言の葉

2003年2月22日
「これは個人的な考えだから」「結局決めるのは君だけど」

 お互いを尊重しているという事になるのだろうか、こういう言い方が流行っている。
 いや、言い方というべきか、ただの枕詞か。

 はっきり言って嫌いだ。

 個人的な考え以上のものがあるのだろうか。どんな考えであれ、それは個人的な考え以外の何者でもなかろう。自分が公的な声明を出せるわけでもなければ。

 決めるのが本人なのは当たり前だ。しかし、自分が好き勝手言っておいてそれはなかろう。意見を出すというのはそんなに無責任な事ではない。もしもその人がその意見の通りに行動したとしたら、本人が「その意見とは関係ない」と言ったとしても責任の一端は意見を出した当人に有る。有る、と言うより無いと言う事は出来ない。意識の中にその意見の影響が無いとは言い切る事は出来ないからだ。

 言う必要の全く無い冒頭の言葉をわざわざ使う事で、意識的にせよ無意識にせよ責任を回避しようとする感覚が生まれているように感じられる。この言葉を使う事で、何を言っても許されるかのような、あたかも免罪符のような感覚で使われすぎてはいないだろうか。

 言葉を使う、それを相手に発するという事にはある程度の責任が生まれる。何のしがらみもなく使えるほど言葉というのは軽いものではない。政治家の失言を見るとそれがよく分かるだろう。

 それを放棄するという事はお互いを尊重する事でもなんでもない。

 お互いを尊重する事と言うのは、何も言わないか、一度何かを言ったら相手が嫌がるまでその責任の一端を、ほんの少しでも良いから担い続けることではなかろうか。

 言葉が足りない時、どちらとも取れない時は、別に良い(以心伝心、という事である)。発言者は責任ないと思う。しかし、わざわざその言葉を使った時、どちらとも取れる言葉を使った時(言質を取る、という)はそれが真意と違った方向に取られようと、それは言葉を使ったほうに責任があるように思う。

 一度口から出た言葉を引っ込める事は出来ないのだから。

 確かに、あまりにも普及しすぎているから、何の気なしに使うという事も多いだろう。しかし、真意がそこになければ何を言ってもよいというものではないのではないか。

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