討論

2003年3月3日
 PHPの集団討論。

 我を出しすぎてはいけないと分かっているのについ喋ってしまう。出しすぎてしまう。

 こればかりはどうしようもない。そうなったらそうなったで。

 いくつか気になった事が。

 13人での討論で、時間が僅かに30分。これってどうなのだろうと考え続けていたのだが、結局話さない人は全然話さないから、あまり変わらないかもしれない。そういう人を気にせずに自分を出した人が評価されるのか、気を配った人が通るのか。そういう人こそ通るってところもあるから、考えてもしょうがない。

 明らかにおかしい人がいた。
 人事の話が終わって休憩になった途端に「話がなげ―よ」「ここの会社の考え方嫌いなんだよね」。誰に向かって言っているのやらわからないが、その意見が人に受け入れられると思っているらしかった。
 討論のお題は「今日の教育」だったのだが、延々と「経済界の働きと密接に・・・」と演説し続ける。

 司会を立てないフリートークで本当に良かった。こういう人こそ司会をやりたがるもの。ゲンナリとしてしまう。

 帰りに文春の書類を取りに四谷方面へ。それもなんと10人ほどでぞろぞろと。皆、考える事は同じらしい。こういう時にする話は嫌いではないが、その後会うことはほとんど無い。面接の時に会いましょうと言って会えた試しが。
 
 あたかもドラゴンボールのよう。

顔 

2003年3月2日
 以前ある女の後輩が「スタイルが・・・」どうのこうのと冗談交じりに愚痴を言っていた。男の人もやっぱりスタイルが良い方がいいんじゃないですか、と。
 
 男は女ほど女性のスタイルを気にしないと思う。それほど極端じゃなければあんまり構わない。巷に氾濫しているグラビアアイドルに毒されているのは女性も同様なのかもしれない。スタイルはあまり関係ないと思う。

 女性は顔でしょ。

 いや、良いとか悪いとかではなく、好きか嫌いか嫌いかの問題として。
 スタイルで好きになるのがありえないのが何故かと言うと、スタイルは良くも悪くもなるものだから。悪くなった途端に好きじゃなくなるなんて事はない。
 そういう観点から見ると顔というのは性格以上に確かなのかもしれない。性格というのは意外と変わるもの。その日その日のバイオリズムによって落ち込んだり明るくなったり。
 それに比べて顔が変わるという事はまずない。顔が好きになれば後は色々と、共に作り上げていけばよい。趣味や好みだって意外とお互いに染めあうものだから。

 多分、だからこそ、整形はあまり好まれないのではないか。整形して可愛く、もしくはキレイになったとして、それを可愛い、キレイだと思うことはあっても好きだ、と思うことはないように思う。変な例えになるが、化学調味料が大好きです、という人はなかなかいないのではなかろうか。いや、好きだと言う人はいても、それが一番の好物だと言う人はいないだろう。

 いびつながらも恋愛を語ってしまった・・・はじめてかもしれない。

能力

2003年3月1日
 味の素の説明会。
 
 特に書く事も無い。当り障りの無い説明。もらったパンフに書いてあることをビデオで流してるんだな、と。

 筆記試験も普通。

 「成果主義を導入しました」、と言うから「じゃあ人事の業務などはどのように判断するのですか」と聞いたら「過程でも判断します」だそうな。

 「過程で判断するとしたら、そこには上司の主観が入ってくることが考えられます。最悪の場合、おもねりが得意な人が評価される事にはなると考えられますが、何か対策はしてあるのでしょうか」

 そう、聞いてみるとしどろもどろな答え。「上司もその上司が見ますから」「そこまでする上司もいないんじゃないかと」・・・答えになっていない。

 とりあえず成果主義といってみただけか。賃金抑制の一環に過ぎないのだろう。しかし、そういう会社もなんだか。

 それ以上に、そんな受け答えに何の質問もしようとしない学生はなんなんだろう。何故に自分ばかり3回連続で質問しなければならないのか。

 そりゃ、こんな質問する奴は嫌われるのかもしれないけど。

 成果主義、実力主義というのは使いどころが本当に難しいと思う。ましてや日本の場合、判断するのが成果主義で育った人達ではないのだから。対策はいくらでも考えられるのだから、せめて具体的な施策を語ってから成果主義と言って欲しい。

 そもそも、成果主義自体が人間社会にとって良いものなのかどうかに疑問がある。共産主義が良いと言う訳ではないが、単に弱肉強食だったら動物と変わらなくはないか。
 企業にとって都合が良い事が必ずしも人にとって都合がよいとは限らない。現時点で能力があっても、それを延々と何十年も出し続けられる自信がある人がどれくらいいるのか。出せなくなったら捨てられるのか。能力というのは後天的な部分も大きいが、先天的な部分も確かにある。ある種の差別ではないか。

 一度じっくり考える価値がありそうだ。


 弟の合格祝いと、自分の誕生日とで、一家でカニを食べに行く。美味すぎる。

カタカナ言葉

2003年2月28日
 NECの説明会。

 正直、具体的に何をやっている会社で、どんな仕事をやる事になるのかさっぱりわからないまま赴いた、言わば適当に受けた会社だったのだが、なかなかの好印象。

 やたらとハイテンションな司会が繰り広げるパワーポイントでの説明に、具体的な仕事の流れを分かりやすく説明した上に、要所要所で「あなたならどうする?」と考えを問うてくるビデオ。最後には社員が何人か出てきて、これを囲んでの懇親会。うちの会社を知って欲しい!という気合がここまで伝わってきた会社はなかなかない。社員に、気合入れて質問をしまくってしまった。(どういう訳か今春から配属される内定者も懇親の対象になっていたが、当然のように話を聞きに集まる人も少なく、閑散としていて可哀相であった。学生の話を聞いてどうしろってんだ?)

 馬鹿デカい会社である。一時期は1500人も取っていたそうな。今は少なくなって700人位だというが、10人の採用で多い、と感じていた身には驚愕の数値。

 人材公募制度があって、面接さえ通れば上司の許可なく好きな部署に異動できるというのも面白い(しかし、いっぺんに何人も出て行かれた部署はどうなるんだ?)。大企業ならではであろう。

 しかし、資料にある用語の羅列にはゲンナリ。

 ソリューションに始まり
 アカウント・マネジメント
 プロジェクト・マネジメント
 リスク・マネジメント
 コアコンピタンス
 ヒューマン・スキル・・・

 意味が分からん。日本語じゃいかんのか。さすがに英語ディベート、とか英語ライティングなんかは日本語の方が意味が通じると思うのだが。

 日本語は怠けすぎだろう。誰が怠けているのかは分からないが、分かりやすく伝えようとする意志が希薄すぎる。日本語なのに、日本語を喋れても意味が分からないってありえない。小学生の暗号遊びじゃないんだから、そんな言葉を弄んで、使えない人に優越感持ってどうする。

 文藝春秋の特集は、最近くどくて嫌だが、今月の「日本語大切」の中のこのような内容の記事は良かった。中国人の方がよほど勤勉に訳を考えている。

 「baseball」は「野球」となる事で日本に根付いた。

 まだ無い言葉はしょうがないが、既に日本語にあるにもかかわらずわざわざカタカナで使っているのを見ると、これはもはや失笑の対象ですらある。
 スキルは技術であり、ディベートは議論である。そして言葉とは他人に自らの意志を伝えるためのものである。
 薄っぺらい優越感、他人に失笑を買うような優越感の為に自らの意志を伝える対象をわざわざ狭めるというのは愚か者のする事ではないか。

 NEC自体は非常に感じよかったのだが。

 問題がもう一つある。

 志望動機が、ない。

チーム

2003年2月27日
 ヤンキースのユニホームに名前が書いてないのは野球がチームプレーだからだそうだ。一人一人の活躍など組織の勝利と比べたら何の価値もない、と。

 何とも正しい事を言っている。

 やはりメジャーの報道の仕方はおかしすぎる。マリナーズやヤンキースが勝ったか負けたかが重要なのであって、イチローや松井がどうしたかなどその付属物に過ぎない。放送するならもっとスポーツ自体の面白さを放送、表現してくれ。

 メジャーを見るんだったらやはり、選手の名前を覚えてチームを応援したい。そのきっかけに日本人選手がなるのならそれはそれで良いが。

 かと言って、あんまり選手に詳しくなるのもそれはそれでスポーツとしての本来のあり方からそれているような気もする。本来のあり方ってなんだという話は置いておいて、選手の情報というのは味付け程度に見るものであるから、その価値がチーム全体を上回るような見方はおかしいのではないか。

 インターネットを始めて、野球小僧などを読むようになってからというもの、自分もそういう傾向があるかもしれない。心せねば。

 情報が氾濫しているが、情報はあくまで試合の勝敗自体を楽しむ為のスパイスである、と。別にベテラン使うと勝つことの意義が低くなる訳ではない。

 
 ニュースによると、ナベツネが「10連覇を!」とのたまっていたそうな。それはいいのだがこの人

 10年後に生きているつもりなのか!

 こんな話が不謹慎にならないのもこの人くらいのものだろう。
 先日の誕生日、新宿は歌舞伎町の入り口と、靖国通りを挟んで向かいにある通りを歩いていたら、「誰か、誰かいませんか!?」という声が聞こえた。

 振り向くと、そこには盲目だろう老夫婦が、2人してステッキのような棒をつきながら立ちすくんでいた。2人とも見えないのである。

 聞くと、新宿駅へ行きたいそうで、最初は道だけ教えてみたものの、何故か周乃家に入りそうになるなど、あまりにも危なっかしかったのでエスコートを申し出る。

 小田急の改札口まで案内したのだが、道中何を話して良いのかよく分からない。どこから来たのか、いや、どれくらい見えているのかなど聞けそうで聞けない。

 良い事をしたと思う。良い事が帰ってくるかと思った

 が、その日の帰りにサイフを忘れた。

 因果応報はなかった。

 それは良いが(最終的には見つかった)、このような夫婦が2人だけでどこかへ行こうとするという事は、それなりに自分のような助けを借りなくてはならない。という事は、まだまだ日本の人心も捨てたものではないのかもしれない。そもそも、2人で出歩こうと思う事自体、日本の良さだろう。

 しかし、見方を変えれば、2人の近しい人は何をしているのかが問題になってくる。出発地にも、目的地にも誰も知人はいないのだろうか。いたとしたら何故手立てを打たないのか。

 障害者が一人立ちをするというのは誰の助けも借りないという事なのだろうか。本人達が知人の助けを断ったのだろうか。相手の意志を無視しても助けてやる、という事は良くないことなのか。何とも言えない。

 しかし、この後に面接があったらどうしてただろうか。これで遅刻したとして、企業は信じてくれたのか。

 人助けをするのにそんな留保がある社会というのも。

飲む

2003年2月25日
 最近飲みすぎである。明らかに飲みすぎ。今日は四日連続飲みの最後の日。社会人は毎日のように飲んでる気がするが、あれは体力が持つのだろうか。

 シュウカツも一時中断していたが、そろそろちゃんとやらないとまずいだろう。

 しかし、内定が出る人と出ない人の差というのがよく分かった。バイト先(結構な大企業かと)の幾つも内定をもらった若手社員の話を聞いていて思う。

 友達にはなれない。

 素直すぎる。会社に無邪気に従っていて、しかもさわやか系。見事なくらいの真っ直ぐさ。それでいて多分、無能と言う訳では全然ないのだろう。

 自分は逆。バイトをしていてすら素直さのかけらもない。不満があったら面と向かって言う。バイトだからと溜め込んだり諦めたりはしない。社員の頬がひくついていた事もある。はぁ?と思うとすぐ顔に出る。そしてそれで押し切る事もままある。

 いくら口では「そういう人も必要なんだよ」と言われても、会社がそういう人を欲しがっているかと言うとNOだろう。おかしいと思ったら社長にでも食って掛かる自信がある。

 大体、会社批判をしたらまずその会社には受からない。しかし、思ってしまったらせずにはいられない。

 自分はもうちょっと要領が良いと思っていたのだが。
 今日は
 ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改正してグレゴリウス暦を制定した日(1582) であり、
 明治天皇が東京に滞在中は太政官を東京に移して 東京遷都が事実上決まった日(1869)でもあり、
 直木三十五が43歳で死んだ日(1934) でもありつつ
 「月光仮面」放送開始した日(1958)でもある。

 この日生まれた有名人には
 ウィルヘルム・グリム(弟)(1786)
 山村聡(1910)
 淡島千景(1924)
 ミシェル・ルグラン(1932)
 佐久間良子(1939)
 草野仁(1944)
 秋吉久美子(1955)
 アラン・プロスト(1955)
 飛鳥涼[CHAGE & ASKA](1958)

 等がいる。

 誕生日である。2×歳である。雪が降り始めた日、午後3時半頃に生まれたらしい。

言の葉

2003年2月22日
「これは個人的な考えだから」「結局決めるのは君だけど」

 お互いを尊重しているという事になるのだろうか、こういう言い方が流行っている。
 いや、言い方というべきか、ただの枕詞か。

 はっきり言って嫌いだ。

 個人的な考え以上のものがあるのだろうか。どんな考えであれ、それは個人的な考え以外の何者でもなかろう。自分が公的な声明を出せるわけでもなければ。

 決めるのが本人なのは当たり前だ。しかし、自分が好き勝手言っておいてそれはなかろう。意見を出すというのはそんなに無責任な事ではない。もしもその人がその意見の通りに行動したとしたら、本人が「その意見とは関係ない」と言ったとしても責任の一端は意見を出した当人に有る。有る、と言うより無いと言う事は出来ない。意識の中にその意見の影響が無いとは言い切る事は出来ないからだ。

 言う必要の全く無い冒頭の言葉をわざわざ使う事で、意識的にせよ無意識にせよ責任を回避しようとする感覚が生まれているように感じられる。この言葉を使う事で、何を言っても許されるかのような、あたかも免罪符のような感覚で使われすぎてはいないだろうか。

 言葉を使う、それを相手に発するという事にはある程度の責任が生まれる。何のしがらみもなく使えるほど言葉というのは軽いものではない。政治家の失言を見るとそれがよく分かるだろう。

 それを放棄するという事はお互いを尊重する事でもなんでもない。

 お互いを尊重する事と言うのは、何も言わないか、一度何かを言ったら相手が嫌がるまでその責任の一端を、ほんの少しでも良いから担い続けることではなかろうか。

 言葉が足りない時、どちらとも取れない時は、別に良い(以心伝心、という事である)。発言者は責任ないと思う。しかし、わざわざその言葉を使った時、どちらとも取れる言葉を使った時(言質を取る、という)はそれが真意と違った方向に取られようと、それは言葉を使ったほうに責任があるように思う。

 一度口から出た言葉を引っ込める事は出来ないのだから。

 確かに、あまりにも普及しすぎているから、何の気なしに使うという事も多いだろう。しかし、真意がそこになければ何を言ってもよいというものではないのではないか。

パキスタン

2003年2月21日
 親しい先輩の派兵先、もとい海外青年協力隊による派遣先がパキスタンに決定した。

 人生色々ですな。

 しかし、個人的にパキスタンやらイランやらは恐るべき所である。現状では、行く事は不可能と言っても良い。

 無論パスポートは持っているし、何か犯罪を犯したわけでもない。ビザが必要なのかどうかは知らないが、入手に問題はなかろう。

 治安は心配してもしかたがないし、文化、風習の違いは自分次第である。食生活は多分大丈夫だろう。しかし、どう足掻いても人為的には達成不可能な要素が必要になってくるのだ。

 ヒゲである。

 ヒゲがちょっとしか生えないのである(外野から、「あれはヒゲではない」という声が聞こえてきそうだが。)。とにかく、あまりない。どれくらい無いかというと、3ヶ月間剃らなくとも良いくらいである。

 まずい。非常にまずい。
 育毛剤はヒゲにも効くのか。

 別に自分が行くのではないのだが。

天職

2003年2月20日
 この間、中学時代の友達で、1浪してから同じ大学に入った奴と話をしてきた。シュウカツ話を。

 いや、正確にはシュウカツのアドバイスを。

 ここのところそういう事が多く、何故かシュウカツのアドバイスを聞きたがる人が多い。決まった奴の話を聞けよとか思うのだが。

 で、これがまた懇切丁寧に教えてしまうんだな。ESの添削とかしてあげたりして。しかもそれがまた、この上なく納得される。「役に立ったありがとう」みたいな事言われても。

 昔からそういう事多い。で、往々にして自分はうまく行かなくて教えてあげた方がうまくいったりする。だから本当は教えたくない気持ちもあるのだが・・・

 断れない。

 断れないのは理由があって、自分自身がすごい他人を頼るから。頼ってきたから。それは回りまわって誰かに還元しないといけないと思っている。しかし、
 断りたくないのかもしれない。そういうのを教えるのが好きなんだな。それでしかも、得意。

 案外天職はそっちの方にあるのかもしれない。

 教師は嫌なんだが。

ローズ

2003年2月19日
 物事には限度があろう。

説明会あれこれ

2003年2月18日
朝日メディアインターナショナルの説明会。

 かなり前にエントリー出したところで、正直言って何をやっている会社なのか失念していた。「インターネットで当社のホームページを見たことの無い方は・・・いらっしゃらないですよね」と聞かれた時にあやうく手をあげそうになった。そりゃ、エントリーしたんだから見てるのは当たり前だが、コンテンツを思い出せるかと問われるときつい。

 が、なかなかに面白そうな会社であった。規模は50人と小さく、やってる事も下請けだが、出版社の下請け製作会社。社長がイギリス人で、話が面白いのもポイント高い。

 しかし、何とかならなかったのか。会場の不手際。120人までしか入らない部屋に、詰め寄せたのは200人強。2時から始まる説明会に、1時40分に行って座れないとは誰が思おうか。
 前日予約状況を確認しても、普通に満席とあったが、どういう事なのか。立ち見ってのは集中力が保てない。最初はむしろ保てるが、疲れてくるともうダメなのだ。

 そのせいかどうかは分からないが、立ち見だった隣の隣の女の子、一度気持ち悪そうに部屋の外に出て行ったのだが、帰ってきた後10分ほどで、今度は座り出したのだ。
 なら帰ってくるなよ、と突っ込みを入れたくなるが、むしろ問題は周り。

 両隣が声をかけようともしないどころか、その目の前で平然と座席に座り続ける連中。女、女、女!
 こっちが見ていられず声をかけたが、それまで気が気じゃなかった。とても説明会なんて気分じゃなかった。
 製作会社の説明会に来るくらいだから、シュウカツに熱心な女の子が多いだろうとは思うが、そんなに説明会が大事か?社長の話より、うずくまってる隣人に、どうして気がいかない!?信じられん。

 それよりも声をかけたせいで、むしろ立ち上がってしまった彼女が心配だったが。

 そういう女、落ちろよマジで。いや、落とせ。落とせよ会社。(地の声が・・・)
 「女だから・・・」と女だった事を強調して言いたくはないし、思いたくもないが、いかにも熱心そうな女の子ばかりが周りにいたのが、引っかかった。

 最後に個人的な質問コーナー。公式な質疑応答は人数が多すぎてマイクが明らかに後ろまでこなかった事と、その事でほとんどないも同じだった。
 で、聞いた。
 引っかかった。
 「御社の自己PRをして下さい」という意味を突っ込んで聞いても帰ってくるのは「人材」の一点張り。人を見るってのは本当に難しいと思う。それはバイトでそういう事をやっててもよく分かるし、「人」で苦労してるほかの会社を見てもわかる。「悪くない人」ならば比較的分かるが・・・それを、「いや、大体見ればわかりますよ」と言ってのけたあの社長。本当ならすごいし、外人のブラフもあるのだろうが、はたしてそう簡単にできるものか。

ペン

2003年2月17日
ボールペンで字を書くと、何故にこうも手が痛くなるのであろうか。それとも単に書き方が悪いだけなのだろうか。

 しかし、手が痛くなるだけでも困るというに、ボールペンで書いた字は普通に書いた時に輪をかけて汚い。これ、どうにかならないものか。ただでさえ自分の字は汚い。はっきり言って、自分より字の汚い人というの見た事がないくらいだ。

 ・・・自分の家族以外。

 シャーペンで書いた時はまだ書いたという実感があるのだが、ボールペンはツルツルしすぎていて、そういう実感が全くない。線が波打ってしまう。そうならないようにすればするほど手に力がこもり、居ながらにしての握力トレーニングになってしまい、更に更には肩こりをも併発してしまう事となる。
  
 パソコンはその点良い。字がきれいだ。

 誰か、画期的なボールペンを発明してくれないものか。
 そもそも、何故こんなにボールペンが珍重されているのだろう。

外国人の日本語

2003年2月15日
 ちょっと前だったが、あるバラエティで外国にある日本語学校を取材した番組があった。

 その国の人達が一生懸命勉強している姿を映し出す事は日本人の自尊心をくすぐるのだろう。それはまだ良い。
 
 まだ良いのだが、彼等に作文を書かせるくだりがあった。世界でも有数に難しい言語である日本語を、たどたどしいながらも漢字まで使って書いていた、それは心暖まる光景だった。筈だ。それを

 バラエティの出演者は笑いだしやがった。ナレーションも明らかにそれを促すようなコメントをつけていく。

 恥ずかしかった。こんな番組がゴールデンで放映されているようでは日本人も腐りきっているのか。TVが腐っているだけなのか。何にせよ、腐ってる。

利益

2003年2月14日
 フランスは中東の石油に利権があって、国内にイスラム教徒が多い。
 ドイツは歴史的に中東と関係が密接であり、特にトルコ人移民はかなり多い。
 ロシアはソ連時代からイラクの石油開発に関係が深い。
 イギリスは北海油田を自前で持っている上に地理的要因から難民が殺到する恐れが少ない。

 各国はそれぞれ思惑がある。日本はと言うと

 朝鮮半島情勢がどうにも不安定なこの時期に、自らの安全を保障してくれる存在であるアメリカと関係を悪化させる訳に行かないのは自明の理。 

 誰が指揮を取ったところでアメリカに反対する等という選択肢はありえない。ありえないのに、反米感情だけで話を進めるのは勘弁して欲しい。

 そもそも、アメリカが悪いという話の進め方はおかしいだろう。悪いのは基本的にイラク。やり方が気に食わないという気持ちは理解出来るが、ならばと問いたい。アメリカが中東に介入してこなかったら今の世界情勢はどうなっていたのか。モンロー主義を持ち出されたらどうなるのか。

 石油にしたって当たり前の話。アメリカがアメリカの利益の為に行動するのは至極当然。同じ様に、フランスやドイツも自国の利益の為に行動しているに過ぎない。国際政治は倫理でもって動いてるのではなく、利益の為に動いているのだと言う事。倫理を守るのはそれが利益をもたらすからだ。

 何が利益かは人次第だから、それはそれでいいのだが、アメリカを支持すると言えない世論の雰囲気は如何な物だろう。

 アメリカの行動は支持する。

 いや、アメリカを支持する(としたら)日本政府の行動を指示する。

 当然、直接的にはそう表明しないだろうし、そのほうが賢明だろうが。
 しかし、今の時点でアメリカに反対する意見というのは無責任に過ぎやしないか。日本国と自衛隊だけでは、哀しいかな北朝鮮に対する抑止力にならない。いざという時防衛しきれるかどうかもわからない。どうしたってアメリカが必要なのだから。

 戦争で景気が悪くなるのは嫌だが、短期的にはアメリカから日本へカネが移る。・・・良くはないか。

 記者は志望してません。

文藝春秋

2003年2月13日
 今月号の文藝春秋に、「妄動、妄説を排す! 」という特集があり、その中に馬立誠という人が書いた
『我が中国よ、反日行動を慎め 』という論文の邦訳が掲載されていた。

 題名だけで内容が殆ど想像できてしまうという実に分かりやすい論文。読んでみても、この程度の事すら口に出せなかった中国という国は、やはりかなり問題がある。

 が、ここで言いたいのはそうではなくて。

 歴史的に普通、国家と国民というのは攻撃されればされるほど、弱まるほどにナショナリズムが高揚する傾向にある。
 高度経済成長期の日本などまさにその逆を行っていた訳で、その頃ははっきり言って中国や韓国など相手にしていなかった。とるに足らない存在だったからこそ「金持ち喧嘩せず」の精神で金だけ出していたのだ。
 最近のアメリカを見ても分かる所だろう。

 それがここのところそうではない。ご多分に漏れず自分も、自らの事を「真ん中」だと思っているが、その「真ん中」は20年前はかなりの右翼であった事は想像に難くない。

 その中でのこの論文。

 つまり、立場が逆になりつつあるのだろう。中国に自信と度量が生まれつつあるからこそ、こういう論文が出てくる余地が生まれたのだ。
 確かに、まだまだ狂信的なナショナリズムは中国に根強いと思う(文中にある、国賊として糞尿をかけられた女優の話が良い例だ)が、ちょっと前ならばこのような論文が日の目を見ることもなかったはずだ。

 個人的にはこのまま中国が発展を続けるとは考えていない。たかだか一ヶ月の滞在経験だが、上海の都市部と内陸部の農村を見ての、実感だ。上海は中国ではない。

 が、今中国が発展し続けている事までウソなのではない。

 文藝春秋が特集してるのは反日感情を叩き潰そう、日本のプライドを守ろう、という意識が多分にある。それは見ようによっては「右傾向化」という言葉で表せるのであろうが、それを当の中国人に代弁してもらおうとしてるところに、非常な哀しさを覚える。

 論自体がダメだ、というのではない。日本人にとって目新しい所は無いと思うが、非常に真っ当で「親日派の弁明」よりはかなり良質だと思う。

 そうではなく、そういう記事を見せられるたびに、「弱体化して敵を作りたがる日本」と「強大化して度量を持ちつつある中国」という構図が浮かび上がってくるのだ。否応なく。

 文藝春秋の編集者はわかってやっているのだろうか。意図とは正反対の効果を生み出すのだという事に。

 頑張れば頑張るほど見ていて辛い。もはや、読んでスカッとする段階ではないのではないか。

良かった

2003年2月12日
 携帯が戻ってきた。散々苦労したが、結局東京駅の落し物の中にあった。拾った人、ありがとう。

 しかし、電源を切られたのは何故なのだろう。

 一度停止した携帯の再開通にもまたも時間がかかった。携帯をもってるのに公衆電話を探すという理不尽。しかも、全然見つからない。最近は本当に減ったものだ。おまけにテレカなんてものも持ち合わせていないから、やけに大変だった。妙に繋がらないし。

 明日はアビバと富士ソフトABCの説明会があるのだが、どうやらどちらもブラックらしいですな・・・ 最近やる事にけちつきすぎ。

 そりゃ、情報を鵜呑みにしてはいけないが、離職率が高いところは往々にして怪しい。いや、怪しすぎる。ましてや中途の求人広告を出し続けてる企業なぞ、ありえない。

 ネットだって信用は出来ないが、弁護する論調が大体「そのくらいのサービス残業は当たり前」という言い方。そういう会社は本当に悲惨だ。会社がそういう態度を取るのは分からんでもないが、それを諦めるどころか、他人にも当たり前だと強制する社員がいるってのは本当に気持ち悪い。「性格の悪い優等生学級委員」どころか、奴隷根性の発露ではなかろうか。
 で、そういう社員が残ってそうでない社員が辞めていく、か。

最悪

2003年2月10日
 携帯無くす。どこに行ったのやら分からない。わずか10分ほどの出来事であった。電話かけてみると、最初は繋がるも次に保留にされる。終いには電源を切られる。

 駅で探し、駅員に話を聞いて、東京からUターンして戻ってきた同じ電車に乗り込み探すもなく、新宿駅へ戻っても見つからない。交番に駆け込み届けを出す。

 結局電話を止める。電源切られたって事は、拾ったやつは返す気がないのだろう。

 意気消沈して帰ると、小学館からダメダメ通知が。

 これはもう言葉も無い。

 携帯など、一ヶ月前に換えたばかりなのに。この状態だと、ドコモショップで機種変更せざるを得ないからかなり高くつく。電話代もあわせると、この二ヶ月で携帯にいくら費やしてるんだ。

 シュウカツさえなければ棄ててやるのに・・・

 ESも、去年と同じ様な内容じゃダメって事か。一年前にあれだけ搾り出して、それ以上に何をひねり出せって言うんだ。全く別の物を書けってか。

 もう、今から一人で飲んでしまおうか。

うーむ

2003年2月8日
 アビバの説明会に行ってきた。

 ぶっちゃけた話、ちと凹んだ。盛り下がった。

・仕事を実際にしてる社員は映像でのみ登場し、取り仕切るのは人事のみ
・その映像による社員に質問しての仕事の内容紹介も、通り一遍等。
・その社員にして志望の理由の一つに「誰もが知っているから」と知名度についてのたまう。普通はもうちょっと考えた答えを出すだろうに。まして録画なら尚更。
・サテライト説明会とか言って、風景を切り替えて遊ぶばかりの社長。
・わざわざ衛星放送まで使ったのに、3つのみの質疑応答。しかも答えになっていないような回答。そんなに時間が無いなら「放送をする時背景を変えるには、現実の風景は青いバックを持ってくる」なんて誰でも知ってる話をするな。
・教育は好きでないと断言した社長
・飛び入り営業はさせないですよと言いつつ客を取ったりより高い資格を勧めて受けさせた分だけ出来高制のシステム。そういう実力主義って。
・仕事の説明ではなく、宣伝に終始する映像。これが結構印象悪い。

 世の中こんなものだろうか。でもきっと受けておくのだろうなと思う。しかし、あからさまに営業スマイルで逆に感じの悪い人事は如何なものかと。営業なら営業に徹すればよいものを、途中でタメ語が混じってくるってどういう事だ。社会人としての常識が必要と言っていたのに。バイトの方がよほど気を使って敬語を使っている。

 説明会の段階なら伏字にする事もないか。

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