言い訳
2003年12月2日言い訳する事のどこが悪いのか分からない。
ミスをして、申し開きをすると、更に怒られる。そんな経験、誰しもあるのではなかろうか。言い訳しない男は格好良い、そんな風に思っている人も多い事だろう。
しかし、大学に入って今のバイトをして、それも年を重ねて自分が指導的立場になった時、言い訳しない人ほど使いにくいものはないとしか思えなくなった。
ミスをするのは仕方ない。それは、教えた側にも問題があったのだろうし、全くミスがないなんて事はありえないのだから。ただ、何故ミスをしたかが分からない人、それを伝えてくれない人は、本当に困る。
どうしてそのミスをしたのか
教えた事がその人の中でどう消化されているのか
どうすればミスがなくなるのか
それらについて、自分でどの様に考えているのか
これらを知る事が、ミスをこれからに生かすことになる。なのに、黙って業務をして、黙ってそれを報告するだけでは、全然それらが分からない。それを報告すると、「言い訳するな」と不快がられる風土というのは、本当におかしい。
いけないのは、開き直る事だろう。「だから自分は悪くない」という態度が良くないのであって、言い訳する事そのものが悪いわけではない。
いや、開き直りにしても、それを悪いと感じるのは日本人くらいのものかもしれない。「自分は悪くない」という主張に対して「いや、〜〜だから、これは君の責任だ」と言って、それでも駄々をこねるようならそれは問題だが、誰にだって主張する事は許されて良いのではないか。胸のうちに不満を溜める方が、よほど問題ではないか。
言い訳を許さない風土というのは、それこそ『君、君たらずとも、臣、臣たれ』武士道の精神世界や、家父長制の仕組みにその源を求める事が出来るかもしれない。しかし、これを文化と呼んで良いものか。説明責任「インフォームド・コンセント」が根付かないのはこうした風土によるものではないか。
見え透いた嘘や、「だってだって〜」とばかりに明らかな自分の失敗を、他人に擦りつけるのは良くないのは当然だろう。しかし、全てを一緒くたにして「言い訳は悪い」と楽をする事は怠慢ではないか。少なくとも基本的な考え方として、思うところを伝え合う事が悪い事だとは到底思えない。
ミスをして、申し開きをすると、更に怒られる。そんな経験、誰しもあるのではなかろうか。言い訳しない男は格好良い、そんな風に思っている人も多い事だろう。
しかし、大学に入って今のバイトをして、それも年を重ねて自分が指導的立場になった時、言い訳しない人ほど使いにくいものはないとしか思えなくなった。
ミスをするのは仕方ない。それは、教えた側にも問題があったのだろうし、全くミスがないなんて事はありえないのだから。ただ、何故ミスをしたかが分からない人、それを伝えてくれない人は、本当に困る。
どうしてそのミスをしたのか
教えた事がその人の中でどう消化されているのか
どうすればミスがなくなるのか
それらについて、自分でどの様に考えているのか
これらを知る事が、ミスをこれからに生かすことになる。なのに、黙って業務をして、黙ってそれを報告するだけでは、全然それらが分からない。それを報告すると、「言い訳するな」と不快がられる風土というのは、本当におかしい。
いけないのは、開き直る事だろう。「だから自分は悪くない」という態度が良くないのであって、言い訳する事そのものが悪いわけではない。
いや、開き直りにしても、それを悪いと感じるのは日本人くらいのものかもしれない。「自分は悪くない」という主張に対して「いや、〜〜だから、これは君の責任だ」と言って、それでも駄々をこねるようならそれは問題だが、誰にだって主張する事は許されて良いのではないか。胸のうちに不満を溜める方が、よほど問題ではないか。
言い訳を許さない風土というのは、それこそ『君、君たらずとも、臣、臣たれ』武士道の精神世界や、家父長制の仕組みにその源を求める事が出来るかもしれない。しかし、これを文化と呼んで良いものか。説明責任「インフォームド・コンセント」が根付かないのはこうした風土によるものではないか。
見え透いた嘘や、「だってだって〜」とばかりに明らかな自分の失敗を、他人に擦りつけるのは良くないのは当然だろう。しかし、全てを一緒くたにして「言い訳は悪い」と楽をする事は怠慢ではないか。少なくとも基本的な考え方として、思うところを伝え合う事が悪い事だとは到底思えない。
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