらみみたいなのが、どうしても付きまとうような気がする。
情報って、良い事ばかりはもたらすわけではないのではないか。いや、ひょっとしたら。
子供にインターネットなんてやらせるべきじゃなかろう。
旅行が好きだ。
今度は東南アジアをめぐって来たいと考えているが、アメリカを、キャンピングカーでも借りて横断するのにも非常に魅力を感じている。出来るのかどうかは分からないが、4人くらいで借りれば、宿代も考えるとそこまで割高にはならないんじゃないだろうか。
来年になると、4人も集まるのかどうかがそもそも疑問ではあるが。
何故好きなのかとか考えてみる。
最近、頭の中に余計な情報が増えすぎているように思う。シュウカツもそうだが、その他にも実に色々な事を日々考えてしまっている。
そんな余分な情報を取り除きたい。
外を走ってみたり、ゲームをやってみたりとする事で、その時は頭を真っ白に出来るのだが、一日をトータルで考えるとまだまだ。
別の国に行くと、そんな余分な情報がキレイになくなってくれる。
次の宿はどこにしようか、何を食べようか、何を見ようか。
無論、期待や希望だけでなく、不安や心配も混じっているのだが、それが非常に快い。本能、というのとは違うと思うが、頭の中が澄み切っていく感覚。
国内旅行じゃ味わえない。どうしても、情報が入ってきてしまうから。しがらみみたいなのが、どうしても付きまとうような気がする。
情報って、良い事ばかりはもたらすわけではないのではないか。いや、ひょっとしたら。
子供にインターネットなんてやらせるべきじゃなかろう。
泣く泣く
2003年1月8日 哀れ携帯が洗濯機の星と成り果てたので、機種変更をする事になった。
ポケットに入れるのに不便だからという理由と、あまりにも皆が好んでいると言うしょうもない理由から、折りたたみの機種は、嫌いだったのだが・・
・
これも時代の趨勢なのか。近所の電気店には折りたたみがずらり。普通のタイプは、しょぼそうなのが隅っこにちんまりとあるだけ。やむを得ず折りたたみ式を選ぶ。
このとき、選ぶのがどうでも良かったのでシルバーかブラックか、と色を聞かれた時に、物も見ずに、「じゃあシルバーで」と答えたのが間違いだった。
手元に来たのは「ピンクがかった」シルバー。
前回の機種変更から10ヶ月が経っていないため、1万円も余分にかかるのにこの上さらに、ピンク色の携帯を持ち歩く羽目になろうとは。
どうでも良いと言えばどうでも良いのだが。人目は気になる。
そして、中毒気味だったテトリスが付いていないのはショックだった。
良い事なのかもしれないが。
物にはかなり愛着を持ってしまい、捨てられないタイプ。だから、携帯も捨てる時身を切る思いが。
当然のように、「これ、もう要らないですよね?」と壊れた前代の携帯を回収しようとするってのはどうなのだろうか。物って、要らなくなると捨てるのだろうか。
ポケットに入れるのに不便だからという理由と、あまりにも皆が好んでいると言うしょうもない理由から、折りたたみの機種は、嫌いだったのだが・・
・
これも時代の趨勢なのか。近所の電気店には折りたたみがずらり。普通のタイプは、しょぼそうなのが隅っこにちんまりとあるだけ。やむを得ず折りたたみ式を選ぶ。
このとき、選ぶのがどうでも良かったのでシルバーかブラックか、と色を聞かれた時に、物も見ずに、「じゃあシルバーで」と答えたのが間違いだった。
手元に来たのは「ピンクがかった」シルバー。
前回の機種変更から10ヶ月が経っていないため、1万円も余分にかかるのにこの上さらに、ピンク色の携帯を持ち歩く羽目になろうとは。
どうでも良いと言えばどうでも良いのだが。人目は気になる。
そして、中毒気味だったテトリスが付いていないのはショックだった。
良い事なのかもしれないが。
物にはかなり愛着を持ってしまい、捨てられないタイプ。だから、携帯も捨てる時身を切る思いが。
当然のように、「これ、もう要らないですよね?」と壊れた前代の携帯を回収しようとするってのはどうなのだろうか。物って、要らなくなると捨てるのだろうか。
あやや
2003年1月6日 「ズバッと」はすごい。あの表現は真似できない。あの踊りもこびりついて離れない。まずいな・・・ まさか買えないしな。
友人2人と飲んだのだが、シュウカツの話は厳しい。就職率はじっさいのところどれくらいなのだろうか。
嫌いな人、という話をした。
最近、悪感情を抱いた相手に対して「ひょっとしたら、自分はコイツに似ているから、それで嫌いなんじゃなかろうか」と思う事がある。読んでて腹がたつような文章があったのだが、ある時それに似たような文章を自分が書いてた事があって、それ以来どうしてもそう考える癖がついてしまった。
なんて話をしたら、わかる、と賛同された。
携帯が壊れた。洗濯機の中で哀れな結末に。最後の変更から10ヶ月以内だと変更料1万円割増ってのはキツイ。
友人2人と飲んだのだが、シュウカツの話は厳しい。就職率はじっさいのところどれくらいなのだろうか。
嫌いな人、という話をした。
最近、悪感情を抱いた相手に対して「ひょっとしたら、自分はコイツに似ているから、それで嫌いなんじゃなかろうか」と思う事がある。読んでて腹がたつような文章があったのだが、ある時それに似たような文章を自分が書いてた事があって、それ以来どうしてもそう考える癖がついてしまった。
なんて話をしたら、わかる、と賛同された。
携帯が壊れた。洗濯機の中で哀れな結末に。最後の変更から10ヶ月以内だと変更料1万円割増ってのはキツイ。
ダカーポ、2
2003年1月4日 <・・・(石原慎太郎の『日本よ』はひどいと紹介)・・・これを「民族的DNAを誇示するような犯罪」という。「民族的DNA」などという疑似科学用語を持ち出すところなどナチスの好きだった優生学を連想させるぞ。>
「石原慎太郎はヒトラーだ!」と叫びたいのだろう。それにしても無茶がある。「(中国人の)民族性」の言い換えなのだが、著者にとって民族性の違いを論じる者は、どうやら皆ナチスらしい。石原慎太郎の、中国人の性質に対する認識の是非はともかく、それを論じるとナチスって凄い事ではなかろうか。文化人類学、民族学はナチスの学問らしい。
<・・・(鈴木邦男の『売国奴よ!』を要約)・・・それでもやっぱり最終章では「何はともあれ、愛国心」となる。じゃあ、国ってなに?国家ってなに?愛国心ってなに?>
これが不変の答えだ!という答えはなくとも、自分の答えくらい用意できないのだろうか。それもせずに公共の媒体でナショナリズムについて語るというのも如何なものだろう。ここで文章が終わるというのが信じられない。
<専門の精神医学だけでなく教育や医療の問題など多方面に発言する和田秀樹が『和田秀樹の愛国者魂』で述べる愛国心も、そう単純に「ニッポン・バンザイ!」ではない。しかし、「本当の国益、本当の愛国者は」などと問われると、国益ってなに?愛国者ってなに?と問い返したくなる。>
またか、という気持ち。
国益は簡単、日本国民の利益。
愛国者も簡単、自分を愛国者だと思っている人。
せめて国益くらい具体的に語って欲しいものだ。何が国益、国民の利益になるかを判断するのは難しいが、定義くらいわかるだろうに。
国民の定義はパスポートを取れればわかる。
<・・・(『私の話』の要約)・・・そのなかで鷲沢は、「民族」は人が渇望してやまない帰属感を満たす為のフィクションであり、「星占い」のようなものだと言っている。「国家」がフィクションであることはいうまでもない>
いや、言うまでもなくないだろう。言っておくべき。「民族」は難しいが、国家がフィクションならえらい事になるのだが。学校はなくなるし、病院もなくなるし、警察もなくなるし・・・どういう意味でフィクションなのか、よく分からないが、せめて定義づけくらいしてもらわないと。
<・・・『美麗島まで』を読むと、「日本国」「日本人」という概念の曖昧さに突き当たる。少なくとも沖縄は「日本」とも中国大陸とも違う独自の琉球王国だった時代があるわけで、いまそこが日本国の領土だからといって、「日本国民」の歴史に含めてしまっていいのか。それはアイヌや北方民族についても言えることであり、つまりは「日本人」だの「日本文化」だのといったものは曖昧なフィクションでしかないということだ。>
根本的な勘違いが指摘できる。「日本人」及び「日本国」と「日本民族(ヤマトの民)」を完全に混同している事だ。それが意図してかどうかはわからないが。
三都主もラモスも立派な日本国民だ。「日本国民」は曖昧でもなんでもない。むしろわかりやすい。(この著者は、彼等を日本人ではない、と思っているのだろうか。それではどっちが排外的だかわからない。)そういう雑多な人々が織り成す文化が「日本文化」なのである。現代の西洋的な文物も、全て「日本文化」の産物だ。
今、「日本国」の領土だったら日本国民の歴史に含まれるのは至極当たり前だし、含まれない方が問題だ。それじゃ旧態依然とした植民地である。そんなに疑問ならば沖縄へ行って聞いてみればいい。「日本の国民ですか?」と。
これが民族の話になると、フィクションというのもわかるし、曖昧だというのも分かるのだが・・・。(「日本民族固有の文化」、はたしかに分かりづらい)
やはり悪質なすり替えだろう。さもなくば著者は、「日本国は単一民族の国でなくてはならない」「日本国民である以上、沖縄、アイヌの人々は日本民族である」という「フィクション」を信じていなければならなくなるのだから。
どちらにしても、読んでいて恥ずかしい。
勝手な事を書いたが・・・ダカーポ全体がこういう論調で貫かれている訳では無論、ない。いや、質さえ高ければどんな論調でも構わないのだが・・・
ナショナリズムを論じている人(右翼にせよ左翼にせよ)の平均レベルの低さは、どうにかならんか。
「石原慎太郎はヒトラーだ!」と叫びたいのだろう。それにしても無茶がある。「(中国人の)民族性」の言い換えなのだが、著者にとって民族性の違いを論じる者は、どうやら皆ナチスらしい。石原慎太郎の、中国人の性質に対する認識の是非はともかく、それを論じるとナチスって凄い事ではなかろうか。文化人類学、民族学はナチスの学問らしい。
<・・・(鈴木邦男の『売国奴よ!』を要約)・・・それでもやっぱり最終章では「何はともあれ、愛国心」となる。じゃあ、国ってなに?国家ってなに?愛国心ってなに?>
これが不変の答えだ!という答えはなくとも、自分の答えくらい用意できないのだろうか。それもせずに公共の媒体でナショナリズムについて語るというのも如何なものだろう。ここで文章が終わるというのが信じられない。
<専門の精神医学だけでなく教育や医療の問題など多方面に発言する和田秀樹が『和田秀樹の愛国者魂』で述べる愛国心も、そう単純に「ニッポン・バンザイ!」ではない。しかし、「本当の国益、本当の愛国者は」などと問われると、国益ってなに?愛国者ってなに?と問い返したくなる。>
またか、という気持ち。
国益は簡単、日本国民の利益。
愛国者も簡単、自分を愛国者だと思っている人。
せめて国益くらい具体的に語って欲しいものだ。何が国益、国民の利益になるかを判断するのは難しいが、定義くらいわかるだろうに。
国民の定義はパスポートを取れればわかる。
<・・・(『私の話』の要約)・・・そのなかで鷲沢は、「民族」は人が渇望してやまない帰属感を満たす為のフィクションであり、「星占い」のようなものだと言っている。「国家」がフィクションであることはいうまでもない>
いや、言うまでもなくないだろう。言っておくべき。「民族」は難しいが、国家がフィクションならえらい事になるのだが。学校はなくなるし、病院もなくなるし、警察もなくなるし・・・どういう意味でフィクションなのか、よく分からないが、せめて定義づけくらいしてもらわないと。
<・・・『美麗島まで』を読むと、「日本国」「日本人」という概念の曖昧さに突き当たる。少なくとも沖縄は「日本」とも中国大陸とも違う独自の琉球王国だった時代があるわけで、いまそこが日本国の領土だからといって、「日本国民」の歴史に含めてしまっていいのか。それはアイヌや北方民族についても言えることであり、つまりは「日本人」だの「日本文化」だのといったものは曖昧なフィクションでしかないということだ。>
根本的な勘違いが指摘できる。「日本人」及び「日本国」と「日本民族(ヤマトの民)」を完全に混同している事だ。それが意図してかどうかはわからないが。
三都主もラモスも立派な日本国民だ。「日本国民」は曖昧でもなんでもない。むしろわかりやすい。(この著者は、彼等を日本人ではない、と思っているのだろうか。それではどっちが排外的だかわからない。)そういう雑多な人々が織り成す文化が「日本文化」なのである。現代の西洋的な文物も、全て「日本文化」の産物だ。
今、「日本国」の領土だったら日本国民の歴史に含まれるのは至極当たり前だし、含まれない方が問題だ。それじゃ旧態依然とした植民地である。そんなに疑問ならば沖縄へ行って聞いてみればいい。「日本の国民ですか?」と。
これが民族の話になると、フィクションというのもわかるし、曖昧だというのも分かるのだが・・・。(「日本民族固有の文化」、はたしかに分かりづらい)
やはり悪質なすり替えだろう。さもなくば著者は、「日本国は単一民族の国でなくてはならない」「日本国民である以上、沖縄、アイヌの人々は日本民族である」という「フィクション」を信じていなければならなくなるのだから。
どちらにしても、読んでいて恥ずかしい。
勝手な事を書いたが・・・ダカーポ全体がこういう論調で貫かれている訳では無論、ない。いや、質さえ高ければどんな論調でも構わないのだが・・・
ナショナリズムを論じている人(右翼にせよ左翼にせよ)の平均レベルの低さは、どうにかならんか。
ダカーポ、1
2003年1月3日 ダカーポ新年合併号の、永江郎の文章が、あんまりにも目に付いたので検証してみた。読んだ人は分かると思うが、恣意的な抜き出し(マスコミがよくやる)はしていないはず。コピペができないので飛ばした箇所はあるが、著者の言葉の部分は切っていない。
あと、自分は「つくる会に入りたい!」とか考えてる類の人間ではない。断らないで「アンチ右翼」を批判するとそういう風に見られがち、って状況は異常だと思うが。
<この不愉快さは、例えば昨年の後半から続いていて今年に入って大爆発した感のある「日本語ブーム」の気色悪さと同根かもしれない。斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』および『同2』(ともに草思社)がバカ売れしたのに始まり・・・以下そういう著作名列挙・・・が売れ続けていて、書店では「日本語コーナー」が作られるのを見ると感じるあれである。ブームは「声に出す」という斎藤の意図を超えて(あるいは著者が無意識的に前提としていたのか)、「美しい日本語」や「理想的な日本語」の称揚に結びついてしまっている。>
ここまでは、まぁ良い。
<私はこういうブームが大嫌いだ。>
とと、いきなり結論が出てしまっている。分析をするでもなく批評をするでもなく、いきなり感情を吐き出すのは如何な物か。
<ひとつは、「やっぱり日本(語)っていいね」と手放しの日本礼賛になりやすいからなのと、日本語には正しい日本語と誤った日本語の二種類あるといった素朴な二元論に陥りやすいからだ。>
まず、「手放しの日本礼賛」になったとしてそれの何が悪いのかが全く書いてない。悪くはないのか?もし理由もなく悪いとするならそれこそ「手放しの日本礼賛は悪い」とする「素朴な二元論」という事になる。(そりゃ、盲目的国家賛美に疑問はあるが、それできちんと成り立ってるのが世のほとんどの国だ。)
そもそも、日本語の話をしてるのに、何故急に「日本語礼賛」ではなく「日本礼賛」になるのであろうか。悪質なすり替えではないか。日本語と現在の日本政府は、著者にとっては不可分なのだろうか。
「正しい日本語〜」のくだりにしても、何故そういう風に陥りやすいと思うのか、が全く書いていない。一つ前の文章にしてもそうだ。自分の想像を自分で批判してどうする。
<文法や語源に照らして正しかろうと間違っていようと、思っている事が通じればいいんだし、>
こういうこと書いてる人がモノ書きってのも悲しい話だが、著者は当然敬語など使わないのだろう。思っている事が通じればいいのなら、過去形すら使わないで相手の読解力に任せればよかろうに。
<いくら正しかったり美しくしてもちっとも響いてこない言葉なんてクズである。>
響いてくるような言葉を「美しい」と言っているのだろうに。本末転倒も甚だしい。正しくても、醜悪な使われ方をしていたら、それは問題ある。しかし、それは正しい=悪いという事にはなる訳ではない。正しくて、響くのならそれにこした事はないではないか。これも程度の低い詭弁だ。「正しい=響かない」という方程式を自分の中に作り出してそれを批判している。
<そもそも朗誦にマイナス面はないのか?>
ここで文章が終わっている。せめてマイナス面を探してから言って欲しいものだが・・・ それくらいしようよ。
<・・・(ナショナリズムについての前フリがあったあとに『反米という作法』を批判して)・・・ここで笑っちゃうのがサッカー・ワールドカップについての話。西部は日本代表を応援する気になれなかったという。その理由は、選手の多くが髪を染めているからで、それは欧米への劣等感のあらわれなんだそうだ(直前に帰化した三都主のような選手についてはどう思っているんだろう)。しかし、そう発言している西部はまさに欧米風の服を着て、欧米風の頭髪で欧米語に日本語の表記をそのまま当てた片仮名を連発しているのだから、説得力ゼロである。>
確かに西部は笑っちゃう。それはまぁいいのだが、その次、
<そんなのはご愛嬌として、何でコイツらは素朴に国家だの国民だのという物を信じてしまうのだろう。吉本隆明の『超「戦争論」』は、そうして部分を一刀両断にしている。>
なんで著者は、こんなに素朴にその反対のものを信じてしまうのだろうか。肝心の「一刀両断」の紹介はないのだが、同じ様な疑念は、自分の信じてる対象には向ける必要がないのだろうか。せめて同じ様に文章抜き出して比較し証明しないと、ただの「素朴な二元論」だろう。「国家=善ですよ〜」も、「国家=悪ですよ〜」もベクトルが違うだけでやってる事は同じだろうに。
<・・・(『国民の芸術』を評した文章)・・・この本の滑稽なところは2点。たとえば「縄文土器・土偶はすでに芸術である」なんてところだ。たしかに縄文人は日本列島に暮らした人々かもしれないし、現代の西欧的芸術観からすればまぎれもなく芸術的ではあるけれども、それが現代日本の「国民」といかなる関係にあるのか。>
著者は、イタリアの子供はローマ帝国の歴史を学ぶ必要がないと言いたいのだろうか。台湾の先住民の歴史を、中国からの移民者は学ぶ必要がないというのだろうか。
そもそも、関係はあるだろ、普通に。血のつながりがあるかは置いておいても、文化的な連続性は保たれているのだから。
<もうひとつは「天平のミケランジェロ・公麻呂」なんて物言い。「田舎のプレスリー」より本家のプレスリーの方が優れているのは自明であり、これじゃ公麻呂はミケランジェロより劣る、といっているようなものではないか。>
これはたしかにその通り。この連中は、文学やってた割には表現が借り物過ぎて情けなくなる。
<どうせなら「わが邦には≪芸術≫なんて概念はない」と言い切っちゃえばよかったのに。」
これは意味不明。それは知らなかった、と言うしかない。西欧的芸術観からすれば、と言いたいのだろうか(だとするとどっちが欧米コンプレックスなのか分からないが)。
<今年話題になった『親日派のための弁明』がある。旧日本帝国による植民地支配は、朝鮮のブルジョア革命、朝鮮人にとっての「祝福」だったという主張の本だ。これを日本に置き換えれば、ペリーの黒船外交は文明開化をもたらした祝福だ、とでもいうようなものか。>
人によって異論はあるかもしれないが、ペリーに関しては概ねそんな見方で良いと思うのだが。著者はペリーを悪逆非道な侵略者、とでも教わったのだろうか。最終的に自ら欧米化(亜流だが)して、それを良しとしている日本では、そういう教え方はあまり一般的ではないように思う。私見っちゃ私見だが。
<「自虐史観」で肩身が狭かった面々の中には、この「弁明」によって慰撫された人もいるのだろう。>
またも、「自らの想像を批判する」方法。頭が痛くなってくる。もっと中身があれば救われるのに、中身もないんじゃ。
あと、自分は「つくる会に入りたい!」とか考えてる類の人間ではない。断らないで「アンチ右翼」を批判するとそういう風に見られがち、って状況は異常だと思うが。
<この不愉快さは、例えば昨年の後半から続いていて今年に入って大爆発した感のある「日本語ブーム」の気色悪さと同根かもしれない。斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』および『同2』(ともに草思社)がバカ売れしたのに始まり・・・以下そういう著作名列挙・・・が売れ続けていて、書店では「日本語コーナー」が作られるのを見ると感じるあれである。ブームは「声に出す」という斎藤の意図を超えて(あるいは著者が無意識的に前提としていたのか)、「美しい日本語」や「理想的な日本語」の称揚に結びついてしまっている。>
ここまでは、まぁ良い。
<私はこういうブームが大嫌いだ。>
とと、いきなり結論が出てしまっている。分析をするでもなく批評をするでもなく、いきなり感情を吐き出すのは如何な物か。
<ひとつは、「やっぱり日本(語)っていいね」と手放しの日本礼賛になりやすいからなのと、日本語には正しい日本語と誤った日本語の二種類あるといった素朴な二元論に陥りやすいからだ。>
まず、「手放しの日本礼賛」になったとしてそれの何が悪いのかが全く書いてない。悪くはないのか?もし理由もなく悪いとするならそれこそ「手放しの日本礼賛は悪い」とする「素朴な二元論」という事になる。(そりゃ、盲目的国家賛美に疑問はあるが、それできちんと成り立ってるのが世のほとんどの国だ。)
そもそも、日本語の話をしてるのに、何故急に「日本語礼賛」ではなく「日本礼賛」になるのであろうか。悪質なすり替えではないか。日本語と現在の日本政府は、著者にとっては不可分なのだろうか。
「正しい日本語〜」のくだりにしても、何故そういう風に陥りやすいと思うのか、が全く書いていない。一つ前の文章にしてもそうだ。自分の想像を自分で批判してどうする。
<文法や語源に照らして正しかろうと間違っていようと、思っている事が通じればいいんだし、>
こういうこと書いてる人がモノ書きってのも悲しい話だが、著者は当然敬語など使わないのだろう。思っている事が通じればいいのなら、過去形すら使わないで相手の読解力に任せればよかろうに。
<いくら正しかったり美しくしてもちっとも響いてこない言葉なんてクズである。>
響いてくるような言葉を「美しい」と言っているのだろうに。本末転倒も甚だしい。正しくても、醜悪な使われ方をしていたら、それは問題ある。しかし、それは正しい=悪いという事にはなる訳ではない。正しくて、響くのならそれにこした事はないではないか。これも程度の低い詭弁だ。「正しい=響かない」という方程式を自分の中に作り出してそれを批判している。
<そもそも朗誦にマイナス面はないのか?>
ここで文章が終わっている。せめてマイナス面を探してから言って欲しいものだが・・・ それくらいしようよ。
<・・・(ナショナリズムについての前フリがあったあとに『反米という作法』を批判して)・・・ここで笑っちゃうのがサッカー・ワールドカップについての話。西部は日本代表を応援する気になれなかったという。その理由は、選手の多くが髪を染めているからで、それは欧米への劣等感のあらわれなんだそうだ(直前に帰化した三都主のような選手についてはどう思っているんだろう)。しかし、そう発言している西部はまさに欧米風の服を着て、欧米風の頭髪で欧米語に日本語の表記をそのまま当てた片仮名を連発しているのだから、説得力ゼロである。>
確かに西部は笑っちゃう。それはまぁいいのだが、その次、
<そんなのはご愛嬌として、何でコイツらは素朴に国家だの国民だのという物を信じてしまうのだろう。吉本隆明の『超「戦争論」』は、そうして部分を一刀両断にしている。>
なんで著者は、こんなに素朴にその反対のものを信じてしまうのだろうか。肝心の「一刀両断」の紹介はないのだが、同じ様な疑念は、自分の信じてる対象には向ける必要がないのだろうか。せめて同じ様に文章抜き出して比較し証明しないと、ただの「素朴な二元論」だろう。「国家=善ですよ〜」も、「国家=悪ですよ〜」もベクトルが違うだけでやってる事は同じだろうに。
<・・・(『国民の芸術』を評した文章)・・・この本の滑稽なところは2点。たとえば「縄文土器・土偶はすでに芸術である」なんてところだ。たしかに縄文人は日本列島に暮らした人々かもしれないし、現代の西欧的芸術観からすればまぎれもなく芸術的ではあるけれども、それが現代日本の「国民」といかなる関係にあるのか。>
著者は、イタリアの子供はローマ帝国の歴史を学ぶ必要がないと言いたいのだろうか。台湾の先住民の歴史を、中国からの移民者は学ぶ必要がないというのだろうか。
そもそも、関係はあるだろ、普通に。血のつながりがあるかは置いておいても、文化的な連続性は保たれているのだから。
<もうひとつは「天平のミケランジェロ・公麻呂」なんて物言い。「田舎のプレスリー」より本家のプレスリーの方が優れているのは自明であり、これじゃ公麻呂はミケランジェロより劣る、といっているようなものではないか。>
これはたしかにその通り。この連中は、文学やってた割には表現が借り物過ぎて情けなくなる。
<どうせなら「わが邦には≪芸術≫なんて概念はない」と言い切っちゃえばよかったのに。」
これは意味不明。それは知らなかった、と言うしかない。西欧的芸術観からすれば、と言いたいのだろうか(だとするとどっちが欧米コンプレックスなのか分からないが)。
<今年話題になった『親日派のための弁明』がある。旧日本帝国による植民地支配は、朝鮮のブルジョア革命、朝鮮人にとっての「祝福」だったという主張の本だ。これを日本に置き換えれば、ペリーの黒船外交は文明開化をもたらした祝福だ、とでもいうようなものか。>
人によって異論はあるかもしれないが、ペリーに関しては概ねそんな見方で良いと思うのだが。著者はペリーを悪逆非道な侵略者、とでも教わったのだろうか。最終的に自ら欧米化(亜流だが)して、それを良しとしている日本では、そういう教え方はあまり一般的ではないように思う。私見っちゃ私見だが。
<「自虐史観」で肩身が狭かった面々の中には、この「弁明」によって慰撫された人もいるのだろう。>
またも、「自らの想像を批判する」方法。頭が痛くなってくる。もっと中身があれば救われるのに、中身もないんじゃ。
謹賀新年
2003年1月1日 今年こそは―――
プロフィールを変えてみた。自分は別に硬骨漢じゃないので。
マスコミに行かなけりゃ働きたくないという訳でもないので。
文章にしてみると軟弱者だな、こりゃ。
自分はこういう仕事がしたい、というわけではなく、こういう仕事ならマシかな、という程度でしかシュウカツを考えていなかったのが最大の敗因かと。昨年を分析するならば。
諦観と焦燥感とで、もがき苦しんでいるかもしれない。
―――ロッテ優勝。
プロフィールを変えてみた。自分は別に硬骨漢じゃないので。
マスコミに行かなけりゃ働きたくないという訳でもないので。
文章にしてみると軟弱者だな、こりゃ。
自分はこういう仕事がしたい、というわけではなく、こういう仕事ならマシかな、という程度でしかシュウカツを考えていなかったのが最大の敗因かと。昨年を分析するならば。
諦観と焦燥感とで、もがき苦しんでいるかもしれない。
―――ロッテ優勝。
やくたいもない話
2002年12月29日 壬生義士伝は面白い。新撰組好きという事もあってか、3時間が短く感じるテレビドラマというのはなかなか。
それにしても相変わらずの坂本竜馬の高評価っぷり。何をやったかというと何もやってない、やった事といえば単なる死の商人だろうに。
なんて事を竜馬好きに言ったら怒られた。
菊川怜の広告が多すぎる、これでは個々の宣伝よりも菊川怜の印象しか残らない。よそが使っていて安心だから。そんな貧困な発想がすけてくる。こんな連中が作るものは売れなかろうな。
という話。
本当にバカの一つ覚えみたいに菊川怜菊川怜。狭き門をくぐって広告代理店に入った連中ってのはバカばっかりなのだろうか。それとも会社の広告担当者がバカなのか。頼むから「消費者のニーズの画一化」なんて言ってないで欲しいものだ。商品自体は本当に印象に残らないのだから。
しかし、菊川怜ってそんなにうけてるのだろうか。不思議。東大出をありがたがっている・・・とも思いたくない。
けど、本人はどう考えているのだろう。東大を外したら今の自分はないかもしれないと考えたら、辛いだろうな。
それにしても相変わらずの坂本竜馬の高評価っぷり。何をやったかというと何もやってない、やった事といえば単なる死の商人だろうに。
なんて事を竜馬好きに言ったら怒られた。
菊川怜の広告が多すぎる、これでは個々の宣伝よりも菊川怜の印象しか残らない。よそが使っていて安心だから。そんな貧困な発想がすけてくる。こんな連中が作るものは売れなかろうな。
という話。
本当にバカの一つ覚えみたいに菊川怜菊川怜。狭き門をくぐって広告代理店に入った連中ってのはバカばっかりなのだろうか。それとも会社の広告担当者がバカなのか。頼むから「消費者のニーズの画一化」なんて言ってないで欲しいものだ。商品自体は本当に印象に残らないのだから。
しかし、菊川怜ってそんなにうけてるのだろうか。不思議。東大出をありがたがっている・・・とも思いたくない。
けど、本人はどう考えているのだろう。東大を外したら今の自分はないかもしれないと考えたら、辛いだろうな。
歴史を動かしているモノ
2002年12月28日 庶民史をこそ見直そうという動きは最近(10年単位の話だが)よく言われている。上っ面ばかり見ていても歴史を動かしているのは名もなき大衆なのだから、と。
そうなのだろうか。ならば政治の歴史を研究してきた先人達は歴史について何も分かっていなかったのか。
結論から先に言うと庶民は不変である。
その時々の流行、違いはあるかもしれないが、変化は基本的に存在しない。少なくとも前近代においては。
かと言って停滞している、という訳ではないのだが、一つの時代で区切った時には不変であると言える。右肩上がりに1度か2度くらいの線で不変であろう。
庶民の力が歴史に影響を及ぼしたという例は、枚挙に暇がない。それが最も大きく現れるのが反乱、日本で言う一揆だろう。
だが、反乱とは変化を求めて起こすものではなく、変化を嫌って起こすものではなかろうか。つまり、政治の上層部が変化を嫌うが為に下部、庶民に圧力をかけ、庶民がそういう負の変化を嫌がるが為にアクションを起こす、という事。
人は得られなかったことに対しては命を賭けない。既に得ているものを奪われた時にこそ命を賭けうる。行動も起こす。四公六民を三公七民にしようとして反乱は起こさない。が、五公五民、六公四民にすれば反乱も起こる。PSが壊された事に対しては泣きじゃくって抵抗しても、PS3や4が手に入らないかもしれないという事で泣く子供がいるだろうか。
生産力を向上させる為に努力もしよう、工夫もしよう。しかし、そのために反乱を起こしたりはしない。
宋の民衆が自ら動いたどんな行動よりもモンゴルに支配された事による変化の方がはるかに大きい。 明治維新という人為的表層的な出来事は、江戸300年のどんな出来事にも勝る変化を与えた。
フランス革命はごく一部の、庶民の上澄みの所業であり、変化を嫌ってそれに反対する農民達はヴァンデを始めとして蜂起した。
政治のもたらす変化が「奪う変化」である時は不変を求めてそれに反対し、「奪わない変化」である場合はそれに従う。自ら変化しようと身命を賭すようなことはない。
庶民の生活を変化させうる要因は、どうしても政治の側に大きい。イニシアチブは政治が握っていると言っても良いのではないか。
庶民史を軽視するべし、ではなくて、政治史を侮ってはいけないという事。なぜ政治史中心なのか、それにはそれなりの理由があろう。
なんて話を飲みながらした。
忘年会シーズンである。
そうなのだろうか。ならば政治の歴史を研究してきた先人達は歴史について何も分かっていなかったのか。
結論から先に言うと庶民は不変である。
その時々の流行、違いはあるかもしれないが、変化は基本的に存在しない。少なくとも前近代においては。
かと言って停滞している、という訳ではないのだが、一つの時代で区切った時には不変であると言える。右肩上がりに1度か2度くらいの線で不変であろう。
庶民の力が歴史に影響を及ぼしたという例は、枚挙に暇がない。それが最も大きく現れるのが反乱、日本で言う一揆だろう。
だが、反乱とは変化を求めて起こすものではなく、変化を嫌って起こすものではなかろうか。つまり、政治の上層部が変化を嫌うが為に下部、庶民に圧力をかけ、庶民がそういう負の変化を嫌がるが為にアクションを起こす、という事。
人は得られなかったことに対しては命を賭けない。既に得ているものを奪われた時にこそ命を賭けうる。行動も起こす。四公六民を三公七民にしようとして反乱は起こさない。が、五公五民、六公四民にすれば反乱も起こる。PSが壊された事に対しては泣きじゃくって抵抗しても、PS3や4が手に入らないかもしれないという事で泣く子供がいるだろうか。
生産力を向上させる為に努力もしよう、工夫もしよう。しかし、そのために反乱を起こしたりはしない。
宋の民衆が自ら動いたどんな行動よりもモンゴルに支配された事による変化の方がはるかに大きい。 明治維新という人為的表層的な出来事は、江戸300年のどんな出来事にも勝る変化を与えた。
フランス革命はごく一部の、庶民の上澄みの所業であり、変化を嫌ってそれに反対する農民達はヴァンデを始めとして蜂起した。
政治のもたらす変化が「奪う変化」である時は不変を求めてそれに反対し、「奪わない変化」である場合はそれに従う。自ら変化しようと身命を賭すようなことはない。
庶民の生活を変化させうる要因は、どうしても政治の側に大きい。イニシアチブは政治が握っていると言っても良いのではないか。
庶民史を軽視するべし、ではなくて、政治史を侮ってはいけないという事。なぜ政治史中心なのか、それにはそれなりの理由があろう。
なんて話を飲みながらした。
忘年会シーズンである。
本
2002年12月25日 ローマ人の物語の最新刊を読み終わった。
実は、塩野七生に対する批判というのがあるらしい。いや、批判の無い作家は存在しないだろうが、その批判というのが「虚構を史実であるかのように語っている」と「西洋至上主義」であったのでちょっとそれを年頭に置いて読んでみた。まぁ、後者は言わずもがな、という感じだが。
感想としては、馬鹿馬鹿しい批判だな、と。
確かに作ってる部分はある。注意深く読めばそれはわかる。けど、それはあからさまにおかしい事を言っているのではなく資料の間を読んで補ってみたり、自らの考え方を示したうえでのものだったり、特に問題があるとも思えないが。しかも「物語」と銘打ってるのに。もっとこう、重大なミスがある(彼女は昔、モンゴルを撃退したのは日本だけ、とのたまったらしい)ならともかく。
後者についても、そんなことは昔から明らかだから、なんとも。というか、物語の書き手が好みにしたがって事実の取捨選択をするのはごく当たり前の事。
結論としては、ローマ人の物語は名著である、と。
たけしの言じゃないが、インターネットの害悪だな。バカが発言権を持つ(かのような)状況を作ったのは。
まぁ、自分もここで発言(してる気はないが)してるわけで、自分がバカじゃないとの確証ももてないが、確証を持ってバカだといえるような発言はやっぱり多いわけで。
とりあえず2ちゃんねるでアンチのスレッドが立ってる何かは優れている、と。
次は福井晴敏の「終戦のローレライ」だな。
実は、塩野七生に対する批判というのがあるらしい。いや、批判の無い作家は存在しないだろうが、その批判というのが「虚構を史実であるかのように語っている」と「西洋至上主義」であったのでちょっとそれを年頭に置いて読んでみた。まぁ、後者は言わずもがな、という感じだが。
感想としては、馬鹿馬鹿しい批判だな、と。
確かに作ってる部分はある。注意深く読めばそれはわかる。けど、それはあからさまにおかしい事を言っているのではなく資料の間を読んで補ってみたり、自らの考え方を示したうえでのものだったり、特に問題があるとも思えないが。しかも「物語」と銘打ってるのに。もっとこう、重大なミスがある(彼女は昔、モンゴルを撃退したのは日本だけ、とのたまったらしい)ならともかく。
後者についても、そんなことは昔から明らかだから、なんとも。というか、物語の書き手が好みにしたがって事実の取捨選択をするのはごく当たり前の事。
結論としては、ローマ人の物語は名著である、と。
たけしの言じゃないが、インターネットの害悪だな。バカが発言権を持つ(かのような)状況を作ったのは。
まぁ、自分もここで発言(してる気はないが)してるわけで、自分がバカじゃないとの確証ももてないが、確証を持ってバカだといえるような発言はやっぱり多いわけで。
とりあえず2ちゃんねるでアンチのスレッドが立ってる何かは優れている、と。
次は福井晴敏の「終戦のローレライ」だな。
クリスマス・イブ
2002年12月24日 なんでイブに何かしなけりゃならない?やるんなら25日で、というのが自分達のモットー。
のつもり。自分は。
単なるお祭りなのだから、楽しめばよいのだけれども。ひねくれ根性の発露。基本的に人が楽しんでるのを見るのは好き。
トルコにまでクリスマスの雰囲気が漂っていたのには、言葉もなかったが。「ちびまるこちゃん」のように顔に陰がついたような気分。
のつもり。自分は。
単なるお祭りなのだから、楽しめばよいのだけれども。ひねくれ根性の発露。基本的に人が楽しんでるのを見るのは好き。
トルコにまでクリスマスの雰囲気が漂っていたのには、言葉もなかったが。「ちびまるこちゃん」のように顔に陰がついたような気分。
中村も可哀想に。
2002年12月23日 とりあえず旅行日記を二日分書いてみた。
しかし、宣言してたからだと思いたいんだが2週間で携帯に来てたメールが全てMLがらみ。個人的なのは皆無。
いつもそうなのだが、日本に帰ってくると、逆に腹を壊す。
思うに牛乳のせい。
海外じゃ絶対に飲まないもんなぁ・・・
しかし、宣言してたからだと思いたいんだが2週間で携帯に来てたメールが全てMLがらみ。個人的なのは皆無。
いつもそうなのだが、日本に帰ってくると、逆に腹を壊す。
思うに牛乳のせい。
海外じゃ絶対に飲まないもんなぁ・・・
帰国
2002年12月22日 アエロフロート、あれで文句言う人はそもそもエコノミーとは何かを勘違いしてるのでは。サービスを求めるならファーストクラスへ行けと言いたい。
トルコは寒かった。
この国、相変わらずインフレが激しい。1年しか開いてないのに、もう一つ上の紙幣が出回っていた。去年の最高が10000000トルコリラで、今年行ったら20000000トルコリラに。なんとも貯蓄が意味なさそうな国。
食事が美味い。主な食事場所はロカンタといって、ガラスの中に出来てる料理を選んで盛ってもらう方式なので、非常にやりやすい。その中でも、スープ。ケバブより、スープが美味い。
豆を使った濃厚な味。スープと言うよりシチューに近いのだが、これが絶品。店によって風味が違うので店選びも楽しい。しかもパンが食べ放題。
そしてパンが美味い事美味い事。普段パンは食べない自分でもモリモリ食べてしまう。小麦粉が良いのだろうか。
ネコが多い。道を歩けばネコに当たる、といった具合でしかもそれが人懐っこい。可愛がられてるのだろうか、太ってもいる。
バスが多い。電車よりも全然発達している為にサービスが凄まじくいい。日本よりいい。乗ったバスはベンツだった。夜行を多用するとさすがに疲れるが。
オジサンが多い。いや、多いかどうかはしらないが、この国はおじさんの国である。誰がなんと言おうとオジサンの国である。子供は異常に可愛いけれども、オジサンの国である。オジサンなくしてトルコなし、とも言い切れよう。
物売りのオジサン、
客引きのオジサン、
ボーっとしてるオジサン、
チャイを飲むオジサン、
人の良いオジサン、
パンをちぎってスープに浸すオジサン、
何故か野良犬と喧嘩するオジサン、
下ネタ連発し、江頭の話で笑い狂うオジサン、
サズを弾くのが上手いオジサン、
ひたすらオジサンの国である。
時間と気力があったら更新しよう、日々のレポートを。
トルコは寒かった。
この国、相変わらずインフレが激しい。1年しか開いてないのに、もう一つ上の紙幣が出回っていた。去年の最高が10000000トルコリラで、今年行ったら20000000トルコリラに。なんとも貯蓄が意味なさそうな国。
食事が美味い。主な食事場所はロカンタといって、ガラスの中に出来てる料理を選んで盛ってもらう方式なので、非常にやりやすい。その中でも、スープ。ケバブより、スープが美味い。
豆を使った濃厚な味。スープと言うよりシチューに近いのだが、これが絶品。店によって風味が違うので店選びも楽しい。しかもパンが食べ放題。
そしてパンが美味い事美味い事。普段パンは食べない自分でもモリモリ食べてしまう。小麦粉が良いのだろうか。
ネコが多い。道を歩けばネコに当たる、といった具合でしかもそれが人懐っこい。可愛がられてるのだろうか、太ってもいる。
バスが多い。電車よりも全然発達している為にサービスが凄まじくいい。日本よりいい。乗ったバスはベンツだった。夜行を多用するとさすがに疲れるが。
オジサンが多い。いや、多いかどうかはしらないが、この国はおじさんの国である。誰がなんと言おうとオジサンの国である。子供は異常に可愛いけれども、オジサンの国である。オジサンなくしてトルコなし、とも言い切れよう。
物売りのオジサン、
客引きのオジサン、
ボーっとしてるオジサン、
チャイを飲むオジサン、
人の良いオジサン、
パンをちぎってスープに浸すオジサン、
何故か野良犬と喧嘩するオジサン、
下ネタ連発し、江頭の話で笑い狂うオジサン、
サズを弾くのが上手いオジサン、
ひたすらオジサンの国である。
時間と気力があったら更新しよう、日々のレポートを。
イスタンブール
2002年12月19日 ゆっくりと、10時半に宿を出る。
お土産を探そうと街中を歩き回っていたところ、帽子を文字通り山のように売っている露店を発見。それまで使っていた防寒用の帽子がいつの間にやらどこかへなくなってしまっていたので一つ購入。チューリップ型の、怪しい帽子。
クリスマスの用品を売っている店をちらほら見かける。何か納得いかない。
昼飯は、初心に返って一番最初に行ったキョフテ屋。ここのキョフテは肉汁が見事に閉じ込められていて本当に美味しい。日本に持ち帰りたい。
午後はガラタ橋の向こう、軍事博物館を見るために新市街へと足を向けてみる。
寒いのと疲れたのとで、メトロとトラムを駆使して移動。ここのメトロは一駅しかない。世界一短い地下鉄だったとか聞いた気がする。そんなメトロも急な坂道にあるからだろうか、利用者が意外と多い。
新市街にあるトラムはもっとすごかった。待つのに時間がかかったわりに、自転車より遅いだろうスピード。しかも途中、変なところで停車する。それでもやはり乗車率が120%なのが不思議。
タクシィム広場に着くと、警官が大勢いて物々しい雰囲気だった。多分、自爆テロのせいだろう。去年のアメリカの一件のちょっと前、ここタクシィム広場でも自爆テロがあったのだ。その頃もイスタンブールにいたのだが、まだそんな雰囲気とは。広場の中央に捧げられた花が痛々しい。
この日は特に寒かった。傘を持ってくるべきだったと激しく後悔。
軍事博物館では、イェニチェリ楽隊の演奏があるというのでこれを楽しみに来たのだ。遅れてしまったせいであまり見られなかったが、見られた事自体は良かった。なかなかに面白い。そして、この博物館の性格だろう、修学旅行生が過去最高といっても良いくらい多かった。日本だったら大問題になってるだろうな。
帰り道、新市街を散策していく。セブンイレブンあり、マックありと、このあたりはまるっきりヨーロッパ。日本人が目隠しをして連れてかれたら、絶対にトルコだとは思わないだろう。そしてマックは大人気。どこの国でもそうだ。明らかに高いというのに。
多分、味が違うのだろう。トルコ料理は、どうしてもトルコ料理の味になってしまう。そういう中で育つと、違う思想に基づいた味というのが新鮮で人気を呼ぶのではないかな。日本食が受けているのも同じような理由だろう。日本食は、あっさり味ばかりという世界的に珍しい料理だから。経験上、辛いかこってりかすっぱいか。大体どこの国の料理もこれらに当てはまっていた様に思う。
自分用の土産に地図を探して歩く。歴史好きとしては、「オスマントルコの最大領域!」(!に意味は無い)だとか、「歴代スルタンの肖像」といったものが欲しかったのだが、なかなか見つからない。
しかし、探せばあるもので、そういうアンティークショップをいくつか発見した時は実に嬉しかった。全部コピーなのだろう、歴史地図はかなり安かったが、その上に更に表示値より値引きしてもらう。頼んでもいないのに。
レコードやチラシなど、買いはしなかったが面白いものは多い。そんな中で本当に古地図。つまり、4,500年も前の地図を専門に扱う店も紛れていたりするのが面白い。値段にビックリしたが、良い物を見せてもらった。明らかに買えないのに、快く見せてくれる店主にも感謝。
惜しかったのが歴代スルタンの肖像。見つけたのだが、キャンバスに描かれた物。ここまできたら多少高くとも良いのだが、さすがにキャンバスは・・・残念。
実に買物を満喫した一日であった。ムール貝のピラフも再び食べ、夜飯も初心に返ってロカンタで。遂にトルコ最後の夜。寂しさが募る・・・
お土産を探そうと街中を歩き回っていたところ、帽子を文字通り山のように売っている露店を発見。それまで使っていた防寒用の帽子がいつの間にやらどこかへなくなってしまっていたので一つ購入。チューリップ型の、怪しい帽子。
クリスマスの用品を売っている店をちらほら見かける。何か納得いかない。
昼飯は、初心に返って一番最初に行ったキョフテ屋。ここのキョフテは肉汁が見事に閉じ込められていて本当に美味しい。日本に持ち帰りたい。
午後はガラタ橋の向こう、軍事博物館を見るために新市街へと足を向けてみる。
寒いのと疲れたのとで、メトロとトラムを駆使して移動。ここのメトロは一駅しかない。世界一短い地下鉄だったとか聞いた気がする。そんなメトロも急な坂道にあるからだろうか、利用者が意外と多い。
新市街にあるトラムはもっとすごかった。待つのに時間がかかったわりに、自転車より遅いだろうスピード。しかも途中、変なところで停車する。それでもやはり乗車率が120%なのが不思議。
タクシィム広場に着くと、警官が大勢いて物々しい雰囲気だった。多分、自爆テロのせいだろう。去年のアメリカの一件のちょっと前、ここタクシィム広場でも自爆テロがあったのだ。その頃もイスタンブールにいたのだが、まだそんな雰囲気とは。広場の中央に捧げられた花が痛々しい。
この日は特に寒かった。傘を持ってくるべきだったと激しく後悔。
軍事博物館では、イェニチェリ楽隊の演奏があるというのでこれを楽しみに来たのだ。遅れてしまったせいであまり見られなかったが、見られた事自体は良かった。なかなかに面白い。そして、この博物館の性格だろう、修学旅行生が過去最高といっても良いくらい多かった。日本だったら大問題になってるだろうな。
帰り道、新市街を散策していく。セブンイレブンあり、マックありと、このあたりはまるっきりヨーロッパ。日本人が目隠しをして連れてかれたら、絶対にトルコだとは思わないだろう。そしてマックは大人気。どこの国でもそうだ。明らかに高いというのに。
多分、味が違うのだろう。トルコ料理は、どうしてもトルコ料理の味になってしまう。そういう中で育つと、違う思想に基づいた味というのが新鮮で人気を呼ぶのではないかな。日本食が受けているのも同じような理由だろう。日本食は、あっさり味ばかりという世界的に珍しい料理だから。経験上、辛いかこってりかすっぱいか。大体どこの国の料理もこれらに当てはまっていた様に思う。
自分用の土産に地図を探して歩く。歴史好きとしては、「オスマントルコの最大領域!」(!に意味は無い)だとか、「歴代スルタンの肖像」といったものが欲しかったのだが、なかなか見つからない。
しかし、探せばあるもので、そういうアンティークショップをいくつか発見した時は実に嬉しかった。全部コピーなのだろう、歴史地図はかなり安かったが、その上に更に表示値より値引きしてもらう。頼んでもいないのに。
レコードやチラシなど、買いはしなかったが面白いものは多い。そんな中で本当に古地図。つまり、4,500年も前の地図を専門に扱う店も紛れていたりするのが面白い。値段にビックリしたが、良い物を見せてもらった。明らかに買えないのに、快く見せてくれる店主にも感謝。
惜しかったのが歴代スルタンの肖像。見つけたのだが、キャンバスに描かれた物。ここまできたら多少高くとも良いのだが、さすがにキャンバスは・・・残念。
実に買物を満喫した一日であった。ムール貝のピラフも再び食べ、夜飯も初心に返ってロカンタで。遂にトルコ最後の夜。寂しさが募る・・・
イスタンブール
2002年12月18日 かなり快適なバスで睡眠も充分。
このバスのチケットを買う時に、他の会社のバスも見てからにしようと一回チケットオフィスから離れかけたのだが、「何故これに決めないのか分からない」とまで言われたわけが分かった。確か、パムッカレ社。
セルヴィスで、アクサライまで行ってからトラムを使って前回と同じ宿、「エメッキ」へ。途中、乗り換えの時に頼んでもいないのに親切に教えてくれたオジさんに感謝。
「エメッキ」は暖かくて良い。前にいたときは気がつかなかったのか、それとも買い換えたのか。平面ブラウン管のTVがロビーに置いてあるのに驚く。
サバサンドを買い、ほお張りながらトプカプ宮殿へ。
ここは入場料が非常に高い。そのくせ中で、別料金を払わなければハレムを見る事が出来ない。宝物殿も同様だったと思う。国際学生証を持っていなかったので更に高く、そのため全部は見切れなかったのだが、今回は見れるものは見ておこうと意気込んでいた。
チケット売り場で国際学生証を提示する。と、笑いながら「アーユーリーチ?」と声をかけられる。何がなんだか分からなかったが、どうやら「Are you reach?」と聞かれていたようだ。つまり、4年生で後がないのか?という事だろう。あらゆる意味でその通りだったので、笑いながら「イエス」と答えると、何故か入場料がタダになった。なんだかわからん。
宝物庫は凄かった。3kgあるエメラルドや、こぶし大のダイアモンドなど、ルパンが狙いそうなお宝ばかり。「宝石なんて」と思っていたのだが脱帽。ただあきれるばかり。
そして何故か別料金を取られなかった。勘違いだったのだろうか。
ハレムはツアー制らしく、かなりの時間入り口で待たされた。中は素晴らしいタイルの連続だったのだが、ここは最後に入ったのですっかり感覚が麻痺していた。
例によって修学旅行生が多く、例によって手を振りまくる。何度見ても可愛いが。
その後、ネットカフェへ行ってみたのだが、どうしてもhotmailに繋がらない。1時間近く粘っても接続の文字。ここで問題が。
使ってないのだからと金を払わずに帰ろうとすると、動かしていたのだから金を払えとの事。哀しそうなオバチャンの顔を見るのが辛かったが、払わずに出て行く。正直、少しくらい払っても良かったのだが、ここで払うと後々、別の旅行者に迷惑がかかるだろうと思った。
すごい悪い事をした気になってモヤモヤが晴れない。
だからという訳ではないが、夜飯は豪華に宮廷料理。店の外観からして違う。スレイマン大帝以来の由緒ある建物。・・・客は全然いなかったが。
しかし、味は絶品。肉はトロトロ。スープも、同じものの筈なのに全然違う。たしかに値段は高めだが、どっかの中・高級ホテルで食べるよりは全然安いのではないか。なぜツアー客とかここに来ないのだろうと不可解に思ったものだ。
とりあえずガイドブックに書いてあった日本料理よりは安かった。
人数のせいで、沈黙が気になったが大満足の夕食。
最終的には良い気分で帰る。
このバスのチケットを買う時に、他の会社のバスも見てからにしようと一回チケットオフィスから離れかけたのだが、「何故これに決めないのか分からない」とまで言われたわけが分かった。確か、パムッカレ社。
セルヴィスで、アクサライまで行ってからトラムを使って前回と同じ宿、「エメッキ」へ。途中、乗り換えの時に頼んでもいないのに親切に教えてくれたオジさんに感謝。
「エメッキ」は暖かくて良い。前にいたときは気がつかなかったのか、それとも買い換えたのか。平面ブラウン管のTVがロビーに置いてあるのに驚く。
サバサンドを買い、ほお張りながらトプカプ宮殿へ。
ここは入場料が非常に高い。そのくせ中で、別料金を払わなければハレムを見る事が出来ない。宝物殿も同様だったと思う。国際学生証を持っていなかったので更に高く、そのため全部は見切れなかったのだが、今回は見れるものは見ておこうと意気込んでいた。
チケット売り場で国際学生証を提示する。と、笑いながら「アーユーリーチ?」と声をかけられる。何がなんだか分からなかったが、どうやら「Are you reach?」と聞かれていたようだ。つまり、4年生で後がないのか?という事だろう。あらゆる意味でその通りだったので、笑いながら「イエス」と答えると、何故か入場料がタダになった。なんだかわからん。
宝物庫は凄かった。3kgあるエメラルドや、こぶし大のダイアモンドなど、ルパンが狙いそうなお宝ばかり。「宝石なんて」と思っていたのだが脱帽。ただあきれるばかり。
そして何故か別料金を取られなかった。勘違いだったのだろうか。
ハレムはツアー制らしく、かなりの時間入り口で待たされた。中は素晴らしいタイルの連続だったのだが、ここは最後に入ったのですっかり感覚が麻痺していた。
例によって修学旅行生が多く、例によって手を振りまくる。何度見ても可愛いが。
その後、ネットカフェへ行ってみたのだが、どうしてもhotmailに繋がらない。1時間近く粘っても接続の文字。ここで問題が。
使ってないのだからと金を払わずに帰ろうとすると、動かしていたのだから金を払えとの事。哀しそうなオバチャンの顔を見るのが辛かったが、払わずに出て行く。正直、少しくらい払っても良かったのだが、ここで払うと後々、別の旅行者に迷惑がかかるだろうと思った。
すごい悪い事をした気になってモヤモヤが晴れない。
だからという訳ではないが、夜飯は豪華に宮廷料理。店の外観からして違う。スレイマン大帝以来の由緒ある建物。・・・客は全然いなかったが。
しかし、味は絶品。肉はトロトロ。スープも、同じものの筈なのに全然違う。たしかに値段は高めだが、どっかの中・高級ホテルで食べるよりは全然安いのではないか。なぜツアー客とかここに来ないのだろうと不可解に思ったものだ。
とりあえずガイドブックに書いてあった日本料理よりは安かった。
人数のせいで、沈黙が気になったが大満足の夕食。
最終的には良い気分で帰る。
セルチュク〜イスタンブール
2002年12月17日 腹の調子があまり良くないので朝食は抜く。ゆっくりと動き出して、イーサ・ベイ・ジャミィへ。セルジュク期と、オスマン期の中間の建築だというが、わかるようなわからないような。
昼飯では、色々と店を回ってみて、一度はテーブルにもついたのだが、アメリカの観光ガイドに載ってるらしいその店、チャイの値段が前日の店の3倍だったので取りやめて席を立ち、結局前日の店へ。後ろから聞こえる「what’happen!?」
という呼び声に、多少申し訳なくも思ったが。で、レバーを食べる。まさかこんなものが食べられるとは思わなかった。レバーのケバブ、なのだろうか。
午後は、あのヨハネが死んだとされる神殿跡へ。墓もあるのだが、本当なのだろうか。ウソくさい気がする。
この遺跡は丘にあり、更にその上に町全体を見下ろす形で城が建っているのだが、この城には入れない。廃城らしいのだが、実は前年、地元の若者に連れられて入った事がある。今回も入ってみたかったのだが、その道筋が民家に踏み込んだルートだったので止めておく。
アルテミスの神殿跡を見に街中を歩いていると、子供が遊んでる姿を良く見るのだが、トルコの子供は学校が午前中で終わるのだろうか。
この神殿跡は、ただ一本、柱が立っているだけであまり見る価値はない。その割には、しつこい物売りが多くてますます価値がないのだが、時間をもてあまし気味だったので寄ったみた。小さい町である。
物売りは鬱陶しかったが、面白いものを見た。七面鳥と孔雀が草をついばんでいるのだ。野生なのだろうか・・・?特に逃げられないような工夫がしてあるわけでもなく。そもそも、孔雀って飼ってどうするのだろう。そして、もともとどこの動物なのだろうか。わからない。
あとは散策をするだけ。スーパーでお土産になりそうなものを買い込んだり。
夜飯は、宿のばあちゃんの「バンゴハン」。思わず写真にとってしまうほど、美味しかった。珍しくも焼き魚だったのだが、これがまた美味い事。
9時くらいまで宿にいさせてもらい、9時半発のバスでイスタンブールへ。バスは非常にゆったりとしていて快適。過去最高かもしれない。
昼飯では、色々と店を回ってみて、一度はテーブルにもついたのだが、アメリカの観光ガイドに載ってるらしいその店、チャイの値段が前日の店の3倍だったので取りやめて席を立ち、結局前日の店へ。後ろから聞こえる「what’happen!?」
という呼び声に、多少申し訳なくも思ったが。で、レバーを食べる。まさかこんなものが食べられるとは思わなかった。レバーのケバブ、なのだろうか。
午後は、あのヨハネが死んだとされる神殿跡へ。墓もあるのだが、本当なのだろうか。ウソくさい気がする。
この遺跡は丘にあり、更にその上に町全体を見下ろす形で城が建っているのだが、この城には入れない。廃城らしいのだが、実は前年、地元の若者に連れられて入った事がある。今回も入ってみたかったのだが、その道筋が民家に踏み込んだルートだったので止めておく。
アルテミスの神殿跡を見に街中を歩いていると、子供が遊んでる姿を良く見るのだが、トルコの子供は学校が午前中で終わるのだろうか。
この神殿跡は、ただ一本、柱が立っているだけであまり見る価値はない。その割には、しつこい物売りが多くてますます価値がないのだが、時間をもてあまし気味だったので寄ったみた。小さい町である。
物売りは鬱陶しかったが、面白いものを見た。七面鳥と孔雀が草をついばんでいるのだ。野生なのだろうか・・・?特に逃げられないような工夫がしてあるわけでもなく。そもそも、孔雀って飼ってどうするのだろう。そして、もともとどこの動物なのだろうか。わからない。
あとは散策をするだけ。スーパーでお土産になりそうなものを買い込んだり。
夜飯は、宿のばあちゃんの「バンゴハン」。思わず写真にとってしまうほど、美味しかった。珍しくも焼き魚だったのだが、これがまた美味い事。
9時くらいまで宿にいさせてもらい、9時半発のバスでイスタンブールへ。バスは非常にゆったりとしていて快適。過去最高かもしれない。
セルチュク
2002年12月16日 なんでここの宿が「アヤちゃんの宿」というのかと言えば、ここの娘にちなんでらしい。日本語が堪能だとか。が、当の本人には一度もあった事がない。てっきり婆ちゃんがアヤちゃんなのだと思い込んでいた。
この婆ちゃんは本当に可愛い。夕食の「チキン」という単語が思い出せずに、両手を後ろにして「コケッコケッ」と泣きまねをしたと言うほど。
そんな婆ちゃんの用意した朝食のゆで卵はプリプリで美味い。
午前中はエフェス博物館。人が全然いなかったのはオフシーズンのせいか。おかげで館員に常に見張られていて、あまり良い気はしなかった。
しかし、ここの博物館は一見の価値がある。どうあるかと言えば、なんとも言いづらい形で、ではあるが。このコミカルでちょっと卑猥な石像は、写真をあげたら半分セクハラであろう。
この博物館で有名なのは色々調べても、アルテミスの像なのだが、ハイライトは絶対に違う。写真を紹介できないのが残念。
昼飯は街中で食べる。ここではアメリカのガイドに載っている事をウリにしたレストランが多かったが、どれも見た限りイマイチだったので、こじんまりとした無名のレストランへ。安くて美味い。ただし、種類は少ない。それも良いか。ここの手伝いをしてる息子は男の目からみてもやたらとカッコいい。しかも無口で無愛想。ガイドに載りさえすればバカみたいに儲かると思うのだがな。
午後はエフェス遺跡へと向かう為に、ひたすら歩く。途中、道を聞くために農道に足を踏み入れると、さわやかな世界がそこにはあった。
道を聞いたオジさんからは、栽培していたオレンジを持っていけ持っていけと言われ、食べながら歩く。歩いていると農家で遊んでいた幼い兄妹が、こちらを見るや否や駆け寄ってくる。振り向くとキャアキャア言って逃げ散り、歩き出すと追ってくる。トルコの子供、可愛すぎ。
遺跡に入る。
この遺跡はギリシャ、ローマ時代のものでも最高に近い質と量を誇っているのではないだろうか。下手にギリシャに行くよりもここに来た方がよいとはよく聞く話。
いまだ現役でも使われているという素晴らしい劇場で、我が物顔のネコと戯れていると、ここで働いているというオジさんに声をかけられて一緒にくつろぐ事に。「トーキョーカ、オーサカカ?」といったありきたりな話だけだったが、ずいぶん長くくつろいでいたように思う。堅い握手をして分かれる。
この遺跡はネコが多く、しかも擦り寄ってくるので相手をしていると、結局後ろからオジさんに追いつかれてしまう。微笑んだオジさんに「Hello,again」と声をかけられて以後、トルコにいる間マイラバの曲がリフレインして止まらなかったのだった。
この遺跡は本当に素晴らしい。百聞は一見にしかずという事で、勝手に知らない人のページの写真をリンクしておこう。参考までに。
http://www.biwa.ne.jp/~toncity/selcuk_page.htm
歩いて帰ると、夜飯はラム肉。ダメな人はダメらしい。OL2人組みの一人は全くダメだったらしく青い顔をして残していた。庶民的なだけに匂いはきつい。
かく言う自分も、連日のボリュームに胃が耐えられなくなってきたのか、遂にダウン。単なる胃もたれなのだが、程度がひどい。無理せずすぐ寝る。
この婆ちゃんは本当に可愛い。夕食の「チキン」という単語が思い出せずに、両手を後ろにして「コケッコケッ」と泣きまねをしたと言うほど。
そんな婆ちゃんの用意した朝食のゆで卵はプリプリで美味い。
午前中はエフェス博物館。人が全然いなかったのはオフシーズンのせいか。おかげで館員に常に見張られていて、あまり良い気はしなかった。
しかし、ここの博物館は一見の価値がある。どうあるかと言えば、なんとも言いづらい形で、ではあるが。このコミカルでちょっと卑猥な石像は、写真をあげたら半分セクハラであろう。
この博物館で有名なのは色々調べても、アルテミスの像なのだが、ハイライトは絶対に違う。写真を紹介できないのが残念。
昼飯は街中で食べる。ここではアメリカのガイドに載っている事をウリにしたレストランが多かったが、どれも見た限りイマイチだったので、こじんまりとした無名のレストランへ。安くて美味い。ただし、種類は少ない。それも良いか。ここの手伝いをしてる息子は男の目からみてもやたらとカッコいい。しかも無口で無愛想。ガイドに載りさえすればバカみたいに儲かると思うのだがな。
午後はエフェス遺跡へと向かう為に、ひたすら歩く。途中、道を聞くために農道に足を踏み入れると、さわやかな世界がそこにはあった。
道を聞いたオジさんからは、栽培していたオレンジを持っていけ持っていけと言われ、食べながら歩く。歩いていると農家で遊んでいた幼い兄妹が、こちらを見るや否や駆け寄ってくる。振り向くとキャアキャア言って逃げ散り、歩き出すと追ってくる。トルコの子供、可愛すぎ。
遺跡に入る。
この遺跡はギリシャ、ローマ時代のものでも最高に近い質と量を誇っているのではないだろうか。下手にギリシャに行くよりもここに来た方がよいとはよく聞く話。
いまだ現役でも使われているという素晴らしい劇場で、我が物顔のネコと戯れていると、ここで働いているというオジさんに声をかけられて一緒にくつろぐ事に。「トーキョーカ、オーサカカ?」といったありきたりな話だけだったが、ずいぶん長くくつろいでいたように思う。堅い握手をして分かれる。
この遺跡はネコが多く、しかも擦り寄ってくるので相手をしていると、結局後ろからオジさんに追いつかれてしまう。微笑んだオジさんに「Hello,again」と声をかけられて以後、トルコにいる間マイラバの曲がリフレインして止まらなかったのだった。
この遺跡は本当に素晴らしい。百聞は一見にしかずという事で、勝手に知らない人のページの写真をリンクしておこう。参考までに。
http://www.biwa.ne.jp/~toncity/selcuk_page.htm
歩いて帰ると、夜飯はラム肉。ダメな人はダメらしい。OL2人組みの一人は全くダメだったらしく青い顔をして残していた。庶民的なだけに匂いはきつい。
かく言う自分も、連日のボリュームに胃が耐えられなくなってきたのか、遂にダウン。単なる胃もたれなのだが、程度がひどい。無理せずすぐ寝る。
デニズリ〜セルチュク
2002年12月15日 朝早くにデニズリのオトガルに到着。パムッカレまでセルヴィスがあるというのでそれを待っていると、他のバス会社のオジさんが、自社のカウンターの内側でストーブに当たりながら待たせてくれる。助かる事だ。
それは良いのだが、乗ったセルヴィスが全く動かない。客が他にいないから他に来るまで待つ、とのことだが1時間近く待たされた挙句にべつのバスに連れて行かれる。結果として着いたから良いのだが、態度がいいかげんで腹立たしい。
パムッカレに着いたらまず、セルチュクもしくはデニズリに戻るバスを予約しようと考えていた。それなりに便は出ているだろうと予想していたのだが、これが実に甘かったらしい。どこのバス会社のカウンターも閉まっていて、困って歩いているうちに声をかけてきたのはどういうわけかレストランのオジさん。連れてかれたのはペンションのオーナーのところ。
オーナーのオヤジ、名前はムスタファ。彼の言うところによるとここからはセルチュク行きのバスは全くなく、デニズリからも1日に数えるほどしかないとのこと。それも、2時間後のそれを逃したら次は夜になるという。つまり、デニズリまでのバスを考えると正味1時間しか見学時間がない。
半信半疑なのだが、すわ大変とばかりに急いでパムッカレ、石灰岩の岩棚、真っ白い丘を駆け上がる。歩いていると、またもしょぼくれた野良イヌが擦り寄ってきて、一歩先を歩いてはこちらを見上げてくる。何かを欲しがっているのかよく分からないが、はたから見ると散歩にしか見えないだろうな。
この石灰岩は、温泉が溜まっていて、夏になると、青空を背景にした白と青のコントラストが素晴らしくキレイだったのだが、冬という事でイマ三歩程度。
オフは自然保護のため温泉を流していない、という話を聞いて覚悟していたのだが、4分の3程度はちゃんと流れていた。問題はそっちではなく、流れているお湯のせいで水蒸気が立ち上り、かえって何も見えなくなってしまった事。誤算だった。
背後にあるヒエラポリスも、濃い霧に包まれていて雰囲気はあったのだが、イマイチの感は拭えず。天気が悪かったのもつらかったか。
PTTで両替が出来たのはよかった。使える金がないというのは不安なもの。安心する。
この石灰岩は本来靴をはいて足を踏み入れてはいけなかったと思ったが、全く誰もいなかったため、寒さに耐えかねて履いたまま入ってしまった。ちょっと懺悔したい。
10時には石灰岩を降りてバスを待つ。荷物を預かっていてくれたムスタファオヤジが、一緒にバス待ちをしてくれたが、このオヤジは日本通。「タナカマキコタナカマキコ」「エガシラチッチャスギ」等等ギャグを連発しては笑い転げてる。そのオヤジギャグ、下ネタ連発の紛うことないオヤジギャグには旅の疲れも癒されるというものだろう。
面白かったのは、茶髪金髪、ピアスの男はこっちではオカマだオカマ、と彼が大笑いしていた事。ちなみに「オマエはオカマじゃないな」と褒められる。茶髪の時期もあったのだが。しかし、こんな所に来てまで念入りに髪をセットしていた幾多の日本人男性諸君に聞かせてやりたくもなる。
デニズリに到着すると、バスの時刻表は確かにムスタファオヤジの言うとおり。ありがとうオヤジ。
出発まで間があったのでキョフテ屋に行き昼飯を買い込む。無理を言ってテイクアウトにしてもらったのだが、快くOKしてくれた親子の料理人は、寡黙でありながら「任せとけ」といった風で実に好ましい。しかも何日ぶりかわからないほど久しぶりの卵料理。
アイドゥンという町を経由してセルチュクへ。途中の風景は牧歌的であり心安らぐもの。オレンジ栽培が盛んらしい。トラックの上に大量に積み、その上で寝転びながらオレンジをパクつく少年。良き哉。
セルチュクでは客引きに目もくれずヴァルダル、通称「アヤちゃんの宿」へ。
ここだけは再び訪れようと心に決めていた。清潔で、安価でボリュームたっぷりの夕食を振舞ってくれ、おばあちゃんが可愛らしいこの宿。日本人宿といわれようと、看板が日本語で掲げてあろうと素晴らしいものは素晴らしい。
ただ、そのあまりの素晴らしさに隣のペンションが名を騙りだしたらしい。哀しそうに話していた婆ちゃんの顔が痛ましい。
外を少しブラブラした後、夕食。相変わらずの超ボリューム且つ柔らかなチキン。そして400万TLの安さ。庶民の味は最高。
一緒したのは日本人のOLコンビ。いや、元OL,か。マッ〇ツ〇ーという旅行会社の元先輩後輩だったそうな。やはり旅行会社はつらいそうな。そんな話。うむむむむ。
それは良いのだが、乗ったセルヴィスが全く動かない。客が他にいないから他に来るまで待つ、とのことだが1時間近く待たされた挙句にべつのバスに連れて行かれる。結果として着いたから良いのだが、態度がいいかげんで腹立たしい。
パムッカレに着いたらまず、セルチュクもしくはデニズリに戻るバスを予約しようと考えていた。それなりに便は出ているだろうと予想していたのだが、これが実に甘かったらしい。どこのバス会社のカウンターも閉まっていて、困って歩いているうちに声をかけてきたのはどういうわけかレストランのオジさん。連れてかれたのはペンションのオーナーのところ。
オーナーのオヤジ、名前はムスタファ。彼の言うところによるとここからはセルチュク行きのバスは全くなく、デニズリからも1日に数えるほどしかないとのこと。それも、2時間後のそれを逃したら次は夜になるという。つまり、デニズリまでのバスを考えると正味1時間しか見学時間がない。
半信半疑なのだが、すわ大変とばかりに急いでパムッカレ、石灰岩の岩棚、真っ白い丘を駆け上がる。歩いていると、またもしょぼくれた野良イヌが擦り寄ってきて、一歩先を歩いてはこちらを見上げてくる。何かを欲しがっているのかよく分からないが、はたから見ると散歩にしか見えないだろうな。
この石灰岩は、温泉が溜まっていて、夏になると、青空を背景にした白と青のコントラストが素晴らしくキレイだったのだが、冬という事でイマ三歩程度。
オフは自然保護のため温泉を流していない、という話を聞いて覚悟していたのだが、4分の3程度はちゃんと流れていた。問題はそっちではなく、流れているお湯のせいで水蒸気が立ち上り、かえって何も見えなくなってしまった事。誤算だった。
背後にあるヒエラポリスも、濃い霧に包まれていて雰囲気はあったのだが、イマイチの感は拭えず。天気が悪かったのもつらかったか。
PTTで両替が出来たのはよかった。使える金がないというのは不安なもの。安心する。
この石灰岩は本来靴をはいて足を踏み入れてはいけなかったと思ったが、全く誰もいなかったため、寒さに耐えかねて履いたまま入ってしまった。ちょっと懺悔したい。
10時には石灰岩を降りてバスを待つ。荷物を預かっていてくれたムスタファオヤジが、一緒にバス待ちをしてくれたが、このオヤジは日本通。「タナカマキコタナカマキコ」「エガシラチッチャスギ」等等ギャグを連発しては笑い転げてる。そのオヤジギャグ、下ネタ連発の紛うことないオヤジギャグには旅の疲れも癒されるというものだろう。
面白かったのは、茶髪金髪、ピアスの男はこっちではオカマだオカマ、と彼が大笑いしていた事。ちなみに「オマエはオカマじゃないな」と褒められる。茶髪の時期もあったのだが。しかし、こんな所に来てまで念入りに髪をセットしていた幾多の日本人男性諸君に聞かせてやりたくもなる。
デニズリに到着すると、バスの時刻表は確かにムスタファオヤジの言うとおり。ありがとうオヤジ。
出発まで間があったのでキョフテ屋に行き昼飯を買い込む。無理を言ってテイクアウトにしてもらったのだが、快くOKしてくれた親子の料理人は、寡黙でありながら「任せとけ」といった風で実に好ましい。しかも何日ぶりかわからないほど久しぶりの卵料理。
アイドゥンという町を経由してセルチュクへ。途中の風景は牧歌的であり心安らぐもの。オレンジ栽培が盛んらしい。トラックの上に大量に積み、その上で寝転びながらオレンジをパクつく少年。良き哉。
セルチュクでは客引きに目もくれずヴァルダル、通称「アヤちゃんの宿」へ。
ここだけは再び訪れようと心に決めていた。清潔で、安価でボリュームたっぷりの夕食を振舞ってくれ、おばあちゃんが可愛らしいこの宿。日本人宿といわれようと、看板が日本語で掲げてあろうと素晴らしいものは素晴らしい。
ただ、そのあまりの素晴らしさに隣のペンションが名を騙りだしたらしい。哀しそうに話していた婆ちゃんの顔が痛ましい。
外を少しブラブラした後、夕食。相変わらずの超ボリューム且つ柔らかなチキン。そして400万TLの安さ。庶民の味は最高。
一緒したのは日本人のOLコンビ。いや、元OL,か。マッ〇ツ〇ーという旅行会社の元先輩後輩だったそうな。やはり旅行会社はつらいそうな。そんな話。うむむむむ。
ギョレメ〜デニズリ
2002年12月14日 朝一番で、宿のおばちゃんにアップルティーをもらう。
トルコ人は、本当にチャイが好きだ。飲まない日はないのだろう。それも砂糖を二個入れるような甘いやつを。普通のチャイのほかにはアップルティーが有名だが、他にも数種類あるらしい。個人的にはアップルティーが好きだが。
地下都市へ行こうとしていたら、宿の主人が登場。このオヤジは景気がよいらしく、なんとちょっと離れたところに大きい宿をもう一つ建ててしまったのだという。わざわざ車を使ってまでも、そこを見て欲しいと言う。宣伝なのだろうが、自分の「城」を人に見せるのが嬉しくてたまらないといった表情が微笑ましくて、歩いて2分の距離を、車を使って見物に。
確かに大きい。キッチンもあって自由に使えるらしい。良さそうだ。そして韓国人多し。朝飯を食っていたのは全員コリアンだった。チャイを飲みつつオジさんのサズを聞いてちょっとの時間ゆっくりし、地下都市へと向かう。
ドルムシュという乗合バスに乗って、まずは隣町ネヴェシヒルへ。
ここで降りて、さぁどのバスだろうかとあたりを見回していると、すぐにそれらしきバスを発見。かなりツイている。バス内では、となりのオジさんが「ジャポン、16、コリア、4」などと身振り手振りで表してくる。
失礼な。
とは思わない。健闘を讃え合っているつもりだろう事がありありと見て取れたからだ。
デリンクユへは30分程度で到着。到着すると同時に、バスの待合所の前に立っていたオジさんが、「帰りはここに戻って来い、ここに。地下都市はあっちだぞ」と身振り手振り、英語を交えて熱心に教えてくれる。すわツアーの勧誘か!?と身構えていた身としてはまたしても肩透かし。良い方に。
地下都市はじめじめと暖かい。雨上がりの暖かさに近いが、こういうのは好き。何でも3000人からの人数を収容し、同じ様な都市が数十から数百あったという話だが、かなわないのは天井の低さ。腰が痛くなる。
思った。ドラクエの洞窟は、ありゃ無理だと。剣なんか振るえない。
ガイドには、敵の侵入を防ぐ為の扉があったと書いてあったが、燻り出されないかも疑問。
ここで手持ちのフィルムを使い切ってしまったので購入。田舎町は販売個数自体が少なく、しかも高い。一食分は取られた。が、人の心は素晴らしい。観光スポットはあっても滞在するような町ではないからだろう。
そりをして遊ぶ子供達を微笑みながら見ていたら、一人の母親が「あの子は私の子なのよ」とはみかみながら、けど誇らしげに言ってきたのが印象的。
昼食のレストランでも、珍しいのかどうか分からないが、手伝いの少年がちらちらこちらを見てくるので思わず一緒に写真を撮ってしまった。
帰り道の、バスの待合所は、ストーブが置いてあり、実に暖かい。そこで待つ男達が6,7人。1時間くらいは待っただろうか。そのためレモンチャイを二杯振舞われる。誰が出してる金で振舞われたのかがよく分からないが。ひょっとしたら男達の単なる憩いの場所だったのかもしれない。
ここでもカイロが大人気。一人に貸してあげると俺も俺もと大盛況。一日は終わっていない為、プレゼントは出来なかったが、できれば置いていってあげたかった。それほど興味津々。
バスに乗って今度はカイマクルの地下都市へ。
こちらの方が観光客は多かった。恐らくネヴェシヒルから近いためであろう。中身もさして変わるわけでもなし。日本人のツアーとも遭遇。
さて帰り道のバスを探そうかと思っていると、後ろから丁度そのバスが走ってくる。なんとも都合の良いタイミング。こういう日もあるものだ、と呼び止めて乗車。
バスを乗り継ぎ、ギョレメへついたのは4時過ぎか。困ったのは両替。ほとんど金が尽きていたのだが、土曜日という事もあり、PTTを始めとした全ての両替機関が閉まっていた。手持ちがないというのはかなり不安を感じるもの。
だのに、夜飯は高めの郷土料理を頼んでしまう。ツボに料理を入れて煮込み、客の前で割って振舞うという豪快なもの。味の方も抜群。充実した食事。
ここでは三度韓国人と会う。今度は2人だったが。一人は曹クン兵役直後。一人は催サン27歳だったか。この2人との会話は面白く、興味深いものだった。
兵役嫌いの曹クンは日本語で「ヘンタイ」。催サンは「オヤジ」。そうお互いを紹介していた。とんでもない日本語ばかりが広まるものである。なんでも、「おでん」も広まっているらしいとか。
「ヘンタイ」らしく、日本のマンガに詳しい。多分負けたと思う。ドラゴンボールは当然、ベルセルクにカイジに、龍-ロン-、バガボンド、沈黙の艦隊、あげくに知らないマンガまで熱く語っていた。「ジブリでベストはラピュタだ!」等等。日本文化の影響はアジアに多大な影響を及ぼしている事が分かる。本人言うところによると、韓国のマンガが4に、日本のマンガが6、くらいの割合だそうな。
2人とも、日本の地名もわかり、しまいにゃ巨人と阪神まで。それに比してこちらの韓国についての知識の乏しい事・・・
話を終えて宿に戻り、バスの時間を待っていると近所のおばさま方が、続々と集まってくる。夕食でも食べるのかと思ったらただのおしゃべりらしい。更には「ESEN」の話を自分から聞いた曹クンまでがやってきて、たくましくも値下げ交渉を始める始末。なにやら騒然とした雰囲気に。
そんな中、やはりというか、話題を席巻したのはカイロ。少年にプレゼントすると、興味を示すおば様方。あげると言って何個か渡すともう奪い合い。「彼女は私の娘なんだからね、まず私に頂戴。」などと、目がマジだった。
ただ、足の先がすごく冷えてそうなので、気持ちはわかる。年を取ったおばあちゃんは、不思議そう、かつ本当に嬉しそうであった。
なんとも楽しいひと時であった。
宿を出て、乗り込んだバスは、度々小休止しながらも一路デニズリへ。
トルコ人は、本当にチャイが好きだ。飲まない日はないのだろう。それも砂糖を二個入れるような甘いやつを。普通のチャイのほかにはアップルティーが有名だが、他にも数種類あるらしい。個人的にはアップルティーが好きだが。
地下都市へ行こうとしていたら、宿の主人が登場。このオヤジは景気がよいらしく、なんとちょっと離れたところに大きい宿をもう一つ建ててしまったのだという。わざわざ車を使ってまでも、そこを見て欲しいと言う。宣伝なのだろうが、自分の「城」を人に見せるのが嬉しくてたまらないといった表情が微笑ましくて、歩いて2分の距離を、車を使って見物に。
確かに大きい。キッチンもあって自由に使えるらしい。良さそうだ。そして韓国人多し。朝飯を食っていたのは全員コリアンだった。チャイを飲みつつオジさんのサズを聞いてちょっとの時間ゆっくりし、地下都市へと向かう。
ドルムシュという乗合バスに乗って、まずは隣町ネヴェシヒルへ。
ここで降りて、さぁどのバスだろうかとあたりを見回していると、すぐにそれらしきバスを発見。かなりツイている。バス内では、となりのオジさんが「ジャポン、16、コリア、4」などと身振り手振りで表してくる。
失礼な。
とは思わない。健闘を讃え合っているつもりだろう事がありありと見て取れたからだ。
デリンクユへは30分程度で到着。到着すると同時に、バスの待合所の前に立っていたオジさんが、「帰りはここに戻って来い、ここに。地下都市はあっちだぞ」と身振り手振り、英語を交えて熱心に教えてくれる。すわツアーの勧誘か!?と身構えていた身としてはまたしても肩透かし。良い方に。
地下都市はじめじめと暖かい。雨上がりの暖かさに近いが、こういうのは好き。何でも3000人からの人数を収容し、同じ様な都市が数十から数百あったという話だが、かなわないのは天井の低さ。腰が痛くなる。
思った。ドラクエの洞窟は、ありゃ無理だと。剣なんか振るえない。
ガイドには、敵の侵入を防ぐ為の扉があったと書いてあったが、燻り出されないかも疑問。
ここで手持ちのフィルムを使い切ってしまったので購入。田舎町は販売個数自体が少なく、しかも高い。一食分は取られた。が、人の心は素晴らしい。観光スポットはあっても滞在するような町ではないからだろう。
そりをして遊ぶ子供達を微笑みながら見ていたら、一人の母親が「あの子は私の子なのよ」とはみかみながら、けど誇らしげに言ってきたのが印象的。
昼食のレストランでも、珍しいのかどうか分からないが、手伝いの少年がちらちらこちらを見てくるので思わず一緒に写真を撮ってしまった。
帰り道の、バスの待合所は、ストーブが置いてあり、実に暖かい。そこで待つ男達が6,7人。1時間くらいは待っただろうか。そのためレモンチャイを二杯振舞われる。誰が出してる金で振舞われたのかがよく分からないが。ひょっとしたら男達の単なる憩いの場所だったのかもしれない。
ここでもカイロが大人気。一人に貸してあげると俺も俺もと大盛況。一日は終わっていない為、プレゼントは出来なかったが、できれば置いていってあげたかった。それほど興味津々。
バスに乗って今度はカイマクルの地下都市へ。
こちらの方が観光客は多かった。恐らくネヴェシヒルから近いためであろう。中身もさして変わるわけでもなし。日本人のツアーとも遭遇。
さて帰り道のバスを探そうかと思っていると、後ろから丁度そのバスが走ってくる。なんとも都合の良いタイミング。こういう日もあるものだ、と呼び止めて乗車。
バスを乗り継ぎ、ギョレメへついたのは4時過ぎか。困ったのは両替。ほとんど金が尽きていたのだが、土曜日という事もあり、PTTを始めとした全ての両替機関が閉まっていた。手持ちがないというのはかなり不安を感じるもの。
だのに、夜飯は高めの郷土料理を頼んでしまう。ツボに料理を入れて煮込み、客の前で割って振舞うという豪快なもの。味の方も抜群。充実した食事。
ここでは三度韓国人と会う。今度は2人だったが。一人は曹クン兵役直後。一人は催サン27歳だったか。この2人との会話は面白く、興味深いものだった。
兵役嫌いの曹クンは日本語で「ヘンタイ」。催サンは「オヤジ」。そうお互いを紹介していた。とんでもない日本語ばかりが広まるものである。なんでも、「おでん」も広まっているらしいとか。
「ヘンタイ」らしく、日本のマンガに詳しい。多分負けたと思う。ドラゴンボールは当然、ベルセルクにカイジに、龍-ロン-、バガボンド、沈黙の艦隊、あげくに知らないマンガまで熱く語っていた。「ジブリでベストはラピュタだ!」等等。日本文化の影響はアジアに多大な影響を及ぼしている事が分かる。本人言うところによると、韓国のマンガが4に、日本のマンガが6、くらいの割合だそうな。
2人とも、日本の地名もわかり、しまいにゃ巨人と阪神まで。それに比してこちらの韓国についての知識の乏しい事・・・
話を終えて宿に戻り、バスの時間を待っていると近所のおばさま方が、続々と集まってくる。夕食でも食べるのかと思ったらただのおしゃべりらしい。更には「ESEN」の話を自分から聞いた曹クンまでがやってきて、たくましくも値下げ交渉を始める始末。なにやら騒然とした雰囲気に。
そんな中、やはりというか、話題を席巻したのはカイロ。少年にプレゼントすると、興味を示すおば様方。あげると言って何個か渡すともう奪い合い。「彼女は私の娘なんだからね、まず私に頂戴。」などと、目がマジだった。
ただ、足の先がすごく冷えてそうなので、気持ちはわかる。年を取ったおばあちゃんは、不思議そう、かつ本当に嬉しそうであった。
なんとも楽しいひと時であった。
宿を出て、乗り込んだバスは、度々小休止しながらも一路デニズリへ。
ギョレメ
2002年12月13日 朝食は抜きでギョレメ野外博物館。
朝はさすがに冷え込み、町の中も閑散としているが、さすがにメイン観光スポットの一つ。日本語で「トルコ」と大きく書かれた観光バスを目撃。
しかし、日本人よりも、韓国人よりも中国人。遠目でも分かる。あれはたぶんそうだろう。イスタンブールで宿の人が言っていた。日本人も韓国人も礼儀正しいが、中国人はダメだと。
わからんでもない。
ここは、フレスコ画がきれいで風景も壮観なのだが、博物館に指定されてない奇岩部屋がそこら中にあって入れるのがなんとも。小さかったら絶対秘密基地にするんだが、トルコの小学生はそういう事しないのだろうか。
秘密基地、なんて表現は全く分からないから聞くに聞けないのだが。
SOSで昼食。前回、あまりここでは料理が美味しいと思わなかったため、「当たり」であるこのレストランに通う事に。トルコ式の、レトロなストーブで暖かいのもポイント高し。
午後に行く予定のゼルヴェ野外博物館は、片道7,8?あるため、ここはひとつ原チャリを借りていく。
実は前回もこれを使って30?以上離れたデリンクユとカイマクルの地下都市まで行ったのだが、非常に気持ちよかった。風を切る、というと陳腐な言い方になるが360度建物がない草原を飛ばすのは、免許取ってから10日目の身でも快感の極み。道端から手を振ってくる子供達や、トラックの荷台から笑いかけてくるオジサンたちの存在もその気持ちよさを倍増させる。
無免許運転のその時の相棒も魅せられた表情だった。
そう、免許はいらないのだが人質にパスポートを置いていく。恐いっちゃ恐いか。
前回と違って15,6歳の悪ガキが店番だったから尚更。
運転自体は、相変わらず快感だった。
が、とてつもなく寒かった。
寒いどころか「痛い」世界を7,8?ならともかく、30?はちょっと無理。そう観念した。だが、ひとまず、目的は一つ達したから良し。再びカッパドキアを原チャリで駆け巡るのが、この旅の一つの目的だった。
ゼルヴェ野外博物館。30年程前まで実際に人が住んでいたという奇岩洞窟の数々。すごいのはわかるが感覚は麻痺する。雪山で滑りそうになる中を、部屋から部屋へと移動していると、気分は半分アスレチック。
再び韓国人の三人組と遭遇。歩いてきたとの事。原チャリの話をすると、かなり驚いていたが、往復15キロ以上歩くのとどちらがマシだろう。
どちらもマシじゃないか。
オフはバスがないのが辛い。
帰り道の途中、聖人なんたらの隠れ家というところを見物。隠れ住むには目立ちすぎる岩に住んでる気もする。
ここの岩は、本当にキノコ岩。▲の岩の下に、色の薄い縦長の長方形が子供のお絵かきの家のように付いていて、その下にまた色の濃い岩が地面まで延びている面白いもの。
つまり、絶好の観光スポット。しかし、土産物屋の客引きも寒すぎて出てこない人が多い。
帰ると4時。ネットカフェで情報を収集し、夜飯をいつもの所で。
宿の子供と戯れたのはこの時間だったか。ホッカイロが少年には興味津々だったらしく、その日使った物をあげると飽きる事無く遊んでいた。カイロくらい簡単に作れそうな気もするが、どうなのだろう。発売すれば儲かりそうなのに。中を破ろうとしていたのはちょっと。気持ちは分かるが。
朝はさすがに冷え込み、町の中も閑散としているが、さすがにメイン観光スポットの一つ。日本語で「トルコ」と大きく書かれた観光バスを目撃。
しかし、日本人よりも、韓国人よりも中国人。遠目でも分かる。あれはたぶんそうだろう。イスタンブールで宿の人が言っていた。日本人も韓国人も礼儀正しいが、中国人はダメだと。
わからんでもない。
ここは、フレスコ画がきれいで風景も壮観なのだが、博物館に指定されてない奇岩部屋がそこら中にあって入れるのがなんとも。小さかったら絶対秘密基地にするんだが、トルコの小学生はそういう事しないのだろうか。
秘密基地、なんて表現は全く分からないから聞くに聞けないのだが。
SOSで昼食。前回、あまりここでは料理が美味しいと思わなかったため、「当たり」であるこのレストランに通う事に。トルコ式の、レトロなストーブで暖かいのもポイント高し。
午後に行く予定のゼルヴェ野外博物館は、片道7,8?あるため、ここはひとつ原チャリを借りていく。
実は前回もこれを使って30?以上離れたデリンクユとカイマクルの地下都市まで行ったのだが、非常に気持ちよかった。風を切る、というと陳腐な言い方になるが360度建物がない草原を飛ばすのは、免許取ってから10日目の身でも快感の極み。道端から手を振ってくる子供達や、トラックの荷台から笑いかけてくるオジサンたちの存在もその気持ちよさを倍増させる。
無免許運転のその時の相棒も魅せられた表情だった。
そう、免許はいらないのだが人質にパスポートを置いていく。恐いっちゃ恐いか。
前回と違って15,6歳の悪ガキが店番だったから尚更。
運転自体は、相変わらず快感だった。
が、とてつもなく寒かった。
寒いどころか「痛い」世界を7,8?ならともかく、30?はちょっと無理。そう観念した。だが、ひとまず、目的は一つ達したから良し。再びカッパドキアを原チャリで駆け巡るのが、この旅の一つの目的だった。
ゼルヴェ野外博物館。30年程前まで実際に人が住んでいたという奇岩洞窟の数々。すごいのはわかるが感覚は麻痺する。雪山で滑りそうになる中を、部屋から部屋へと移動していると、気分は半分アスレチック。
再び韓国人の三人組と遭遇。歩いてきたとの事。原チャリの話をすると、かなり驚いていたが、往復15キロ以上歩くのとどちらがマシだろう。
どちらもマシじゃないか。
オフはバスがないのが辛い。
帰り道の途中、聖人なんたらの隠れ家というところを見物。隠れ住むには目立ちすぎる岩に住んでる気もする。
ここの岩は、本当にキノコ岩。▲の岩の下に、色の薄い縦長の長方形が子供のお絵かきの家のように付いていて、その下にまた色の濃い岩が地面まで延びている面白いもの。
つまり、絶好の観光スポット。しかし、土産物屋の客引きも寒すぎて出てこない人が多い。
帰ると4時。ネットカフェで情報を収集し、夜飯をいつもの所で。
宿の子供と戯れたのはこの時間だったか。ホッカイロが少年には興味津々だったらしく、その日使った物をあげると飽きる事無く遊んでいた。カイロくらい簡単に作れそうな気もするが、どうなのだろう。発売すれば儲かりそうなのに。中を破ろうとしていたのはちょっと。気持ちは分かるが。
アンカラ〜ネヴェシヒル〜ギョレメ
2002年12月12日 トルコではバスの交通が発達していて非常に使いやすい。各社のサービス合戦のせいでバス内で映画まで見られる始末。時間運行も非常に正確。
逆に電車はマイナーな交通機関らしい。値段はバスより安いのだが、バスより時間がかかり、観光客はあまり使わないらしい。
と、いう訳で朝起きてもアンカラには着いていなかった。3時間ほどの遅れ。
なるほどね。
急いでいる訳ではないので構わない。けど、名高いアンカラエクスプレスにしてこれでは、普及しない訳だ。
首都は意外と閑散としていた。滞在時間1時間半では何とも言えないが、車はあまり通ってないように見受けられた。
その代わりオトガルはにぎやかだった。そこまで地下鉄が通っているというのもさすが。それでもイスタンブールの半分ほどの規模だろうが。
重い荷物を持って50程度あるカウンターを一つづ見ていると、胡散臭い男がとなりに寄ってきて、目的地を聞いてくる。どうせ旅行会社か何かの客引きだろうと無視していたのだが、思いなおして「ギョレメ」と言ってみると「〇〇番のカウンターだ」との言葉。行ってみると確かにその通り。
トルコ人は、良い人と悪い人(安易な分け方だが)の区別が非常に難しい。だから、つれない態度をした後に、ちょっとした罪悪感を感じる事がある。「あの人は、単純に親切で言っていたのではないか」、と。かといって皆良い人、というわけではもちろんない。難しい所だ。
ただ、現地化してる日本人(特にオバチャン)はたちが悪いように思うが。
バスは、何故か「ハムナプトラ」を流しながら草原を行く。暖房も効いていて、香水のサービスももちろんあり、リプトンの紅茶も出て快適。
「車内禁煙」を運転手自ら破ってるのを除けば。
こういうメリハリのついてないところが先進国になれない理由じゃなかろうか。イタリアは、女性喫煙率が高く眉をひそめたものだが、分煙は徹底していた。
そうこうしている内にカッパドキアに着く。ただしネヴェシヒルに。
バスの乗り換えだというのだが、自分だけ違う方向に。案の定というか、着いた先は旅行会社のオフィス。ここのオヤジの、日本語の達者な事!
チャイをやるからと言って座らされ、まわりくどく婉曲にツアー参加を勧められた。「一回来た事があって、その時に自力で回ったんだから大丈夫。」と説明すると、意外とあっさりと解放してくれた。カバンまで持ってバスまで連れていってくれたのだ。
勝ったような、拍子抜けなような気分。それはまぁ良いのだが、チャイをまだ飲んでないぞ。ケチだ。
ギョレメにはすぐに着く。
宿は、前年泊まった「アナトリア」にしようかと考えていたのだが、印象的には隙間風ありそうだったので「ESEN」というところにする。結果的にはどうだったのだろう。「ESEN」は寒かったが、後で聞いたところによると「アナトリア」は経営していた家族がオフという事で本国のフランスに帰ってしまっていたらしい。それでは前年お世話になった家族に会えない。が、暖かかったとか。
家族経営の宿で、「ESEN」は文字通り家族経営の宿で、子供が3人。兄2人に一番下が2,3歳の女の子。これがまた可愛い。トルコの子供は皆目が大きくて本当に可愛い。人懐っこいのも手伝って、思わずさらいそうになる。
母ちゃんもうまくはないが英語の話せる気持ちのよい人。
が、部屋は寒かった。しかも、初日はシャワーにお湯が出ない。どうもコツがあるらしく、翌日からは出るようになったのだが。
既に夕方なので、外をぶらっと散歩。どういうわけか人懐っこく寄って来る犬を道案内のように従え、高台に登って感動的な景色を楽しむ。楽しんだ。
のは良いのだが・・・あまりにも寒い。空気が白いと思えるほど寒い。風がないのが救いだが、この日の体験から4時以降、日が沈んでからの行動はほぼ断念。
夜飯は「SOS]というレストラン。ウェイターのおじさんが、紳士すぎる程紳士。老紳士。メニューに書いてあるはずのチャイを、食後にタダで振舞ってくれるという素晴らしさ。無口だが、微笑を絶やさない。料理の味も良い。特に煮込み系が絶品だ。
中には、3人の韓国人が。思わず「こんにちは」と言いそうになった。韓国人は、分かる人はあからさまに「ぽい顔」をしているが、分からない人はわからない。
帰り際に「サヨウナラ」と声をかけられる。そういえば韓国語で何と言ったか・・・「アニョハセオ」しか知らない自分。如何なものだろうか。やむを得ず「グッバイ」。
寒さに震えつつ、就寝。
逆に電車はマイナーな交通機関らしい。値段はバスより安いのだが、バスより時間がかかり、観光客はあまり使わないらしい。
と、いう訳で朝起きてもアンカラには着いていなかった。3時間ほどの遅れ。
なるほどね。
急いでいる訳ではないので構わない。けど、名高いアンカラエクスプレスにしてこれでは、普及しない訳だ。
首都は意外と閑散としていた。滞在時間1時間半では何とも言えないが、車はあまり通ってないように見受けられた。
その代わりオトガルはにぎやかだった。そこまで地下鉄が通っているというのもさすが。それでもイスタンブールの半分ほどの規模だろうが。
重い荷物を持って50程度あるカウンターを一つづ見ていると、胡散臭い男がとなりに寄ってきて、目的地を聞いてくる。どうせ旅行会社か何かの客引きだろうと無視していたのだが、思いなおして「ギョレメ」と言ってみると「〇〇番のカウンターだ」との言葉。行ってみると確かにその通り。
トルコ人は、良い人と悪い人(安易な分け方だが)の区別が非常に難しい。だから、つれない態度をした後に、ちょっとした罪悪感を感じる事がある。「あの人は、単純に親切で言っていたのではないか」、と。かといって皆良い人、というわけではもちろんない。難しい所だ。
ただ、現地化してる日本人(特にオバチャン)はたちが悪いように思うが。
バスは、何故か「ハムナプトラ」を流しながら草原を行く。暖房も効いていて、香水のサービスももちろんあり、リプトンの紅茶も出て快適。
「車内禁煙」を運転手自ら破ってるのを除けば。
こういうメリハリのついてないところが先進国になれない理由じゃなかろうか。イタリアは、女性喫煙率が高く眉をひそめたものだが、分煙は徹底していた。
そうこうしている内にカッパドキアに着く。ただしネヴェシヒルに。
バスの乗り換えだというのだが、自分だけ違う方向に。案の定というか、着いた先は旅行会社のオフィス。ここのオヤジの、日本語の達者な事!
チャイをやるからと言って座らされ、まわりくどく婉曲にツアー参加を勧められた。「一回来た事があって、その時に自力で回ったんだから大丈夫。」と説明すると、意外とあっさりと解放してくれた。カバンまで持ってバスまで連れていってくれたのだ。
勝ったような、拍子抜けなような気分。それはまぁ良いのだが、チャイをまだ飲んでないぞ。ケチだ。
ギョレメにはすぐに着く。
宿は、前年泊まった「アナトリア」にしようかと考えていたのだが、印象的には隙間風ありそうだったので「ESEN」というところにする。結果的にはどうだったのだろう。「ESEN」は寒かったが、後で聞いたところによると「アナトリア」は経営していた家族がオフという事で本国のフランスに帰ってしまっていたらしい。それでは前年お世話になった家族に会えない。が、暖かかったとか。
家族経営の宿で、「ESEN」は文字通り家族経営の宿で、子供が3人。兄2人に一番下が2,3歳の女の子。これがまた可愛い。トルコの子供は皆目が大きくて本当に可愛い。人懐っこいのも手伝って、思わずさらいそうになる。
母ちゃんもうまくはないが英語の話せる気持ちのよい人。
が、部屋は寒かった。しかも、初日はシャワーにお湯が出ない。どうもコツがあるらしく、翌日からは出るようになったのだが。
既に夕方なので、外をぶらっと散歩。どういうわけか人懐っこく寄って来る犬を道案内のように従え、高台に登って感動的な景色を楽しむ。楽しんだ。
のは良いのだが・・・あまりにも寒い。空気が白いと思えるほど寒い。風がないのが救いだが、この日の体験から4時以降、日が沈んでからの行動はほぼ断念。
夜飯は「SOS]というレストラン。ウェイターのおじさんが、紳士すぎる程紳士。老紳士。メニューに書いてあるはずのチャイを、食後にタダで振舞ってくれるという素晴らしさ。無口だが、微笑を絶やさない。料理の味も良い。特に煮込み系が絶品だ。
中には、3人の韓国人が。思わず「こんにちは」と言いそうになった。韓国人は、分かる人はあからさまに「ぽい顔」をしているが、分からない人はわからない。
帰り際に「サヨウナラ」と声をかけられる。そういえば韓国語で何と言ったか・・・「アニョハセオ」しか知らない自分。如何なものだろうか。やむを得ず「グッバイ」。
寒さに震えつつ、就寝。