前提

2004年5月4日
 転職の多い流動的な社会というのは、しっかりした大学教育が前提になってなければならない。

 これまでは、いくら大学がただの遊び場と化し、人生の夏休みと位置付けられていても、それほどの問題は発生しなかった。何故ならば長期雇用を前提にして、時間をかけて研修という形で教育を施してきたから。高校までの教育がしっかりしていたという点と、それによって大学側が学生を選抜していたという点も大きい。

 しかし、プチアメリカ流の流動化社会になりつつある昨今では、企業はどんどん育成に金をかけられなくなる。金をかけるのが馬鹿らしくなっていく。では、どこで育成をすれば、されれば良いのか。
 自分に自分ですれば良い!と自己責任を声高に叫ぶのは容易いが、それは個々人の問題であって全体の数と質が減ってしまうのは否めないし、先人というか、培われてきたノウハウを活かせないのは非効率的でもある。
 が、そんな事情に構ってはいられない企業は、「既にして優秀な人材」を、必死でかき集めようとする。就職活動の前倒し。つまり、大学生活が実質3年間になってしまうという事。教育に充てられるべき時間を自分達で短くしていく悪循環。

 それに加えて、大学全入の時代と、初等中等教育の不安。大学全入も、全卒も悪くは無いが、全入でしかも全卒というのはいかにも問題がある。かと言って大学という場で、自分で自分に投資をするというのは難しい。初等教育から含めて、自己負担で教育にお金をかけられる人というのは、一定以上の富裕層に他ならない。大学に入っただけでは飽き足らず、そこから更に自己投資をできるほどの豊かさが無ければ流動化社会なんて言っても参加すら出来ないとそういう事か。

 根幹を変えずに、上っ面だけ見栄えが良いものに変えても、すぐにぽしゃるんじゃ無かろうか。

 経団連の発表によれば、平均在職年数が長い企業ほど利益を生んでいるらしい。何か示唆的ではあると思うのだが。

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