正直

2003年5月20日
 自分に正直に生きるってのはよく分からない。

 夢を持って、とか、自分が望むように、とか。この場合の夢というのは殆どの場合がちがちに固定されてるものでしかない。一日中ネットゲームをやって暮らすのが夢、とか幼女虐待して泣き喚かせ続けるのが夢、とかは完璧に「夢」という言葉の範疇を抜け出ている。

 だから、「夢」と、「自分に正直に」、というのを両方語るのは矛盾も甚だしい。パイロットや、医者や、作家など語句少数の限られたもの(特に、「クリエイティブな仕事」とやら)だけが「夢」という名を与えられる権利を持つ。

 で、それは多くの場合自ら望んだ結果ではない。はっきり言って、夢なんて持てる人の方が稀だ。多くの人にとって、目先の欲望はあっても夢など存在しない。そうでなければ夢を見てるような気にさせられているだけ(そこを厳密に区別する事に意味は無いのだろうが)。そういう夢を持ち、達成する事が社会的な成功だという事になっているからそれを得たい。それはすなわち名誉を得たいのだという事に他ならない。

 名誉が夢でも良いと思う。

 しかし例えば、軍人になって人を殺しまくって名誉を得たい、とか美少女ゲームを作ってその業界で名を馳せたい、という夢は抑圧される。だからやはり、名誉それ自体は夢とは一般的に認められないものだ。いや、名誉それ自体はともかく、そこに至る道のりは。やはり、自分の息子が美少女ゲームで名誉を、などと考えていたら問答無用で抑圧する思う。

 名誉を得る為だけに医者になっても、それはそれで夢として良いとは思うが、その過程があんまりなものは嫌だという意見。夢には、「持っても構わない夢」と「持つと褒め称えられる夢」との2種類がある。

 そう考えを進めていくと、問題なのは「自分に正直に」の方ではないか。
 はっきり言って猿であろう。それは。自分のしたい事を、理性的な判断でいかにより適当な方向に導いていくかが大切なのに、思考を停止させるような考え方である。人間、その時その時で考え方が変わる。刹那の欲望に従う事は、現在の自分の事しか考えられない者のする行為だ。それでは、やはり猿だ。
 そういう思考停止を「後悔しないために」という言葉で言い繕う事は不愉快だである。刹那の感情で動いた方が、余程後悔するのが普通ではなかろうか。そういう言葉を蔓延させる事で、

 本当に後悔しなくなってしまう
 
 のではないか。それは、非常に恐い事だ。脊髄反射で行った間違い、そういう言葉に踊らされて考え無しに行った行動を、後悔すらしない様ではお終いだろう。


 ・・・と書いておきながら

 「裏表が無い」「自分に正直」などとよく言われます・・・

 自戒の念を込めて、という事で。

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