伝統

2002年9月21日
 千葉マリンで、これで西武の優勝が決まるかもしれないという試合を見てきた。

 ところがどっこい、ロッテの意地を見せるような連勝で、眼前での胴上げ阻止に成功。実はと言えば、今年の西武の圧倒的な強さに見に行くのを躊躇していたのだが、良いものが見れて良かった。と言うよりざまぁ見ろと言うのが本音かな。

 そんな本音はともかく、ピンチの場面でのカブレラの場面で一回も四球がなかった、しかも抑えたというのは本当に良かった。見ごたえがあった。

 初戦は見事にHRを打たれたが、あれはまぁご愛嬌というもの。

 このチームのM1に対するチームに対する強さ、胴上げ阻止の強さってのは本当に伝統的なもので、思いつく限りでも「近鉄の10・19」の時や、95年に対オリックス、相手がM1から三連勝で地元胴上げ阻止、00年に対ダイエー2連勝で千葉での胴上げ阻止などがある。

 その伝統が今回も発揮された事に満足。確かにナイターでダイエーが引き分けた為に優勝はされたが、デイゲームで黒星をつけたために球場での胴上げは阻止した。

 まぁ、なんというか非常にネガティブな強さで、たまには阻止される方になってみたいというのはあるが、そういう時も弱いよりはいくらかましだろう。そういう個性が好きなわけで。

 そう言えば喜多がファームで3割前後を打っているようだが何故出てこないのかと思ったら新人王の資格がなくなるまで後9打席であった。
 つまり、来年以降新人王を獲る為には後8打席までしか1軍で打席に立てないわけで、それが良いのか悪いのかは分からないが、まぁ成る程なと。多分、ファームで首位打者を目標にしているのだろう。その後スタメンで2試合になるか、途中交代で数試合になるかは分からないが。
 週刊誌は予想通りというかなんと言うか、首相を攻撃。新潮なんて「歴史に残る愚行」って・・・

 反面アンケートの結果は8割がある程度以上支持する、だっけ。いい加減にした方がいいんじゃないか、週刊誌やら夕刊紙やら。

 いつまでも数十年前の「権力=悪」って日教組仕込みとしか思えないような単純な記事構成にしてるといざ政府を批判すべき時になって説得力を失う(既にないか)と思うのだが。

 労働者としての立場を確保する為組合を作って公権力と戦った日教組。それが為に生徒には自らの敵たる権力に敵対するように教え込んできたという一面は否定できないだろう。その影響が、その当時の子供達である世代に未だにずるずると残っているように思える。

 だからまぁ、いかに今回のような8割が支持するような事でもとりあえず政府攻撃をしておけば共感とカタルシスを与えられて安泰って事なのだろうか。

 そりゃ、政府の御用新聞みたいになっては困るわけだが、冷静に評価するべき所はしておかないと、やはり反対した時の説得力がない。

 確かになんでもかんでも「元をたどれば政府が悪い」みたいな言い方をする人が多いという需要があるのも事実ではあるが。

 しかし、今回の件はなあ。拉致したのは日本政府じゃないし、助けられないってのはこれはもう国際情勢鑑みてどうしようもないわけだし。それこそ助ける為にはもっともっと軍隊強化なり核武装なりしていなければならなかっただろうから。まっとうな交渉で返してくれるような相手なら拉致なんて事はそもそもしないだろうに。
 今回の件も言わば兵糧攻めの結果なんだから、それを10年20年前にしろってのは無理な話。

 このまま北朝鮮を放っておいたら政権崩壊→難民大発生&大流入で大混乱・やけっぱちでミサイル発射なんて事になりかねないんだから、そういう足元を見てある程度のコントロール下に置くのはよいことだと思うがな。ペナルティーはなさ過ぎると思うけど。そんな中で段々と拉致問題解明していけばいいのだから、そんなに今回の件は政府は悪いか?
 目を国内から国外に向けさせた目くらましだってのも何だか。外交にもタイミングがあるだろうに、国内にかかりっきりでそっちを無視する方がよっぽど。

 素人考えなんだろうか。

 日本人は判官びいきって言われるけど実は違うんじゃないか。
 巨人を嫌いな人は少数派なつもりでいるけど実は今はアンチの方が全然多いわけで、自分を弱者と規定する多数派が数を頼んでるだけ、っていうのが政策批判にも現れてるように思う。

 ヨイショするのを読みたい訳ではないが、もっといろんな視点が合って良いと思う。どんな悪法でも一面から見ればよい部分もあるのは当然なんだから。

やきう

2002年9月18日
 マリンでの対近鉄戦を観戦。

 あれよあれよという間に7点も奪取。しかもホームラン無しの全てタイムリー。

 カタルシス。

 日々の不安とストレスが解消されるな。こういう試合が見れると。堀さんの猛打賞でお立ち台なんてびっくらこいた。

 駅ではシコースキーを目撃。あまりにも普通にたたずんでいたせいか、家族団らんを誰にも邪魔されず、一見NOVAの教師風。

 

訪朝

2002年9月17日
 人をさらえばそれがカードになるってのはどうなんだろ。それじゃあさらったもん勝ちってことか?

 国と国との問題だから個人レベルのように話は進まないのは当然なのだろうが、どうにも釈然としない。

 人間さらいました。
 もう死んでます。(殺しちゃいました)
 教えてやったんだから金をくれ。

 それで良いのか。賠償金とは言わないが、何かペナルティーを課さないで良いのか。

 イラクの査察受け入れもあり、色々とあったから明日の新聞はじっくり読むとするか。

 西武は、今日優勝じゃなくて良かったのでは。

苦労

2002年9月16日
 光文社の課題作文、「私は出版社でこんなことをしてみたい」。

 苦戦中。今更こんな初歩的な質問に。
 この会社の出版物を考慮に入れて書いてみて、「本当にこれがしたかったのか」と考えてしまい、やりたい事をあらためて考え直し、それで書いてみるも、突き詰めれば突き詰めるほど「こんな事で通るのか」と思えてならない。

 「光文社でこんな事を〜」だったらそんなに悩まずに書けたのに、「出版社で〜」だと変に考えてしまう。嘘がつけないというかなんと言うか。

 例えばいろんな作家に会ってみたいというのも、それは嘘ではなかろう。そんな事は書けないが。そうやって取捨選択していった最後に残ったものは、はたして「書ける事」なのか。そこまで高尚な動機で志望していたわけではない。

 そんな事は書けない、と思うのだが同時にそんな志望動機で何が悪い、とも思ってしまう。多分、そんなへそ曲がりだから落ちてるのだろうと薄々気がつかないでもない今日この頃。

雑感

2002年9月13日
 ・気を使う事は出来ても、心配りは出来ない人間っぽい。自分は。気を使ってるつもりは無いんだが、「気を使いすぎ」と言われる事もしばしば。それでいて、更に自分でも・・・と思うような気の使い方をする事も。
 でも心配りは出来ませんでしたとさ。

 ・「逆転裁判」面白い。卒論の為学校に行こうとしてたのをやめてしまうほど面白い。カプコンからGBAで発売中。

 ・年金の支払延期の手続きをとっていなかった。忘れてた。こういう場合、払う羽目になるのか、それとも将来もらえる額が減るのか。

 ・ロッテ山本監督続投。ここではこれから徹底的に

 擁護

 したいと思う。
 いや、素晴らしい監督ではないが、ネット上に無責任な罵詈雑言と、その尻馬に乗る言い草が多く、正直むかついた。自分の言いたい悪口を「チームの為」という正義に包んで得意になっているというのは本当に気持ち悪い。おいおい書いていこう。

 でも、メイは残してくれよ〜。

昨日の事

2002年9月12日
 うちのバイトは基本的に女権が強い。量的にも、質的にも、酒量的にも。

 そんなバイト、既に辞めてしまったのだが一人暮らしの同い年の女の子がいる。その一人暮らしの部屋で遊ぼうかという話になった時に、「男の子は部屋にはあげないことにしてるからダメ」と、そう言われたそうだ。結局女だけで遊んできたのかどうかは聞かなかったのだが、そう言われた事、男はダメらしいという事を昨日会った友達から聞かされて

 「君なんか別に発展性があるような男でもないし、何もあろう筈がないんだから別にいいのにね」

 ・・・

 そりゃ、確かにないかもしれない。いや、無いだろうが本人目の前にしてそれは無いような。けろりと言われても、ちょっと。別に浮気をしたいとか考えている訳ではないが、何か微妙なところはあった。

 面接官「君という人物を一言で言い表すならば?」
 自分「はい!『人畜無害』です!」

 ・・・何のアピールにもなりゃしないな。

 この言葉から面接ウケする長所をひねり出せる人募集。

911と大義名分

2002年9月11日
 2001年の9月11日から1年が経ったわけで。

 1年前のことは、以前にも書いたからよしとして。

 アメリカの正義がまたまたクローズアップされていたりしますが。

 正義って何だろう、とまたも色々と言われてはいるが。

 そんなものははじめから存在しない、と。

 はじめからは存在しないけど、後から存在したものとでも言えばいいのか。

 人を殺す事は悪い事。最低限これを守ることは「正義」と呼ぼうじゃないかと。そこくらいじゃなかろうか。
 何故かと言えば、お互いがお互いを殺そうと狙っている、あるいは殺されるのではないかと常に脅えている世界ではそれを防ぐ為にエネルギーを使いすぎてしまい、楽しい事が出来なくなるから。皆で、それはやめておこう、と。

 って説明しか出来ないと思う。

 それで、一般に正義というと利益もしくは国益の事を指す。
 アメリカの正義とはアメリカの国益の事で、どこを攻撃しようともそれがアメリカを利するならばそれは正義だろう。無論、短期的にではなく声望なども含めた長期的な意味で。
 奴隷労働はそれを使う事によって得られるものよりもそれによる長期的なマイナスの方が上回った時に不正義になった。

 で、アメリカの正義は独善的だとする正義は当然非アメリカ人の利益の為であるわけだから、そこには基本的に何の差もない。国際協調も、それがそれをした人の利益になるから行われているわけで、つまりそれが正義だって事。それに従うと不利益を被るアメリカ人にとっては当然それは不正義なわけで、利益の方が大きくなるように持っていけばそれは正義になる、と。

 だから観念的な意味で正義がどうだの言ってもしょうがない。アメリカの正義に騙されるな、とかそういう番組が多い様な気がするが。騙すも何もそれがアメリカ人にとっての正義なのは事実なのだから。
 アメリカの正義に騙されない事が利益を呼ぶ、もしくは不利益をもたらさないからそれはつまりまた一つの正義なのだろう。それはそれでいい。

 いいんだが、結局同じ穴のムジナだって事を理解しているのだろうか。

 ただやはり、個人レベルになった時、正義をバックボーンにすると途端に態度が変わる奴というのはどうにも。

 それは「正義を旗印に何をしてるんだ!」という正義を背負ってる人もそうだし、「こういう批判はチームの為を思ってるからなんだ」と言っている人もそう。

 個人レベルだから気になるってことだからやってる事は同じなのかもしれないが。腹が立ったからって事をそんなにオブラートに包まないでも良いじゃんと思う。

 まとまりがないな。

ペルソナ

2002年9月10日
十二国記を読んだ。

 とはいっても最初の一冊だけではあるが。

 なかなかに面白い。なるほどなといった感想。書評で取り上げられるのがなるほどなと。

 ただ、学校での描写が気になった。
 友達は要するに皆、上辺だけの付き合いだと。合わせているだけで実は友達なんかではない、と。自分もそうやってそれぞれの場で自分を作っているのだ、と。

 最近そういう話がやたらと多い気がする。そういうのが受けるんだろうか。「本当の自分を〜」とか「素顔を出していない〜」やら。

 良いじゃないかと思う。取り繕ったって。取り繕ってる自分もそれもまた一つの自分だし、本当の自分なんて素晴らしいものがどこかにある、なんて無根拠も甚だしい。

 ましてや人間関係なんてそんなものだ。人それぞれに合わせた自分というものがあり、それは当然である。学校の先生に向けた自分と友達に向けた自分が全く変わらない人間なんていないのと同様、どんな人に対してもその人用の、自分がある。それぞ
れが全て本当の自分だ。上っ面の自分もそう。その上っ面を選んだのは自分なのだから。

 上っ面で友人関係が始まるのは当然だ。初めから親しくなど出来ないのだから、親しいような顔で付き合っていく。けど、いつまでも上っ面というのはありえない。
 人は、その制服に合わせた自分になるもの、とはナポレオンの言だったか。この場合の制服とは様々な場合に当てはまる。いいじゃないか、上っ面でも。それが段々と自分になっていくのだから。

 本当の自分を、という考え方は嫌い。そういう風に考えている自分もまた自分であるはず。
 
 仮面をかぶることを疎んで、素の自分を見つけたい、あるいは作りたいと考える。仮面の複合体が自分であるに過ぎない。たまねぎみたいなものだ。全部中身だって事。

 十二国記自体は十二分に面白かった。

 実世界で内気で傷つきやすくて、異世界で冒険をして人の優しさに触れて、実世界に帰ってメデタシメデタシ。
そういう典型的なファンタジー(玄人からは嫌われる)話から2捻りくらい加えた、という印象。

 これが高評価なのはよくわかる。よく分かるのだが、これが高評価ならやはり、ライトノベルは色眼鏡で見られているのだなといった感じではある。

 一番最初に普通に「魔性の子」を出したのが良かったという事か。

 
 

2002年9月8日
 近所の本屋に行きがてら、ぶらぶらと散歩をしていたら前方に犬を連れたおじいさんを発見。そのおじいさんとすれ違う形になった車の中から、小学生くらいの子供が突然顔を出して
 「こんにちはー!!!いぬかわいいですね!!!」
 叫んでた。
 ビックリはしたが、悪い事ではないような。ような気がしたのだが、当の爺さんはなんと、舌打ちをしながら車を睨みつけてましたとさ。

 いろんな爺さんがいるという事。

 年を取るのは悪い事ではない。爺さんになるのはそう捨てたものでもないと思う。
 だから、「若いうちに死にたい」とか「〇〇歳で死ぬ予定」とかいう言い草が好きではない。

 若い=素晴らしい 
 年寄り=そんなになってまで生きていたくない

 そういう図式は嫌いだ。年を取る事によってわかることもあるだろうし、逆に自由になる事も多い。今考えてもちょっと前の自分に恥ずかしいと思える部分が多いのだから、年を取れば取るほどそれは顕著だろう。そんなに恥ずかしい自分が良いのか。

 まぁ、そう言いながらもやはり、高校野球が全員自分より年下になった時には年を感じたものだし、中年になるという事(早いか)は悲哀を感じないでもない。

 だが、若いうちに死にたい、なんて気持ちは全く理解できない。人生の一番良い時と言うのはその時に気付くのではなく積み重ねを最後に振り返ってみて初めてそう思うものだろう。ひょっとすると黄金期は還暦後かもしれない。そういう積み重ねを否定して、〇〇歳になったら死にたいなどというのは理解できない。

 もっと単純に、爺さん婆さんは好きである。ああいうのも悪くないと思う。悠悠自適って良い。そりゃ、良い面ばかりではないだろうが「若=善」「老=悪」という単純な図式、何とかならないか。

 120歳で、玄孫に見送られながら大往生する予定。

ゆとり教育

2002年9月7日
 教育関係の出版社を受ける事が多いのでこの問題についてはよく聞かれるのだが、考えをまとめていなかった。

 ・学習内容の3割削減
 ・基礎的反復演習の削減
 ・総合学習の導入(生きる力)
 ・週休二日制

 こんなところなのか。結局どこがどういう風になったのかは指導要領を読まないとよく分からない。

 週休二日制でまず思いつくのは教師の休みは週休二日じゃなかったんだなという事。時代の流れに乗ってそうした・・・日教組の組合活動の成果か?

 ならば学ぶ内容はそのままに、週休二日は不可能かというとそうでもあるまい。同じ内容をスピードアップは出来るだろうし、土曜の授業なんぞ一つか二つなのだから振り分ければよい。

 それで、詰め込み暗記教育に対する反省から覚えるべき内容は絞る。絞った上で重点的に覚えるのではなく理解させようとする。うん、それで、出来た3割の時間は総合学習に当てる、と。

 それまで10あったものを、覚えるのが大変だからと7の内容にして、その代わりにその内容を全員に理解してもらおうとする。その事が興味を持つ事に繋がるのではないか、と。反復演習の積み重ねや暗記も、それじゃ無味乾燥でつまらないから興味を持つために、なぜそれがそうなるのかを重点的に教える。
 
 面白さを知ってもらえれば上の段階で勉強しようという意欲も湧くだろう。暗記ではなく内容を理解すれば応用も効くようになるのではないか。

 そんなところで良いのだろうか。
 
 あ、ただしこれらは最低限のラインであって出来る子にならもっと発展的な内容を教えても良い、と。
 ん?そうすると中学受験で何を出題しても良いという事か?その辺はどうなんだろう。よく分からない。

 総合学習ってなんだ。

 個々の教師に任される。英語を導入している学校が6割、と。ボランティアに課外活動。

 思うのは、家庭でやるべき事をやる為の時間が総合学習の時間なのか、という事。義務教育以前の英語教育ってのは必要だと思った家庭でやらせるべきではないのか。家庭で出来ない事を学校に押し付けようとして、その結果が総合学習の時間と学習内
容の削減につながったという因果関係は成り立つのだろうか。

 そんな事より、せっかく内容を削減したのなら勉強する時間はそのままかむしろ増やさないとダメじゃん。理解できない。7割の内容を7割の時間でやったんじゃ結局暗記する内容が減っただけって事じゃないか。

 学習内容は三割削減しても、教科書の内容まで削減する事はないんじゃないか。歴史なんてよく、現代史までは手が回らなかったりしたもんだ。同じ様に、手が回らないけど、載ってるってのは無益ではないような。

 暗記は・・・まぁつまらない。理解出来るなら理解した方が良いと思う。

 それで、暗記する事が学習する事と同義になってるような科目と、もっと大事なのは世間の風潮が、暗記する部分が減る=学力低下(というよりは指導力低下なんだろうが)という風になる訳で。本当に理解出来るのならば、覚える事は減らしてもまぁ問題ないか。文学史なんて暗記は止めて、その分文学を多く載せるのは悪かない。

 そうかそうか、その判別が出来てないんだな。漢字なんぞ覚える以外の何者でもないのに、漢字の成り立ちを多く時間割いて、覚える語を減らしてもしょうがない。やるなら既存の数と同じにして、その上で成り立ちを教えればいいんだ。

 両者をごっちゃにするからだめなんだな、きっと。従来の無味乾燥な暗記じゃ意味ない勉強もあるけど、無味乾燥にしなきゃいけない部分もある訳で、それを一緒くたにするのがよくない、と。
 数学なんか論理学なんだから公式を覚えて当てはめる勉強よりは途中式の仕組みを理解した方がいいというのは分かる。
 うん、3.14は覚えなくてもいいかも。その代わりに円周率はどういうものかを理解してれば3.24と覚えていても問題はないか。

 ん?知識重視から知恵重視への転換は別にゆとりとは何の関係もないような。

 あぁ、偏差値教育時代の「帰ったら冷めたご飯を食べてすぐに塾」っていうのも改革の対象になるのか。だからゆとり、と。家族と触れ合って家庭問題少年犯罪は解消、と。

 だったら総合学習はいらない、なぁ。

 なるほどね。問題点は
 「学習内容を減らすのに、学習時間も減らしたら意味がない。」
 「なのに知恵も教えなければならないから手が回らない」
 「総合学習の時間を取ったのに家庭にいる時間を増やしている」

 といったところか。
 知恵と暗記両方やろうとするならば逆に時間を増やさなければならないし、暗記する部分としなくても良い部分に分けて、後者に関して知恵の教育にすればいいのに、その分ける作業が出来てないって事か。上手くいけば時間は変わらない上に質がたかまるが。質は高まるが、学習内容は減る。というか暗記内容だな。

 ただ、そもそもの考え方として、面白く思うようにして、良い所を引き出すってのは本来の教育の目的とは違うと思う。高等、大学教育はそうかもしれないが、義務教育だからな。面白いと思った事は言われなくても勉強するし、そこは教師の力量あまり関係ない。
 面白く思うかどうかってのは結局人それぞれなんだから、面白く思う素質がある人向けじゃダメだろ。面白く思わない人でも、それを学ぶ必要はある訳で、そのための義務教育な訳だから。理解できればそれに越した事はないが、それが出来ない人でもやっぱり60年前にアメリカと戦った、とか複利計算の仕方、とか覚えてなけりゃいけないと思うのだが。
 良いものを引き出すのはもっと上の教育で、義務教育ってのは、なければ困るものを教養として身につけさせる段階だと思う。

 愚民化政策ってのは違うような気がする。国民の教育水準が高い事で成長してきた国だから、下げちゃったら税金が減るし。だったらまずすべきは私立に対する助成金カットだろうから。

 

チケット

2002年9月6日
土砂降りの中、上野で開かれているシルクロード展に足を運ぶ。

 恐らく炊き出しだろうか、ホームレスの皆さんが集結しているのを横目に見、「あれは俺ももらえるのだろうか」などと口走りながら入場券売り場にたどり着く。

 入場料は大学生900円。連れ合いと一緒に、財布を取り出そうとごそごそやっていた所によくわからないおじいさんが登場。「一緒に入れるよ。」と言ってくる。

 何がなんだか分からず、無視しまくっていたのだが、取り出した手帳にあった文字。
 
 『被爆者手帳』
 
 分かった。
 2人までタダで入れるから、一緒に入ろうじゃないかと言ってきてくれたのだ。
 何を言っているのか分からず、ちょっと変な人なのだろうと思ってしまった自分が恥ずかしい。

 長崎から来たと言う。
 あっけからんと言ってはいるが、そのシャツの中にはまだ傷跡が残っているのだろうか。その人生に思いをめぐらせてしまう。

 2人で出かけるとこういう事が多い。野球を見に行っても、中年夫婦にあまったチケットをタダで譲ってもらった事がある。
 多分、自分の人徳ではない。

 どちらかと言うと、何かをしてもらうよりも何かをしてくれと頼まれる方だ。写真を撮ってあげたりだとかは多い。

 ちょっと昔の話だが女子高生の一団に写真を頼まれた事がある。快く撮ってあげた。勿論。
 「ハイ、チーズ」「・・・(チーズだってぇ)(ぷ)」

 トラウマとなった事は言うまでもない。以来、絶対にチーズとは言わなくなった。
 それにしても恐るべし。いつからチーズは死語になったんだ。躊躇った挙句に使ったのではなく、迷いなく使っただけにそのダメージは大きかった。

 かといって黙ったまま撮るのも如何なものか。どうすりゃいいんだ。
 どうしても気になったので、遂に買ってしまった。韓国のビニ本。危うく発禁処分だとか。

 まだ全部は読んでないがあまり目新しい事は書いていない。典型的なまでにあっちの見方だな、というくらい。ただこれを韓国人が書いたって言うのに価値がある。

 しかし、韓国人を説得しようと思ったらもっと書き方があるだろう。この書き方では絶対に反発があるだろうな、と。ビニ本指定というのも納得。一言で言うならこの本は「韓国版自虐史観」の本である。

 矛盾も多く見つかるし、古臭い考え方だと思う事も少なくない(マルクス主義史観)。少なくないのだが

 やはり、この程度で認められないのはおかしいだろう。単に感情的なだけでこの程度の本なら日本にはゴロゴロ転がっているし、もっとすごいのも沢山ある。(ある意味韓国の方が豊富だが)これじゃとても韓国を先進国とは呼べない。作者のホームページも国から閉鎖させられたらしい。

 大体、日本の人権派は何故黙っているのか。朝日とかってそういう言論の自由にはいつもいの一番に、それもしつこいくらい食いつくというのに。

 本の内容としてはあまり読む価値はないかもしれないけれど、その背景の為に価値がある、そんな本。

 北朝鮮が日本海の呼称を「朝鮮海」にしろと言ってきているのに失笑。
 芥川賞受賞作・「パークライフ」吉田修一著・を読んでみた。

 何かの小説のプロローグかと思った。

 あんな小説で賞を貰って本当に良いんだろうか。文章は確かに読ませるが、「だからどうした」と言いたくなる。何も残るものがない。芥川ってあんな小説書いてたっけ。

 次は直木賞で「生きる」か。さてはて。

 野球の話。

金属バットってそんなにダメかねぇ。不景気のあおりを食らって社会人という受け皿がどんどんなくなっていく昨今、より金がかかる木製バットになんかしたら一層社会人野球は潰れていくんじゃ。

 金属バットでもいいと思うのだが。バッターは育たないかもしれないが、ピッチャーは育つ。ぐんぐん育つ。スラッガーは、大学から取れ。社会人は、ピッチャーだ。じゃ、ダメかな。

 どうしてもダメなら特殊素材のプラスチックとかは出来ないだろうか。折れないやつ。

 木製のままいくんなら、プロがどっかでサポートしてあげないと。それこそ天皇杯をやる、とかイースタン・ウェスタン両リーグに全面的に組み込むとか。

 ドラフトの観点からは良い、とかいってる場合じゃない。どんな形であれ縮小はまずいって。

新記録

2002年9月3日
 小林雅英の23試合連続SP記録達成。素晴らしい。

 試合自体も最後まで興奮ものの、最高のゲームであった。記録達成の影で隠れてしまったが防御率0点台のストッパー、大塚から打った佐藤幸彦の代打同点2ランホームランには驚いた。
 最後も、1点差の場面でローズ、中村紀と緊迫の場面。まさか、ゆるい球を1球も使わないとは。全て140キロ台とはヒヤヒヤしたもんだ。汗びっしょり。

 パワプロのシナリオモードはこれで決定したななどと思ったものだが、こういう試合を詳細に語ってくれる野球の雑誌って、無い。

 サッカーは最近腐るほど雑誌があるのに、何故だ。

 知りうる限り主なプロ野球系の雑誌と言えば「週刊ベースボール」「野球小僧」・・・あら?後は球団公認の月刊誌とか、アマチュア野球の雑誌ばかり。

 しかも週刊ベースボールって真面目で堅くて、イマイチ面白みは無い。サッカーは、サッカー好きでない身でもサッカーダイジェストやらサッカーマガジンやら、Numberもほとんどサッカー雑誌だし、たくさんある。氾濫している。よく分からない。青山ブックセンターのスポーツコーナーなぞ行こうものなら肩身の狭さに居場所が無いくらいである。

 そんなにたくさんの人がヨーロッパのリーグを見てるか?プレミアリーグのチーム名が言える人が日本人の中にどれくらいいると言うのだ。そのくせテレビ媒体では野球べったりなのも不可思議。Jリーグなんて、放送しやしない。

 野球の雑誌はもっとあっていい筈だ。なんたって、おじさま達の娯楽。活字離れの若者のスポーツ、サッカーに活字が多いって矛盾だろう。

 野球をだめにしてるのはOBだな。言っている事がわけ分からん。気合で打つ、とか意味不明なことを言っているし(そりゃ、精神面が重要なのはわかるが)、専門用語が多すぎ。詰まった当たり、とか体が開いている、とか普通に聞いてたら何を言っているのか分からない。

 「野球小僧」という雑誌が面白いのは野球中継でOBの解説者が言っているような視点では語らないからだと感じられてならない。

 あー、村田修一は本当に横浜なのだろうか。横浜が中村紀獲りに情熱を傾けてる(無理だろうけど)ってそりゃあ不誠実極まりないんじゃ。何故横浜なのかが謎。そもそも多田野と土居と併せて3人「大洋」に、ってのは信じられない。そんなにイメージ良いのだろうか。あの成績で。
 失態。
 
 新書館の、作文試験。最初3行目に良いフレーズが浮かばず、後で考えようと空いたままにしておいたら、そのまま出してしまった。
 しかも気付いたのは終わってから1時間以上たってから。こういうところこそが案外、受からない原因なのかもしれない。中学のときにも受験票に不備があって学校に呼び出されたっけ。

 一般常識自体も難しかったし、これで望みはかなり潰えた。

 筆記は9枚。1枚1枚に名前を書かなければならないという煩雑さ。
 1枚目は英語。短文の中に語句を選んで入れる穴埋め問題。
 2枚目も英語。短文が15個くらいあり、それぞれを読んで「謝礼」や「お見舞い」などに区分する。
 3枚目は漢字。「匿名」「厨房」「恣意」「屈託」など。読みもふくめて結構難しい。
 4枚目は数学。Xを使った基本的な問題。だがしかし、最後の一つが解けず。
 5枚目は歴史だったか。日本史と世界史。日本史は人物名を選択。世界史は年代順の並び替え。専門なんで問題なし。
 6枚目が時事用語だった様な気がする。ペイオフやら基礎的な問題。選択制という事で簡単。
 7枚目は忘れた。それとも他が違うのか。
 8枚目は文学史。かつてなく難しい。それともただ無知なだけか。
 9枚目は現代日本の漫画・小説家。作品名があり、それに対応する作家を選ぶ。少女漫画主体で混乱。

 作文のお題は「あなたが最近一番関心のある事を他人に紹介する文」を800字で。80分。時間的には余裕。「説明」ではなくて「紹介」とあるところがミソかも。あまり自分の考えを入れると説明になっちまう。嗚呼、ここで挽回かと思ったのだが。

 受験者は100人ちょっとといったところ。どれくらい取る気なのかは知らないが、1,2人だろう。

 帰り際に雑誌を2冊、プレゼント。少女漫画とバレエの雑誌。
 そうか、この会社はそういう会社だったのか・・・?

 少女漫画誌ってなんであんなに分厚いのだろう。

首相

2002年9月1日
 朝日の世論調査が電話でかかってきた。

 朝日もだいぶしつこい。家にいないと何度も何度も電話をかけてくる。訪朝問題についてのアンケート調査。

 良いんじゃなかろうか。独裁政権の国なんだから、独裁者に話をつけることは何も悪い事じゃあるまい。だからと言って急に話が進む訳でもないだろうが、そういう積み重ねってのは無益ではなかろう。

 ただ、ああやって本人が「交渉が出来るかどうかを判断しに行くのであって・・・」と言っているにもかかわらず、すぐに成果が出ないと叩かれるんだろうな。ご苦労様な事で。

 福田和也あたりの小泉嫌いはちょっと異常なまでだ。外に国民の目を向けて経済の悪さをごまかそうと・・・なんて言っていたが、んな事誰もが分かってるだろうに、国民を馬鹿にしすぎなんじゃないか。それとこれとは関係ないだろ。大体、不況の時は外交政策は推進できないって言うのか。
 以前にも文藝春秋で音楽の趣味にまでケチをつけていたからな。そこまでいくと笑える。

 政権基盤が無いに等しい上に、準備期間まで足りないんだからそこまで多くを望むのは無理というもの。それで、何もしなかった時は支持率が高くて、基盤がないなりに妥協をしながら何かをしようとすると支持率が下がるってのもよく分からない。
 首相になれば何もかも思う通りに出来るって作りには、この国はなってないだろうに。

 猪瀬直樹の道路公団の中間報告も、マスコミからは踏み込みが足りないと叩かれるし、道路族からは叩かれるし。大変。

 

浅草のカーニバル

2002年8月31日
 おばちゃん連中って、あぁいうの好きなんだろうか。さすがにそろそろ「年甲斐」という言葉の意味を吟味してもらいたくもある。

 それにしてもなぜ、浅草でカーニバルなのか。そして何故、人々はあんなに浅草でカーニバルを見たがるのか。
 はじめて行った浅草で、全く偶然にもカーニバルに出くわしてしまった人の気持ちは。

 
 プロ野球も大詰めになってきて、監督の責任問題も紛糾してくる時期。特に負けてるチームは尚更だ。

 ただ、監督次第で成績が変わるって意見があまり好きではない。実は殆ど関係ないのではないかと思ってる。

 ネガティブな意味でなら影響力はあるかもしれない。しかし、とりあえずのところ無難にこなしていさえすればあまり変わらないのではないか。

 高校野球以前ならばいかようにも変わるだろう。しかし、大学野球以降になると、変な例えになるが勉強における大学受験のようなものである。小学校では教師の影響力がそのまま学力になるかもしれないが、大学受験ではもはや基本的に本人次第であろう。

 ましてやプロの選手である。高卒1,2年ならばともかくとして、いい大人が、先生次第でころっと変るというのも考えづらい。春先の阪神を引き合いに出して、よく今岡辺りが「今季はやる気が違いますね」なんて言われていたが、冗談ではない。それまで手を抜いていたというのか。そんなプレーに金を払わされているファンはいい迷惑だ。

 少なくとも野球というスポーツに於いては監督の占める割合というのはかなり低いのではないかと思う。やるのは結局選手なのだから良い時も悪い時も監督ばかりがクローズアップされるのは疑問。というより飽き飽き。

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 弟が受験シーズンなのだが、政治経済で受験をする。するのだが驚いた事に「グラスノチ」という言葉とその意味を知っているのにロシアが今民主主義なのか社会主義なのか知らなかった。そもそも社会主義がどういうものか判っていなかったのだ。(まぁ、深く突っ込むとかなり難しい事なのだがそういうことではなく)
 個人的に、暗記教育ってのは悪くないと思っていたのだが、ちょっとげんなりした。これってさすがにどうかと思う。いかに何でもまずい。

 ひょっとして教師に舐められてるんじゃないだろうか。暗記さえ出来ればいいんだよ、そういう(受験の)役に立たない事は覚えなくてもいいからね、って。

 単に本人の勉強不足って事かもしれないが。

ナップスター

2002年8月29日
 ナップスターが開発した音楽ファイル交換システムは禁止になったが、インターネットとは著作権を無視するために存在するようなもの。

 昨日の日経に面白い記事が載っていた。

 ナップスターのシステムをはじめとする著作権的に違法性を持つ無断コピーはレコード会社が徹底的な撲滅を訴えているが、必ずしも利益を代弁しているはずのミュージシャンが一致した見解を持っているわけではないという事。違法コピーで損をするのは一部の超人気ミュージシャンだけで、その他のミュージシャンはこれに賛成している場合が多いという。
 ナップスター以来、「それ以外のミュージシャン」のCD売上は、新作はおろか旧作も上がっていて、調査の結果無料交換の利用によってCDを買う機会が増えたという人が減ったという人を大幅に上回ってるとの事。

 MOON CHILDというバンドがあった。昔好きだったのだが、解散後に主要メンバーが別の名前で活動してるらしい。それを知って聞いてみようと思っていたのだが、これがツタヤにも置いていない。さすがに全く聞いた事の無いバンドに3000円をポンと出す気はしなくって、以来そのままなのだが。

 無料ファイル、欲しいぞ。

 それでもしも気に入れば新作は多分定価で買うと思う。何故だかは判らないがそういうものだ。聞いてみて心を動かすものがあれば買おうという意欲が湧く。とりあえず、聞いてもらう事自体悪い事ではないと思うのだが。
 昔はよくCDを買っていたが最近は全く買わないし、聴かない。そういう層を開拓するには良いと思うのだが。
 宣伝したもの勝ちの音楽シーンよりはそうやって楽曲重視で売上が決まる方がマシではないかな。

 結局ごく一部に集まっていた利益が諸所に分散されるだけなのだろうと思う。毎日毎日テレビや街中で耳にしている曲だからといって、それでいいやとは思わないわけで。良かったら買うという事は、結局同じなのではないかな。
 逆にアルバムを買って「騙された!良いのはシングルだけじゃん!」なんて事も減るだろうし、作り手も良い緊張感が生まれるのではなかろうか。今まではボッタクリの面も強かったような気がするし。

 そりゃ確かに、著作権を踏みにじる為の大義名分になってはおかしいとは思う。けど、著作権が印籠のように絶対的正義を体現しているというのもそれはそれでおかしい。難しい問題ではあるが・・・

 とりあえず音楽ファイルについては公認してしまって、ファイルとして存在している時は宣伝を必ず曲の間に入れるとか、そういう風にしたらどうだろう。技術的に出来るかどうかは知らないが、人間条件付の公認だったら守るもの。なんでもかんでもダメだというと逆に横行するのではと思う。ともあれレコード会社自らの手で管理した方がよいだろう。

 リナックスといいナップスターといい、著作権について、今大きな岐路にあるのかもしれない。

 ・・・だからと言って中国の無節操ぶりはちょっと・・・

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