先日の誕生日、新宿は歌舞伎町の入り口と、靖国通りを挟んで向かいにある通りを歩いていたら、「誰か、誰かいませんか!?」という声が聞こえた。

 振り向くと、そこには盲目だろう老夫婦が、2人してステッキのような棒をつきながら立ちすくんでいた。2人とも見えないのである。

 聞くと、新宿駅へ行きたいそうで、最初は道だけ教えてみたものの、何故か周乃家に入りそうになるなど、あまりにも危なっかしかったのでエスコートを申し出る。

 小田急の改札口まで案内したのだが、道中何を話して良いのかよく分からない。どこから来たのか、いや、どれくらい見えているのかなど聞けそうで聞けない。

 良い事をしたと思う。良い事が帰ってくるかと思った

 が、その日の帰りにサイフを忘れた。

 因果応報はなかった。

 それは良いが(最終的には見つかった)、このような夫婦が2人だけでどこかへ行こうとするという事は、それなりに自分のような助けを借りなくてはならない。という事は、まだまだ日本の人心も捨てたものではないのかもしれない。そもそも、2人で出歩こうと思う事自体、日本の良さだろう。

 しかし、見方を変えれば、2人の近しい人は何をしているのかが問題になってくる。出発地にも、目的地にも誰も知人はいないのだろうか。いたとしたら何故手立てを打たないのか。

 障害者が一人立ちをするというのは誰の助けも借りないという事なのだろうか。本人達が知人の助けを断ったのだろうか。相手の意志を無視しても助けてやる、という事は良くないことなのか。何とも言えない。

 しかし、この後に面接があったらどうしてただろうか。これで遅刻したとして、企業は信じてくれたのか。

 人助けをするのにそんな留保がある社会というのも。

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