カタカナ言葉

2003年2月28日
 NECの説明会。

 正直、具体的に何をやっている会社で、どんな仕事をやる事になるのかさっぱりわからないまま赴いた、言わば適当に受けた会社だったのだが、なかなかの好印象。

 やたらとハイテンションな司会が繰り広げるパワーポイントでの説明に、具体的な仕事の流れを分かりやすく説明した上に、要所要所で「あなたならどうする?」と考えを問うてくるビデオ。最後には社員が何人か出てきて、これを囲んでの懇親会。うちの会社を知って欲しい!という気合がここまで伝わってきた会社はなかなかない。社員に、気合入れて質問をしまくってしまった。(どういう訳か今春から配属される内定者も懇親の対象になっていたが、当然のように話を聞きに集まる人も少なく、閑散としていて可哀相であった。学生の話を聞いてどうしろってんだ?)

 馬鹿デカい会社である。一時期は1500人も取っていたそうな。今は少なくなって700人位だというが、10人の採用で多い、と感じていた身には驚愕の数値。

 人材公募制度があって、面接さえ通れば上司の許可なく好きな部署に異動できるというのも面白い(しかし、いっぺんに何人も出て行かれた部署はどうなるんだ?)。大企業ならではであろう。

 しかし、資料にある用語の羅列にはゲンナリ。

 ソリューションに始まり
 アカウント・マネジメント
 プロジェクト・マネジメント
 リスク・マネジメント
 コアコンピタンス
 ヒューマン・スキル・・・

 意味が分からん。日本語じゃいかんのか。さすがに英語ディベート、とか英語ライティングなんかは日本語の方が意味が通じると思うのだが。

 日本語は怠けすぎだろう。誰が怠けているのかは分からないが、分かりやすく伝えようとする意志が希薄すぎる。日本語なのに、日本語を喋れても意味が分からないってありえない。小学生の暗号遊びじゃないんだから、そんな言葉を弄んで、使えない人に優越感持ってどうする。

 文藝春秋の特集は、最近くどくて嫌だが、今月の「日本語大切」の中のこのような内容の記事は良かった。中国人の方がよほど勤勉に訳を考えている。

 「baseball」は「野球」となる事で日本に根付いた。

 まだ無い言葉はしょうがないが、既に日本語にあるにもかかわらずわざわざカタカナで使っているのを見ると、これはもはや失笑の対象ですらある。
 スキルは技術であり、ディベートは議論である。そして言葉とは他人に自らの意志を伝えるためのものである。
 薄っぺらい優越感、他人に失笑を買うような優越感の為に自らの意志を伝える対象をわざわざ狭めるというのは愚か者のする事ではないか。

 NEC自体は非常に感じよかったのだが。

 問題がもう一つある。

 志望動機が、ない。

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