パターン

2003年7月4日
 オーソドックス、基本、慣例、型、パターン、マニュアル、定番。

 色々と言い方はあるが、これらは皆、決まりきった形の事だ。
 何故、その形がパターンとして確立されたかといえば、答えは簡単で、それが前例から考えて最も優れているからである。

 週刊少年ジャンプにおいてのこのパターンは、格闘マンガにおいて顕著だが、そのマンガ何本かを軸に、スポーツマンガとギャグマンガでわきを固め、お色気交じりのラブコメが1,2本という雑誌の作り自体もパターンだ。そしてパターンというのは非常に魅力的であるということは、漫画を読んだ事のある人ならよく分かるだろう。
 ハリウッドにおけるアクション映画や、水戸黄門、密室もののミステリもそうだし、スポーツも皆この部類に入るだろう。

 個性とか、独創というのはそのパターンの味を引き出す為に有効なのであって、その魅力を殺すような独創性など、何の意味も無い。ごく稀に、自らパターンを作り出す人もいるが、それこそが独創。しかし、それは本当に勇気のいる事で、パターンを踏み外して失敗する事は正に愚の骨頂なわけだ。

 『レベルE』を読んでそう思った。
 『幽遊白書』と『ハンター×ハンター』という定番の合間に挟まれたこの異端な作品を成功させた事が、作者のすごさを表している。
 これこそが作者のやりたい事なのだろうとは思うが、だからと言ってこの作者の才能がスポイルされたというわけではない。パターンを魅力的に描く為の味付けとしての個性の上澄みが、この『レベルE』で作品化されたという事だろう。全3巻という短さは、おそらくそのせいだ。

 TV番組にBGMを付けている仕事をしている友人の話を聞いてそう思った。
 暗いシーンや明るい場面で、それぞれ「こういう時はこういう音楽」というのがある程度あるだろうなと。しかし、葬式の場面でテンポの速い曲を使うといった奇策は、基本的にやってはならない事だろうなと。そんな事は個性ではない。そういう事をして人を納得させられる人は多分、鬼才なのだろうが、何十年に1人、だろう。

 個性的であることなんて、本来二の次であるべきだと思うし、個性的で「あろうとする」事はさらにその下を行く事だと思うのだが。

 
 スーツで来るべきところを私服で来い、と言われると腑に落ちない。
 初対面の人に対して好印象を与えるための、考え抜かれたパターンがスーツを着る、という事なんだろうに。
 それに効果を感じないのだったら、社内だけでも、自分から率先して私服にすべきだし、それが出来ないなら単に物分りが良い風を装っただけではないかな。

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