作者は聖女作家ですか。
2004年3月1日 『蹴りたい背中』をとりあえず読んでみた。
何かの評で、恋愛衝動が〜と書いてあったのを見たのだが、そんな感想は全くもたなかった。
これまで読んだ芥川賞に比べると、興味深く読めたのだが。面白いというと少し違う。クラスにおける孤独感の描写や、その状況など、細部にリアリティを感じるのだが、それでいて人間はこんなところでこんな動きをするものかという不自然さも同時に感じる。
人間、言葉であらわせるものの方が実は非常に少ない。日本語は表現が豊かな言語だと思ってはいるのだが、それでも言葉というのは全てを表現する事は不可能。ゲームで、知力や体力だけの記号では個人を絶対に表現できないのと同じように、(それはそれで良いのだが)言葉と言う記号だけでは伝わらない物は圧倒的に多い。で、その表現できない感情の起伏や場の雰囲気などを、如何に伝えるか表現するかという物が文学の一つの目的であるというのが自分の位置付けであり、その意味では「蹴りたい背中」という作品から「蹴りたい背中」という感情は伝わってきた。それを伝える事がこの話の主題であるとすら言えるのではないか。
で、その複雑であるはずのその感情そのものは自然に伝わるのがすごいところなのだが、その伝える為に用意された状況というのが、これは不自然な気がする。主題の感情が自然だが、そこより細かい状況設定が不自然、けれども更に細かい、学校の状況などのデティールは実に良い、とそんな感想。
自分は、感情をはじめとする、「言葉」では伝えられない部分を「表現」、「技巧」で如何に伝えるか、という部分にはあまり興味が無く、そのためか文学は苦手である。作者が意図したその場の雰囲気、細やかな感情を受け入れる必要は必ずしもないというか、受け入れないで自分で想像する方が好きである。誤解を恐れずに書けば、心理的な部分に焦点を置いた文学は、受け取り手の自由度が低いのではなかろうか。
作者は、なかなかに優秀な学校に通っていたのかと思った。人物と作者の距離が近いのではなかろうかな。余計な事だが。
何かの評で、恋愛衝動が〜と書いてあったのを見たのだが、そんな感想は全くもたなかった。
これまで読んだ芥川賞に比べると、興味深く読めたのだが。面白いというと少し違う。クラスにおける孤独感の描写や、その状況など、細部にリアリティを感じるのだが、それでいて人間はこんなところでこんな動きをするものかという不自然さも同時に感じる。
人間、言葉であらわせるものの方が実は非常に少ない。日本語は表現が豊かな言語だと思ってはいるのだが、それでも言葉というのは全てを表現する事は不可能。ゲームで、知力や体力だけの記号では個人を絶対に表現できないのと同じように、(それはそれで良いのだが)言葉と言う記号だけでは伝わらない物は圧倒的に多い。で、その表現できない感情の起伏や場の雰囲気などを、如何に伝えるか表現するかという物が文学の一つの目的であるというのが自分の位置付けであり、その意味では「蹴りたい背中」という作品から「蹴りたい背中」という感情は伝わってきた。それを伝える事がこの話の主題であるとすら言えるのではないか。
で、その複雑であるはずのその感情そのものは自然に伝わるのがすごいところなのだが、その伝える為に用意された状況というのが、これは不自然な気がする。主題の感情が自然だが、そこより細かい状況設定が不自然、けれども更に細かい、学校の状況などのデティールは実に良い、とそんな感想。
自分は、感情をはじめとする、「言葉」では伝えられない部分を「表現」、「技巧」で如何に伝えるか、という部分にはあまり興味が無く、そのためか文学は苦手である。作者が意図したその場の雰囲気、細やかな感情を受け入れる必要は必ずしもないというか、受け入れないで自分で想像する方が好きである。誤解を恐れずに書けば、心理的な部分に焦点を置いた文学は、受け取り手の自由度が低いのではなかろうか。
作者は、なかなかに優秀な学校に通っていたのかと思った。人物と作者の距離が近いのではなかろうかな。余計な事だが。
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