道二つ
2003年12月4日 目の前に道が二つ以上あった。という事はそうそう珍しい事ではないだろう。人生そんな事の連続。それは、政治の世界だろうとスポーツの世界だろうと同じ事。
二つある道のどちらが正しいかという事は、一概には言えないときもまた殆どだろう。実験が出来ないのだから、ある正解には、それと対称の位置に質量共に異なる、けれども価値としては同質なもう一つの正解があると言えるかもしれない。
つまりどちらの道を選ぶにせよ、そこには考えの違いによる「違い」はあっても、どちらがより正しいか、という「差」は基本的にはありえないのではないか。微弱な差はあるかもしれないが、その差というのは、気の持ちよう、考え方次第でどうとでもなる範囲の「差」に過ぎない事が殆どだろう。
正解を目指して動いている以上、そこには良いも悪いも無く、ただ違いが有るに過ぎないという事は多い。
では、選択において失敗はないのかというと、そんな事はない。どういう選択によって「差」が出るかといえば、それは「どの道も選ばなかった時」もしくは「どの道をも選ぼうとした時」ではないか。
後者は、万一うまくいったら大成功に変化するだろうが、前者はそういう事はまずありえない。「選択しない」という選択を、余程強固な意志と確固たる裏づけによって選んだのでなければ。
つまり、道を選ぶ時にもっとも重要なのは、「選べるかどうか」であり、「どれを選んだか」はそのかなり下に来るのではなかろうか。とは言うものの、きちんと吟味した結果の話であって、無鉄砲にどれでも良い、というわけではないが。
新聞ニュースで色々とあるが。
とにかく、選んで欲しい。どちらも選ばない、何て事がないように。
二つある道のどちらが正しいかという事は、一概には言えないときもまた殆どだろう。実験が出来ないのだから、ある正解には、それと対称の位置に質量共に異なる、けれども価値としては同質なもう一つの正解があると言えるかもしれない。
つまりどちらの道を選ぶにせよ、そこには考えの違いによる「違い」はあっても、どちらがより正しいか、という「差」は基本的にはありえないのではないか。微弱な差はあるかもしれないが、その差というのは、気の持ちよう、考え方次第でどうとでもなる範囲の「差」に過ぎない事が殆どだろう。
正解を目指して動いている以上、そこには良いも悪いも無く、ただ違いが有るに過ぎないという事は多い。
では、選択において失敗はないのかというと、そんな事はない。どういう選択によって「差」が出るかといえば、それは「どの道も選ばなかった時」もしくは「どの道をも選ぼうとした時」ではないか。
後者は、万一うまくいったら大成功に変化するだろうが、前者はそういう事はまずありえない。「選択しない」という選択を、余程強固な意志と確固たる裏づけによって選んだのでなければ。
つまり、道を選ぶ時にもっとも重要なのは、「選べるかどうか」であり、「どれを選んだか」はそのかなり下に来るのではなかろうか。とは言うものの、きちんと吟味した結果の話であって、無鉄砲にどれでも良い、というわけではないが。
新聞ニュースで色々とあるが。
とにかく、選んで欲しい。どちらも選ばない、何て事がないように。
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