表現
2004年1月12日 「バカの壁」がヒットしているらしいが、この本は語りおろしらしい。それが読みやすいから多くの人に受け入れられているという分析をどこかで見た。
これはつまり、「普通の文章」は、「普通の言葉」と乖離していて読みづらいという事だろう。読みづらい文章をありがたがる傾向に対する、これは一種の白話運動なのかもしれない。
本とは情報を伝える為の媒体である。つまり、内容を伝える事こそがもっとも求められている事であって、文体を工夫するというのはそのための手段でしかない。
勿論、それは内容次第であり、どうしてもこういう表現でなければ内容、ニュアンスが伝えられないという事であれば、「普通の言葉」と乖離していようと何だろうと構わないことになる。ただ、ギリギリのところで多くの人に伝えようという意志は捨てない方が良いと思われるが。
だから、「読みやすい」という理由で「下らない」と切り捨てるのはおかしいという事は自明の理だろう。これからはそういう本が増えていくだろうし、内容が薄いかどうかは、ただ内容のみを以って判断されるべきで、文体によってではない。
しかし、この「読みやすい文体」をあるものに置き換えると、途端に風当たりが強くなる。
マンガや、ゲームに。
媒体にはそれぞれ得意な分野がある。マンガならば例えば、スポーツものや格闘もの、ギャグなど、文章では出来ない表現だろう。ゲームならばバイオハザードなどの恐怖ものを代表とする、「体験出来る」事が表現の幅をもたらしている。
それぞれの表現方法で、その特徴を生かした表現をすればよいし、その作り手が得意とする分野で作れば良い。
画面上で文章を読むゲームや、囲碁・将棋ゲーム、人生ゲーム系のボードゲームは、それぞれ「ゲーム機で動いているからダメ」ということもなかろう(この疑問に全く答えられない「ゲーム脳」議論は無駄だと思っている)。表現しやすいと思う方法、受け取りやすいと思う方法を選べばよいだけの事。
この間いまだに、「電車の中でマンガを読むのはどうかと思う」という考えを持っていた学生に会ったのに驚いた。それでいて、何故そう思うかと問うと明快には答えられない。困ったものだ。「バカの壁」を感じてしまう。
これはつまり、「普通の文章」は、「普通の言葉」と乖離していて読みづらいという事だろう。読みづらい文章をありがたがる傾向に対する、これは一種の白話運動なのかもしれない。
本とは情報を伝える為の媒体である。つまり、内容を伝える事こそがもっとも求められている事であって、文体を工夫するというのはそのための手段でしかない。
勿論、それは内容次第であり、どうしてもこういう表現でなければ内容、ニュアンスが伝えられないという事であれば、「普通の言葉」と乖離していようと何だろうと構わないことになる。ただ、ギリギリのところで多くの人に伝えようという意志は捨てない方が良いと思われるが。
だから、「読みやすい」という理由で「下らない」と切り捨てるのはおかしいという事は自明の理だろう。これからはそういう本が増えていくだろうし、内容が薄いかどうかは、ただ内容のみを以って判断されるべきで、文体によってではない。
しかし、この「読みやすい文体」をあるものに置き換えると、途端に風当たりが強くなる。
マンガや、ゲームに。
媒体にはそれぞれ得意な分野がある。マンガならば例えば、スポーツものや格闘もの、ギャグなど、文章では出来ない表現だろう。ゲームならばバイオハザードなどの恐怖ものを代表とする、「体験出来る」事が表現の幅をもたらしている。
それぞれの表現方法で、その特徴を生かした表現をすればよいし、その作り手が得意とする分野で作れば良い。
画面上で文章を読むゲームや、囲碁・将棋ゲーム、人生ゲーム系のボードゲームは、それぞれ「ゲーム機で動いているからダメ」ということもなかろう(この疑問に全く答えられない「ゲーム脳」議論は無駄だと思っている)。表現しやすいと思う方法、受け取りやすいと思う方法を選べばよいだけの事。
この間いまだに、「電車の中でマンガを読むのはどうかと思う」という考えを持っていた学生に会ったのに驚いた。それでいて、何故そう思うかと問うと明快には答えられない。困ったものだ。「バカの壁」を感じてしまう。
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