呼び方の階級
2004年3月15日 高校の時の友達と会って話をしてきた。
もう5年も前の話という事で、微笑ましい話も多かったのだが、『いま明らかになる衝撃の事実!』的な話が多かったのにかなり面食らった。特に女子同士の話。
当時の印象では、割と地味な人が多かったという風に記憶していたのだが、この日聞いた話ではかなりの泥仕合。いがみ合い足の引っ張り合い泣く泣かす・・・
恐ろしい。
何故自分が気づかなかったのか不思議になるくらい色々な話を聞かされ、逆に安心。当時気づかなくて良かったなと。逆に気づかなくて失敗だった話もあったが。鈍すぎるのだろうか。
「女子」という単語で思い出すのが、クラスには、大概の場合「ハデ派」と「中間派」と「地味派」がいるということ。男もあるが、それよりももっと顕著だった。で、派閥間交流において重要になってくるというか、面白く思っていたのが呼び方の問題。端的に言えば、「強引にあだ名を呼ぶ」事。
一段階離れている場合、ハデ派⇔中間派 と中間派⇔地味派 の場合は大して親しくなくてもあだ名(もしくは愛称)で呼ぶ事が多い。というか、あだ名で呼ぶ事がもはや一種の礼儀になっている。女の子の間では、フレンドリーである事が社会の中での礼儀作法となっているのではないかと踏んでいるのだが。
ところが、二段階離れている場合だと、これが「〜さん」とさん付けになる。興味深い。彼女等にとって、これくらい離れているともはや同じ世界の住人ではないのだなと(中高生を考える時に、この「世界」とか「階級」というのは一つのポイントになってくると思う。いつか、それについても書いてみたいが)。
で、同じ派閥の中だと、あだ名で呼び合うことも多いのだが、意外と呼び捨てになる確率が高い。これはつまり、一階級離れている人達と差別化するために、これくらいの事を言っても怒らない関係なんだよとアピールするために使われていると思う。この場合、二人称も「オマエ」とかになったりする。まぁ、この使い方はハデ派によく見られる傾向ではあるのだが。
あぁ、男でよかった。
そんな事観察する前に、もっと大事な事に敏感になれという気もするが。自分が唯一モテていた時期に、自分で全く気づいていなかったんだと。そんな、後で言われても・・・
もう5年も前の話という事で、微笑ましい話も多かったのだが、『いま明らかになる衝撃の事実!』的な話が多かったのにかなり面食らった。特に女子同士の話。
当時の印象では、割と地味な人が多かったという風に記憶していたのだが、この日聞いた話ではかなりの泥仕合。いがみ合い足の引っ張り合い泣く泣かす・・・
恐ろしい。
何故自分が気づかなかったのか不思議になるくらい色々な話を聞かされ、逆に安心。当時気づかなくて良かったなと。逆に気づかなくて失敗だった話もあったが。鈍すぎるのだろうか。
「女子」という単語で思い出すのが、クラスには、大概の場合「ハデ派」と「中間派」と「地味派」がいるということ。男もあるが、それよりももっと顕著だった。で、派閥間交流において重要になってくるというか、面白く思っていたのが呼び方の問題。端的に言えば、「強引にあだ名を呼ぶ」事。
一段階離れている場合、ハデ派⇔中間派 と中間派⇔地味派 の場合は大して親しくなくてもあだ名(もしくは愛称)で呼ぶ事が多い。というか、あだ名で呼ぶ事がもはや一種の礼儀になっている。女の子の間では、フレンドリーである事が社会の中での礼儀作法となっているのではないかと踏んでいるのだが。
ところが、二段階離れている場合だと、これが「〜さん」とさん付けになる。興味深い。彼女等にとって、これくらい離れているともはや同じ世界の住人ではないのだなと(中高生を考える時に、この「世界」とか「階級」というのは一つのポイントになってくると思う。いつか、それについても書いてみたいが)。
で、同じ派閥の中だと、あだ名で呼び合うことも多いのだが、意外と呼び捨てになる確率が高い。これはつまり、一階級離れている人達と差別化するために、これくらいの事を言っても怒らない関係なんだよとアピールするために使われていると思う。この場合、二人称も「オマエ」とかになったりする。まぁ、この使い方はハデ派によく見られる傾向ではあるのだが。
あぁ、男でよかった。
そんな事観察する前に、もっと大事な事に敏感になれという気もするが。自分が唯一モテていた時期に、自分で全く気づいていなかったんだと。そんな、後で言われても・・・
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