怒られた

2003年8月13日
 成人の異性を愛する事が普通だとするならば、同姓を愛する事は普通ではないという事になる。
 普通ではない、という区切りは、同性愛が人類の一般的な性質になるまでなくなることはないと思うが、普通ではない事に対して偏見を持つことは止めよう、というのが昨今の風潮だろうか。自分が嫌だなという気持ちはあっても、同性愛者が嫌な気持ちになる事はやめようという。
 それは多分、より正しい事なのだろう。

 そう考えてみると、普通ではないという事は責めれられるようなことではない事になる。ならばつまり、幼女しか愛せない男は責められるべきではないし、少年愛にしか興味を示さないオジさんの何が悪いのかと言う事になる。もしも、自分の娘しか愛せない体だったら?やおい、ボーイズラブが溢れている(よくわからないが)世の中だ。

 勿論、未成年は合意を得る事がほぼ出来ない、合意をする判断力を認められていないのだから、そこで強制したら間違いなく犯罪行為。しかし、そういった行為に出なければ。妄想やその他諸々の方法でそれを満たしているなら全く構わないという事になる。

 しかし、どうもそういう訳ではないようだ。幼女趣味がある、なんて事になったら何もしてなくても数々の差別を受けることは目に見えているし、幼女虐待と言う事になると、実際世間の目もより厳しい。

 けど、人権派がそれを「たまたま幼女趣味だったから執拗にそれを責めてるんだろう」と擁護してるという話は聞かないし、同性愛の人々が、「彼等にも同じように権利を」と言っているという話も聞かない。

 同性愛の人々は、だからといって、同姓の全てが対象な訳ではない。誰でもいいわけではないのは、異性愛の人達と同じだ。すると、幼女趣味や少年愛の人達も同じなのだろう。
 むしろ、そういう風に産まれてきてしまった人達は悲惨なのかもしれない。自分が幼女にしか興味がないと知った時、それがかなえられる時は犯罪者になる時だ。

 同性愛と、そういう人達とに何か明確な違いがあるのかどうかはよく分からない。違いがあるのだと言われてもそれに客観性があるのかも分からないだろう。

 けど、マイノリティーとマジョリティーがあるように、マイノリティーの中にもマジョリティーとマイノリティーがあるのだろう。同性愛の人たちは、今マイノリティーの中のマジョリティーなのかもしれない。少なくとも、同性愛であるだけで叩くというのは許されない事である。

 そんな理屈になるのだが、やはり幼女趣味はキモイ。生理的に嫌悪感を感じる。正直、同性愛に対してもそうだ。それはいけない事だと自分を戒めているのだが、幼女その他の趣味に対しては戒める必要はあるのだろうか。ないのだろうか。
 それ自体は罪ではないとしても、将来自分の子供が幼稚園に入った時、保父がそんな男だったらどうだ。わからない。

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