パターン

2003年7月4日
 オーソドックス、基本、慣例、型、パターン、マニュアル、定番。

 色々と言い方はあるが、これらは皆、決まりきった形の事だ。
 何故、その形がパターンとして確立されたかといえば、答えは簡単で、それが前例から考えて最も優れているからである。

 週刊少年ジャンプにおいてのこのパターンは、格闘マンガにおいて顕著だが、そのマンガ何本かを軸に、スポーツマンガとギャグマンガでわきを固め、お色気交じりのラブコメが1,2本という雑誌の作り自体もパターンだ。そしてパターンというのは非常に魅力的であるということは、漫画を読んだ事のある人ならよく分かるだろう。
 ハリウッドにおけるアクション映画や、水戸黄門、密室もののミステリもそうだし、スポーツも皆この部類に入るだろう。

 個性とか、独創というのはそのパターンの味を引き出す為に有効なのであって、その魅力を殺すような独創性など、何の意味も無い。ごく稀に、自らパターンを作り出す人もいるが、それこそが独創。しかし、それは本当に勇気のいる事で、パターンを踏み外して失敗する事は正に愚の骨頂なわけだ。

 『レベルE』を読んでそう思った。
 『幽遊白書』と『ハンター×ハンター』という定番の合間に挟まれたこの異端な作品を成功させた事が、作者のすごさを表している。
 これこそが作者のやりたい事なのだろうとは思うが、だからと言ってこの作者の才能がスポイルされたというわけではない。パターンを魅力的に描く為の味付けとしての個性の上澄みが、この『レベルE』で作品化されたという事だろう。全3巻という短さは、おそらくそのせいだ。

 TV番組にBGMを付けている仕事をしている友人の話を聞いてそう思った。
 暗いシーンや明るい場面で、それぞれ「こういう時はこういう音楽」というのがある程度あるだろうなと。しかし、葬式の場面でテンポの速い曲を使うといった奇策は、基本的にやってはならない事だろうなと。そんな事は個性ではない。そういう事をして人を納得させられる人は多分、鬼才なのだろうが、何十年に1人、だろう。

 個性的であることなんて、本来二の次であるべきだと思うし、個性的で「あろうとする」事はさらにその下を行く事だと思うのだが。

 
 スーツで来るべきところを私服で来い、と言われると腑に落ちない。
 初対面の人に対して好印象を与えるための、考え抜かれたパターンがスーツを着る、という事なんだろうに。
 それに効果を感じないのだったら、社内だけでも、自分から率先して私服にすべきだし、それが出来ないなら単に物分りが良い風を装っただけではないかな。

2003年7月3日
 マスコミ関係(意味の分からん言葉ではあるが)を目指す学生にとって、「マスコミ就職読本」はかなり有名だろう。採用データ等詳しく載っている本だ。MLも配布しており、マスコミ業界の採用情報がすぐにわかるというもの。

 創出版という会社が出しているのだが、この会社は、その姿勢がなかなかに腹立たしい。
 看板雑誌「創」は、最近は読んでいないものの、批判ばかりしつこく繰り返す雑誌であったし、4巻くらいから成る「マスコミ就職読本」には、立読みは許さん、全て買え、とへりくだる事無く高圧的に書いてある。内容的には全て買う価値は無く、自分が欲しい所だけを立読みして見極めて買えば良いという程度のもの。出版志望ならその巻だけを買えば良いだろう。

 前述したMLは、ホームページに行くと受け取る事が可能になるのだが、これがまた1000円の振込みを要求される。しかもそこには、これはマスコミ就職読本を買った人に対するサービスであるから、買ってない奴は来るんじゃねぇ、と不愉快な書き方で書いてある。
 サービスの一環ならタダにしろよ。そう思ったのは自分だけじゃなかろう。つまり、ML登録者が本を買うとは信じきっていないから1000円にしてるという事だろうが、正直に全て買った人はいい面の皮だ。

 マスコミ志望者は必死だから、たかがMLに1000円払って購読をする訳だ。確かに、いちいちリンクを辿らなくても採用情報がわかるというのは便利ではあるが、このMLの売り文句がまたひどい。 「人生を決める貴重な就職情報、たかが1000円くらいケチるな」
 といった内容だったか。たかが1000円ね。

 しかし、このMLが、当初の約束である頻度では来ない。週に2回という話なのに、
 「先週は月刊『創』の校了作業と重なり、1度しか配信できませんでした。申し訳ありませんでした。」
 という具合だ。それも度々。
 無料ならそれも構わないだろうが、金取っておいてそれはないのではないか。しかも、事前にではなく、事後報告である。
 言う事は言っておきながら、やる事やらない連中の情報に、信が置けるのか。

 インターネットでの情報はタダであたり前、という心理と、金を払った以上それなりのものを要求するという常識を無視してるこのML。
 たかが1000円ねぇ。

終戦

2003年7月2日
 昨日の小林宏之炎上と、今日の観戦敗戦によって、パリーグの火は消えた。消えてしまったよ・・・ 

 留年が決まった時より哀しい・・・

 もう、後の楽しみは渡辺正人と西岡剛のセカンドポジション争いと、澤井と初芝の新旧交代DH争い、リックショートの3割と、黒木の今年中での復活しかなくなってしまった。

 そんなにあるじゃないか、とは思わない。やはり、勝敗こそが一番の楽しみなのだよ。カブレラのランナー無しからの敬遠を非難する、物分りのよいふりをする、自称「真の野球ファン」と奴ばらめ。

 試合の中では、ルールに沿っている限り何をしても良いと思う。遅延行為だって、内角で危険な球でも。

 ただ、それを阻害するような試合の外での行為は否定したい。試合の外ではルールが無さ過ぎる。たまたま金が無い球団を好きになったばかりに、無力感を味あわせるためにスポーツは存在するのか。FAとはあえて言うまい。いつかの小池に象徴されるが、最近の井川や長田や、囲われて指名すら出来なかった選手たち。やるせない。

 言いたい事は山ほどあるが、今日はこれから、弔いの酒を飲むとしよう。

2003年6月30日
 最近の子供は外で遊ばない、だから外で遊ぶべきだ遊びなさい。というのは、その通りなのかもしれないが、何か引っかかる言い方だ。

 外で遊ぶのが、他の子と比べて殊更に好き、というわけではなかったが、それでも、たまには本を読みなさいとか勉強しなさいとは言われたものだ。雨の中遊びに行こうとして止められた事もあった気がするし、夜遅くまで遊んでいると怒られたものだ。

 外で遊ぶなとは言われてないが、外で遊べとも言われてはいないと思う。それとも、当時からやはり、子供を外で遊ばせろと新聞などには書かれていたのだろうか。

 「最近の子供」をひとくくりにしてはいけないだろうが、外で遊ぶ事を珍重するのはいただけない。外遊びを叩き込んだ上で(それもおかしな話か)、遊びすぎるなよ、と戒める方がよいのではないかな。外遊びをするような育て方や環境を作らずに、それを推奨しても。

 外で遊ぶという事は別に褒められるような事ではないのだから、それを褒めたり、持ち上げたりすると、外で遊ぶ子供と、そうでない子供の両方の精神に、よろしくない壁を作ってしまうような気がする。
 『スパイゾルゲ』がちょっとばかり気になる。

 内容や、俳優が気になる訳ではない。演出が気になるのである。もっと言えば背景。

 当時の日本の風景を、身近に感じられるような映像のように、予告編は見えた。そういうのを見ただけで、面白そうと思うよりも、当時を思ってぞくぞくする。

 緻密なCGも良いのだが、緻密な小道具に、雰囲気を感じられるような人々の歩み、車の流れ、そういうのを見ただけで涙が出そうになる。あぁ、当時の人々がここにいる、そう思うと感極まる。

 まさか本当に当時の人々を連れてくる訳には行かないが、それを再現する事はある程度可能だろう。この風景を、あの人が、有名人が、当時の人々が、そして自分の祖先が眺めて生きていたのだろうと考えれば考えるほど・・・たまらない。

 そうなると、もはや内容など関係ない。

 それを感じられない時代劇に興味は無いし、大河ドラマも全然感じられない。だから、たまにそういう映像に出会えると本当に嬉しくなる。見てないが、『壬生義士伝』もそういうにおいがあった。『ジャンヌ・ダルク』も実に良かった。

 歴史映画が好きなのは、多分にそういう訳、タイムマシーンに乗ったような感覚が味わえるからなのだろうな。

 織田信長や、チンギスハーンだって、物語の人物じゃない。生きて、飯食って怒って笑って。生身の人間だったわけだ。会ってみたくてたまらない。
 嗚呼、死ぬまでに一度で良いからタイムマシーンに乗って過去に行ってみたい。本当に。「あのラーメンが食べたい」くらいに、切実に心にある欲求。

歴史認識

2003年6月26日
 今、手元に中国で出版されている『中国歴史地図集』の、「元・明時期」編がある。のだが。

 「中国の領土」を太い枠で囲っておいて、その中で勢力の違いによって色分けをするという方式を取っている。例えば、三国時代ならば、万里の長城近辺と、四川のあたりに枠が囲ってあり、その中で三国が三色に色分けされる事になるだろう。
 極めて一般的な手法である。

 まず、日本が枠の外にあるのにはホッとした。一応属国扱いではないらしい。それにしても、明の時代、16世紀で戦国時代真っ盛りの日本の首都が「平安京」となっているのには頭痛がしたが。そもそもその他に都市がないし。

 半ば予想通り、半ば予想以上だったのがチベットの扱い。属国扱いを受けているんじゃないかと思ってはいたのだが、それは外れた。

 本国扱いだった。

 元代はともかく(それもかなりどうかとは思うが)、明の時代に本国扱いって、何が根拠になっているんだ。

 台湾が中国領扱いなのはまだ良い。きちんと領土になったのは清からで、それまではただの未開の地であったとしても、まだ良いだろう。

 次に不可解なのが、遊牧民族。オイラートやタングートが属国扱い。
 多分、現在自分の国に属している民族の歴史は自国の歴史、という考え方なのだろう。彼等にしてみれば明時代は分裂の時代のようだ。すると、いつが統一の時代なのだろう。
 そもそも、モンゴルの人達の歴史はどうすりゃいいんだ。日本に韓国人の人がいるからって、日本人の祖先が渡来人で韓国系だからって、韓国の歴史は日本の歴史なのだろうか。

 その延長で驚いたのが、チャガタイ=ハン国の扱い。属国扱い。

 チャがタイ=ハン国は中国ですか。
 ブハラやサマルカンドは中国だったのですか。

 さすがにイルハン国やキプチャクを属国扱いしてはいなかくて、少し安心。
 これに比べれば、北極海まで元の領土だったって、そんなに衝撃は無い。しかし、だ。それにしても

 樺太まで中国とは。

 これはなかなかに衝撃だった。彼等にとっての「領土」とは何を意味するのであろう。日本は西だけじゃなく、北も中国に囲まれていたのだなぁ。

 正しい歴史認識と、誤った歴史認識。なかなか難しい問題だが、とりあえずモンゴル人は怒って良いと思う。

学内法

2003年6月24日
 例の、28歳で大学2年生とかいう実に頭の悪そうな顔をした男のせいで、いやな思いをしている。ゼミの先生は勉強会の席である中年女性に「うちの子はおたくの学校に憧れて目指していたのに、もう行かないと言っています」と責められたとか。
 更に

 なんでうちの婆ちゃんにまで「早稲田は悪いねぇ」などと責められねばならんのだ。

 気持ちは分かる。やった事そのものが腸煮えくり返るような事なだけに。
 「大学の自治」を謳うのなら、学校の名誉を毀損した罪で更に訴えてみるとか、もしくはこういう時の為に国内法ならぬ「学内法」を作っても良いのではないかな。禁固とか懲役、罰金は無理としても、何か屈辱的な事をやらせるというのはどうか。

 額に「肉」の刺青を彫るとか。

 「そういうやつ」だってことが遠くからもわかって良いのでは。

 きちんとした学内法さえ作れれば、少年法の問題も解決しないだろうか。私立の中学、高校はそれを徹底すりゃ差別化も図れるし、あんまりひどいのだと生徒が集まらないだろうし。

 問題があるのは承知してるが。

 これでまたサークル活動が制限されるのだろうな。

プレイボーイ

2003年6月23日
 連れと、ポツリポツリと雨の降る公園で爽やかにバドミントンをしていたところ、女の子に見つめられてドキドキ。
 8歳くらい。

 実に興味深そうな、あえて言うならおもちゃ屋の前でゲームの実演でも立ち止まって見ているかのように視線を注がれた。当然のようにその5分後には3人でかわるがわる遊ぶ事に。

 非常にやりたそうなのに、一回誘っただけでは乗ってこず、三回めでやっと頷いたところに、これが名高い「三顧の礼」かと思ったりもしたが。

 小学生は実に人に慣れるのが早い。良く言うと。悪く言うと、あっという間に付け上がる。一時間後には、
 「おまえ!来い!」

 本人曰く、「将来は男になりたい」そうな。突然奇声を発して、猿の真似するのを目の当たりして、彼女の中の男のイメージはこんなのなのかと、複雑な気分。
 それでも、飲み物をあげたら「ありがとうございます」ときちんと言ったという部分に感心した。 
 
 それにしても、実に遊んだ。よく遊んだ。遊ぶと言うのは何も金をかけるような事をするのではないし、金をかけないような事をこそ、本当に「遊ぶ」と言うのだと認識。

 バドミントンに、ブランコの二人乗り。滑車から垂れた紐にまたがって小高いところから勢い良く降りていく遊具。終いには、両手を持って、その子の体が宙に浮くくらい振り回して遊ぶ始末。


 たっぷり三時間は遊んだだろうか。二十歳過ぎが着いていけないくらいに、はしゃぐこういう姿を見ると、子供が外で遊ばない、というのが馬鹿らしく思えてくるから不思議だ。
 いや、実に面白かった。
 
 そして、子供という生き物の懐かしい行動パターンの数々。
 ・道路の白線だけを踏んで歩く
 ・突然木と木をこすり合わせて火を起こそうとする
 ・何か質問をすると、「普通」と答える
 ・秘密基地の存在を秘密にしない

 そして
 ・過去に執着しない。遊んだ相手の名前にも興味を示さないし、写真を沢山とるわりに、それをもらおうとは思わない。

 子供をさらいたくなる気持ちも分かるというもの。

疑問

2003年6月20日
 旅行先で、韓国人にはよく会う。話をする確率も割合高い。食事を共にする事も、隣のベッドで寝る事も。それで思う事と

 新書の、それほど重い研究本ではない韓国人一般についての本なんかを、パラパラと読んでて思うのは

 韓国人にとって日本人とは「外国人」なのだろうかという疑問。 

 日本人にとっての、中国人やフィリピン人やタイ人、台湾人あたりに対する見方と韓国人に対する見方の差と、韓国人にとってのそれは、随分違うように思える。

 外国人、ねぇ。

普通分からない

2003年6月18日
 卒論しかしていないので卒論の話を。
 
 マルコ=ポーロの『東方見聞禄』を資料の一つとして使用しているのだが、これが実に困る。そもそも、マルコ=ポーロは実在したのだろうか。

 万里の長城は元の時代にはほとんど存在しなかったから、記載されていなくともおかしいところはないし、モンゴル人や色目人に囲まれていたのだから、纏足に気がつかない事もあろう。都市の知事をしていたなどという話は嘘であっても構わない。しかし、だ。

 元史に記述が無いというのはかなりきつい。

 耶律楚材に関して集史に殆ど記載がないという例もあることだし、そういう事もあるかもしれない。フビライに仕えたのがほら話であって、他は一応事実に基づいていると信じたい。

 資料批判は必要で、鵜呑みにする事はしないが、これに関してはそうでないと、そもそもの前提が崩れてしまう部分が有る。かといって東方見聞禄の真偽判断などしてたらそれだけで卒論になってしまう。それが本当に分かったら賞が取れそうなくらいだ。
 だから、本当であるという前提で書き続けるしかないか。気持ちは悪いが。
 
 
 そして今日もまた困った記述が。

 元史十八成宗本紀至元三十一
 庚寅 , 必察不里城敢木丁遣使來貢

 カイドゥの乱の真っ最中のニシャプール(必察不里)から使節が来るってのは一体どういう事なのだ。 

卒論

2003年6月16日
 googleで検索すると、「よく似たページは表示されない」らしいのだが、どう考えても似ていないページまで一緒くたにされて表示されないのは困る。 だからと言ってgoogleが使えないかと言えばそうではなく、むしろ他は使わないくらいなのだが。

 しかし、卒論の為にパソコンを使っていると、日本語のページは使えない事が多くて困る。さりとて、下らない内容の可能性が非常に高いホームページなど、いちいち訳そうとは思わんし。エキサイトの翻訳機能は歴史用語には全く歯が立たない。

 そもそも、英語力が足りないからな。

 翻訳ソフトが欲しいと切実に思う今日この頃。中国語版も欲しい。

 卒論なんぞ書いて、一日中パソコンとにらめっこしてると更新意欲が湧かない。
 しばらく休止するかもしれない。

 連敗でストレスはたまるし。

ネタとしては面白い

2003年6月15日
 穴埋めにこんな記事を

―――――

ニューヨーク(CNN) 米国のトラック運転手組合は13日、コカコーラ社から解雇されたカリフォルニア州の男性運転手の問題に触れ、勤務中にライバル会社の製品ペプシを飲んだためとするコカコーラ社の言い分は理解出来ないなどとして抗議した。


組合側によると、解雇されたのは12年間、コカコーラ社で働いていたリック・ブロンソン氏。同氏は、店への配達を終わらせたところで、ペプシを購入し、休憩に入って飲用していた。この様子を目撃していた人間がコカコーラ社に報告したとしている。ブロンソン氏は、コカコーラ社の制服を着用していた。


解雇処分についてコカコーラ社は、ブロンソン氏の行為はコカコーラ社と同社の製品を中傷したもので、同社の方針に違反するためと説明している。


コカコーラ社は、ペプシを飲んだら解雇されるのかとの質問に対し、「議論すべき問題の一つ」と答えている。経営側は、従業員や組合関係者と会合を適時開き、従業員の行動などについて話し合ってきたした上で、次回の会合で、この問題について話し合うと述べた。


これまでにペプシを飲んだことを理由に解雇された従業員の例は報告されていない。ブロンソン氏は、過去の勤務で処分などは受けたことがなかったという。


同組合はまた、ブロンソンが解雇された理由は、非組合員に組合加盟を促したためと主張している。しかし、コカコーラ社は「従業員の団結の権利を尊重する」として、組合側の言い分を否定している。
―――――――

 コーラを好き好んで飲もうとは思わないが、これでクビという事になると、TV局勤めは大変だな・・・

兄弟

2003年6月14日
 松井は、順調に290に8,9本塁打程度打っていたらそれ程気にならなかったろうが、あまりにも打たなかったせいで、最近はかなり気になる存在へ変貌を遂げてしまった。

 松井4号ホームランの報を聞いて、うちの母親曰く
 「あらあら、よかったわねぇあの子は。」

 誰が「あの子」だと思ったが、心境はよく分かる。イチローに関してはもはや畏敬の念しか沸いてこないが、松井はそうではない何かがある。
 いや、何かが欠けているのかもしれないが。

 実年齢は逆にもかかわらず、松井には、おっとりの努力型で、親の期待に応えようとするの長男の雰囲気が、イチローには、しっかり者で扱い辛いが勉強はよくできるの次男の雰囲気がある。他の日本人メジャーリーガ―達と合わせて、日本代表チームのように思える時がある。だから、一人一人がどうという気がしないかもしれない。

 新庄はあからさまに末っ子で、野茂なんかは年の離れた生き別れの兄さんのようだ。などと考えていると、ちょっとニヤニヤしてしまうかも。

 してみると長嶋は、孫のうち1人だけを偏愛するちょっと困った金持ち爺さんといったところか。

ホップ

2003年6月12日
 最近、卒論のためにパソコンを使い過ぎて目が痛い。対策のためにサングラスを買ってみたのだが、初めに買ったそれは色が薄くてあまり役に立たず。仕方が無いから色が濃くて黒いものを100円ショップで買ってくる。
 なかなかいい具合だが、これを買って、つい鏡の前で

 戸愚呂気取り

 ・・・最近幽遊白書が面白いなと。家のケーブルテレビでついつい見てしまう。なのに出来ないものかと試してみるのは何故か

 メドローア

 何やってるのだろう。
 メラも唱えられないのに。

 まぁ、出来たら出来たでどこか研究所に連れて行かれて解剖された挙句異端として迫害されついその力を使ってしまったがために生きていけなくなり一人寂しく死んでいくのだろう

 と

 小学生の頃半ば本気で考えていた自分。だから友達とカメハメ波の練習をする時、実は

 ちょっと手加減していた。

  
『日本語誤用・慣用小事典』を読んでみた。ちょっと古い本なのだが。

 読んでみると、それはあんまりだろというような誤用が目を引く。著者は若者を舐めすぎじゃないかと思ったりもしたし、91年という時代がそうさせたのかもしれないとも思ったが、どうなのだろう。「気が置けない」と「気が置ける」などはよく聞くが、実際に間違って使っている人を聞いた事が無いのだが。

 とは言いつつも、思わず沈黙したり赤面してしまうような例もあったので、恥をしのんで公開しよう。

 ・「おざなり」と「なおざり」
 おざなりは、不真面目でも、とにかく何かに取り組む場合に用いられるが、なおざりの方は必要な事をしない場合に用いられるらしい。「修理をおざなりにした」は不十分であれ修理をした場合に使われるが、「修理をなおざりにした」はほったらかした時に使われる。

 ・「お世話様でした」と「お世話になりました」
 前者は、別に世話になっていなくとも儀礼的に使う、という言葉らしい。様をつけたから丁寧になるというわけではないとか。

 ・「解熱」と「下熱」
 「下熱」はパソコンでも出なかったが、「解熱」
は熱を下げる事で、「下熱」は熱が下がる事だとか。

 ・「食間」
 食べている最中ではない・・・わかっていた様なわからなかったような。食べる前にも後にも食物が胃にあっては不都合な薬の時には食間が使われるらしいが、これは分かりにくくないか。

 ・「故障中」
 こんな言い方はしないとか。人間が活動してるわけでもないのに「中」はつかない、単に「故障」で良いらしい。言われてみるとそうだが。

 ・「読み出すうちに」
 「読み進むうちに」の間違い。「読み出す」は一時点を含む言い方だから、「うちに」とはそぐわない。結構使っているかも。

 ・「寸暇を惜しまず」
 分かっていても、使ってしまっているかもしれない言葉。寸暇は惜しむものである。

 ・「汚名挽回」
 挽回するのは名誉であって、汚名を挽回してどうする。汚名は返上するものだが、これも分かっていながらついつい、という言い方かもしれない。

 ・「押しも押されぬ」
 正しくは、「押しも押されもせぬ」。これは確実に使っているな。ただ、別に構わないのではと思ってしまうのはまだ若い証拠だろうか。

 ・「体調を壊す」
 「体を壊す」もしくは「体調を崩す」が普通なのだが、これもやばい。良いじゃないかと開き直ってみる。が、折角だから言葉は正しく使いたいかな。

 ・「的を得る」
 「的を射る」と「当を得る」の混合のようだが、分かっていてもという部類に入るか。悔しくすらなってくる。

 ・「波紋を投げる」
 「石を投げる」と「波紋を広げる」の混合。目からうろこと言うか、叫びだしたい気分。

 ・「話題を集める」
 「注目を集める」と「話題になる」の混合だが、この頃になると著者も肯定的に捉え始めてはいる。しかし、言われてみるとそうだな、と思う事には変わりが無い。一般的だが、マスコミやら作家はいい加減なものだ。
 
 ・声を「荒げる」
 正しくは「荒らげる」。もはや正しい形を知りもしない。そうだと聞いてもピンとすら来ない。日本語は荒廃してるのか。

 
 意外とたくさんあったものだ。ネットとはいえ仮にも人前で文章を書くからには、こうした間違いには気を配っていきたい。言葉とは常に進化しているものだから、どれも単純に間違いだとは言えないかもしれないが、それは違うと聞いて、「あぁそうか」と納得するものに関しては、開き直らずに改めていきたいなと思っている。
 最近、自分を皮肉る方向にばかり思考が進む。

 他人を皮肉る事も良くないのだが、それが自分にも及んできて、よろしくない。
 他者や出来事を皮肉って、そして、そんな事をしている自分を皮肉る。何やってるんだと、その循環を皮肉る。
 もう少し素直になろう。心に余裕を持って。
 虚心坦懐。

 そんなわけで

 やっったぞロッテ6連勝で、5割復帰。3位西武とのゲームさ僅かに1。
 
 どうせ負けるんだろうとか、連勝の後に連敗するんじゃないかとか、勝ちを喜ぶと負けるのがパターン、とか。そういう思考回路を捨てて、素直に喜んでおこう。このまま上位戦線に殴り込みだ。パリーグは3強3弱とか、試合もキャンプもろくに見ていないのにほざいていた連中見てろよ。ローズはどうせダメだとか言いながら、ローズが抜けたからロッテはもうダメだとかワケの分からん事を言っていた連中め。

駄文

2003年6月9日
反権力ってのはカタルシスを生む。
 邪悪な魔王や暴虐な君主に立ち向かう市井の英雄、なんて図はその典型である。立身出世の物語なんて言うのもその範疇に入るだろう。それまで遠い世界にあって自分を見下してきた権力に、自分(主人公)を認めさせるところに快感が生まれる訳だ。
 水滸伝などは、その両者をともに備えているから名作なのだろうな。

 エンターテイメントの世界はそれで全く問題が無いのだが、新聞などにこれをやられるとちと困る。

 野党的精神や批判精神は勿論、無くてはならないものなのだが、それ自体は非常に非生産的なもの。言うなれば外から見ている者の「ぼやき」に他ならない。民主主義にとって重要なのは、国民一人一人がいかに国政に参加するか、そして意見を反映させるかであり、メディアはそれを後押しして、国民の判断を助ける必要があるわけだ。
 言い換えれば、メディアそのものは判断をする必要はない。判断そのものはあってもいいのだが、それを幾つも並べた上で、どれを取るかを読者に判断させるのが筋ではないか。

 「ぼやき」をやられると、その判断に困る。批判は構わないのだが、それだけでは民主主義の重要点、「参加すること」は満たされないのではないかな。情報だけを伝えるという意義は、TVやインターネットの発達で完全に失われたのだから、シンクタンクの性格をもっともっと持つべきだろう。それも多面的な。「反権力」によって読者にカタルシスを与えても仕方があるまい。権力を毛嫌いするのではなくむしろ、よりよい権力を作り上げていく方向をこそ目指すべきではないか。

 だから、社論が決まってしまっている今の新聞てのはどうなのだろう。読者の意見によって新聞が選ばれている今の状況は。判断は、新聞を読む事によって作られていくものだから、本末転倒ではないのかな。

旅行計画

2003年6月8日
 この夏にまたどこか、旅行に行こうと思っている。

 当初の予定は東南アジア一周。ベトナムから入ってインドネシアから出ようかと。アンコールワットとアユタヤ、ボロブドゥールを見ておきたかった。

 しかし、折からのSARSで断念。そこで目的地に急浮上してきたのがメキシコとエジプト。ピラミッド繋がり。

 考えた末に、エジプトにしようかと。メキシコは、物価が高そう。

 で、折角だからエジプトだけにいるよりも、どこか他の国にも足を伸ばしてみようかと調べてみる。イスラエルからトルコに北上するか、船でギリシアか。
 まず、舟がコストの関係で断念。次に、イスラエルを通って北上というのは、かなり面倒臭いという事が判明。行って行けない事はないのだが、パスポートにイスラエルの入国印があると、アラブの国々は入国を拒否するらしい。そこで、別の紙に押してもらうよう交渉する必要があるのだが、その交渉をする語学力に自信がなし。別に、難しい事にあえて挑んで喜ぶようなアドベンチャー野郎ではないし、あえて不穏な国にいってそれを武勇伝のタネにしようとも思わないので、これも断念。

 そうして浮上したのがマレーシア航空を使って、クアラルンプールで10日程度降りようかというプラン。一時はかなりこれに傾きかけた。

 しかし、どうしても航空券代がかさむ。往復で14万を計上したその支出に、懐は耐えられない。
 しかも、結局東南アジアに行くではないか!という事で、結局元の計画、東南アジアの旅に落ち着く事に。

 どうなるかは未定だが、学生最後の夏休み。うまくいくと良い。計画も日記のネタになろうし。

2003年6月5日
 全く消息の知れない友が二人いる。

 一人は理系の大学を中退した男。何度電話をしても、何度メールを打っても返事がなく、死亡説すらささやかれた男。二年程して、連絡を取る事に成功し、二回ほど一緒に飲んだのだが、安心したのもつかの間、それっきりまた一年連絡が取れない。番号もアドレスも変わっていないのだが。 

 彼は、どうやら中退した事を非常に気にしているようだった。高校の友人達は、殆ど全員が大学に行き、そして昨今働き出したり、進路を決定したりとしている。
 それに、合わす顔がないと思っているのではないか。それを匂わす節があった。二回ほど飲んだ時も、そういう事を言っていた。アドレスが変わっていないのは、自分達とケンカをしたのではなく、そういう心情を表しているのではないかと考えている。

 もう一人は、浪人5年目という男。
 どうやら家の方にもごたごたした事情がある様だが、基本的に本人の責任だろう。浪人は。それを、「オマエ何やってんだ」とさすがに今年問い詰めてみたのだが、音沙汰なし。実家に電話をかけても常に留守電。日中でも、夜10時でも。

 20歳を過ぎて何年も経ち、高校時の記憶も薄れてくると、こういう奴も出てくるのだろうか。それにしても、連絡を「取る事が出来ない」ってのは。
 働き出すと、もはや何も出来ないまま風化していきそうだから、ここらで何かアクションを起こしてみるか。

学生野球

2003年6月3日
 早慶戦を見に行った。

 慶應のそれに比べて、早稲田の応援があまり盛り上がっていなかった。勝っていたにもかかわらず、声が出ていなかった。一般席に座ったのだが、学生席の連中が高校の校歌を歌うかのように、自信なさそうに、ぼそぼそ声を出しているのが気になった。多分、応援団がよろしくない。どんな応援をしたくて、それはどういう風にするのかがあまり伝わってこなかったから、そのせいだと思う。
 しかし、何か申し訳ないような気分になってくるんだな。一生懸命やってるのに報われていない様子を見ると。声だしてやれよ、と思いつつ座りながら観戦する自分。
 それでも、試合の展開が展開であった為、終盤は少し盛り上がってきたが。
 何にせよ、勝って良かった良かった。

 しかし、早稲田は和田が加われば、プロ相手でもある程度やれるんじゃないかと思ってしまった。和田から越智、清水のリレーに青木や鳥谷、比嘉、由田、田中、武内か。下級生の連中が4年生であるという仮定を立てるならば、オリックスや横浜相手に勝てそうだ。・・・ロッテも負けそうで恐いな。そもそも、和田が打てないか。

 越智は148キロを幾度か出していて、良い投手だなと感心。ただ、最速148の、その何球かが四球になったり打たれたりと。多少遅いほうが打たれないという問題はあったが。ま、将来が楽しみ。まだ2年生か。

 たまにはロッテのこういう試合が見たい・・・

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