スコータイ
2003年9月2日 朝起きて、まずはたまっていた洗濯物をやっつけてしまう。段々臭くなってきた様な気がしてならない。
街中までは歩いて10分ちょっと。私道を通っていくせいか、さほど時間はかからない。Kが銀行で両替をするというので、それを待っている間に朝飯代わりに野菜ジュースを買う。
どうにも不思議なのだが、一般に交通マナーが日本とは比べ物にならない程悪い(大概の国がそうだが)タイにあって、この街だけは、殆どのバイカーがきちんとヘルメットをかぶっている。仰天するほどの行儀の良さである。ついに、ヘルメットをかぶらない事にではなく、かぶる事に仰天するようになってしまったわけだが。
スコータイの市街から遺跡まではちょっと距離がある。幸いな事に、そこそこの頻度でバスがあるので、それを使う事にしたのだが、停留所に着いた途端、今まさに出発しようとしているバスに遭遇。おばちゃんに手招きされて駆け込み。かなりのグッドタイミング。
荷台のような所に20人以上の人数がひしめき合うが、これはこれで良いものだ。観光客の姿はほとんどなく、どうやらかなり地元密着型のバスらしい。道中、果物をたくさん抱えていたおばちゃんから、少し分けてもらう。ありがたく貰ったのだが、身振り手振りで美味しいよと伝えると、ニコニコしながら次から次へと手渡してくるので、なんとなく申し訳ない気分になってしまった。
遺跡前で降りると、目の前にはレンタサイクルが。借りようと思っていたのでちょうど良い。ガイドには載っていなかったが、バスを降りた目の前にあるというのは絶好のポイントなのだろう。これを使ってさっそく遺跡へ。
スコータイ遺跡は全体が公園のようでとてもきれい。青い空の下、芝生が敷き詰められていて、その中にそびえる遺跡が映える。特に、ワット・マハタートは感動もの。アユタヤ−よりしっかりと残っているといえる。
あちこちを見たあと、昼ごはん。きちんと食べたはずなのだが、どうしても覚えているのはスイカシェイク。かなり美味い。そうそう、ネコがじゃれついてきて困った。えさをねだっているようなのだが、店のオヤジとの戦いが激しかった。
この食堂で、宿の宿帳でも、レンタサイクルのノートでも自分たちのすぐ上に名前を見た女性と少し話をする。結構おとなしめの女性で一人旅。少し不安にもなったが。これ以後彼女とは数回顔を合わせた。
遺跡一帯を、なかなか早く見終わったので北部にある遺跡へ向かう。
ワット・シー・チュム。これは凄かった。巨大な仏像が、巨大な囲いの間から顔を出しているのだが・・・ 不思議というか、一種異様な雰囲気。圧倒される。扉の奥に、遠近法を無視した大きさの仏像がいるといったら良いのか。何とも。
ここを見終わって自転車をこいでいたところ、西門の近くで警官に止められた。しばらく待っていると、ノーブルな感じの車が何台か通り過ぎていった。お偉いさんなのだろうか。
時間が余ったので、国立博物館へ行ってみることに。ここは作りかけのような、中途半端な博物館。冷房はついているのだが、以上にシンナー臭い。中身も仏像が多く、こんな事ではいかんと思いつつも、眠くなってしまう。
そこで、昼飯を食べたレストランで休憩。またもスイカシェイク。案の定、トイレへと駆け込む。
もはややる事がないので、市場をちょっと見た後、来た時のバスに再び乗り込んで帰ることに。またもちょうど良すぎるタイミングだったのだが、頻発しているのかもしれない。
今度は下校時刻に重なっていたらしく、中高生がわんさか。それこそ9割方少年少女で、その一挙一動が面白く、微笑ましい。
その後マーケットをうろつき、インターネットをやるが、あまりにつながらない為断念。バスターミナルにチケットを買いに行き、少し部屋で休んでから夕食。ナイトマーケットの夕食は、安くて美味しい。何品も頼んだが、意外と安値。
街中までは歩いて10分ちょっと。私道を通っていくせいか、さほど時間はかからない。Kが銀行で両替をするというので、それを待っている間に朝飯代わりに野菜ジュースを買う。
どうにも不思議なのだが、一般に交通マナーが日本とは比べ物にならない程悪い(大概の国がそうだが)タイにあって、この街だけは、殆どのバイカーがきちんとヘルメットをかぶっている。仰天するほどの行儀の良さである。ついに、ヘルメットをかぶらない事にではなく、かぶる事に仰天するようになってしまったわけだが。
スコータイの市街から遺跡まではちょっと距離がある。幸いな事に、そこそこの頻度でバスがあるので、それを使う事にしたのだが、停留所に着いた途端、今まさに出発しようとしているバスに遭遇。おばちゃんに手招きされて駆け込み。かなりのグッドタイミング。
荷台のような所に20人以上の人数がひしめき合うが、これはこれで良いものだ。観光客の姿はほとんどなく、どうやらかなり地元密着型のバスらしい。道中、果物をたくさん抱えていたおばちゃんから、少し分けてもらう。ありがたく貰ったのだが、身振り手振りで美味しいよと伝えると、ニコニコしながら次から次へと手渡してくるので、なんとなく申し訳ない気分になってしまった。
遺跡前で降りると、目の前にはレンタサイクルが。借りようと思っていたのでちょうど良い。ガイドには載っていなかったが、バスを降りた目の前にあるというのは絶好のポイントなのだろう。これを使ってさっそく遺跡へ。
スコータイ遺跡は全体が公園のようでとてもきれい。青い空の下、芝生が敷き詰められていて、その中にそびえる遺跡が映える。特に、ワット・マハタートは感動もの。アユタヤ−よりしっかりと残っているといえる。
あちこちを見たあと、昼ごはん。きちんと食べたはずなのだが、どうしても覚えているのはスイカシェイク。かなり美味い。そうそう、ネコがじゃれついてきて困った。えさをねだっているようなのだが、店のオヤジとの戦いが激しかった。
この食堂で、宿の宿帳でも、レンタサイクルのノートでも自分たちのすぐ上に名前を見た女性と少し話をする。結構おとなしめの女性で一人旅。少し不安にもなったが。これ以後彼女とは数回顔を合わせた。
遺跡一帯を、なかなか早く見終わったので北部にある遺跡へ向かう。
ワット・シー・チュム。これは凄かった。巨大な仏像が、巨大な囲いの間から顔を出しているのだが・・・ 不思議というか、一種異様な雰囲気。圧倒される。扉の奥に、遠近法を無視した大きさの仏像がいるといったら良いのか。何とも。
ここを見終わって自転車をこいでいたところ、西門の近くで警官に止められた。しばらく待っていると、ノーブルな感じの車が何台か通り過ぎていった。お偉いさんなのだろうか。
時間が余ったので、国立博物館へ行ってみることに。ここは作りかけのような、中途半端な博物館。冷房はついているのだが、以上にシンナー臭い。中身も仏像が多く、こんな事ではいかんと思いつつも、眠くなってしまう。
そこで、昼飯を食べたレストランで休憩。またもスイカシェイク。案の定、トイレへと駆け込む。
もはややる事がないので、市場をちょっと見た後、来た時のバスに再び乗り込んで帰ることに。またもちょうど良すぎるタイミングだったのだが、頻発しているのかもしれない。
今度は下校時刻に重なっていたらしく、中高生がわんさか。それこそ9割方少年少女で、その一挙一動が面白く、微笑ましい。
その後マーケットをうろつき、インターネットをやるが、あまりにつながらない為断念。バスターミナルにチケットを買いに行き、少し部屋で休んでから夕食。ナイトマーケットの夕食は、安くて美味しい。何品も頼んだが、意外と安値。
チェンマイ〜スコータイ
2003年9月1日 前日までの疲れもあったので、午前中はゆっくりと過ごす。だらだらして、談話室に置いてあった美味しんぼなんかを読み漁る。
11時半頃になって、やっとこさ活動開始。
昨夜ご飯を食べている時に、キムに、日本食のレストランを案内する約束をしていたので、「宇宙堂」に連れて行くことにする。ターペー門の前で待ち合わせ。彼女、今日はきちんと化粧をしていたのだが、きちんとしすぎ。韓国人女性は化粧が濃い・・・ 一瞬呆然としてしまった。
宇宙堂では、ソーメンとカレーというありえない組み合わせで注文。どちらも安く、そしてどちらも食べたかったから。しかし、このソーメンの美味い事。しょうがの入ったつゆの味に涙が出てくる。それは言い過ぎか。しかし、日本にあっても本当に遜色ないのではないかこの店は。
キムに、メニューの紹介をするのだが、「チキンカツ」・・・fried chiken 「から揚げ」・・・fried chiken といったように、同じ名前ばかりになってしまい困った。魚の名前を説明しようもないし。考えてみると、魚はたくさんの種類があり、食べ方も様々なのに、肉となると途端にバリエーションがなくなる。
そんなこんなで話をしながら、楽しいひと時を過ごし、2時くらいにお別れ。古本屋に立ち寄ってネコと少しだけ戯れた後、3時発のスコータイ行きのバスに乗る。
基本的に順調。
ただ一点、途中のトイレ休憩で、男子トイレと女子トイレとを間違えて入ってしまった以外は。
見てる人もいたのに、誰も止めてくれないのは何故だ・・・ 中には誰もいなくて事なきを得たが。
もう一点。途中、検問のようなものがあり、パスポートの提示を要求される。カバンの中も調べられる。何かあったのだろうか。王族でも通るのだろうか。結局、この疑問は日本に帰っても解き明かされないまま。
スコータイ、ついた先はバスターミナル。このバスターミナルは、かなり町外れにある。いや、直線距離では街から近いのだが、そこに到るまでにぐるっと遠回りをしなければならないのだ。正三角形の、一辺が通行止めなので、もう一つの一点を経由しなければならないという事。そこで、たくさんの客引きやらタクシードライバーが寄ってくる。が、目指す宿は通行止めになっている一辺のちょうど真ん中にあるのだ。結構近い。そこで、一見見当はずれな方向に歩くことになり、皆の不審を呼んでしまった。しかも、それを振り切って着いた先は本当に通行止め。夜という事で道が封鎖されていたのだ。参った。門を乗り越えて進もうと思ったのだが・・・見かねたターミナルの人が電話を使って開けてくれた。
その目指す宿、「プアローン」は2002年オープンの、安いけれど快適なところ。ホント、きれいなシーツで割安。本当にオープンしたばかりらしく、「歩き方」を見せたら、オバさんはこれを食い入るように見て、住所に間違いがないかチェックしていた。まぁ、そうと言うより、ガイドブックに自分のところの写真が載っていて、大喜びだったと言うところか。
家族経営というよりは、一族経営。夕食を食べていると、子供の誕生日を祝っているところに遭遇した。あまりにも微笑ましかったので、ニコニコしながら見ていたら、親父さんが大喜びでケーキを振舞ってくれた。お礼に、他には何もなかったので飴玉をプレゼント。ちょっとした交流。
なかなか雰囲気のいい宿でした。
11時半頃になって、やっとこさ活動開始。
昨夜ご飯を食べている時に、キムに、日本食のレストランを案内する約束をしていたので、「宇宙堂」に連れて行くことにする。ターペー門の前で待ち合わせ。彼女、今日はきちんと化粧をしていたのだが、きちんとしすぎ。韓国人女性は化粧が濃い・・・ 一瞬呆然としてしまった。
宇宙堂では、ソーメンとカレーというありえない組み合わせで注文。どちらも安く、そしてどちらも食べたかったから。しかし、このソーメンの美味い事。しょうがの入ったつゆの味に涙が出てくる。それは言い過ぎか。しかし、日本にあっても本当に遜色ないのではないかこの店は。
キムに、メニューの紹介をするのだが、「チキンカツ」・・・fried chiken 「から揚げ」・・・fried chiken といったように、同じ名前ばかりになってしまい困った。魚の名前を説明しようもないし。考えてみると、魚はたくさんの種類があり、食べ方も様々なのに、肉となると途端にバリエーションがなくなる。
そんなこんなで話をしながら、楽しいひと時を過ごし、2時くらいにお別れ。古本屋に立ち寄ってネコと少しだけ戯れた後、3時発のスコータイ行きのバスに乗る。
基本的に順調。
ただ一点、途中のトイレ休憩で、男子トイレと女子トイレとを間違えて入ってしまった以外は。
見てる人もいたのに、誰も止めてくれないのは何故だ・・・ 中には誰もいなくて事なきを得たが。
もう一点。途中、検問のようなものがあり、パスポートの提示を要求される。カバンの中も調べられる。何かあったのだろうか。王族でも通るのだろうか。結局、この疑問は日本に帰っても解き明かされないまま。
スコータイ、ついた先はバスターミナル。このバスターミナルは、かなり町外れにある。いや、直線距離では街から近いのだが、そこに到るまでにぐるっと遠回りをしなければならないのだ。正三角形の、一辺が通行止めなので、もう一つの一点を経由しなければならないという事。そこで、たくさんの客引きやらタクシードライバーが寄ってくる。が、目指す宿は通行止めになっている一辺のちょうど真ん中にあるのだ。結構近い。そこで、一見見当はずれな方向に歩くことになり、皆の不審を呼んでしまった。しかも、それを振り切って着いた先は本当に通行止め。夜という事で道が封鎖されていたのだ。参った。門を乗り越えて進もうと思ったのだが・・・見かねたターミナルの人が電話を使って開けてくれた。
その目指す宿、「プアローン」は2002年オープンの、安いけれど快適なところ。ホント、きれいなシーツで割安。本当にオープンしたばかりらしく、「歩き方」を見せたら、オバさんはこれを食い入るように見て、住所に間違いがないかチェックしていた。まぁ、そうと言うより、ガイドブックに自分のところの写真が載っていて、大喜びだったと言うところか。
家族経営というよりは、一族経営。夕食を食べていると、子供の誕生日を祝っているところに遭遇した。あまりにも微笑ましかったので、ニコニコしながら見ていたら、親父さんが大喜びでケーキを振舞ってくれた。お礼に、他には何もなかったので飴玉をプレゼント。ちょっとした交流。
なかなか雰囲気のいい宿でした。
チェンマイ
2003年8月31日 昨晩は、寝袋の存在を忘れていた為、寒くて寒くて凍えていた。ためにあまり眠れなかったのだが、そのおかげで夜は、夢かと思うほどの星空を見れたために、精神的には満足。
朝食の後、さっそく山歩き。ここで、人数は10人弱になる。ギターを弾いた長髪のタイ人ガイドが離れて、ちょっと残念。
そこそこ歩いた後、カレン族の村へと到着。ブタを飼っていたりするなど興味深いには興味深いのだが、「ダンブ〜」と挨拶をしても、物売りに寄ってくる訳でもなく、珍しがってくる訳でもなく。普通に生活しすぎ。多分、慣れてしまったのだろう。なんだかがっかり。村にもバイクとか置いてあるし。
いや、バイクなど持っていて欲しくないというのはこちらの身勝手だと分かってはいるのだが。
ここを出てからの山歩きはかなり長く、2時間程度だろうか。金髪の姉ちゃんなんかはちぎられてしまい、実質2グループに分かれてしまう。こうなると遅れるわけにはいかないから、こちらも必死。
何度も丸太橋や滝壷を越え、田やあぜ道を通ってエクササイズ。これはかなり疲れた。
着いた先の小さな食堂で昼飯を食べて(欧米人はパクチー食べなさすぎ)、トラックで移動。いよいよ象乗り。
キムと3人で乗るが、これがなかなかに面白い。間近でえさをやり、Kが象の首にまたがり、その後ろに乗る。竹をなぎ倒し、糞尿を撒き散らし、象使いが振り落とされる。象は意外と小さく、親しみがもてるが、皮膚が厚いのか、かなり鋭い刃のついた棒で引っ張らないと動こうとはしなかった。寡黙なスイス人にカメラを渡して、たくさん写真をとってもらう。
これがクライマックスかと思いきや、この次がそれを上回る面白さ。
トラックで少し移動して、待っていたのは川下り。竹で作って半分沈んでいるようなイカダに、3人ほどで乗るのだが、当然腰掛けられるはずもなく、立ってバランスを取る事になる。船頭のような少年が最初はいるのだが、かれは途中から泳ぎ始めて、棒をこちらに渡してくるので自分たちで方向転換をするのだ。
それ自体も面白いのだが、周りの風景がこれまた。「ジャングル・クルーズ」の本物バージョン。気分はインディ・ジョーンズ。木々に囲まれた川、左手には象が何匹もいて、途中の川岸には子供たちが水遊びをしていて、ふざけて水をかけてくる。しまいには、ずぶ濡れになってしまったが、こんなに楽しい「遊び」は久しぶり。そうそう体験できるものでもなかろう。堪能。
これで全日程が終了。最後に記念撮影。殆ど会話のなかった人とも、ともにイカダを操った人とも、握手をしてお別れ。皆それぞれの宿に散っていく。
しかし、キムとはよく話をしたので、夕食をともにする事に。その約束をして、一旦別れる。
宿に戻り、トゥクトゥクでバスターミナルに行き、スコータイいきのバスチケットを購入。なかなかせわしない。あまり落ち着いてもいられなかった為、シャワーも浴びれず、着替えてもいない姿をキムに驚かれた。
ABCという食べ放題タイスキレストランで夕食。客が全然いなくて焦った(特にキムの手前。こちらが指定した店なため)が、値段の割りに美味しく、満足。
彼女はそれにしても、本と日本語が上手。その彼女にしてなお教えられないニュアンスの多い、日本語の何と難しい事よ・・・
朝食の後、さっそく山歩き。ここで、人数は10人弱になる。ギターを弾いた長髪のタイ人ガイドが離れて、ちょっと残念。
そこそこ歩いた後、カレン族の村へと到着。ブタを飼っていたりするなど興味深いには興味深いのだが、「ダンブ〜」と挨拶をしても、物売りに寄ってくる訳でもなく、珍しがってくる訳でもなく。普通に生活しすぎ。多分、慣れてしまったのだろう。なんだかがっかり。村にもバイクとか置いてあるし。
いや、バイクなど持っていて欲しくないというのはこちらの身勝手だと分かってはいるのだが。
ここを出てからの山歩きはかなり長く、2時間程度だろうか。金髪の姉ちゃんなんかはちぎられてしまい、実質2グループに分かれてしまう。こうなると遅れるわけにはいかないから、こちらも必死。
何度も丸太橋や滝壷を越え、田やあぜ道を通ってエクササイズ。これはかなり疲れた。
着いた先の小さな食堂で昼飯を食べて(欧米人はパクチー食べなさすぎ)、トラックで移動。いよいよ象乗り。
キムと3人で乗るが、これがなかなかに面白い。間近でえさをやり、Kが象の首にまたがり、その後ろに乗る。竹をなぎ倒し、糞尿を撒き散らし、象使いが振り落とされる。象は意外と小さく、親しみがもてるが、皮膚が厚いのか、かなり鋭い刃のついた棒で引っ張らないと動こうとはしなかった。寡黙なスイス人にカメラを渡して、たくさん写真をとってもらう。
これがクライマックスかと思いきや、この次がそれを上回る面白さ。
トラックで少し移動して、待っていたのは川下り。竹で作って半分沈んでいるようなイカダに、3人ほどで乗るのだが、当然腰掛けられるはずもなく、立ってバランスを取る事になる。船頭のような少年が最初はいるのだが、かれは途中から泳ぎ始めて、棒をこちらに渡してくるので自分たちで方向転換をするのだ。
それ自体も面白いのだが、周りの風景がこれまた。「ジャングル・クルーズ」の本物バージョン。気分はインディ・ジョーンズ。木々に囲まれた川、左手には象が何匹もいて、途中の川岸には子供たちが水遊びをしていて、ふざけて水をかけてくる。しまいには、ずぶ濡れになってしまったが、こんなに楽しい「遊び」は久しぶり。そうそう体験できるものでもなかろう。堪能。
これで全日程が終了。最後に記念撮影。殆ど会話のなかった人とも、ともにイカダを操った人とも、握手をしてお別れ。皆それぞれの宿に散っていく。
しかし、キムとはよく話をしたので、夕食をともにする事に。その約束をして、一旦別れる。
宿に戻り、トゥクトゥクでバスターミナルに行き、スコータイいきのバスチケットを購入。なかなかせわしない。あまり落ち着いてもいられなかった為、シャワーも浴びれず、着替えてもいない姿をキムに驚かれた。
ABCという食べ放題タイスキレストランで夕食。客が全然いなくて焦った(特にキムの手前。こちらが指定した店なため)が、値段の割りに美味しく、満足。
彼女はそれにしても、本と日本語が上手。その彼女にしてなお教えられないニュアンスの多い、日本語の何と難しい事よ・・・
チェンマイより
2003年8月30日 カンボジアも無事終了。明日からトレッキングの予定。
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朝9時半に集合して、トラックの後ろに乗せられて移動。既に欧米人らしき男性が3人ほど待っていた。
最初は水などを買うために店が集まっているところへと降りたのだが、どうやら一日目はトラックが二台に分かれて、15人程度集まるらしい。予想以上の人数に少々驚き。
そしてトラックは、早口な英語の会話の渦と化した為に、なんとなく二人して黙り込んでしまう。
メインのガイドは若い男女。一見すると日本人にも見えるのではないだろうか。とくに女の子は普通に可愛かった。
一時間はかからなかっただろうか。まずはじめに向かったのは山の上にある寺。ここからの眺めは気持ちが良く、子猫もたくさんいて、さかんに懐いてくるのでなかなか和んだ気持ちになったが、ここにある仏像は、和むどころではなかった。
岩の断面に、数百とも思える仏の顔が浮き彫りになっていて、何か怨念すら感じられる。怖い話かなにかで、よく、壁一面に顔が浮き出る、なんて話があるが、そんな雰囲気。
追って来るネコを振り切るのが辛かったが、トラックに乗って移動。降りてから昼食だという。降りて弁当を渡されてからは歩くように言われて、言われるままに歩く。思ったより長く急な階段を降りきると、そこにあったのは滝壷。木々が生い茂る中での滝壷は気持ちが良く、欧米人たちは、何故か用意していた水着に次々と着替えて飛び込んでいった。それを見ながら昼食。
しかし、なぜ欧米人の女性はあんなにも肉がはみ出しているのに皆ビキニを着るのか・・・ 正直、胸より腹に視線が行ってしまう。これはもう、どこに行っても思う。普段着でも、何故ヘソ出しを着るのか。そんなに皮膚が参ってるのに、なぜノースリーブを着るのか、と。
食べていると、しょぼくれた、あまりにもしょぼくれた犬が座っているすぐ側をうろうろするので、食べ終わった弁当をあげてみる。するとがっつくがっつく。ちょこんと人間が食べるのを待っているのだなと少し不憫に。
降りる時の三倍くらい大変な坂を登り、再びトラックに乗り込み、しばらく走ってからいよいよ山歩き。最後の準備として、「もぐもぐ」と何故か日本語で書いてあるジュースを買ったのだが、これが美味かった。オレンジジュースにナタデココが入ってて、美味しすぎてすぐ飲んでしまい、逆に困ったほど。ガイドの女の子に、「もぐもぐってどういう意味?」と聞かれてまたしても英語に悩む。
余談だが、ドラえもんはこっちで有名らしい。
しばらく歩いて、また滝壷のあるところに到着。休憩かと思ったら、ここで一泊とか。確かに山小屋があるが、まだ3時半。無理をしない方針なのだろうか。
そして、またも欧米人達は喜び勇んで滝壷へダイブ。風呂代わりなので、ハーフパンツで飛び込むが、これが結構冷たい。それはそれで楽しかったが。
しばらくはブラブラして、夕食を待つ。
6時前には夕食が始まっただろうか。ご飯(カレー。のようなもの)も美味しかったのだが、その後がほとんど飲み会状態。サブのようなガイドとクイズ(日本でもおなじみの、マッチを一本動かして・・・)をしたり、ビートルズを歌ったり。スコットランド人にスカート穿くの?と聞いたら大否定されたり、ウィスキーのコーク割がひどく美味しかったり。
一番面白かったのが、韓国人の女の子、キム。日本語がうまい彼女と話す時は、英語よりも日本語の方が通じたり。
11時くらいまで飲んでいただろうか。星空も素晴らしく、思い出に残る一夜となった。
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朝9時半に集合して、トラックの後ろに乗せられて移動。既に欧米人らしき男性が3人ほど待っていた。
最初は水などを買うために店が集まっているところへと降りたのだが、どうやら一日目はトラックが二台に分かれて、15人程度集まるらしい。予想以上の人数に少々驚き。
そしてトラックは、早口な英語の会話の渦と化した為に、なんとなく二人して黙り込んでしまう。
メインのガイドは若い男女。一見すると日本人にも見えるのではないだろうか。とくに女の子は普通に可愛かった。
一時間はかからなかっただろうか。まずはじめに向かったのは山の上にある寺。ここからの眺めは気持ちが良く、子猫もたくさんいて、さかんに懐いてくるのでなかなか和んだ気持ちになったが、ここにある仏像は、和むどころではなかった。
岩の断面に、数百とも思える仏の顔が浮き彫りになっていて、何か怨念すら感じられる。怖い話かなにかで、よく、壁一面に顔が浮き出る、なんて話があるが、そんな雰囲気。
追って来るネコを振り切るのが辛かったが、トラックに乗って移動。降りてから昼食だという。降りて弁当を渡されてからは歩くように言われて、言われるままに歩く。思ったより長く急な階段を降りきると、そこにあったのは滝壷。木々が生い茂る中での滝壷は気持ちが良く、欧米人たちは、何故か用意していた水着に次々と着替えて飛び込んでいった。それを見ながら昼食。
しかし、なぜ欧米人の女性はあんなにも肉がはみ出しているのに皆ビキニを着るのか・・・ 正直、胸より腹に視線が行ってしまう。これはもう、どこに行っても思う。普段着でも、何故ヘソ出しを着るのか。そんなに皮膚が参ってるのに、なぜノースリーブを着るのか、と。
食べていると、しょぼくれた、あまりにもしょぼくれた犬が座っているすぐ側をうろうろするので、食べ終わった弁当をあげてみる。するとがっつくがっつく。ちょこんと人間が食べるのを待っているのだなと少し不憫に。
降りる時の三倍くらい大変な坂を登り、再びトラックに乗り込み、しばらく走ってからいよいよ山歩き。最後の準備として、「もぐもぐ」と何故か日本語で書いてあるジュースを買ったのだが、これが美味かった。オレンジジュースにナタデココが入ってて、美味しすぎてすぐ飲んでしまい、逆に困ったほど。ガイドの女の子に、「もぐもぐってどういう意味?」と聞かれてまたしても英語に悩む。
余談だが、ドラえもんはこっちで有名らしい。
しばらく歩いて、また滝壷のあるところに到着。休憩かと思ったら、ここで一泊とか。確かに山小屋があるが、まだ3時半。無理をしない方針なのだろうか。
そして、またも欧米人達は喜び勇んで滝壷へダイブ。風呂代わりなので、ハーフパンツで飛び込むが、これが結構冷たい。それはそれで楽しかったが。
しばらくはブラブラして、夕食を待つ。
6時前には夕食が始まっただろうか。ご飯(カレー。のようなもの)も美味しかったのだが、その後がほとんど飲み会状態。サブのようなガイドとクイズ(日本でもおなじみの、マッチを一本動かして・・・)をしたり、ビートルズを歌ったり。スコットランド人にスカート穿くの?と聞いたら大否定されたり、ウィスキーのコーク割がひどく美味しかったり。
一番面白かったのが、韓国人の女の子、キム。日本語がうまい彼女と話す時は、英語よりも日本語の方が通じたり。
11時くらいまで飲んでいただろうか。星空も素晴らしく、思い出に残る一夜となった。
チェンマイ
2003年8月29日 朝、いかにもな老婦人といった風貌の乗務員に叩き起こされる。上品そうなのだが、ガミガミうるさい婆さんといったところか。こんな風に起こされるなら朝食を頼まなければよかった。
なんとも驚くべき事に、時間ほぼぴったり、9時にチェンマイ駅へ到着。乗合タクシーを使って、目的の宿へと向かう。
「プラザ・イン」という宿なのだが、ここはトレッキングも受け付けている。というか、チェンマイはトレッキングがメインの観光都市なため、ほぼどんな宿でもトレッキングを取り扱っているらしい。そのため、宿としての利益は二の次で、トレッキングで利益を出しているそうな。
なるほど、この宿はかなり設備が良い。手ごろな値段にもかかわらず、衛星放送のNHKを視聴可能。部屋の内装も、普通のホテルに近く、贅沢な気分。どういう訳か、宿のロゴが入ったTシャツをプレゼントされるサービスっぷり。特に問題もないようなので、トレッキングもここに決定。後で受付近くの談話室のようなところを覗いてみると、大量の日本語本、何故か特に美味しんぼがあったのが不思議。
外もきれいに晴れていたので一旦部屋で徹底的に洗濯をして、その後は昼食へ出かける。ここには「宇宙堂」という美味しくて安い日本食のレストランがあるという事で行ってみたが、この店。美味いのなんの。日本で食べるのと遜色ないくらい、いや、下手するとそれよりも美味しいかもしれない。なんでも日本人がオーナーだそうだが、大量の文庫本に、新聞まであるとは。
洗濯物を取り込みに帰った後、ワット・チェディルアン、そしてワット・プラ・シンへ。後者ではギンという日本語を勉強している青年に声をかけられる。大抵こういうことを言ってくる奴は怪しいのだが、どうやら彼は本気らしい。日本語の勉強の後があるノートに、辞書。難しい漢字に読み仮名をつけてくれとの事で、こころよく引き受ける。高卒で、日本料理店で働いているという事だが、日本の漫画が好きだとか。それにしても、個人的に勉強しているのはやはり偉い。ただ、「ナンパ」とか微妙な言葉ばかり覚えているのはどんなものか。面白いのだが。
ワット・チェンマンという寺では、庭でサッカーをしていた子供たちに入れてもらって一緒に遊ぶ。子供が元気すぎるのと、この国の、特にこの地域は暑いのとでバテバテ。しかし、実に楽しかった。
のだが、最後にちょっとお金を要求されてブルー。ただ、この子達はどうやら孤児であり、要求してきたのだがちょっと年上の子、それも控えめに言ってきたのがいたたまれない。
やはりあげられない。
道にかなり迷いながら、マイナーな寺であるワット・ターケオを目指す。ダンゴ型の、面白い寺なのだが地元の人が普通に利用していて観光客もいない。住宅地の真ん中にある静かな寺だった。
しかしだ、いかに庶民的だからといって、工事中の2階から鉄板が落ちてくるというのはどうか。しかも、僅か5センチ横をかすめて。本当に危なかった。笑えるけど笑えない。急に横に壁が現れたかと思った。
日も暮れたので、ナイトバザールへ行ってみる。あまり欲しいものも無かったが、麻のシャツが妙に欲しくなってしまったので、何とか値切って購入。きっと高いのだろうなとは思うが・・・欲しいものを欲しい所で買う。これ、旅行の鉄則。次にめぐり合えるとは限らない。
夕食はバザールのすぐ近くの、客がたくさん入っていて人気があるレストランへと入ってみるが、その値段に驚愕。いや、日本で考えれば決して高くは無いのだが、こちらの感覚ではかなり高い。恐れをなして、あまり頼めず終いであった。そんな店に、かなり客が入っているというのは、こっちの人はそう貧しくは無いという事だろう。あまりケチりすぎるのは、かえって面白くないのかもしれない。
しかし、屋台に慣れた身にはちと高過ぎた。
なんとも驚くべき事に、時間ほぼぴったり、9時にチェンマイ駅へ到着。乗合タクシーを使って、目的の宿へと向かう。
「プラザ・イン」という宿なのだが、ここはトレッキングも受け付けている。というか、チェンマイはトレッキングがメインの観光都市なため、ほぼどんな宿でもトレッキングを取り扱っているらしい。そのため、宿としての利益は二の次で、トレッキングで利益を出しているそうな。
なるほど、この宿はかなり設備が良い。手ごろな値段にもかかわらず、衛星放送のNHKを視聴可能。部屋の内装も、普通のホテルに近く、贅沢な気分。どういう訳か、宿のロゴが入ったTシャツをプレゼントされるサービスっぷり。特に問題もないようなので、トレッキングもここに決定。後で受付近くの談話室のようなところを覗いてみると、大量の日本語本、何故か特に美味しんぼがあったのが不思議。
外もきれいに晴れていたので一旦部屋で徹底的に洗濯をして、その後は昼食へ出かける。ここには「宇宙堂」という美味しくて安い日本食のレストランがあるという事で行ってみたが、この店。美味いのなんの。日本で食べるのと遜色ないくらい、いや、下手するとそれよりも美味しいかもしれない。なんでも日本人がオーナーだそうだが、大量の文庫本に、新聞まであるとは。
洗濯物を取り込みに帰った後、ワット・チェディルアン、そしてワット・プラ・シンへ。後者ではギンという日本語を勉強している青年に声をかけられる。大抵こういうことを言ってくる奴は怪しいのだが、どうやら彼は本気らしい。日本語の勉強の後があるノートに、辞書。難しい漢字に読み仮名をつけてくれとの事で、こころよく引き受ける。高卒で、日本料理店で働いているという事だが、日本の漫画が好きだとか。それにしても、個人的に勉強しているのはやはり偉い。ただ、「ナンパ」とか微妙な言葉ばかり覚えているのはどんなものか。面白いのだが。
ワット・チェンマンという寺では、庭でサッカーをしていた子供たちに入れてもらって一緒に遊ぶ。子供が元気すぎるのと、この国の、特にこの地域は暑いのとでバテバテ。しかし、実に楽しかった。
のだが、最後にちょっとお金を要求されてブルー。ただ、この子達はどうやら孤児であり、要求してきたのだがちょっと年上の子、それも控えめに言ってきたのがいたたまれない。
やはりあげられない。
道にかなり迷いながら、マイナーな寺であるワット・ターケオを目指す。ダンゴ型の、面白い寺なのだが地元の人が普通に利用していて観光客もいない。住宅地の真ん中にある静かな寺だった。
しかしだ、いかに庶民的だからといって、工事中の2階から鉄板が落ちてくるというのはどうか。しかも、僅か5センチ横をかすめて。本当に危なかった。笑えるけど笑えない。急に横に壁が現れたかと思った。
日も暮れたので、ナイトバザールへ行ってみる。あまり欲しいものも無かったが、麻のシャツが妙に欲しくなってしまったので、何とか値切って購入。きっと高いのだろうなとは思うが・・・欲しいものを欲しい所で買う。これ、旅行の鉄則。次にめぐり合えるとは限らない。
夕食はバザールのすぐ近くの、客がたくさん入っていて人気があるレストランへと入ってみるが、その値段に驚愕。いや、日本で考えれば決して高くは無いのだが、こちらの感覚ではかなり高い。恐れをなして、あまり頼めず終いであった。そんな店に、かなり客が入っているというのは、こっちの人はそう貧しくは無いという事だろう。あまりケチりすぎるのは、かえって面白くないのかもしれない。
しかし、屋台に慣れた身にはちと高過ぎた。
アユタヤー〜チェンマイ
2003年8月28日 朝は八時に起床。
チェックアウトを済ませてから、荷物を置かせてもらい、自転車を借りる。
昨日の事があったので、入念にブレーキをチェックしてから選んだのだが、これがまたも誤算。ブレーキはしっかり効くのだが、今度はパンク。疲れて疲れて仕方ない。この日は長い距離を、坂道を越えて進んだので、もの凄いゲンナリ。
そんなこんなで、異常に疲れる自転車をこぎつつ、ワット・ヤイチャイ・モンコンを見に行く。ここでは王様の像が大事に飾られており、実に自然に修学旅行の子供たちがそれを敬っていた。つくづく日本との違いを感じる。特に強制的というわけでもなく。
次には日本人町の跡へ。これが意外と遠くにあり、行き着くだけでもヘトヘト。だのに、文字通り跡地。何も無い。何故か、土産物屋に日本人店員がいただけ。たくさん日本人のツアーが組まれているというのに、これではがっかりだろうなと思った。何か工事をして、当時を再現、とかしてみれば良いのに。往復一時間以上かけたというのに、見るものが無く、20分いたかどうかだった。
あまりに疲れたので、自転車である事もお構いなく、渡し舟を使い戻る事に。この日本人町跡は、町の南東のはずれにあるため、川の向こう側なのだ。
川の近くで待っていると、目の前にヘルメットをつけて自転車を持つ日本人の老人の姿が。
この老人、話してみると、日本を「内地」と呼び、3ヶ月に一度は一ヶ月こちらにきているという不思議な老人。つまり、年の4分の1はタイ在住、という事になる。しかも、もう何十年も。アユタヤに家まで構えて、だのに、タイ料理は絶対に食べないらしい。日本食オンリー
この老人、よく喋る。喋って喋って、「女がこっちにおるでな」。はまだ良いとして、「その娘は血が繋がってないんだが、わしが育てた。結婚式にも出た」ってどうなのだろう。その後すぐわかれ、名前もわからないが、妙に印象的な人物。
一旦宿に戻り、自転車を取り替えることに。すると今度はサドルがおかしく、ケツが痛くなる。どこかに必ず欠陥が・・・
その自転車でアユタヤ歴史センターへ行くが、高いわりに見るものが無し。
遅い昼飯が、「sukiyake」。タイスキなのだが、もはや完全にすき焼きとは別物。美味しいから良いのだが。
時間が余ったので宿に戻って時間を潰す。宿では何人かの日本人旅行者と情報交換をし、Kと将棋をする。そして飼っているのだろうネコと戯れる。実に牧歌的で、こういうのもいい。
トゥクトゥクで駅まで行き、電車を使って一度バンコクへ戻る。そのままチェンマイへ行くのだが、寝台車を使うために、バンコクから出るのだ。
6時に着いてから、夕食を軽く食べ寝台車へ。かなり良い車両でくつろげるが、やはり少し高いせいか、客は多いとはいえない。
チェックアウトを済ませてから、荷物を置かせてもらい、自転車を借りる。
昨日の事があったので、入念にブレーキをチェックしてから選んだのだが、これがまたも誤算。ブレーキはしっかり効くのだが、今度はパンク。疲れて疲れて仕方ない。この日は長い距離を、坂道を越えて進んだので、もの凄いゲンナリ。
そんなこんなで、異常に疲れる自転車をこぎつつ、ワット・ヤイチャイ・モンコンを見に行く。ここでは王様の像が大事に飾られており、実に自然に修学旅行の子供たちがそれを敬っていた。つくづく日本との違いを感じる。特に強制的というわけでもなく。
次には日本人町の跡へ。これが意外と遠くにあり、行き着くだけでもヘトヘト。だのに、文字通り跡地。何も無い。何故か、土産物屋に日本人店員がいただけ。たくさん日本人のツアーが組まれているというのに、これではがっかりだろうなと思った。何か工事をして、当時を再現、とかしてみれば良いのに。往復一時間以上かけたというのに、見るものが無く、20分いたかどうかだった。
あまりに疲れたので、自転車である事もお構いなく、渡し舟を使い戻る事に。この日本人町跡は、町の南東のはずれにあるため、川の向こう側なのだ。
川の近くで待っていると、目の前にヘルメットをつけて自転車を持つ日本人の老人の姿が。
この老人、話してみると、日本を「内地」と呼び、3ヶ月に一度は一ヶ月こちらにきているという不思議な老人。つまり、年の4分の1はタイ在住、という事になる。しかも、もう何十年も。アユタヤに家まで構えて、だのに、タイ料理は絶対に食べないらしい。日本食オンリー
この老人、よく喋る。喋って喋って、「女がこっちにおるでな」。はまだ良いとして、「その娘は血が繋がってないんだが、わしが育てた。結婚式にも出た」ってどうなのだろう。その後すぐわかれ、名前もわからないが、妙に印象的な人物。
一旦宿に戻り、自転車を取り替えることに。すると今度はサドルがおかしく、ケツが痛くなる。どこかに必ず欠陥が・・・
その自転車でアユタヤ歴史センターへ行くが、高いわりに見るものが無し。
遅い昼飯が、「sukiyake」。タイスキなのだが、もはや完全にすき焼きとは別物。美味しいから良いのだが。
時間が余ったので宿に戻って時間を潰す。宿では何人かの日本人旅行者と情報交換をし、Kと将棋をする。そして飼っているのだろうネコと戯れる。実に牧歌的で、こういうのもいい。
トゥクトゥクで駅まで行き、電車を使って一度バンコクへ戻る。そのままチェンマイへ行くのだが、寝台車を使うために、バンコクから出るのだ。
6時に着いてから、夕食を軽く食べ寝台車へ。かなり良い車両でくつろげるが、やはり少し高いせいか、客は多いとはいえない。
バンコク〜アユタヤー
2003年8月27日 いつもの朝飯を買う。つまり、ヨーグルトと野菜ジュース。こっちでは牛乳を飲んでいない為、カルシウムを補う為にヨーグルトを。野菜ジュースは・・・まぁ、40%の野菜ジュースに意味があるのかどうかはわからないが。
そういえば、こちらでは人参は半分果物になっているようだ。コーンに到ってはアイスのトッピングにまで。
そんな朝食後、荷物を担いでホアランポーン駅へと。電車でアユタヤーへと向かう。電車で2時間程度。そこそこの快適さで、僅か15B。タイの電車はかつて無く安い。
アユタヤーは東洋のヴェネチアと呼ばれる河と運河の街(〇〇のヴェネチアという名称はいくつあるんだと思わないでもないが)。その名残もあり、駅からは渡し舟で街中へ。タクシーやらトゥクトゥクの誘いを振り切り、2?ほど歩いて「PS」というゲストハウスへ。
ここは元英語の教師をしていた婆ちゃんが経営しているということなのだが、夏休みのお婆ちゃんの家、といったつくりで、風情があって非常に良い。木の階段を上った二階が部屋なのだが、ドタドタ下りると階段が壊れるから止めてくれ、とのこと。部屋も、クーラーつきの部屋だがクーラー使わなければ安値で良いというように融通が効く。
改めて見ると、なるほど教師といった世話焼きっぽい婆ちゃんに、手書きの地図を貰って丁寧に見所の案内をしてもらう。ガイドにも書き込みをされ、すっかりPS仕様のガイドへと変貌。ここでは、レンタサイクルもやっているという事でこれを借り(当然と言えば当然だが、電車代より高い・・・)、昼飯へ。
屋台で昼食を摂った後は、観光。ワット・プラ・ラームでは、長い年月の間に木に埋もれてしまった仏像を見、ワット・ラーチャプナではなかなか大きい遺跡を見るが、どうしてもアンコールワットと比較をしてしまう・・・
後者で、日本人の二人連れと情報交換。あちらが行ってきたチェンマイと、こちらが行ったバンコクの様子を報告し合い、なかなかに有意義であった。
次に、遺跡群の中心部にある、王宮周辺へと向かう。有名な三基の仏塔も大きかったが、どうやらこの辺り一体は一度破壊されたようだ。アユタヤー様式は、木造であった為にその損傷度が激しいらしい。アンコール様式は古いが、石造りであった為にきれいに残っているという事。
ここもやはり、修学旅行生がかなり多い。
クンベン・レジデンスというタイ風伝統家屋が良い雰囲気。こういう雰囲気が好きで、バンコクでもよく訪れる事になる。
少し離れた、ワット・ロカヤスタへと向かう。途中、これまた修学旅行らしい小学生達と遭遇。しかし、のんびりしたもので、あまり観光もせずに広場で遊んでいるではないか。通りがかると手を振るので、近づくとキャアキャア笑いながら逃げ散る。追い掛け回し、戻ろうとするとまた近寄りながら手を振る。そんな風に戯れ。
ていると、またしても先ほど情報交換した日本人と遭遇。話をしながらワット・ロカヤスタへ。
有名な涅槃仏で、まさしく「サガットのステージ」。ばかに大きい仏像が青空の下で寝転がっているのは、妙に非現実的。
一度国立博物館へ行って、鑑賞。仏像の嵐。だれ気味。人も非常に少なく、館員が子供をあやしている声ばかりが響く。しかも、4時半で締め出される。ここの公務員は楽だよな、つくづくそう思う。心からそう思う。
時間が余ったので、もう一回りをしようと、ワット・チャイワットナラームと、その途中にあるスリヨータイ王妃のチェディという、白くてきれいなのだがかなり地味な観光地へ行ってみる。ここはそれよりも、その近くであった、葬式らしい出来事の方が印象的だった。
ワット・チャイワットナラームはかなり外れの方にある観光地で、遠い。アユタヤー自体は、川の中の島のような地形で、その中の西半分が遺跡群なのだが、この寺は川を越えた西南方面にあるのだ。そこへ向かっているうちに、どうやらこの借りている自転車は、ブレーキが効かない事が判明。当然、猛烈な下り坂は恐怖。おかげでサンダルの踵が磨り減ってしまった。
着いた寺、ワット・チャイワットナラームは、かなり見事な遺跡。保存状態も良好だと思ったらクメール様式(アンコールという事)だそうな。それでも、大きさといい見事なものだった。そんな事を考えながらボーっと見ていると、今度は高校生らしき修学旅行の集団が。こいつらが、日本人の学生そのままで面白かった。
悪そうな奴等は「興味あるか」みたいな顔で固まってあまり見ようとしない。制服の着こなしもちょっと違ったりする。特に女生徒は、やたらに長いスカートがいて、それはそれで悪そうなんだなと。しかし、なんだかんだで記念撮影をしているところなど微笑ましい。
それにしても、制服は無秩序。yシャツは普通だが、スカートなど色も長さもばらばら。男ではGパンを履いている奴もいて、なんとも思っていない風な教師。よくわからない。制服の意味は。
夕食は中心部へ戻って。ここまでも、いつもそうだったのだがKの持っている、電池で使う蚊取り線香のようなものは、周囲の興味を一身に集める。ここでも、ニコニコと話をする食堂の娘が何事か言っていた。
夕食も終わり、帰ろうと夜道を自転車こいでいると、突然道端から声がかかる。ふりむくと宿の婆ちゃんと、そして宿泊客で、婆ちゃん正装。何事かと呼び止められてみると、自転車はそこら辺に置いておいて良いからついてこい、とのこと。よく分からないまま着いていくと、乗合タクシー使って、川まで渡って外れの方の寺院に着く。何とそこでは大規模な縁日が。縁日と呼ぶのかどうかはよく分からないが、とにかく、日本風の縁日とほぼ変わらないものが広がっていた。
まぁ、服ばかりと言えばそうなのだが、そうでないものもかなり多く、非常に面白かった。大きな蛇を使っての見世物もあり、トラックを使っての派手な劇もあり、謎の日本語をプリントしたハーフパンツも買って、かなり満足。
ちなみに、ハーフパンツには「一生懸命解読した、必読の一冊です」とのプリント。
そういえば、こちらでは人参は半分果物になっているようだ。コーンに到ってはアイスのトッピングにまで。
そんな朝食後、荷物を担いでホアランポーン駅へと。電車でアユタヤーへと向かう。電車で2時間程度。そこそこの快適さで、僅か15B。タイの電車はかつて無く安い。
アユタヤーは東洋のヴェネチアと呼ばれる河と運河の街(〇〇のヴェネチアという名称はいくつあるんだと思わないでもないが)。その名残もあり、駅からは渡し舟で街中へ。タクシーやらトゥクトゥクの誘いを振り切り、2?ほど歩いて「PS」というゲストハウスへ。
ここは元英語の教師をしていた婆ちゃんが経営しているということなのだが、夏休みのお婆ちゃんの家、といったつくりで、風情があって非常に良い。木の階段を上った二階が部屋なのだが、ドタドタ下りると階段が壊れるから止めてくれ、とのこと。部屋も、クーラーつきの部屋だがクーラー使わなければ安値で良いというように融通が効く。
改めて見ると、なるほど教師といった世話焼きっぽい婆ちゃんに、手書きの地図を貰って丁寧に見所の案内をしてもらう。ガイドにも書き込みをされ、すっかりPS仕様のガイドへと変貌。ここでは、レンタサイクルもやっているという事でこれを借り(当然と言えば当然だが、電車代より高い・・・)、昼飯へ。
屋台で昼食を摂った後は、観光。ワット・プラ・ラームでは、長い年月の間に木に埋もれてしまった仏像を見、ワット・ラーチャプナではなかなか大きい遺跡を見るが、どうしてもアンコールワットと比較をしてしまう・・・
後者で、日本人の二人連れと情報交換。あちらが行ってきたチェンマイと、こちらが行ったバンコクの様子を報告し合い、なかなかに有意義であった。
次に、遺跡群の中心部にある、王宮周辺へと向かう。有名な三基の仏塔も大きかったが、どうやらこの辺り一体は一度破壊されたようだ。アユタヤー様式は、木造であった為にその損傷度が激しいらしい。アンコール様式は古いが、石造りであった為にきれいに残っているという事。
ここもやはり、修学旅行生がかなり多い。
クンベン・レジデンスというタイ風伝統家屋が良い雰囲気。こういう雰囲気が好きで、バンコクでもよく訪れる事になる。
少し離れた、ワット・ロカヤスタへと向かう。途中、これまた修学旅行らしい小学生達と遭遇。しかし、のんびりしたもので、あまり観光もせずに広場で遊んでいるではないか。通りがかると手を振るので、近づくとキャアキャア笑いながら逃げ散る。追い掛け回し、戻ろうとするとまた近寄りながら手を振る。そんな風に戯れ。
ていると、またしても先ほど情報交換した日本人と遭遇。話をしながらワット・ロカヤスタへ。
有名な涅槃仏で、まさしく「サガットのステージ」。ばかに大きい仏像が青空の下で寝転がっているのは、妙に非現実的。
一度国立博物館へ行って、鑑賞。仏像の嵐。だれ気味。人も非常に少なく、館員が子供をあやしている声ばかりが響く。しかも、4時半で締め出される。ここの公務員は楽だよな、つくづくそう思う。心からそう思う。
時間が余ったので、もう一回りをしようと、ワット・チャイワットナラームと、その途中にあるスリヨータイ王妃のチェディという、白くてきれいなのだがかなり地味な観光地へ行ってみる。ここはそれよりも、その近くであった、葬式らしい出来事の方が印象的だった。
ワット・チャイワットナラームはかなり外れの方にある観光地で、遠い。アユタヤー自体は、川の中の島のような地形で、その中の西半分が遺跡群なのだが、この寺は川を越えた西南方面にあるのだ。そこへ向かっているうちに、どうやらこの借りている自転車は、ブレーキが効かない事が判明。当然、猛烈な下り坂は恐怖。おかげでサンダルの踵が磨り減ってしまった。
着いた寺、ワット・チャイワットナラームは、かなり見事な遺跡。保存状態も良好だと思ったらクメール様式(アンコールという事)だそうな。それでも、大きさといい見事なものだった。そんな事を考えながらボーっと見ていると、今度は高校生らしき修学旅行の集団が。こいつらが、日本人の学生そのままで面白かった。
悪そうな奴等は「興味あるか」みたいな顔で固まってあまり見ようとしない。制服の着こなしもちょっと違ったりする。特に女生徒は、やたらに長いスカートがいて、それはそれで悪そうなんだなと。しかし、なんだかんだで記念撮影をしているところなど微笑ましい。
それにしても、制服は無秩序。yシャツは普通だが、スカートなど色も長さもばらばら。男ではGパンを履いている奴もいて、なんとも思っていない風な教師。よくわからない。制服の意味は。
夕食は中心部へ戻って。ここまでも、いつもそうだったのだがKの持っている、電池で使う蚊取り線香のようなものは、周囲の興味を一身に集める。ここでも、ニコニコと話をする食堂の娘が何事か言っていた。
夕食も終わり、帰ろうと夜道を自転車こいでいると、突然道端から声がかかる。ふりむくと宿の婆ちゃんと、そして宿泊客で、婆ちゃん正装。何事かと呼び止められてみると、自転車はそこら辺に置いておいて良いからついてこい、とのこと。よく分からないまま着いていくと、乗合タクシー使って、川まで渡って外れの方の寺院に着く。何とそこでは大規模な縁日が。縁日と呼ぶのかどうかはよく分からないが、とにかく、日本風の縁日とほぼ変わらないものが広がっていた。
まぁ、服ばかりと言えばそうなのだが、そうでないものもかなり多く、非常に面白かった。大きな蛇を使っての見世物もあり、トラックを使っての派手な劇もあり、謎の日本語をプリントしたハーフパンツも買って、かなり満足。
ちなみに、ハーフパンツには「一生懸命解読した、必読の一冊です」とのプリント。
バンコク
2003年8月26日 前日から、「ホワイト・ロッジ」という宿に泊まっていたのだが、チェックインした時は大き目の、少し高い部屋しか空いてなかった。そのため、朝に通常の大きさの部屋にチェンジする。
まずは離婚ファーム。もとい、リコンファームをしに行く。以前中国でオーバーブックをされた事があるため、格安航空券というものをあまり信用できない。こと航空券に関しては早め早めに行動しようと思っている。
直接空港に行こうかとも考えたが、やはり面倒。そこで、HISに行き、場所がわからないエジプト航空のオフィスの場所を教えてもらう。途中、主に日本語の本が置いてある古本屋や、スーパーマーケットなどをのぞいてみつつ、BTSサートゥーン駅至近のデパート内にあるオフィスへ。にこやかなお姉さんに受け付けてもらい、無事リコンファーム終了。
昼食は、デパートの中のチェーン店で。Kは何故か行きたがっていたマックへ。タイのマックではドナルドが両手を体の前で合わせて「コップンカァ」の挨拶をしているのが面白い。こちらはタイ料理のチェーンへ行ったが、値段が高いだけ、しかもいかにもチェーンといった味。何と言ったらいいかは分からないが、大量生産な味。ま、これも経験だろうか。
その後は、しばらくにょきにょきと生えるビルの間をうろうろ。エリートっぽい女性が非常に多い。屋台のタピオカ入りティーの種類が、タイ語で書かれていて分からないでいるところをにこやかに英語で助けてくれた。
しかし、エリートっぽいタイ人男性というのを見た記憶がないのは何故なのだろう。
あちこちにある百貨店は、基本的に割高。そして人員過剰。
そして、ワールドトレードセンターは超現代的なきれいさで圧倒される。圧倒的に都会だなといった風景。ここだけタイではないような。
プラトゥーナーム市場という、服の市場にも行ってみたのだが、どうにも実用品ばかりといったところで、あまり面白いと思えるものは無かった。
夕食は、サートゥーン駅近くの屋台で。イカの炒め物は非常においしかったが、ここでスコール。スコールの中屋台というのはあまりよろしいものではない。そのスコールのせいか、この後行ってみた有名な日本人向けの危ない通り、ここからエイズが拡散していったという話もあるタニヤ通りとパッポン通りは、想像していたよりも大人しく、拍子抜け。
まずは離婚ファーム。もとい、リコンファームをしに行く。以前中国でオーバーブックをされた事があるため、格安航空券というものをあまり信用できない。こと航空券に関しては早め早めに行動しようと思っている。
直接空港に行こうかとも考えたが、やはり面倒。そこで、HISに行き、場所がわからないエジプト航空のオフィスの場所を教えてもらう。途中、主に日本語の本が置いてある古本屋や、スーパーマーケットなどをのぞいてみつつ、BTSサートゥーン駅至近のデパート内にあるオフィスへ。にこやかなお姉さんに受け付けてもらい、無事リコンファーム終了。
昼食は、デパートの中のチェーン店で。Kは何故か行きたがっていたマックへ。タイのマックではドナルドが両手を体の前で合わせて「コップンカァ」の挨拶をしているのが面白い。こちらはタイ料理のチェーンへ行ったが、値段が高いだけ、しかもいかにもチェーンといった味。何と言ったらいいかは分からないが、大量生産な味。ま、これも経験だろうか。
その後は、しばらくにょきにょきと生えるビルの間をうろうろ。エリートっぽい女性が非常に多い。屋台のタピオカ入りティーの種類が、タイ語で書かれていて分からないでいるところをにこやかに英語で助けてくれた。
しかし、エリートっぽいタイ人男性というのを見た記憶がないのは何故なのだろう。
あちこちにある百貨店は、基本的に割高。そして人員過剰。
そして、ワールドトレードセンターは超現代的なきれいさで圧倒される。圧倒的に都会だなといった風景。ここだけタイではないような。
プラトゥーナーム市場という、服の市場にも行ってみたのだが、どうにも実用品ばかりといったところで、あまり面白いと思えるものは無かった。
夕食は、サートゥーン駅近くの屋台で。イカの炒め物は非常においしかったが、ここでスコール。スコールの中屋台というのはあまりよろしいものではない。そのスコールのせいか、この後行ってみた有名な日本人向けの危ない通り、ここからエイズが拡散していったという話もあるタニヤ通りとパッポン通りは、想像していたよりも大人しく、拍子抜け。
シェムリアップ〜ポイペト〜アランヤプラテート〜バンコク
2003年8月25日 朝は7時に起床。全て後片付けをして、出発の準備。
行きと違って、ミニバスに乗り込む。すると、後ろの座席には大阪人の男が二人。これが、絶望的にうるさい。何が可笑しいのか知らないが、下らない事でヒステリックに笑いまくる。隣の欧米人が変な目で見ていたほど。不快指数が高かった。
それもあったのだが、ひどいのは道の状況。往路にも増して揺れがひどく、後ろの二人がいなくとも眠るどころではない。しまいには、カーテンレールが壊れて頭の上に落ちてきた。
休憩をはさみ、ようやっと国境付近に到ると、道の状況もすこしづつマシになってくる。ちょうど12時頃にポイペトへと到着。
不思議なもので、来た時あれほど混沌とした状況に見えた国境近辺が、それほどとは思えない。普通にすら思えてくる。人間とは慣れるものだ。
手続きを終え、バスに乗り込む。この国境での手続きには、少し不安があった。タイは、空路で往復する分には、日本人は30日間に限りビザは必要ない。が、陸路ではこの限りではないのだ。現実にはほとんどビザ無しで通れるらしいと聞いていたが。
そして、それは現実であった。一安心。しかしこうなると、難民が押し寄せてきたりしないものなのかと、要らぬ心配をしてみる。
バスはうって変わって快適。いや、変わったのは道路か。舗装された道路のありがたさをしみじみとかみ締める。タイは先進国だ。
しかし、車中で出されたジュース。これを疑う。どうもタイ国内では、長距離バスの車内で睡眠薬入りジュースを飲ませて身包みはがす事件が頻発しているらしい。それではないかと疑ったのだ。実際、次々と眠りこける周りの人。残ったのは自分と・・・明らかにそんなもの効きそうに無いガタイのいいアーミー服の欧米人たち。
ま、何にも無かったらしい。
途中で食べた焼き鳥は美味しかった。どうも、その場で絞めているのだろうか。そしてそれを炭焼き。美味くないはずが無い。普通のオバチャンが作っていたが、この旅最高の鶏肉だった。
そんなこんなで、順調にバンコクへと到着。カオサンで降ろされたが、中心部の、ホアランポーン駅近くに宿を取りたかったため、水上バス、そしてBTSという電車を乗り継いで中心部へ。目指したところはどこも部屋が一杯に近かったが、なんとか一部屋確保。
バンコクは、観光地が集まる王宮周辺と、中心部とではまるで風景が違う。便利さも違うが、宿の値段も違う。観光地の方が安いというのも不思議な話だ。
落ち着いた後、駅へと向かう。チェンマイ行きの電車を予約するためだが、この駅は何かトラブルが多い。ように思える。インフォメーションを名乗る男たちが、やたらと近寄ってきて「その電車は運休だ」などなどろくでもないことを言う。それらしいカード(旅行会社のそれ。一応、認可されているらしい)を持っているだけにたちが悪い。捕まって時間を無駄にしてしまった。
帰りに屋台でタイスキを食べる。タイスキには見えないのだが、タイスキらしい。鍋の残りにご飯を入れたような食べ物。美味しいのだが、何か誤解があるような・・・ これは一般的に「ジャパニーズフード」らしいのだ。間違ってる。しかし、うまい。
行きと違って、ミニバスに乗り込む。すると、後ろの座席には大阪人の男が二人。これが、絶望的にうるさい。何が可笑しいのか知らないが、下らない事でヒステリックに笑いまくる。隣の欧米人が変な目で見ていたほど。不快指数が高かった。
それもあったのだが、ひどいのは道の状況。往路にも増して揺れがひどく、後ろの二人がいなくとも眠るどころではない。しまいには、カーテンレールが壊れて頭の上に落ちてきた。
休憩をはさみ、ようやっと国境付近に到ると、道の状況もすこしづつマシになってくる。ちょうど12時頃にポイペトへと到着。
不思議なもので、来た時あれほど混沌とした状況に見えた国境近辺が、それほどとは思えない。普通にすら思えてくる。人間とは慣れるものだ。
手続きを終え、バスに乗り込む。この国境での手続きには、少し不安があった。タイは、空路で往復する分には、日本人は30日間に限りビザは必要ない。が、陸路ではこの限りではないのだ。現実にはほとんどビザ無しで通れるらしいと聞いていたが。
そして、それは現実であった。一安心。しかしこうなると、難民が押し寄せてきたりしないものなのかと、要らぬ心配をしてみる。
バスはうって変わって快適。いや、変わったのは道路か。舗装された道路のありがたさをしみじみとかみ締める。タイは先進国だ。
しかし、車中で出されたジュース。これを疑う。どうもタイ国内では、長距離バスの車内で睡眠薬入りジュースを飲ませて身包みはがす事件が頻発しているらしい。それではないかと疑ったのだ。実際、次々と眠りこける周りの人。残ったのは自分と・・・明らかにそんなもの効きそうに無いガタイのいいアーミー服の欧米人たち。
ま、何にも無かったらしい。
途中で食べた焼き鳥は美味しかった。どうも、その場で絞めているのだろうか。そしてそれを炭焼き。美味くないはずが無い。普通のオバチャンが作っていたが、この旅最高の鶏肉だった。
そんなこんなで、順調にバンコクへと到着。カオサンで降ろされたが、中心部の、ホアランポーン駅近くに宿を取りたかったため、水上バス、そしてBTSという電車を乗り継いで中心部へ。目指したところはどこも部屋が一杯に近かったが、なんとか一部屋確保。
バンコクは、観光地が集まる王宮周辺と、中心部とではまるで風景が違う。便利さも違うが、宿の値段も違う。観光地の方が安いというのも不思議な話だ。
落ち着いた後、駅へと向かう。チェンマイ行きの電車を予約するためだが、この駅は何かトラブルが多い。ように思える。インフォメーションを名乗る男たちが、やたらと近寄ってきて「その電車は運休だ」などなどろくでもないことを言う。それらしいカード(旅行会社のそれ。一応、認可されているらしい)を持っているだけにたちが悪い。捕まって時間を無駄にしてしまった。
帰りに屋台でタイスキを食べる。タイスキには見えないのだが、タイスキらしい。鍋の残りにご飯を入れたような食べ物。美味しいのだが、何か誤解があるような・・・ これは一般的に「ジャパニーズフード」らしいのだ。間違ってる。しかし、うまい。
シェムリアップ
2003年8月24日10時過ぎ頃活動開始。
宿で、来たばかりだという日本人女性に色々と聞かれる。どうにも、いかにも日本の女子大生だなといった感じ。
まずは宿で自転車を借りる。あまり上等とはいえないが、動くだけでも良しとしよう。一日イチドール。で借りられるのだから。
今まであまり見られなかった街中を、自転車でぐるっと一周。すぐに一周できてしまうのが、やはり狭い街である。銀行で両替をしてから、一度郵便局へと向かう。日本に向かって約束していたハガキを出すのだが、ここのハガキはあまり安くなく、「イッコイチドル」で買っておけば良かったと後悔。それから中央マーケットで昼食をとる。
あまり食欲がなかったのだが、小奇麗なマーケットの食事はなかなかに美味しい。特に、フルーツシェイクが絶品。どうやらこちらでフルーツシェイクというと、必ず人参がまじっているようだ。
午後は最初に、キリングフィールド。その跡地がある寺院へ。
日本語を勉強しているという青年が出てきて色々と解説を始めてくれた。こういう人は大抵の場合胡散臭いので、つい身構えてしまう。が、話を聞いていると、ここの寺は日本人団体の寄付で出来たもので、ために孤児教育として日本語も教えているのだそうだ。確かに青空学校で勉強道具が見受けられる。寺の絵を解説してくれた後、「ここに井戸がありました。昔、死体はこういった井戸の中に破棄されました」
といった解説を受ける。遺骨、頭蓋骨が山と詰まれた頭を横目に。
寄付をした。
こういうものを目にすると、寄付はしてしまう。心にくる。
次は地雷博物館へと赴く。
ガイドでは有名みたいだが、かなり分かり辛い場所にあり、ア・キーラさんという個人の手によるもの。しかも田舎町のようなところの真ん中を突っ切っていく為、ツアー客はいないし、それほど人も多くは無かった。しかし、印象は強烈。
撤去された地雷の山、山、山。そこで養われている孤児たち。ア・キーラさん自身の凄惨な内戦の体験談。寄付の換わりに、その体験談をつづった冊子を貰ったが、これは一読の価値がある。
ここで、ちょっとした出来事があった。レンタサイクルの鍵を、ここで無くしてしまったのだ。困り果てて探していると、手足のない子供たちが次々と近づいてきて、一緒に探してくれる。挙句、どうしても見つからない(これは不思議だった)となる
と、皆で鍵を壊すしかない、という事で力をあわせて鍵を壊してくれたのだ。
子供たちは無邪気というか、実に楽しそうではあった。感慨深い出来事であった。
再び自転車をこいで、アンコールワットへ。長い道のりをこいだので、着いた後は休憩。パイナップルシェイクを飲む。ここで物売りの少女達と戯れる。いちいち反応を返してくるのがかわいいが、何か約束があるのだろうか、店の敷地内にまでは入ってこなかった。
何故再びアンコールワットに来たかといえば、時間が余ったというのもそうなのだが、アンコールワットを携帯で撮る為。待ち受け画面にしたかったのだ。これで、満足。
3度目の正直とばかり、もう一度サンセットを見に行くが、この日もイマイチ。どうも恵まれていない。
再び長い道のりを自転車に乗って、中央マーケットで夕食。なかなかの味。しかし、ここで、帰りのバスの値段が足りない事が発覚。しかももう日も暮れていたので、あせって宿へと帰る。そこで日本人の旅行者にお願いして円をドルに替えて貰う事に。何とか助かったが、焦った。
自転車の鍵が壊れた、もとい、壊した事を恐る恐る宿の人に告げた。いくらかの弁償代は覚悟していたのだが。何故か笑って許してくれた。妙に寛容なのが不思議。
日焼けした一日。
宿で、来たばかりだという日本人女性に色々と聞かれる。どうにも、いかにも日本の女子大生だなといった感じ。
まずは宿で自転車を借りる。あまり上等とはいえないが、動くだけでも良しとしよう。一日イチドール。で借りられるのだから。
今まであまり見られなかった街中を、自転車でぐるっと一周。すぐに一周できてしまうのが、やはり狭い街である。銀行で両替をしてから、一度郵便局へと向かう。日本に向かって約束していたハガキを出すのだが、ここのハガキはあまり安くなく、「イッコイチドル」で買っておけば良かったと後悔。それから中央マーケットで昼食をとる。
あまり食欲がなかったのだが、小奇麗なマーケットの食事はなかなかに美味しい。特に、フルーツシェイクが絶品。どうやらこちらでフルーツシェイクというと、必ず人参がまじっているようだ。
午後は最初に、キリングフィールド。その跡地がある寺院へ。
日本語を勉強しているという青年が出てきて色々と解説を始めてくれた。こういう人は大抵の場合胡散臭いので、つい身構えてしまう。が、話を聞いていると、ここの寺は日本人団体の寄付で出来たもので、ために孤児教育として日本語も教えているのだそうだ。確かに青空学校で勉強道具が見受けられる。寺の絵を解説してくれた後、「ここに井戸がありました。昔、死体はこういった井戸の中に破棄されました」
といった解説を受ける。遺骨、頭蓋骨が山と詰まれた頭を横目に。
寄付をした。
こういうものを目にすると、寄付はしてしまう。心にくる。
次は地雷博物館へと赴く。
ガイドでは有名みたいだが、かなり分かり辛い場所にあり、ア・キーラさんという個人の手によるもの。しかも田舎町のようなところの真ん中を突っ切っていく為、ツアー客はいないし、それほど人も多くは無かった。しかし、印象は強烈。
撤去された地雷の山、山、山。そこで養われている孤児たち。ア・キーラさん自身の凄惨な内戦の体験談。寄付の換わりに、その体験談をつづった冊子を貰ったが、これは一読の価値がある。
ここで、ちょっとした出来事があった。レンタサイクルの鍵を、ここで無くしてしまったのだ。困り果てて探していると、手足のない子供たちが次々と近づいてきて、一緒に探してくれる。挙句、どうしても見つからない(これは不思議だった)となる
と、皆で鍵を壊すしかない、という事で力をあわせて鍵を壊してくれたのだ。
子供たちは無邪気というか、実に楽しそうではあった。感慨深い出来事であった。
再び自転車をこいで、アンコールワットへ。長い道のりをこいだので、着いた後は休憩。パイナップルシェイクを飲む。ここで物売りの少女達と戯れる。いちいち反応を返してくるのがかわいいが、何か約束があるのだろうか、店の敷地内にまでは入ってこなかった。
何故再びアンコールワットに来たかといえば、時間が余ったというのもそうなのだが、アンコールワットを携帯で撮る為。待ち受け画面にしたかったのだ。これで、満足。
3度目の正直とばかり、もう一度サンセットを見に行くが、この日もイマイチ。どうも恵まれていない。
再び長い道のりを自転車に乗って、中央マーケットで夕食。なかなかの味。しかし、ここで、帰りのバスの値段が足りない事が発覚。しかももう日も暮れていたので、あせって宿へと帰る。そこで日本人の旅行者にお願いして円をドルに替えて貰う事に。何とか助かったが、焦った。
自転車の鍵が壊れた、もとい、壊した事を恐る恐る宿の人に告げた。いくらかの弁償代は覚悟していたのだが。何故か笑って許してくれた。妙に寛容なのが不思議。
日焼けした一日。
シェムリアップ
2003年8月23日 前日、サネット、トラと約束した通り、5時半に出発して日の出を見にアンコールワットへ。しかし、どうも間に合わなかったようで、朝焼けは見る事が出来なかった。
Kがパスポートを置いてきてしまったので、一回宿に戻り、それからこの日は、アンコールワット近辺の遺跡群を回る事にする。
あまりにも遺跡の数と種類が多すぎるので、いちいち書くことも出来ないくらいだが、最高だったのがタ・プローム。
崩壊しかけた遺跡にまとわりつくように樹木が生えており、その巨大な木の根はさながら血管の様。ラピュタのよう、何よりも神秘的な雰囲気で満たされており、その一角には保存状態の良いレリーフも残っている。人も意外と多くはなく、古代文明の消失、とでもいうようなたまらない空間。
別の遺跡では、物売りの女の子達と少し話をする。本当かどうかは分からないが、両親がいないため、妹達と自分を学校に行かせるために物を売っているのだとか。名前はリアップで、15歳。色々交渉しつつ笛のような工芸品を1ドルで買い、その使い方を教えてもらった。上手くふけないと、その妹らしき子たちにからかわれれるのだが、それもまた良し。何故か、花を書いたノートの切れ端を貰う。
ここでは、上海を発って2ヶ月という日本人とも少し仲良くなった。なんでも、200ドルを騙し取られてという事で、かなりひもじい生活を強いられているようだ。眼鏡をかけて色黒の、いつもにこにこしている目の細い人物。この人とは、帰りの飛行機でかなり偶然にも同じになる事になる。逞しげな人物。
昼飯を食べて、3〜4時くらいには大方見終わる。動き出した時間が早かったせいだろう。
この頃になると、物売りの扱い方が段々分かってきた。「イッコイチドール」等と言いながら近寄ってくるのだが、それは気にせずに、会話をしてしまうのだ。「How old are you?」なんて聞くと、根が純真なのか、ほとんどの場合素直に答えてしまう。そうやって会話にしていけばいつしか物を売る事を忘れてしまうというわけ。二言三言会話をして「バイバイ」と手を振れば、「バイバイ」と返してくれる。ぞんざいに振り払うよりは気持ちがよい。
それにしても、思う。よく勉強している。英語も、そして日本語も。学校に入っていないというのに。
バイヨンをもう一度見て、再び同じ所へサンセットを見に行く。この場所はポイントらしく、人が多いのだが、不愉快な日本人も多い。
大体、俺は他の旅行者とは違うんだぜ的な、勘違いしたバックパッカーが嫌いだ。その多くは、頭にタオルを巻き、チャラチャラと首につけて、ハーフパンツにボロボロのサンダルを履く。地雷のTシャツを着ている確率も高い。
そして、こういう輩ほど日本人同士つるむ事が多い。なのに、現地人と仲良くなりたがる。媚びるように。一番だまされやすいタイプだ。
そんな日本人が、わんさか。7,8人で固まっているのを見て、かなりげんなり。そんなに連れ立たないといけないものなのだろうか。金髪の日本人というのは、国外で見るとかなり恥ずかしいのは何故なのだろうか。
結局、またもサンセットは見れず。街へと戻り、バイクタクシーとはここでお別れ。翌日は自転車を借りる事にする。
夕飯は、街の市場で食べたのだが、どうもイマイチ。看板娘というのだろうか、食堂の娘さんに味見を勧められて、美味しかったから入ったのだが、ここは大丈夫だろうと安心して味見した物とは違うものを頼んだところ、大失敗。やはり、カンボジアでは食べ物運が悪い。
Kがパスポートを置いてきてしまったので、一回宿に戻り、それからこの日は、アンコールワット近辺の遺跡群を回る事にする。
あまりにも遺跡の数と種類が多すぎるので、いちいち書くことも出来ないくらいだが、最高だったのがタ・プローム。
崩壊しかけた遺跡にまとわりつくように樹木が生えており、その巨大な木の根はさながら血管の様。ラピュタのよう、何よりも神秘的な雰囲気で満たされており、その一角には保存状態の良いレリーフも残っている。人も意外と多くはなく、古代文明の消失、とでもいうようなたまらない空間。
別の遺跡では、物売りの女の子達と少し話をする。本当かどうかは分からないが、両親がいないため、妹達と自分を学校に行かせるために物を売っているのだとか。名前はリアップで、15歳。色々交渉しつつ笛のような工芸品を1ドルで買い、その使い方を教えてもらった。上手くふけないと、その妹らしき子たちにからかわれれるのだが、それもまた良し。何故か、花を書いたノートの切れ端を貰う。
ここでは、上海を発って2ヶ月という日本人とも少し仲良くなった。なんでも、200ドルを騙し取られてという事で、かなりひもじい生活を強いられているようだ。眼鏡をかけて色黒の、いつもにこにこしている目の細い人物。この人とは、帰りの飛行機でかなり偶然にも同じになる事になる。逞しげな人物。
昼飯を食べて、3〜4時くらいには大方見終わる。動き出した時間が早かったせいだろう。
この頃になると、物売りの扱い方が段々分かってきた。「イッコイチドール」等と言いながら近寄ってくるのだが、それは気にせずに、会話をしてしまうのだ。「How old are you?」なんて聞くと、根が純真なのか、ほとんどの場合素直に答えてしまう。そうやって会話にしていけばいつしか物を売る事を忘れてしまうというわけ。二言三言会話をして「バイバイ」と手を振れば、「バイバイ」と返してくれる。ぞんざいに振り払うよりは気持ちがよい。
それにしても、思う。よく勉強している。英語も、そして日本語も。学校に入っていないというのに。
バイヨンをもう一度見て、再び同じ所へサンセットを見に行く。この場所はポイントらしく、人が多いのだが、不愉快な日本人も多い。
大体、俺は他の旅行者とは違うんだぜ的な、勘違いしたバックパッカーが嫌いだ。その多くは、頭にタオルを巻き、チャラチャラと首につけて、ハーフパンツにボロボロのサンダルを履く。地雷のTシャツを着ている確率も高い。
そして、こういう輩ほど日本人同士つるむ事が多い。なのに、現地人と仲良くなりたがる。媚びるように。一番だまされやすいタイプだ。
そんな日本人が、わんさか。7,8人で固まっているのを見て、かなりげんなり。そんなに連れ立たないといけないものなのだろうか。金髪の日本人というのは、国外で見るとかなり恥ずかしいのは何故なのだろうか。
結局、またもサンセットは見れず。街へと戻り、バイクタクシーとはここでお別れ。翌日は自転車を借りる事にする。
夕飯は、街の市場で食べたのだが、どうもイマイチ。看板娘というのだろうか、食堂の娘さんに味見を勧められて、美味しかったから入ったのだが、ここは大丈夫だろうと安心して味見した物とは違うものを頼んだところ、大失敗。やはり、カンボジアでは食べ物運が悪い。
シェムリアップ
2003年8月22日 早速、ワクワクしながらアンコールワットへと向かう事にする。
シェムリアップの街から遺跡群までは軽く7,8?はあり、着いてからも広いため、バイクタクシーを1人1台チャーターする事になる。一日6ドル。 運転手はサネットとトラと言って、22,3歳という、ちょうど同じ位の年齢の若者。サネットは真面目系(カンボジア人にしては)で、トラは甘いマスクの女好き。二人ともなんとまぁ、日本語が話せるのだが、サネットの方が上手いか。
バイクはホンダのなかなか良さそうなバイク。しかし、メーターは壊れてるし、ミラーは無い、しかもノーヘルで70,80キロも出された日には、さすがに少し恐くもなろう。二人乗りの経験が何回かあってよかった。
アンコールワットは、それ自体はそうでもないのだが周辺遺跡も含めた全体が非常に大きい為、1日券、3日券、7日券と選んで、一括して購入する。それぞれ20ドル、40ドル、60ドルと尋常でなく高いが、それも地雷除去と管理維持を思えば。
券を作るために写真を撮るのだ(タダ)が、どうしても笑顔の写真を撮りたがる撮影のオジサン。意味が無いと思うのだが。
さて、左右に広がるジャングルを見ながら、道を左に抜けると、そこに見えてくるのは江戸城など比較にならないほど大きい堀。そしてその中に圧倒的な存在感を持ってたたずむアンコールワット。
そのシルエット。
は、しかし通り過ぎる。アンコールワットは西向きで、それ以外の遺跡は基本的に東向きなため、午前中にはアンコールワットに行かない方が良いらしい。お預けをくらった気分。
しかししかし、向かったもう一つのハイライト、アンコール・トムのバイヨンという遺跡は、これまた感動的。黒い石の山がそびえ立っているように、理科の実験で見た黒曜石がうずたかく積まれているように、遠目からは見えるのだが、ちょっとでも近づくと諸所に見える神々の顔。そして壁一面に描かれている精巧なレリーフ。これは遺跡群全体にいえるのだが、適度な保存状態と言うべきか、適度な破壊状態と言おうか、雰囲気がありつつ見るべきものが残っているこのバランスが素晴らしい。
ここには色々な人がいて、それもまた面白い。
お布施と線香を要求してくる婆ちゃん(ヒンドゥーの遺跡なのに、仏教用に使われてしまっているようだ)と、線香をあげて写真を撮ろうとすると、婆ちゃんは慌てて身づくろいを始めたりする。
トイレに行ったKとはぐれてしまい、座りながら話をしている警備員(だと思われる)女性二人は、はにかみながら英語で話してきたし、写真を撮ると「イチドル」と要求する少女達もいる。それがまた妙にいじらしかったり。
写真のポイントを教えてくれた少年達もいたが、こちらはなにも要求しなかった。何故か。
Kと再会し、なんとかアンコール・トム全体を見る。王宮、バプオン、ピミアナカス。一つ一つ雰囲気があって酔いそうになる。途中、勝手にガイドをしてきた子供たちがいたが、案の定金を要求。「ジュウドルジュウドル。」との言葉に「ナイナイ、カネナイ」とやると、これがまた、途端に悪態をつく。しかも日本語で。「バカ」「オカマ」が一般的だが、「ポルポト」なんてのも。腹は立つが、面白い。
遺跡群の中は、特に物売りが激しくて、油断すると、「オニーサン、オニーサン」と囲まれる。よくあるのが絵葉書と木の腕輪なのだが、この腕輪売りが面白い。大概小さい子なのだが、歌うように言う。
「イッコイチドール
・・・
ニコイチドール
・・・
サンコイチドール
・・・
・・・
ゼンブイチドール」
えー、腕に持ってるのが大体20個だから、ちょっと粘ると、いや、買う気が無くて追い払ってるだけで20分の1になるということだ。恐らく、元手がかからないからなんとしてもドルが欲しいのだろう。ここではドルが一般的で価値がある通貨だから。
大して美味くも無い昼飯を食べた後(カンボジアではあまり「ご飯運」はなかった)、いよいよアンコール・ワットへ。炎天下、暑かったのだが、これまたレリーフがすごい。もの凄い。そして何より雰囲気が良すぎる。周り中ジャングルで、その中にボン、と建っているのがたまらない。ざっと見ればおそらくすぐ見終わってしまうだろうが、それは出来なかった。させてもらえなかった印象。存在感。
イマイチのココナッツシェイクで休憩を取った後、最後にプノン・バケンという登るのに非常に労力を有する高台にのぼり、夕日を眺めて終わりにしようと思った。が、雨模様。急遽取りやめにして、市内のマーケットで土産を物色。市場は干物の匂いで一杯。はっきり言って臭いです。交渉して、何個か果物も買ってみる。
夜飯は、ヌードルと天津丼。特にこのヌードル・・・あからさまにインスタント。
翌日5時起きなので早々に寝る。
シェムリアップの街から遺跡群までは軽く7,8?はあり、着いてからも広いため、バイクタクシーを1人1台チャーターする事になる。一日6ドル。 運転手はサネットとトラと言って、22,3歳という、ちょうど同じ位の年齢の若者。サネットは真面目系(カンボジア人にしては)で、トラは甘いマスクの女好き。二人ともなんとまぁ、日本語が話せるのだが、サネットの方が上手いか。
バイクはホンダのなかなか良さそうなバイク。しかし、メーターは壊れてるし、ミラーは無い、しかもノーヘルで70,80キロも出された日には、さすがに少し恐くもなろう。二人乗りの経験が何回かあってよかった。
アンコールワットは、それ自体はそうでもないのだが周辺遺跡も含めた全体が非常に大きい為、1日券、3日券、7日券と選んで、一括して購入する。それぞれ20ドル、40ドル、60ドルと尋常でなく高いが、それも地雷除去と管理維持を思えば。
券を作るために写真を撮るのだ(タダ)が、どうしても笑顔の写真を撮りたがる撮影のオジサン。意味が無いと思うのだが。
さて、左右に広がるジャングルを見ながら、道を左に抜けると、そこに見えてくるのは江戸城など比較にならないほど大きい堀。そしてその中に圧倒的な存在感を持ってたたずむアンコールワット。
そのシルエット。
は、しかし通り過ぎる。アンコールワットは西向きで、それ以外の遺跡は基本的に東向きなため、午前中にはアンコールワットに行かない方が良いらしい。お預けをくらった気分。
しかししかし、向かったもう一つのハイライト、アンコール・トムのバイヨンという遺跡は、これまた感動的。黒い石の山がそびえ立っているように、理科の実験で見た黒曜石がうずたかく積まれているように、遠目からは見えるのだが、ちょっとでも近づくと諸所に見える神々の顔。そして壁一面に描かれている精巧なレリーフ。これは遺跡群全体にいえるのだが、適度な保存状態と言うべきか、適度な破壊状態と言おうか、雰囲気がありつつ見るべきものが残っているこのバランスが素晴らしい。
ここには色々な人がいて、それもまた面白い。
お布施と線香を要求してくる婆ちゃん(ヒンドゥーの遺跡なのに、仏教用に使われてしまっているようだ)と、線香をあげて写真を撮ろうとすると、婆ちゃんは慌てて身づくろいを始めたりする。
トイレに行ったKとはぐれてしまい、座りながら話をしている警備員(だと思われる)女性二人は、はにかみながら英語で話してきたし、写真を撮ると「イチドル」と要求する少女達もいる。それがまた妙にいじらしかったり。
写真のポイントを教えてくれた少年達もいたが、こちらはなにも要求しなかった。何故か。
Kと再会し、なんとかアンコール・トム全体を見る。王宮、バプオン、ピミアナカス。一つ一つ雰囲気があって酔いそうになる。途中、勝手にガイドをしてきた子供たちがいたが、案の定金を要求。「ジュウドルジュウドル。」との言葉に「ナイナイ、カネナイ」とやると、これがまた、途端に悪態をつく。しかも日本語で。「バカ」「オカマ」が一般的だが、「ポルポト」なんてのも。腹は立つが、面白い。
遺跡群の中は、特に物売りが激しくて、油断すると、「オニーサン、オニーサン」と囲まれる。よくあるのが絵葉書と木の腕輪なのだが、この腕輪売りが面白い。大概小さい子なのだが、歌うように言う。
「イッコイチドール
・・・
ニコイチドール
・・・
サンコイチドール
・・・
・・・
ゼンブイチドール」
えー、腕に持ってるのが大体20個だから、ちょっと粘ると、いや、買う気が無くて追い払ってるだけで20分の1になるということだ。恐らく、元手がかからないからなんとしてもドルが欲しいのだろう。ここではドルが一般的で価値がある通貨だから。
大して美味くも無い昼飯を食べた後(カンボジアではあまり「ご飯運」はなかった)、いよいよアンコール・ワットへ。炎天下、暑かったのだが、これまたレリーフがすごい。もの凄い。そして何より雰囲気が良すぎる。周り中ジャングルで、その中にボン、と建っているのがたまらない。ざっと見ればおそらくすぐ見終わってしまうだろうが、それは出来なかった。させてもらえなかった印象。存在感。
イマイチのココナッツシェイクで休憩を取った後、最後にプノン・バケンという登るのに非常に労力を有する高台にのぼり、夕日を眺めて終わりにしようと思った。が、雨模様。急遽取りやめにして、市内のマーケットで土産を物色。市場は干物の匂いで一杯。はっきり言って臭いです。交渉して、何個か果物も買ってみる。
夜飯は、ヌードルと天津丼。特にこのヌードル・・・あからさまにインスタント。
翌日5時起きなので早々に寝る。
バンコク〜アランヤプラテート〜ポイペト〜シェムリアップ
2003年8月21日 昼寝をしたせいか、下痢でトイレが近いせいか、あまり眠る事が出来ないまま夜明け。体力、そしてトイレへの距離を心配しながらの出発。
一杯一杯に客を詰め込んでバスは出発したのだが、あまり周りの風景を見ることもなく、タイ国内ではほとんど寝たまま。途中、昼食休憩でこじゃれたレストランに入ったのだが、ここでオムレツと一緒にスイカシェイクを頼むのが我ながら愚かというか頑固というか。
国をまたいではバスは走らないので、国境の町、アランヤプラテートに降りる。何というか非常に混沌とした雰囲気。道路が舗装されていないだけでもかなり印象が変わる。
タイ側ではじっとみつめていた子供たちが、カンボジア側のポイペトへ到るとわっと寄って来て物乞いを始める。それも、長くまとわり付くのはどこでも同じだと思うが、ここの子供たちはあまり図々しくない。それは裏を返せば元気も無いという事なのかもしれない。それでも、本当に哀れを誘う目でこちらを見てくる。経験上、道端の物乞いはともかく、つきまとう物乞いはある程度図々しかったものだが。
書類審査もかなり時間がかかって大変だったが、乗り込んだバスがこれまた。というより、バスにいる旅行会社の人間が、か。英語を喋るのだが、のっけから客とケンカ。「ここは俺らの国だから、俺の言う事に従え」だそうだ。威圧的で、小太りの最悪な男。こいつはすぐにバスを降りたのだが、そのあとずっと随行した部下らしき男も愉快ではない。小太りがいなくなった途端強気になるわ、補助席に座って女性客の肩にもたれて寝るわ。
それも不愉快だったが、カンボジア側についた途端、滝のような雨。舗装されていない道路(それでも有名な国道)はあっという間にただのでこぼこ道へ。その揺れ具合はただごとではない。震度5や6とはこのくらいか。バスがはねるあまり尻が浮くような状態で延々5時間。この国が好きになれるか大いに不安な始まり方である。
結局、予定を大幅に過ぎて9時前後にシェムリアップに到着。何にせよ着いたのは良かった。後で知った事なのだが、日本人女性が同じ道のりの車の中、間違った道を行かれて、走行する車内で暴行されかけた挙句、飛び出して重傷を負う悲惨な事件がこの前後にあったという。どうも安いバスだったようなのだが、こういうところで、300円だの500円だのをケチるとろくな事にならないのでは。何でも金で解決するのは恥ずかしい事だが、金だって道具なのだから、使いどころがあろう。つくづくそう思った。
さて、夜に着いた事で不安はあったが、トゥクトゥクを使って目指す宿、「チェンラー」に到着。ここは何と、日本食があり(もどきだが)NHKまで衛星で見れる。一人7,5ドルとちと高いが、他の安い部屋が空いてなくて探すのが面倒な事、体調と疲れを考慮してここに決める。
早速食堂で夕飯にするが、ここでプノンペン在住の雑誌編集者だという女性と会う。日本人。名前は忘れたが、カンボジアで作られているある日本語雑誌(あまり種類が無い為すぐわかる)は、彼女の手によるものだそうな。世の中には色々な人がいるものだ。
夕食を済ませた後は、NHKを堪能。
一杯一杯に客を詰め込んでバスは出発したのだが、あまり周りの風景を見ることもなく、タイ国内ではほとんど寝たまま。途中、昼食休憩でこじゃれたレストランに入ったのだが、ここでオムレツと一緒にスイカシェイクを頼むのが我ながら愚かというか頑固というか。
国をまたいではバスは走らないので、国境の町、アランヤプラテートに降りる。何というか非常に混沌とした雰囲気。道路が舗装されていないだけでもかなり印象が変わる。
タイ側ではじっとみつめていた子供たちが、カンボジア側のポイペトへ到るとわっと寄って来て物乞いを始める。それも、長くまとわり付くのはどこでも同じだと思うが、ここの子供たちはあまり図々しくない。それは裏を返せば元気も無いという事なのかもしれない。それでも、本当に哀れを誘う目でこちらを見てくる。経験上、道端の物乞いはともかく、つきまとう物乞いはある程度図々しかったものだが。
書類審査もかなり時間がかかって大変だったが、乗り込んだバスがこれまた。というより、バスにいる旅行会社の人間が、か。英語を喋るのだが、のっけから客とケンカ。「ここは俺らの国だから、俺の言う事に従え」だそうだ。威圧的で、小太りの最悪な男。こいつはすぐにバスを降りたのだが、そのあとずっと随行した部下らしき男も愉快ではない。小太りがいなくなった途端強気になるわ、補助席に座って女性客の肩にもたれて寝るわ。
それも不愉快だったが、カンボジア側についた途端、滝のような雨。舗装されていない道路(それでも有名な国道)はあっという間にただのでこぼこ道へ。その揺れ具合はただごとではない。震度5や6とはこのくらいか。バスがはねるあまり尻が浮くような状態で延々5時間。この国が好きになれるか大いに不安な始まり方である。
結局、予定を大幅に過ぎて9時前後にシェムリアップに到着。何にせよ着いたのは良かった。後で知った事なのだが、日本人女性が同じ道のりの車の中、間違った道を行かれて、走行する車内で暴行されかけた挙句、飛び出して重傷を負う悲惨な事件がこの前後にあったという。どうも安いバスだったようなのだが、こういうところで、300円だの500円だのをケチるとろくな事にならないのでは。何でも金で解決するのは恥ずかしい事だが、金だって道具なのだから、使いどころがあろう。つくづくそう思った。
さて、夜に着いた事で不安はあったが、トゥクトゥクを使って目指す宿、「チェンラー」に到着。ここは何と、日本食があり(もどきだが)NHKまで衛星で見れる。一人7,5ドルとちと高いが、他の安い部屋が空いてなくて探すのが面倒な事、体調と疲れを考慮してここに決める。
早速食堂で夕飯にするが、ここでプノンペン在住の雑誌編集者だという女性と会う。日本人。名前は忘れたが、カンボジアで作られているある日本語雑誌(あまり種類が無い為すぐわかる)は、彼女の手によるものだそうな。世の中には色々な人がいるものだ。
夕食を済ませた後は、NHKを堪能。
バンコク
2003年8月20日 結局、カンボジアへの出発は延期。延泊届を出した後、おとなしめな雰囲気の、ホテルの中にある旅行代理店へ行ったところ、バスは300バーツだった。これが、単なるバスの差なのか、安全の差なのかは乗り比べる事が出来ない以上分からないが、ここで安全を犠牲にして金をケチる事もなかろう、そう思った。
朝食代わりにスイカのシェイクを飲む。生のスイカを切って種を取り除き、粗く削った氷と、砂糖と一緒にシェイカーにかけるというもの。シャリシャリとした食感ではまる味なのだが、これが良くなかったのか。以後下痢に苦しむ事になる。苦しんで苦しんで、それでもこれを飲んでしまうのが浅はかなところ。
11時頃から国立博物館へ。展示物が、発掘物よりも当時を再現した人形中心な歴史部門は、それでもなかなか面白かった。
自分で書くのもどうかと思うが、ここでまたも女子中学生に取り囲まれる。(どうも女子中、女子高が多いが、やはり寺か軍隊に行くのだろうか。)日本人は他にもいるから、特に日本人が珍しいというわけではないと思うのだが。本当に誰かに似てるのかもしれない。
しかし、こっちの子供は本当に勉強熱心で、頭が下がる。日本語を使って質問をしてくるのだが、その日本語、学校ではなく個人的に勉強したという。しかも、質問事項を書いた手帳を見ると漢字まで使っているではないか。恥ずかしそうにしていたが、感心を通り越して感動すら覚える。彼女らは、英語も含めて3ヶ国語を駆使している訳だ。日本は、タイの子供を輸入(言い方は悪いが)した方が良いのでは。少子化も脱却できるし、明らかに優秀。英語もろくに話せない大学生である自分が恥ずかしい。
この博物館は、広すぎて後半少々だれ気味。仏像は見すぎると、皆一緒に見えてくる。ガネーシャなど、ヒンドゥー系の像なら面白いのだが。タイは、仏教でありながらヒンドゥーの神も融合しているので面白いし、また、親しみも湧く。
この後は、遅い昼食を食べたあと宿に戻る。どうも調子が悪い。寝た後夕食もきちんと食べたので大丈夫とは思うのだが。
朝食代わりにスイカのシェイクを飲む。生のスイカを切って種を取り除き、粗く削った氷と、砂糖と一緒にシェイカーにかけるというもの。シャリシャリとした食感ではまる味なのだが、これが良くなかったのか。以後下痢に苦しむ事になる。苦しんで苦しんで、それでもこれを飲んでしまうのが浅はかなところ。
11時頃から国立博物館へ。展示物が、発掘物よりも当時を再現した人形中心な歴史部門は、それでもなかなか面白かった。
自分で書くのもどうかと思うが、ここでまたも女子中学生に取り囲まれる。(どうも女子中、女子高が多いが、やはり寺か軍隊に行くのだろうか。)日本人は他にもいるから、特に日本人が珍しいというわけではないと思うのだが。本当に誰かに似てるのかもしれない。
しかし、こっちの子供は本当に勉強熱心で、頭が下がる。日本語を使って質問をしてくるのだが、その日本語、学校ではなく個人的に勉強したという。しかも、質問事項を書いた手帳を見ると漢字まで使っているではないか。恥ずかしそうにしていたが、感心を通り越して感動すら覚える。彼女らは、英語も含めて3ヶ国語を駆使している訳だ。日本は、タイの子供を輸入(言い方は悪いが)した方が良いのでは。少子化も脱却できるし、明らかに優秀。英語もろくに話せない大学生である自分が恥ずかしい。
この博物館は、広すぎて後半少々だれ気味。仏像は見すぎると、皆一緒に見えてくる。ガネーシャなど、ヒンドゥー系の像なら面白いのだが。タイは、仏教でありながらヒンドゥーの神も融合しているので面白いし、また、親しみも湧く。
この後は、遅い昼食を食べたあと宿に戻る。どうも調子が悪い。寝た後夕食もきちんと食べたので大丈夫とは思うのだが。
バンコク
2003年8月19日 朝食代わりに屋台で買ったメロンをほお張りながら、この日はまず北のデュシット地区へ向かう。こちらの果物は安いのだが、どうも日本のものに比べて少し甘味が足りない。
それはそれとして、目的の王宮近辺に向かう途中にあるワット・インドラ・ヴィハーンという寺に立ち寄ってみる。ここの仏像は、間抜けなほどでかい。なんだか笑ってしまうような。こんな事言うと怒られてしまうだろうが。ビルのようだ。
次にワット・ベンチャマボピットへ。大理石で出来ているのか、きれいな寺である。世界各地の仏像が集められているらしいが、なるほど、面白い。ギリシャの影響を受けたそれは、骨が浮き上がってミイラのようであるし、日本の仏像だけが、「仏頂面」というように笑っていない。他の国は皆穏やかな笑みを浮かべているというのに。
この寺の中には例によって学校などもあるため、屋台もある。そこで昼食。始めのうちは、生水から作ったのではないかと氷を気にしていたのだが、この頃になると早くも無頓着。
昼食のあと、15分程度歩いてウィマンメーク宮殿へ。
ここは、かなり広く見所が点在している上に、どういう訳かこの日はきれいに晴れたため、大変に疲れた。宮殿自体はトルコのドルマバフチェ宮殿のよう。どういう事かといえば、鹿鳴館のように、西洋の19世紀の香りがするという事。膝下のハーフパンツで行ったら、それでもダメだ、不謹慎だと言う事でスカートを上から履く事に。
ここで古典舞踊を見た後、なんだかよく分からない自体に。修学旅行らしい女子中学生に取り囲まれて、一緒に写真を撮ってくれとせがまれる。別に日本人が珍しいわけではなさそうなのだが。嬉しいが、精神的に疲れる。愛想笑いし過ぎ。
なんか、モテる顔らしい。Kは不機嫌。
ここは、メインの宮殿自体よりも、宝物庫のようなところが良かった。きれいな銀器などが飾られており、しかも、銀で色々な虫をかたどった置物がおいてあったりと、不思議な面白さ。あまり人はいなかったが、それもゆっくり見れて良し。
この後、また歩きに歩いてワット・サケットへ。そうすると、「ここはもうお終いだから行かない方がいい」と胡散臭いオヤジに付きまとわれてちと不愉快な気分。実際、寺には入れた。展望台のようなこの寺の上からパノラマを楽しんだ後、ワット・サケットという寺もついでに見てから宿の近くへ。トンブリ―地区の屋台で夕飯を食べようとするが、どうにもチャオプラヤ・エクスプレスという水上バスの乗り継ぎがうまく行かず四苦八苦。何とか辿り着き、お好み焼きのようなタイ料理とバーミーナームを食べて宿へ帰る。
ここまでで、タイの物価も大体把握したのだが、それをふまえてこの日の夜、「隣国カンボジアへまで行くバスが、70バーツというのはあまりに安すぎないか?」という話に。70バーツと言えば、場末のレストランでもおかずを二品頼んだら大体そのくらいか、という額である。手配したおっちゃんの印象の悪さも手伝って、これを放棄する事に。翌日も、バンコク滞在が決定。
それはそれとして、目的の王宮近辺に向かう途中にあるワット・インドラ・ヴィハーンという寺に立ち寄ってみる。ここの仏像は、間抜けなほどでかい。なんだか笑ってしまうような。こんな事言うと怒られてしまうだろうが。ビルのようだ。
次にワット・ベンチャマボピットへ。大理石で出来ているのか、きれいな寺である。世界各地の仏像が集められているらしいが、なるほど、面白い。ギリシャの影響を受けたそれは、骨が浮き上がってミイラのようであるし、日本の仏像だけが、「仏頂面」というように笑っていない。他の国は皆穏やかな笑みを浮かべているというのに。
この寺の中には例によって学校などもあるため、屋台もある。そこで昼食。始めのうちは、生水から作ったのではないかと氷を気にしていたのだが、この頃になると早くも無頓着。
昼食のあと、15分程度歩いてウィマンメーク宮殿へ。
ここは、かなり広く見所が点在している上に、どういう訳かこの日はきれいに晴れたため、大変に疲れた。宮殿自体はトルコのドルマバフチェ宮殿のよう。どういう事かといえば、鹿鳴館のように、西洋の19世紀の香りがするという事。膝下のハーフパンツで行ったら、それでもダメだ、不謹慎だと言う事でスカートを上から履く事に。
ここで古典舞踊を見た後、なんだかよく分からない自体に。修学旅行らしい女子中学生に取り囲まれて、一緒に写真を撮ってくれとせがまれる。別に日本人が珍しいわけではなさそうなのだが。嬉しいが、精神的に疲れる。愛想笑いし過ぎ。
なんか、モテる顔らしい。Kは不機嫌。
ここは、メインの宮殿自体よりも、宝物庫のようなところが良かった。きれいな銀器などが飾られており、しかも、銀で色々な虫をかたどった置物がおいてあったりと、不思議な面白さ。あまり人はいなかったが、それもゆっくり見れて良し。
この後、また歩きに歩いてワット・サケットへ。そうすると、「ここはもうお終いだから行かない方がいい」と胡散臭いオヤジに付きまとわれてちと不愉快な気分。実際、寺には入れた。展望台のようなこの寺の上からパノラマを楽しんだ後、ワット・サケットという寺もついでに見てから宿の近くへ。トンブリ―地区の屋台で夕飯を食べようとするが、どうにもチャオプラヤ・エクスプレスという水上バスの乗り継ぎがうまく行かず四苦八苦。何とか辿り着き、お好み焼きのようなタイ料理とバーミーナームを食べて宿へ帰る。
ここまでで、タイの物価も大体把握したのだが、それをふまえてこの日の夜、「隣国カンボジアへまで行くバスが、70バーツというのはあまりに安すぎないか?」という話に。70バーツと言えば、場末のレストランでもおかずを二品頼んだら大体そのくらいか、という額である。手配したおっちゃんの印象の悪さも手伝って、これを放棄する事に。翌日も、バンコク滞在が決定。
バンコク
2003年8月18日 朝の9時に起きて、荷物を持って出かける。この宿が、そこそこ安いが、かといってそれで満足、というほど良くもなかったからだ。
途中、カンボジアはシェムリアップ行きのバスを手配しに旅行会社へと向かう。70バーツ、つまり210円程度とお手軽な値段だが、何というか、どうもこの主人は好きにはなれない。日本人だったのだが、トルコで在住の日本人相手に痛い目にあった事があるので警戒心が残る。
宿は、結局カオサンに取るのを止めてもうちょっと静かな通りへ。目指したのは「ウェルカム・サワデー・イン」という名のホテルなのだが、アニバーサリーで、期間限定の値引きをやっていた。どうやらここは、チェーンのホテルらしく、安いながらも安心感が漂う。紫色の看板が目印の分かりやすいホテルである。1人125バーツとなかなかの安さなので決定。清潔で、テレビもついてくる。増築らしく、屋根裏っぽいのが気になるが。
徒歩と、渡し舟を使い、チャオプラヤ川の向かいにあるワット・アルンへと向かう。
この寺は、ちょっと遠くから見るのと、近くから見るのとでは印象が全く違う。非常に細かく彫刻がされており、感動を誘うのだ。川辺と言う事もあり雰囲気もよく、いつまでもいられる寺。ワット・プラケオほど人もいないで、ネコが彫刻の上でほのぼのとくつろいでいるのもポイント高し。
ただしかし、ここの汚点は観光客向けのハリボテ。よくある、顔だけ出して写真をとるあのハリボテがあるのだが、これがまたひどい。よく見ると下のほうに小さな、しかも見にくい色で「40B」と書いてあるのだ。日本人の家族が一組引っかかっていた。気分悪い。
どこをどう迷ったか、僧侶の寝起きする僧房の中を通り過ぎ、川の西側、トンブリ―地区の食堂で昼食。あっさりのチキンライスでスープ付き。普通の食堂なのに、何故かTVは平面ブラウン管。
そこから歩いて北上し、気になっていた解剖博物館というところへ。病院の中にあるため、表示も出ていなくひどく分かり辛いのだがこの博物館、グロ。
強盗強姦魔の死体のホルマリン付けなどまだ良い方で、水頭症の胎児の写真やら、書くのもおぞましい夢に出てきそうな物のオンパレード。特に写真が気色悪い。正視できなくて途中で見るのを放棄したくらいだが、それをタイ人の中学生が普通に見てるのが不可解。ここはある意味、一番の印象度かもしれない。ともあれ二度と来る事は無いだろう。
ここを出た後、王立造船所の博物館へと向かうが、陸路のためにあまりにも細すぎる、スラムと言っても良い道を抜けて行く。なのに博物館はClosed。しょぼくれていると、近所のオッサンが1時間で300バーツの舟のチャーターを申し出てきた。それはそれで面白そうだったが、時間も時間だったので断る。
川の東側をブラブラした後、Kとわかれて床屋へ向かう。待っている時に、日本のファッション雑誌を渡されたのだが、それを3年前のもの。それはともかく、こんな髪型に出来るのかこの人はと思ってしまった。カットには、特に注文をつけなかったのだが、どうも前髪が長いような気がする。タイのカッコいい髪形なのだろうか。
一度宿にもどり、何故かやってるBBCの日本語版を放心してみた後、中級のレストランへ。タイ語と英語が併記してメニューにあるのだが、その中でタイ語しか書いていない品に挑戦。カニ料理なのだが、なかなかいける。カニみそだろうか。9時半くらいに宿に戻り、この日は終了。
途中、カンボジアはシェムリアップ行きのバスを手配しに旅行会社へと向かう。70バーツ、つまり210円程度とお手軽な値段だが、何というか、どうもこの主人は好きにはなれない。日本人だったのだが、トルコで在住の日本人相手に痛い目にあった事があるので警戒心が残る。
宿は、結局カオサンに取るのを止めてもうちょっと静かな通りへ。目指したのは「ウェルカム・サワデー・イン」という名のホテルなのだが、アニバーサリーで、期間限定の値引きをやっていた。どうやらここは、チェーンのホテルらしく、安いながらも安心感が漂う。紫色の看板が目印の分かりやすいホテルである。1人125バーツとなかなかの安さなので決定。清潔で、テレビもついてくる。増築らしく、屋根裏っぽいのが気になるが。
徒歩と、渡し舟を使い、チャオプラヤ川の向かいにあるワット・アルンへと向かう。
この寺は、ちょっと遠くから見るのと、近くから見るのとでは印象が全く違う。非常に細かく彫刻がされており、感動を誘うのだ。川辺と言う事もあり雰囲気もよく、いつまでもいられる寺。ワット・プラケオほど人もいないで、ネコが彫刻の上でほのぼのとくつろいでいるのもポイント高し。
ただしかし、ここの汚点は観光客向けのハリボテ。よくある、顔だけ出して写真をとるあのハリボテがあるのだが、これがまたひどい。よく見ると下のほうに小さな、しかも見にくい色で「40B」と書いてあるのだ。日本人の家族が一組引っかかっていた。気分悪い。
どこをどう迷ったか、僧侶の寝起きする僧房の中を通り過ぎ、川の西側、トンブリ―地区の食堂で昼食。あっさりのチキンライスでスープ付き。普通の食堂なのに、何故かTVは平面ブラウン管。
そこから歩いて北上し、気になっていた解剖博物館というところへ。病院の中にあるため、表示も出ていなくひどく分かり辛いのだがこの博物館、グロ。
強盗強姦魔の死体のホルマリン付けなどまだ良い方で、水頭症の胎児の写真やら、書くのもおぞましい夢に出てきそうな物のオンパレード。特に写真が気色悪い。正視できなくて途中で見るのを放棄したくらいだが、それをタイ人の中学生が普通に見てるのが不可解。ここはある意味、一番の印象度かもしれない。ともあれ二度と来る事は無いだろう。
ここを出た後、王立造船所の博物館へと向かうが、陸路のためにあまりにも細すぎる、スラムと言っても良い道を抜けて行く。なのに博物館はClosed。しょぼくれていると、近所のオッサンが1時間で300バーツの舟のチャーターを申し出てきた。それはそれで面白そうだったが、時間も時間だったので断る。
川の東側をブラブラした後、Kとわかれて床屋へ向かう。待っている時に、日本のファッション雑誌を渡されたのだが、それを3年前のもの。それはともかく、こんな髪型に出来るのかこの人はと思ってしまった。カットには、特に注文をつけなかったのだが、どうも前髪が長いような気がする。タイのカッコいい髪形なのだろうか。
一度宿にもどり、何故かやってるBBCの日本語版を放心してみた後、中級のレストランへ。タイ語と英語が併記してメニューにあるのだが、その中でタイ語しか書いていない品に挑戦。カニ料理なのだが、なかなかいける。カニみそだろうか。9時半くらいに宿に戻り、この日は終了。
バンコク
2003年8月17日 スコールのおかげで涼しく、よく眠れた。夕方になるとスコールが来て、涼しく寝られるという事が、これ以降もタイは多い。朝食は食べず、歩いて王宮観光へ。
八月だというのに、シーズンなのだろうか。タイ人の中学生の姿が多い。白いワイシャツの為目立つが、これは日本と同じで、どの学校もほぼ共通のようだ。特に女子学生が目立つ気がするが、男子は出家するのだろうかと想像。何やら欧米人観光客にインタビューをしている姿をよく見たが、授業の一環だろうか。
実は、高校の頃にパックツアーで一回タイにきてるので、王宮は見てるはずなのだがつい写真をとりすぎてしまったかもしれない。雨が途中で降って来たせいか、博物館には人は少なかった。
ここを出た後はワット・ポー方面へ南下。近くの公園のようなところで人々の献花を拝見。そこから外へ出てしばらく歩くと、軍人に呼び止められる。何かと思えば、「射撃をしないか、安いぞ」。うーむ、軍人が商売しているのか。
ワット・ポーは通り過ぎ、バーク・クローン市場へ。食品が多かったが、こういう市場は見て回るだけで楽しい。ここの屋台で昼食にしたが、パクチーたっぷり。日本におけるしそのようなものか。これがダメなKは眉間にしわを寄せて、殆ど手がつけられず。うまいと思うのだが・・・ まぁ、メニュー自体が豚のモツだかなんだかで、少し癖が強かったのもあろうか。
このまま市場を通り過ぎて、ワット・ラーチャプナという寺へ。そこそこいい雰囲気だと思うのだが、まるで人がいない。それどころか駐車場と化している。
その一角に、日本人納骨堂という箇所がある。戦前の移民の人々を弔っている所で、住職の日本人、中原さんに話をうかがう事が出来た。とはいっても相手も若く、ざっくばらん。「地球の歩き方に載ってるのに人がこないんですよねー」なんて言っていた。3年の持ち回りらしいのだが、既に4年目。なんでも、次の人が決まらないらしい。本人はタイを嫌がっている風でもなかったので良いのだろうが。
北へ向かってパフラット市場へ。
インド系住民の多い地域でちょっとそれっぽい服を多く売っている。客層に女性が多く、あまり欲しいと思うものはなかった。デパートも覗き、ウロウロしてからワット・ポーへと戻る。
リクライニング・ブッダ。有名な寝ている黄金の仏像。サガットのステージ。ちらちらこちらを見てくるタイ人女性に何故か笑われた。よくわからない。
ここは、その仏像はごく一部に過ぎなくて、中心部にでんと本堂がある。そこも覗いてみたら、何故か子供たちが机を並べて坊さん達から授業を受けていた。ここでは、僧侶も教育者なのだろう。しかし、日曜なのだが、休みとかないのだろうか。それとも日曜だけここに来るのか。何にせよ勉強熱心である。
そして、見ていて楽しい。スピーカーを使って授業をする坊さん、授業中なのに子供たちは駆け回るが、あまり注意しない。けれども皆元気よく返事をする。しばらく、休憩がてらボーっと見ている。
この寺にはタイ古式マッサージの店もあり、ちょっと高い金を払ってやってみる事にした。
あまりに気持ちよくて、うたた寝。K感動。
疲れも取れ、何となくサラ―ンローム公園へ。面白い事に、人々がエアロビをしていたので参加。汗をかいて戻る。
この日は川沿いのバー兼レストランで夕食。カクテルはうまいが、トムヤムクン辛すぎ。痛い。食べているうちにまたもスコール。またもその中を帰途に着く。
八月だというのに、シーズンなのだろうか。タイ人の中学生の姿が多い。白いワイシャツの為目立つが、これは日本と同じで、どの学校もほぼ共通のようだ。特に女子学生が目立つ気がするが、男子は出家するのだろうかと想像。何やら欧米人観光客にインタビューをしている姿をよく見たが、授業の一環だろうか。
実は、高校の頃にパックツアーで一回タイにきてるので、王宮は見てるはずなのだがつい写真をとりすぎてしまったかもしれない。雨が途中で降って来たせいか、博物館には人は少なかった。
ここを出た後はワット・ポー方面へ南下。近くの公園のようなところで人々の献花を拝見。そこから外へ出てしばらく歩くと、軍人に呼び止められる。何かと思えば、「射撃をしないか、安いぞ」。うーむ、軍人が商売しているのか。
ワット・ポーは通り過ぎ、バーク・クローン市場へ。食品が多かったが、こういう市場は見て回るだけで楽しい。ここの屋台で昼食にしたが、パクチーたっぷり。日本におけるしそのようなものか。これがダメなKは眉間にしわを寄せて、殆ど手がつけられず。うまいと思うのだが・・・ まぁ、メニュー自体が豚のモツだかなんだかで、少し癖が強かったのもあろうか。
このまま市場を通り過ぎて、ワット・ラーチャプナという寺へ。そこそこいい雰囲気だと思うのだが、まるで人がいない。それどころか駐車場と化している。
その一角に、日本人納骨堂という箇所がある。戦前の移民の人々を弔っている所で、住職の日本人、中原さんに話をうかがう事が出来た。とはいっても相手も若く、ざっくばらん。「地球の歩き方に載ってるのに人がこないんですよねー」なんて言っていた。3年の持ち回りらしいのだが、既に4年目。なんでも、次の人が決まらないらしい。本人はタイを嫌がっている風でもなかったので良いのだろうが。
北へ向かってパフラット市場へ。
インド系住民の多い地域でちょっとそれっぽい服を多く売っている。客層に女性が多く、あまり欲しいと思うものはなかった。デパートも覗き、ウロウロしてからワット・ポーへと戻る。
リクライニング・ブッダ。有名な寝ている黄金の仏像。サガットのステージ。ちらちらこちらを見てくるタイ人女性に何故か笑われた。よくわからない。
ここは、その仏像はごく一部に過ぎなくて、中心部にでんと本堂がある。そこも覗いてみたら、何故か子供たちが机を並べて坊さん達から授業を受けていた。ここでは、僧侶も教育者なのだろう。しかし、日曜なのだが、休みとかないのだろうか。それとも日曜だけここに来るのか。何にせよ勉強熱心である。
そして、見ていて楽しい。スピーカーを使って授業をする坊さん、授業中なのに子供たちは駆け回るが、あまり注意しない。けれども皆元気よく返事をする。しばらく、休憩がてらボーっと見ている。
この寺にはタイ古式マッサージの店もあり、ちょっと高い金を払ってやってみる事にした。
あまりに気持ちよくて、うたた寝。K感動。
疲れも取れ、何となくサラ―ンローム公園へ。面白い事に、人々がエアロビをしていたので参加。汗をかいて戻る。
この日は川沿いのバー兼レストランで夕食。カクテルはうまいが、トムヤムクン辛すぎ。痛い。食べているうちにまたもスコール。またもその中を帰途に着く。
成田〜バンコク
2003年8月16日 友人に車で空港まで送っていってもらい、昼過ぎに成田を出発。フィリピンはマニラを経由して、夜の11時半にバンコクに到る。
空港職員に誘われるままタクシーの値段を覗いてみたが、あんまりだろうというくらい高いので、エアポートバスを探す。外の空気はむわっと暑い。「カオサン」と言っただけであまり発音にこだわらなくとも分かるらしく、大して待ちもせずにあっさりと乗車。一時間くらいでその、世界的に有名な安宿の集まり且つ繁華街、カオサン通りに到着。
ここは凄いところだ、そう思った。
ネオンが輝くのは当然だとして、ほぼ歩行者天国の中を、タイ人の若い男が3人乗りでぶつかりながら走ってくるわ、馬鹿みたいに笑ってる欧米人の姉ちゃんが触ってくるわ、何故かこんな時間でも黙々と飯を作るおばちゃん。一緒に行った友人Kは、いきなりオカマに腕をつかまれて、さらわれかけている。
週末土曜の深夜一時という環境があるのだろうが、まさにダウンタウン。
その奥まったところにある宿、「CH2」に部屋を取る。この深夜でも平気で開いているのがすごいところだ。まぁ、安いわけだがあまり良くはない。せっかくだからと少し街中をのぞき、屋台で夜食を購入。辛いが、これがまた美味い。結局、食べ終わった頃スコールに遭って宿に戻る。寝たのは何時だっただろうか。
空港職員に誘われるままタクシーの値段を覗いてみたが、あんまりだろうというくらい高いので、エアポートバスを探す。外の空気はむわっと暑い。「カオサン」と言っただけであまり発音にこだわらなくとも分かるらしく、大して待ちもせずにあっさりと乗車。一時間くらいでその、世界的に有名な安宿の集まり且つ繁華街、カオサン通りに到着。
ここは凄いところだ、そう思った。
ネオンが輝くのは当然だとして、ほぼ歩行者天国の中を、タイ人の若い男が3人乗りでぶつかりながら走ってくるわ、馬鹿みたいに笑ってる欧米人の姉ちゃんが触ってくるわ、何故かこんな時間でも黙々と飯を作るおばちゃん。一緒に行った友人Kは、いきなりオカマに腕をつかまれて、さらわれかけている。
週末土曜の深夜一時という環境があるのだろうが、まさにダウンタウン。
その奥まったところにある宿、「CH2」に部屋を取る。この深夜でも平気で開いているのがすごいところだ。まぁ、安いわけだがあまり良くはない。せっかくだからと少し街中をのぞき、屋台で夜食を購入。辛いが、これがまた美味い。結局、食べ終わった頃スコールに遭って宿に戻る。寝たのは何時だっただろうか。
何度目でも緊張
2003年8月15日 らしからぬ8月15日。靖国問題がかすんでしまった。小泉首相としてはこの日にやるべきだったとくやしがっているかも。
死刑という刑で裁かれている以上、戦犯という言い方はおかしいのだけれどね。
そんな事もありつつ、明日から9月10日までタイとカンボジアへ旅立ち。
死刑という刑で裁かれている以上、戦犯という言い方はおかしいのだけれどね。
そんな事もありつつ、明日から9月10日までタイとカンボジアへ旅立ち。
トレード
2003年8月14日 野球のトレード話をしているホームページを見ていると、贔屓のチームに都合の良いようなトレード案が目立つ(特にセリーグファン)。それで何が起こるわけでもないんで苦笑しながら見ているのだが、「必要のない選手」で「必要な選手」を取ろう
としてはいかんだろ。やはり。必要のない選手は何人かき集めようと必要のない選手。仁志とか江藤とか、どのチームも要らないでしょ。
で、少し考えてみた。左側がロッテ。
小野+藤田(+α)⇔鈴木尚 (YB)
と、言いつつ都合が良いか。放出が噂される鈴 木を、YBの不足している投手陣
で。+αに清水将海をつけたらどうだろう。
川井+⇔斉藤(G)
中継ぎ崩壊のGに、工藤の弟子である中継ぎ左腕 を。斉藤は、どこでも守れてしかもフル出場すれ ば3割15本いける。
小林雅⇔二岡+斉藤(G)
嫌なのだが双方のニーズに合致してるかなと。 高橋も考えたのだが、それはなかろう。二岡は働 いた年数が少ないので+αを。
結局、ロッテ低迷の原因はタイムリー欠乏症なのに、細かい野球ができないというところにある。盗塁の成功率の低さ、エンドランを仕掛けてもファールという記録に残らない失敗。それが、戦術として積極策を試みる回数を減らしてしまうという悪循環。
守備は小坂のお陰で内野が締まり、外野もサブロー、立川と悪くない。知名度さえ上がればサブローはゴールデングラブも狙えるだろう。
これらの責を人に負わせるとするならば、細かい事が出来ない選手を量産するコーチのせいという事になるのだが、あえて言うなら大塚と立川の2人。二人とも、早い段階でファームのタイトルを取った高卒選手。自然と期待も向けられるし、使われる頻度も高くなる。このどちらかがクリーンナップとして活躍していればかなり違ったはず。しかし、見るも無残なありさま。怪我という要素もあるにせよ、そればかりを言い訳には出来まい。期待されて使われれば、当然他の選手の出番は減る。そんな選手が、ファームの試合で「いやぁ、もうオッサンですから(笑)」。勝ち試合なら許そうが、負け試合でこれか。
山本ロッテはこの二人と一緒に沈んだようなものだろう。
チャンスに弱いのはもうどうしようもない。こんな事、原因が分かろうはずもない。
そうだな、小林宏と赤星(T)のトレードもありかもしれない。営業面でTが出さないだろうが。
としてはいかんだろ。やはり。必要のない選手は何人かき集めようと必要のない選手。仁志とか江藤とか、どのチームも要らないでしょ。
で、少し考えてみた。左側がロッテ。
小野+藤田(+α)⇔鈴木尚 (YB)
と、言いつつ都合が良いか。放出が噂される鈴 木を、YBの不足している投手陣
で。+αに清水将海をつけたらどうだろう。
川井+⇔斉藤(G)
中継ぎ崩壊のGに、工藤の弟子である中継ぎ左腕 を。斉藤は、どこでも守れてしかもフル出場すれ ば3割15本いける。
小林雅⇔二岡+斉藤(G)
嫌なのだが双方のニーズに合致してるかなと。 高橋も考えたのだが、それはなかろう。二岡は働 いた年数が少ないので+αを。
結局、ロッテ低迷の原因はタイムリー欠乏症なのに、細かい野球ができないというところにある。盗塁の成功率の低さ、エンドランを仕掛けてもファールという記録に残らない失敗。それが、戦術として積極策を試みる回数を減らしてしまうという悪循環。
守備は小坂のお陰で内野が締まり、外野もサブロー、立川と悪くない。知名度さえ上がればサブローはゴールデングラブも狙えるだろう。
これらの責を人に負わせるとするならば、細かい事が出来ない選手を量産するコーチのせいという事になるのだが、あえて言うなら大塚と立川の2人。二人とも、早い段階でファームのタイトルを取った高卒選手。自然と期待も向けられるし、使われる頻度も高くなる。このどちらかがクリーンナップとして活躍していればかなり違ったはず。しかし、見るも無残なありさま。怪我という要素もあるにせよ、そればかりを言い訳には出来まい。期待されて使われれば、当然他の選手の出番は減る。そんな選手が、ファームの試合で「いやぁ、もうオッサンですから(笑)」。勝ち試合なら許そうが、負け試合でこれか。
山本ロッテはこの二人と一緒に沈んだようなものだろう。
チャンスに弱いのはもうどうしようもない。こんな事、原因が分かろうはずもない。
そうだな、小林宏と赤星(T)のトレードもありかもしれない。営業面でTが出さないだろうが。