駅の店

2003年4月21日
 駅の古本屋で宮部みゆきの「模倣犯」を発見して購入したのだが、下巻のみ・・・ 早いところ上巻を買いたいのだが、古本屋に行っている暇もあまりなく。探している暇はもっとなく。

 更に駅では髪まで切った。1000円の床屋。正直言ってあまり上手くはないが、忙しい時にはかなりありがたい。

 立ち食いソバと、キオスクも含めて駅の諸施設にかなり助けられている、というか金を吸い取られている気がする今日この頃。そもそも駅以外であまり金を使わなくなってきた。

――――――
 若者よ、丁稚奉公から始めよう


 現代の、フリーターになる若者生み出すメカニズムを、社会的な就職難と、若者と社会意識の変化双方から捉え、特に後者の「自分探し」の風潮に焦点を当てている。きつい仕事は「自分らしさ」を発揮する仕事にはなりえないという事、「自分らしさ」なんてものを発見できる事は稀である為、そもそも求職をしない高校生が増えている事。自己実現というごく僅かの職業人の特徴的な特性であるのに、それに普遍的価値を持たせてしまった事と、それに反して望む仕事がないという現実との齟齬。それを改善させる為に手に職型の中小企業に若者を紹介させられないか、という事。具体的な経験を体験をさせていこうと。

 うーむ。自分も若者で、しかもきつい仕事を志望していないだけに何とも言いがたいものがあるが。

 確かに、自己実現なんてものは言葉だけの世界の話で意味が不明。自分らしさなんて物は誰にもないと言える。
 例えば世の中には、全く同じ商品はないわけで、それでも個性的な、ごく一部の商品だけが生き残っていく訳だ。だから大抵の人は、他人と違う所はあるにせよ、個性はない存在でしかない。それはそれで良いと思う。

 ただ、就職しなくても生きていけるように今の世の中がなっているという事と、企業がフリーターを欲しがっているという社会的状況はかなり大きいのではなかろうか。募集があるのに応募がないって事は考えられないし、募集があるって事はその分ど
こかに正社員のしわ寄せが来てるわけだ。

 結局、仕事で働くというのは食べていく為なのだから、食べていけるのに正社員になる理由というのは、どうしても薄くなる。正社員になる人の方が、単に決められたレールから降りる勇気がなく、それを「やりたい事」という言葉で取り繕っている気すらする。食べる為、以上に切実な志望動機など存在し得ないのだから。
 それを、「自己実現」なんて言葉で補おうとしても無駄なのだろう。

 日本の景気のため、とか大きな事を言っても仕方がない。手に職をつけなくてはいけない理由がないのに、大きな事を言っても。
 結局、働かなくてはいけないんだよという、教育を問答無用に叩き込むしかないのではなかろうか。働かないと罪悪感を覚えるくらいに。

 人のことは言えないが、親の甘さもあろう。自分と同じような苦労をさせないと大人にはなれない、ではなくて自分と同じような苦労はさせたくない、という発想になってしまっているから、それを根本的に再教育しないといけないのかもしれない。だからこそ、文中で出ているように、親の環境によって子供の就職率に差が出てくるのではというようにも思える。

 ただ、中小企業の人手不足は、本当によく分からない。そこのところをデータを使って分かる様に書いて欲しかった。中小は資金繰りが苦しいからあまり採用してないような気がするのだが・・・ ミスマッチは、本当にあるのだろうか。わからない。

――――――
 旧石器捏造「神の手」だけが悪いのか


 いかに考古学者たちが検証も行わずにこれを信じていたか、検証を行う力がそもそもなかったのではないか、そして批判を許さない体質。それらが一番悪いという話。

 至極最もな話で、儲かる事を、「やれるのにやらない」という事など、人間が集まればありえない。石器を偽造出来る状況だったならば、何も起こらない方が、起こそうと考える人が出ない方がむしろ偶然なのだ。

 これは、アメリカにも適用できる。好き放題できる力があるのに、やらない理由はない。アメリカの「公正と信義に期待」して得られた安定など、偶然の産物なのだから、アメリカが「したくても出来ない」ような状況を作らねば。アメリカに限らず。

 しかし、同じような事は多そうだ・・・

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