専業主婦万歳

2003年3月8日
 自分が楽しめないのに他人の事を楽しませる事が出来る訳ないじゃん。

 こういう言い方が昨今の風潮なのだろうか。

 確かに、自らが楽しむ事で他人も楽しませられる、という事は大いにありうる。しかし、だからと言ってそれらが=で結ばれるかというとそうではない。自らが楽しまない方が他人を楽しませられる事の方が世の中、はるかに多い。

 単純な話、他人の宿題や残業を押し付けられたなら、押し付けた方は楽しい。
 子供時代の自分が楽しむ為に親に苦労をかけた事は数知れないだろう。

 仕事を選ぶ上で「自らが楽しいから」を主眼に置くのは良い。自分もそれを望んでいる。しかし、それは手段であって目的ではない筈だ。仕事自体が目的ではない。楽しむ事は苦痛なく自らが辞めずに仕事をするための手段に過ぎない。そして仕事は金を稼ぐ為の手段。楽しみたいならその金を使って、もっともっと楽しめばよい。
 
 それが逆転してしまって、楽しいから仕事をしたい、という人が多すぎるように思う。それ自体日本人(と言うか富裕層)特有の考え方であると思うし、現在の自分がそれほど切羽詰ってない、働かなくても多分食べていけるという状況から生まれた考えだろう。それはまだ良い。
 現在の前提をあまりに絶対視しすぎていて、今貧乏じゃないから将来も貧乏じゃない、と考えるのは如何なものかと思うし、自己実現の為、なんてセリフを聞くとがっくりくる。が、それは良い。

 そういう事を言う人は大概シュウカツに熱心な女の子に多いのだが、気になるのはそういう子が、どうも楽しいから子供を生む、と考えてる節があるのが非常に多いことだ。

 偏見がこの意見を形作っているかもしれないが、子供が生まれたら両親(両方揃っているならば)のどちらかは家にいるべきだと思う。ただ、それは女性でなくても良い。男だって良いと思う(正直自分は専業主婦に憧れる)。

 子供を生むと言う事は多大な責任が伴う事であって、生んだ以上面倒を見る義務があるはず。仕事が楽しいのなら、子供など生むべきではない。どっちも欲しいは通用しない。何かを得る事には必ずリスクが伴うはずだ。それを払わずに楽しみだけ得よう、なんて論外であるし、ましてや胸をはって言える事じゃない。

 子供は親が楽しむ為の道具ではない。

 因果関係を立証するのは不可能だが、共働きの増加と共に少年犯罪は増えている。自分が共働きの両親の元、たまたまうまい具合に育ったからと言って、常にそうだと考えるのは甘くはないか。

 仕方の無い場合もあるだろうし、全てをここで切り捨てるわけにはいかないが、どうにも「楽しい事は良い事だ」という価値観が蔓延しすぎている気がする。
 そりゃ良い事だろう、本人にとっては。
 
 客観的には良い事でも何でもない。悪くはない、程度である。他人に迷惑さえかけなければ。そして誰かが楽しむと言う事は往々にして誰かが迷惑すると言う事なのだ。
 楽しむな、とは思わないが、楽しむ事を正当化するな、と思う。リスクを背負って楽しめ、と。


 この間のグループディスカッション。そんな話をした。
 年収2000万、3000万もらえる、楽しくはないかもしれないが能力を生かした仕事と、楽しいけれどもまるで儲からない、自分には才能がない仕事と、どちらを取りますか?と問い掛けたら自分以外の殆どが後者を取った。
 ちょっと愕然とした。
 親に対する責任、とか将来と現在の家族に対する責任、とか考えないのだろうか。まさかそれで子供は作る、とか言い出さないだろうな。

 皆が皆そう考えろとは思わないが、「とりあえず食べてはいける事」があまりにも前提となりすぎてはなろうか。世の中ってそんなに甘いのか。

 そもそも、仕事ってそんなに楽しいのだろうか。専業主婦も立派な仕事だと思うのだが。仕事は楽しいから、仕事やってなけりゃ嫌だって人は定年後どうやって生きていくつもりなのだろう。

 人間、生きていく権利はあるかもわからないが、楽しむ権利なんてどこにもない。

 ・・・何故世の中、主婦は女ばかりやっているのだろう。男もやっている世の中ならば、自分もやるのに。同姓の友達が出来ないとさすがに辛そうだから、今はちょっとやりたくはないが。

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