歴史認識

2003年6月26日
 今、手元に中国で出版されている『中国歴史地図集』の、「元・明時期」編がある。のだが。

 「中国の領土」を太い枠で囲っておいて、その中で勢力の違いによって色分けをするという方式を取っている。例えば、三国時代ならば、万里の長城近辺と、四川のあたりに枠が囲ってあり、その中で三国が三色に色分けされる事になるだろう。
 極めて一般的な手法である。

 まず、日本が枠の外にあるのにはホッとした。一応属国扱いではないらしい。それにしても、明の時代、16世紀で戦国時代真っ盛りの日本の首都が「平安京」となっているのには頭痛がしたが。そもそもその他に都市がないし。

 半ば予想通り、半ば予想以上だったのがチベットの扱い。属国扱いを受けているんじゃないかと思ってはいたのだが、それは外れた。

 本国扱いだった。

 元代はともかく(それもかなりどうかとは思うが)、明の時代に本国扱いって、何が根拠になっているんだ。

 台湾が中国領扱いなのはまだ良い。きちんと領土になったのは清からで、それまではただの未開の地であったとしても、まだ良いだろう。

 次に不可解なのが、遊牧民族。オイラートやタングートが属国扱い。
 多分、現在自分の国に属している民族の歴史は自国の歴史、という考え方なのだろう。彼等にしてみれば明時代は分裂の時代のようだ。すると、いつが統一の時代なのだろう。
 そもそも、モンゴルの人達の歴史はどうすりゃいいんだ。日本に韓国人の人がいるからって、日本人の祖先が渡来人で韓国系だからって、韓国の歴史は日本の歴史なのだろうか。

 その延長で驚いたのが、チャガタイ=ハン国の扱い。属国扱い。

 チャがタイ=ハン国は中国ですか。
 ブハラやサマルカンドは中国だったのですか。

 さすがにイルハン国やキプチャクを属国扱いしてはいなかくて、少し安心。
 これに比べれば、北極海まで元の領土だったって、そんなに衝撃は無い。しかし、だ。それにしても

 樺太まで中国とは。

 これはなかなかに衝撃だった。彼等にとっての「領土」とは何を意味するのであろう。日本は西だけじゃなく、北も中国に囲まれていたのだなぁ。

 正しい歴史認識と、誤った歴史認識。なかなか難しい問題だが、とりあえずモンゴル人は怒って良いと思う。

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