悪一文字

2003年8月7日
 目的と手段を取り違える事はままある事だが、犯罪においてそれが最近顕著になっている気がする。

 「悪」というのは本来、手段である筈。いい思いをするため、金を手に入れるため、異性を手に入れるため。色々と快楽はあると思うが、それを手に入れるために、リスクを犯して悪を行う訳だ。

 政治家が必要悪を行える人間でなければならないというのもこの点に尽きる。金はやはり必要であるし、必要でなければならない仕組みになっているからだ。汚れた金を、手に入れること自体は良いが、手に入れる事は手段であるべきなのだ。

 個人の犯罪の場合は、金そのものが目的になっているから、それを手に入れる手段として、悪が出てくる。しかし、それはいけない事なのだというルールがある。

 だから、その金を始めとする何かが目的の時は共感も出来るし、同情の余地もある。身勝手な快楽もあるが、少々あくどい手を使っても成り上がってやろうという人は(身近でなければ)嫌いではない。

 しかし、犯罪という「悪そのものが目的」と化してしまうというのは何なのだろう。悪を行う事が楽しい、快楽だという人間は理解不能だ。狂人の部類に入るのではないだろうか。心の大事な部分が抜け落ちてはいないか。

 利益の為に悪を行う人なら、更正の可能性は充分にあるだろうが、そうでない人はどうなのだろう。悪というのは、それが利益をもたらさなければやりたくはないが故に悪なのだから。

 この違いは大きい。 
 この違いによって、刑罰に差を付けられないものだろうか。


 *この場合の「悪」は絶対善と絶対悪というような、哲学的宗教的な事を意味している訳ではないのであしからず

 *るろ剣の作者には、訳の分からない漫画を書かないで、新撰組ものを書いて欲しい。

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