私は牛乳で納豆ご飯を食べる。学校給食に、飲み物は牛乳であると決まっていたからだ。
美味しいとかまずいではない。そう食べろと教えられてきたのだ。
 地べたに座る人々は多い。学校でそのように教育されてきたからだ。今までこのような風習が無かったのが不思議な程である。
 学校では地べたに座る機会が豊富だ。体育館で校長の話を聴くため座らされ、体育の時間にグラウンドに座らされる。しかも、教師は地べたに座りはしない。学校と言う公的な、自分達以外の人間が立っている場で地べたに座らされるのである。よりキレイな場所で座らない方が不自然であろう。
 日本では公私を分けないのが美徳とされてきた。家に仕事を持ち込む人間、公私を分けない人間ほど評価が高まる。電車でパソコンをして良いのに、化粧がいけない筈がない。
良いとか悪いではない。そういう風に育てられてきただけの事である。

個人

2003年3月30日
 近所に引っ越してきた若夫婦が、わざわざ手土産片手に挨拶に来た。素晴らしい。
 近所付き合いっていうのもまだまだ生き残っているんだなと感動した。そういう事が出来る、他人と関われるってのはすごくしっかりした、自分がある人なのだろうと思わずにはいられない。

 昨今の個人主義というのは、人との関わりを断って自分の世界を作り上げる、という傾向にあるような気がしてならない。これは私の領域で、君はそこまで、というのは個人主義ではなくて保身主義ではないのか。
 そもそも、そうまでしなくては自分の中の「個人」を守れない、そうしないと他人に流されてしまうと言うのはまさに「個人」がそこに無いからであって、他人とどんなに混じりあろうとも、ゆるぎない自分があるという事が個人主義というものではなかろうか。

 そう考えるから、遊びにせよ何にせよ、「
〜しない?」と聞いて「ちょっと無理」と言われた時に、あっさりと「ああ、そうなんだ」とは言わない。絶対に理由を聞く。理由さえ分かれば対策も練れる。それは、相手の事を大事に思っているからこそ出来る事である。どうでも良い相手ならばそんな事は聞かない。それでも言いたくなければ、それはそれで事情もあろうし構わないのだが。
 
 コミュニケーションを取ろうとする事がお互いを尊重する、尊厳を認め合う個々人のする事であって、それを放棄する事は個人主義ではないだろう。相手が確固としたものを持ってるからこそ自らの意見と要望を対等に伝えられる訳で、それを伝えないのは、理由も聞かずに勝手に納得するのは相手を、流れに流されまくる奴、とバカにしてる事に等しいと思う(勿論、以前書いたように、その意見の通りに相手が動いたら責任の一端は発言者にあるのだが。責任を共有できると言うのも対等な個々人だからこそ出来る事であろう。)。

 たかだか挨拶に来たくらいで、こんな事考える自分も自分だが。まぁ、人の心に土足で踏み込む奴も困り者だが、上がろうともしない奴も、自分の殻にこもってるだけの奴なんだろうなと思ったという事。

ポジティブ

2003年3月29日
 ロッテ勝利。これで開幕12連敗だけは避けられた訳だ。良かった良かった。

 弱い球団のファンをやってると思考までポジティブになってくる。この考え方をポジティブと呼ばずして何と呼ぶか。
 現実から目をそらす訳でもなく、しっかりと地に足のついた考え方。マイナス思考に陥らない前向きさ。おお、ポジティブ。

 ヤケクソ?5安打でも勝ちは勝ちだ!

 今日は集団討論。なかなかに楽しい。少人数で40分。和を乱すような人も出ずに、意見を戦わせて結論を出す。素晴らしい。こういう議論は本当に好きだ。

 帰りに新宿で寿司を食べる。これが回転寿司なのに絶品。甲州街道沿い、大ガード近くにあるのだが、お薦め。

 実に久しぶりにカラオケにも行く。今日は疲れたが、実に充実した良い一日であった。

 ロッテも勝ったし。

閉幕しないように

2003年3月28日
 開幕した気がしない。きっとこれはオープン戦に違いない。
 これで今日負けたらシュウカツどころじゃなくなってしまう。嗚呼。


 自分に近い人達が、次々といなくなっていくのは寂しいものですな。本当に。最近とみにそれを感じる。普段の生活は変わらなくとも。

 陳瞬臣著の、「耶律楚材」をやっと読了。昔はこの人の本、好きだったのだが、この人の文体がこの頃に変わったのか、それとも自らの意識の変化か、あまり面白く読めなかった。口語体にした史書に、ちょっとだけアレンジを加えたような。

 歴史小説は好きなのだが、エピソードを知っている有名人物の話が最近面白く感じられないせいなのかも。三国志も、多分もうダメだろうな。何を読んでもエピソードの繋ぎ合わせにしか思えない。詳しい事を全く知らない人物か、架空の人物の目を通して見た形でないと。

 野球が巨人一辺倒ではなくなったのと同様に、もうそろそろ戦国時代と幕末、三国志は良かろう。皆で同じものを好きになって喜び合う時代は終わった。本の世界の人々というのは、そこらへんが分からないのかもしれない。
 西洋歴史小説を書いて直木賞を取った佐藤賢一に、「次は日本の歴史小説を」とのたまった人がいるとかいう話も聞いた。冗談抜きで頭が悪いんじゃなかろうか。

 誰でも好きなものは手堅くて安心かもしれないが、そんな事してたらジリ貧は目に見えている。作家をはじめて10年以上経ったら、三国志を描いてはならないという法律でも作りたい気分だ。三国志は元々の話が面白いから、確実に計算が出来るんだよな。しかしそんなの、創作活動じゃないだろう。

お節介

2003年3月27日
 卒業旅行と言うほどのものではないが、下級生も合わせて入れ替わり立ち代り最大11人程度の2泊旅行に、1泊だけ参加をしてきた。
 旅行とは言っても河口湖。一日中飲み続けただけなのだが。夜の18時から、翌朝の7時まで続いた時にはまだまだ若いじゃないかと思ったものだ。

 この場で特に、ありがたかったのは2人の友達だ。この場というか、この4年間において。

 男女の友情というのは成立するか否か。
 可能ではあるが難しい、そう思っていた自分にとって、旅行で顔を見てきた2人の異性の友。この2人は、それが可能であると言う事を証明するに足る、かなりありがたい存在であった。そして、ありがたい存在というのはなかなかそのありがたさに気がつかないもので。
 この時期は色々と寂しいですな。

 それにしても、自分には仲人をやりたがるオバちゃんのような一面があるのかもしれない。自分の周りにいる、自分にとってのありがたい存在。その男女をには幸せになれるような相手を探してやりたいと思ってしまう事が度々。良い人というのは悪い奴に捕まりがちだからな。
 お節介ですが。

映像

2003年3月25日
 ベネッセのGDと筆記試験。筆記は、SPIなのだが、どこかで受けた事が・・・ 全て同じ問題。だからと言って答えを覚えてる訳でもなし、その答えがあってる訳でもなく。
 一緒にGDを受けた人に、帰りの電車で「自分は基本的に素直じゃなくて、面接でも人事に噛み付く事がある。それはやっぱりダメでしょうね・・・」と言った所、「それが面接においては損かもしれないけれども、そうでなければ良い事ですよ。少なくとも、世の中の事を考えていれば素直になんかなれない。」と言われ救われた気分に。

 多分、素直さの無さでは自信がある。

 そして今日は卒業式。久々に会う友も。4年間いろんな人に振られ続けていた男に彼女が出来ていたのにびっくり。

 正直、戦争に対する感覚が麻痺している自分がいる。どこまで進軍したかなんてどうでも良いような・・・
 刺激的な映像に慣らされすぎだろうか。そう考えるとプライベートライアンをはじめとするリアル志向の戦争映画は、ありゃ戦争推進映画かもしれない。

最近の日記

2003年3月24日
 スランプです。弱ってます。
 こんな記事を発見した。

―――――――――――――
- AP
ミネソタ州イーガン(AP) ミネソタ州で不動産金融業を営むマーティ・ジョンソンさん(38)は養子だった。これまで長い間、自分の出自について調べてきたが、詳しいことは分からずじまいだった。

ところが2年前、アイオワ州に住むという実母が、マーティンさんに連絡を取ってきた。彼女はかつて、アフリカ・ナイジェリアからノーザン・アイオワ大学に留学していた男性と恋仲になってマーティさんを産んだものの、男性が帰国せねばならず、マーティさんを養子に出していたことを、初めて打ち明けた。

この情報を得たマーティさんは、妻のローラさんの強い勧めもあり、ナイジェリアで自分の父親のことを調べ始めた。

調査の結果、実父はナイジェリアで有力な部族の家柄で、世が世なら、同国政府の指導者にも成り得る立場にあることが分かった。マーティさんは最初の子供として、実父が亡くなった場合は、その跡を継ぐ「王子」の立場にあることが判明した。

自分の兄弟が3人いることも知ったが、その他の親族も含め全員がマーティンさんを一族の「後継者」として認知した。

マーティさん一家は、今年12月にもナイジェリアを訪問する計画を立てている。しかし、ナイジェリアでの生活が心地良かったとしても、米国に戻り、仕事を続ける決心に変わりはないという。

――――――――――

 王子という表現に疑問はあるも、すごい話だ。ファンタジーゲームの主人公のような。

 しかし、そこで「血」の尊さと王族としての自覚に目覚めて立ち上がったりしないのが如何にも現代の話か。下手すれば、王子やってる方が収入が少ない事もありうるからな。仕事やりながら送金とかしたりして。

 もしもこれで、彼がナイジェリアで指導者になったとしたら、それはナイジェリアにとってはアメリカとのパイプが出来た、と言うべきことなのだろうか。

 ナイジェリアの方では勝手にそう思っていそうな気もする。アメリカにしてみれば何も感じないだろうが。
 そうすると、ナイジェリアの期待を一身に背負い、かといってパイプも出来ない状況はなかなかに辛いものがあるのかもしれない。引っ込んで正解か。

 案外と、普通にアフリカに対して差別心があるのかもしれないが。
 それはそれでアイデンティティーの崩壊ではある。知らない方が良かったのかもしれない。
高校時の同級生達と飲み。久々に徹夜。

 最近は徹夜をするとつらくなってくる事が多い。年を感じる。

 にも関わらず、サイゼリヤから深夜3時に追い出されたのはきつい。どうしろってんだ。24時間営業という看板は偽りなのか。仕方ないのでセブンイレブンに行ったら、店内に

 人が倒れてた。

 なんだかよくわかりません。店員も不在。

 しかしこのくらいの年になってくるとそろそろ、人は色んな人生を歩み始めるものだ。今はまだ実感が無いが、実感が出てくるころには既に、別れを惜しんでも遅いのだろうな。

 
 ついにイラクを攻撃。
 国家とその元首が国民の利益の為に存在しているのなら、フセインは亡命して欲しい。一気に英雄になれる可能性もあるように思うのだが。

 しかし、アメリカに反対すると言う事は、アメリカに頼らないという事であって、それはつまり日本の軍事力増強に繋がるとのではなかろうか。逆もまた然りだが、そこはかとなく逆転現象が起こっているような。

とりとめもなく

2003年3月18日
今日はロッテ。

 野球ではなく説明会。いや、野球だから説明会というべきか。

 質疑応答の時に、しつこくしつこく「マリーンズへの出港は出来ますか」と聞いて苦笑されていたのはいたのは違う人です。

 そのロッテ球団は調子が良い。オープン戦で調子がよいと疑ってかかりたくなるが、調子が悪くてもそれはそれで嫌なのだから、どちらでも良いのか。どちらでも悪いのか。

 球春到来と言う事でそれ系の本が何冊か。「
プロ野球・問題だらけの12球団」と「月刊ホームラン4月号」。

 色々と気になる会社の連絡を待ってるせいで胃が痛い。

イラク

2003年3月16日
正直、イラクは怖い。
 
 フセイン自身に問題があるのか、それとも裸の王様になってしまっているのか分からないが、あの国のする事はどこかおかしい。
 所謂、大量破壊兵器をイラン相手に使ったにもかかわらず、査察を受け入れると、何も無い、と言う。ゴミ箱に捨てればそれでお終い、となるわけではないのだから、廃棄したなら廃棄したで何かしら証拠が出てこなければおかしい筈。
 自分の正当性をアピールする為に公表した支持率が100%とは。もう少し考えた数字は出せなかったのだろうか。
 何より、普通クウェートなんぞ攻めない。その後どうなるかは分かりそうなものだ。

 こんな国が核を持ったら本気で使うんじゃなかろうか。アメリカは無理でもイスラエルには。基本的な判断力が足りないように思えてならない。

 反戦運動は当然だろうし、景気がこれ以上冷え込むのも困る。アメリカが自国の勝手で始めたのだという要因も充分にあるだろう。ましてや国連と国際的法秩序を無視しての行動は非難されてしかるべきだ。
 しかし、だからと言って、アメリカが悪の帝国であるかのような発言には疑問を覚える。軍事力をちらつかせた為にやっと査察が受け入れられたという事実もある。ただ闇雲にアメリカに反対するのではなくて、どうしたらイラクを、核を持たない持とうとさせない、比較的安全な状態に持っていけるのかを真剣に検討しなければいけないのではないか。ただ単に戦争が嫌なのだったら、別の地域の内戦をこそ真っ先に反対運動の対象にしなければならないと思うのだが。

 イラクをこのまま放っておいて、半年後には核武装してました、イスラエルにぶっ放しました、というのが最悪のシナリオ。そしてそうならない保証は今のところ全く無い。
 
 だから、そうならない保証をするのが第一にあるべきではなかろうか。その為には最悪、武力行使も仕方ないかもしれない。少なくとも、イラクの自発的な抑止力に任せる事は不安すぎる。かと言って国連をないがしろにするのもまた問題があるから難しいのだが。
 武力を背景に、何とかイラクを国連の保護監察下におけないものか。フセイン政権の残存維持を保証する事でどうにか出来ないものか。

 将来の罪は現在の罰の対象にならない事は分かっているが、こと核に関しては、持った瞬間お終いなのだから。

即物的な話

2003年3月15日
 JSコーポの説明会と筆記試験。
 企業理念で会社案内の半分を使うという、さわやか系というか、何とも真っ直ぐな会社。

 大学の連中と久しぶりに酒を飲む。男ばかりむさくるしい10人。
 シュウカツ話あり、政治談義あり、何でもありなのだが、何故に下ネタ、それも即物的な話になると恥ずかしげもなく風俗だのキャバクラだのだのと話し始めるのに、精神的な恋愛話になった途端にやたらと恥ずかしがったり妙に神妙になったりするのだろう。

 いやいや、自分はそんな即物的な話もしてませんって。

ムスカは良い

2003年3月14日
 ジブリには、まともな敵役が出てこないから、ムスカのような野心家には好感すら抱く。途中で変節したりとかしないところが良い。良い作品というのは良い敵役から生まれるものじゃなかろうかと思う。

 「ふははははは、見ろ、人がゴミのようだ・・・!!」

 ジブリでこんなセリフを吐ける人は他にはいないんじゃ。 

 今日はPHPと朝日メディアインターナショナルの面接。両方とも、面接としては一回目だが、選考としては何回目だかよくわからない。

 両方共に好感は持てた。PHPは早くも交通費を出してくれた上に、時間は短いながらも、この段階で早くもそれなりの役職の人がずらっと5,6人並ぶ、最終かその一歩手前のような雰囲気。
 朝日メディアは職場を見学させてくれ、面接時にお茶まで出してくれた。一緒に受けた7人中5人までが前回のグループディスカッションで同じ回だった人達。他と比べて盛り上がったのだろうか。

 河出書房から不採用通知が
 来るというのがすごい。ここ、よくよく見たら「今春」新卒募集だった。気付かずに出した自分。
選考対象外だろうに、わざわざ返事をくれるとは良い会社である。
 しかしこんな時期に紛らわしい。
 
 野球小僧の発売日。
 柏陵高校という、まさに地元の高校、しかも県立の地元高校から甲子園に行った清水という投手がいる。背が小さくて、それでも一人で投げ抜いて最後の最後に、確かPLか智弁あたりに、力尽きて負けた投手なのだが、大学まで同じなので、かなり注目している。地元ということで、ロッテが指名してくれないかと思っていたが、この雑誌のドラフト候補生一覧にも載っていなく、残念。背が小さいという事もかなりのマイナスポイントで、このままじゃまず無理だろう。
 しかし、最近成績が上がってきてるだけに諦めずに頑張って欲しい。本当に応援している。

 しかし、野球小僧は面白い。電車の中が幸せな時間になる。
 今日は説明会の予定だったのだが、どうやら抽選にもれたらしい。選考には関係ないが、どうせだったら聞いてみたかった。出版営業の説明会。

 世界文化社。

 宝島が出していると思ったが、アンチ中国脅威論のムックが気になっている。個人的経験から中国の発展に懐疑的だからだが、

 かといって、中国が発展しなくなったらと考えるとそれはそれで怖い。日経平均が8000円を割るこのご時世で、中国まで落ち込んだら。
 中国にシフトしている会社の株は軒並み下がるだろうな。ろくでもない密入国者が増大して治安もがくんと下がるだろうし。日本自体の景気が回復しないのに物の値段はぐんと上がる。

 それくらいはまだ良いが、いや、良くないが許容できるとしても、本当に中国が分裂したらえらい事になるんじゃないか。
 分裂するとしたら多分、5個か6個くらいかと思うんだが、それは東アジアに核保有国が4個か5個増えるって事。考えただけでも恐ろしい。貧乏な部分の国なんか、やけっぱちになって日本にぶっ放さないとも限らないし。

 今やってるゲームで、こんなセリフがあった。
 「確かにローディス(支配国)は憎い。けど、奴等は金になる。取り入れば出世も出来る。歴史や伝統など金にはならんよ。」

 中国は歴史を金にしているが。

 歴史や伝統といった観念的な反中国論、アンチアメリカ論(逆もそうだが)ではなくて、何が金になって何が損を招くのか、中国がダメなら日本はどうしたら良いのか。そういった即物的な理論が必要なのだろうな。

味の素

2003年3月12日
 うちの母親は昔から味の素に偏見を持っていて、「あれは石油から出来ている」とか「舌が変になる」などと言っていた。それを刷り込まれたおかげで、味の素というと少し胡散臭いイメージがある。

 何たって味、の、素、だから。味に素なんかあるのかと思ってしまう。色の素が合成着色料の赤色5号とかであるように、味の素もナントカ何号、とかをふんだんに使いまくっているのかと。


 今日受けてきた味の素は、そんなわけではじめはあまり良いイメージが無かった。誤解だとわかっていても、人生の中で色づけされた何となくのイメージというものはなかなか払拭されないもの。

 面接自体は何の滞りも無く終わり。1時間半も時間があったのに、学生が5人だけという珍しい面接だった。

 帰りに、一緒に面接を受けた院生の人と情報交換。

 ・・・海外旅行の。

 早くどこかに行きたいものだ。

――――――――

 明治製菓。

 ESで選考しておいて、説明会は早い者勝ちとは。満席になったらその後の人は切るって何考えてるんだ。
 しかも、その日のうちに席が全部なくなるとは。そのうち追加日程がくるだろうと踏んでいたこっちが悪いのか?ES通過者分だけ席を手配する事も出来ない会社、それで何も言ってこない会社。
 
 内定する前は何千人もの、ただの消費者だって事を忘れてるのだろうか。

 志望順位はかなり下位だったからどうでもいいが、高い人など悲惨なものだ。この会社の商品を買うのやめよう。

 「みん就」の気持ち悪い所はそういう行為を「当然だ、企業に愛があれば手を尽くしたはず」と言い放つ人が多いことだ。それは奴隷根性だろうに。

 去年はそこだけしか回っていなかったから分からなかった部分はあるが、やはり出版って良いな。友人が、「大手のメーカーはダメだ」と言っていたが、最近それも分かる様になってきた。聞き流していた自分がバカだったかもしれん。7年来の親友の言葉には耳を傾ける必要があるな。やれやれ。


この文章

2003年3月11日
 ここで文章書いているのは何故かと言うと、安眠の為。色々考えてると寝れなくなる、という事が多い。それを少しでも吐き出せたらと思ってる。

 だからなのか、内容のせいなのか、はたまた文章のせいなのか。それとも人間性のせいなのか。読んでて好き嫌いが分かれる文章を書く、と言われる事がある。

 多分自分が他人の目でこの文章を読んだら、嫌いになる確率は高い。自己満足だから。

 少しは自覚もあるもので、1億分の1000万人を相手に楽しませるような職業は向かないだろう。1億分の、せいぜい1万やそこらな職業で。
 TVはだから受けない。だから出版なのだが。
 
 最近受けてないかも。
 
 それじゃただの誘拐。

 昨日が森永製菓の説明会で、今日が紀伊国屋書店の説明会&選考。

 食品メーカーの説明会というのはなんとも当り障りがなくて、眠くなってしまうのが困りもの。
 不況の為、利益率の良い売れ筋商品に重点を置いている。
 と言っていたが、重点を置くってどういう事なのか。質問をしてみるもよくわからず。キョロバンカーとやらを走らせる事なのか?チョコボールなんて、今更宣伝も改良も、する余地が殆どないと思うのだが・・・
 
 しかし、質問はあまりしつこく聞いてはいけないような気がする。自分はかなりしつこい方だとは思うが。

 紀伊国屋は色々と驚かされた。
 受付のお姉さま風の人が、ジュウタンの両脇に立ってお出迎え。受験者もせいぜい15,6人だろうか。何より驚いたのが

 人事がやさぐれていた事。

 初めから何かに怒っているかのようなその表情。「再販制度はぬるま湯ですね」、とか「取次なんて何も考えてないから売れない本ばかり新刊で送ってくる」などと吐き捨てる。
 学生にぶつけるなよ。

 ちょっと面白かったが。
 風貌は、「性格の悪い若松監督」といったところか。・・・それで「接客は笑顔が勝負」とか言われても。

 しかし、一番驚かされたのはここの選考。書いて良いのか分からないが、出されたお題が「池袋サンシャインビルに新しく出展する時、あなたが店長ならどんな施策を考えるか」。時間は30分程度。白紙の紙を一枚使って考える。

 正直、きつい。

 書店でバイトした事あると、多少有利かなとは思ったが、基本的に書店は、品揃え以外にアピールポイントがないと思うのだが。


 オープン戦でも打てません・・・

専業主婦万歳

2003年3月8日
 自分が楽しめないのに他人の事を楽しませる事が出来る訳ないじゃん。

 こういう言い方が昨今の風潮なのだろうか。

 確かに、自らが楽しむ事で他人も楽しませられる、という事は大いにありうる。しかし、だからと言ってそれらが=で結ばれるかというとそうではない。自らが楽しまない方が他人を楽しませられる事の方が世の中、はるかに多い。

 単純な話、他人の宿題や残業を押し付けられたなら、押し付けた方は楽しい。
 子供時代の自分が楽しむ為に親に苦労をかけた事は数知れないだろう。

 仕事を選ぶ上で「自らが楽しいから」を主眼に置くのは良い。自分もそれを望んでいる。しかし、それは手段であって目的ではない筈だ。仕事自体が目的ではない。楽しむ事は苦痛なく自らが辞めずに仕事をするための手段に過ぎない。そして仕事は金を稼ぐ為の手段。楽しみたいならその金を使って、もっともっと楽しめばよい。
 
 それが逆転してしまって、楽しいから仕事をしたい、という人が多すぎるように思う。それ自体日本人(と言うか富裕層)特有の考え方であると思うし、現在の自分がそれほど切羽詰ってない、働かなくても多分食べていけるという状況から生まれた考えだろう。それはまだ良い。
 現在の前提をあまりに絶対視しすぎていて、今貧乏じゃないから将来も貧乏じゃない、と考えるのは如何なものかと思うし、自己実現の為、なんてセリフを聞くとがっくりくる。が、それは良い。

 そういう事を言う人は大概シュウカツに熱心な女の子に多いのだが、気になるのはそういう子が、どうも楽しいから子供を生む、と考えてる節があるのが非常に多いことだ。

 偏見がこの意見を形作っているかもしれないが、子供が生まれたら両親(両方揃っているならば)のどちらかは家にいるべきだと思う。ただ、それは女性でなくても良い。男だって良いと思う(正直自分は専業主婦に憧れる)。

 子供を生むと言う事は多大な責任が伴う事であって、生んだ以上面倒を見る義務があるはず。仕事が楽しいのなら、子供など生むべきではない。どっちも欲しいは通用しない。何かを得る事には必ずリスクが伴うはずだ。それを払わずに楽しみだけ得よう、なんて論外であるし、ましてや胸をはって言える事じゃない。

 子供は親が楽しむ為の道具ではない。

 因果関係を立証するのは不可能だが、共働きの増加と共に少年犯罪は増えている。自分が共働きの両親の元、たまたまうまい具合に育ったからと言って、常にそうだと考えるのは甘くはないか。

 仕方の無い場合もあるだろうし、全てをここで切り捨てるわけにはいかないが、どうにも「楽しい事は良い事だ」という価値観が蔓延しすぎている気がする。
 そりゃ良い事だろう、本人にとっては。
 
 客観的には良い事でも何でもない。悪くはない、程度である。他人に迷惑さえかけなければ。そして誰かが楽しむと言う事は往々にして誰かが迷惑すると言う事なのだ。
 楽しむな、とは思わないが、楽しむ事を正当化するな、と思う。リスクを背負って楽しめ、と。


 この間のグループディスカッション。そんな話をした。
 年収2000万、3000万もらえる、楽しくはないかもしれないが能力を生かした仕事と、楽しいけれどもまるで儲からない、自分には才能がない仕事と、どちらを取りますか?と問い掛けたら自分以外の殆どが後者を取った。
 ちょっと愕然とした。
 親に対する責任、とか将来と現在の家族に対する責任、とか考えないのだろうか。まさかそれで子供は作る、とか言い出さないだろうな。

 皆が皆そう考えろとは思わないが、「とりあえず食べてはいける事」があまりにも前提となりすぎてはなろうか。世の中ってそんなに甘いのか。

 そもそも、仕事ってそんなに楽しいのだろうか。専業主婦も立派な仕事だと思うのだが。仕事は楽しいから、仕事やってなけりゃ嫌だって人は定年後どうやって生きていくつもりなのだろう。

 人間、生きていく権利はあるかもわからないが、楽しむ権利なんてどこにもない。

 ・・・何故世の中、主婦は女ばかりやっているのだろう。男もやっている世の中ならば、自分もやるのに。同姓の友達が出来ないとさすがに辛そうだから、今はちょっとやりたくはないが。

最近気になる事

2003年3月7日
 その後の如意棒。


 今日は日本食研の一次面接。
 ここの一次面接は2回、面接がある。集団面接を二回行って決めるらしい。
 聞かれた事は、「あなたにとって嫌な上司は?そういう上司に当たったらどうするか」「良い営業マンとは」「夢は何か」「一番の成功は」
 後は志望動機関係といったところか。

 非常に気になる事を言われた。「なんだか、あなたは既にうちの社員みたい」
 良い事なのだろうか。あまりそうは思えない。学生らしい若々しさが足りないのか・・・まだまだガクランなどを着さえれば高校生とでも通用するつもりだったのに。

 
 小久保が重傷らしい。怪我を負わせた相手は・・・椎木。ロッテから移ったのはこのためだったのかと疑いたくなるようなタイミング。彼が今年首になったりしたら、色々と言われるとような気がする。がんばれ椎木。
 それにしても西武はダイエーに怪我をさせすぎだな。

 ロッテ的にはおいしいかも知れないが、パリーグとしてはつらいところ。
 朝日メディアインターナショナルのグループディスカッション。9時からという爽やか且つ健康的な
時間帯から開始。

 いきなり遅刻。柏駅で誰かが緊急停止ボタンを押したせいだとか。それにしても、それだけで20分も電車が遅れるとは。1,2分の遅刻で済んだのは幸いだった。

 お題は「就職活動」。問題は人数。40分なのはいいとして、20人というのは。先日PHPで更新した最多人数記録をあっさりと再更新。まさかこれ以上大人数でやるところもないだろう。そう、願いたい。

 で、案の定話し過ぎ。またもや。しかし、前回よりは上手くいっただろうか。疑問を提示し、論点を絞り、意見を出す。大体思うような展開に持っていけた。

 何のために仕事をするのか。

 そこにポイントを置いた。ただの感想、自分の体験だけを言いたがる人を少なくして、意見の交換に終始出来たように思う。

 楽しむ為にするのか、稼ぐ為にするのか。

 誤算だったのが、後者の立場を取ったのが自分だけだった事。殊更に楽しんではいけない、苦行であると言うつもりも無いが、どちらに重きを置くかという点で最近後者に傾いてるのは確かだし、そもそも賛同者が少ない事が予想されたのではあるが。

 まさか一人で反論する立場になるとは。

 一人で我が儘言ってるようにも見えるし、何より自分の発言機会が多すぎてしまうのは問題だった。

 しかし、20人中19人がそう考えている状況ってさすがに気持ち悪くないか。

 19人ではないか。最後に一言だけ賛成してくれた人はいた。


 何のために仕事をするのか。
 これは、この一年の間、常に頭から離れなかったテーマと言ってよい。この機会に少し頭から出しておきたかったが。

 バトルロワイアルの私小説を読んでしまった・・・

 バトルロワイアル。誰に文章が幼稚だと言われようが、底が浅いと言われようが、あの小説が好きである。電車の中で不覚にも涙してしまったほどである。色々な物に感情移入しがちな自分にとって、あの小説は涙無しには読めなかった。

 『蝿の王』は感情移入が出来なかったが。

 その小説の同人誌的ホームページであろう、オリジナルストーリーをついついシュウカツもせずに読んでしまったせいで頭が物事を論じる方向にない。仕事について思うところはまた今度。

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