文藝春秋

2003年2月13日
 今月号の文藝春秋に、「妄動、妄説を排す! 」という特集があり、その中に馬立誠という人が書いた
『我が中国よ、反日行動を慎め 』という論文の邦訳が掲載されていた。

 題名だけで内容が殆ど想像できてしまうという実に分かりやすい論文。読んでみても、この程度の事すら口に出せなかった中国という国は、やはりかなり問題がある。

 が、ここで言いたいのはそうではなくて。

 歴史的に普通、国家と国民というのは攻撃されればされるほど、弱まるほどにナショナリズムが高揚する傾向にある。
 高度経済成長期の日本などまさにその逆を行っていた訳で、その頃ははっきり言って中国や韓国など相手にしていなかった。とるに足らない存在だったからこそ「金持ち喧嘩せず」の精神で金だけ出していたのだ。
 最近のアメリカを見ても分かる所だろう。

 それがここのところそうではない。ご多分に漏れず自分も、自らの事を「真ん中」だと思っているが、その「真ん中」は20年前はかなりの右翼であった事は想像に難くない。

 その中でのこの論文。

 つまり、立場が逆になりつつあるのだろう。中国に自信と度量が生まれつつあるからこそ、こういう論文が出てくる余地が生まれたのだ。
 確かに、まだまだ狂信的なナショナリズムは中国に根強いと思う(文中にある、国賊として糞尿をかけられた女優の話が良い例だ)が、ちょっと前ならばこのような論文が日の目を見ることもなかったはずだ。

 個人的にはこのまま中国が発展を続けるとは考えていない。たかだか一ヶ月の滞在経験だが、上海の都市部と内陸部の農村を見ての、実感だ。上海は中国ではない。

 が、今中国が発展し続けている事までウソなのではない。

 文藝春秋が特集してるのは反日感情を叩き潰そう、日本のプライドを守ろう、という意識が多分にある。それは見ようによっては「右傾向化」という言葉で表せるのであろうが、それを当の中国人に代弁してもらおうとしてるところに、非常な哀しさを覚える。

 論自体がダメだ、というのではない。日本人にとって目新しい所は無いと思うが、非常に真っ当で「親日派の弁明」よりはかなり良質だと思う。

 そうではなく、そういう記事を見せられるたびに、「弱体化して敵を作りたがる日本」と「強大化して度量を持ちつつある中国」という構図が浮かび上がってくるのだ。否応なく。

 文藝春秋の編集者はわかってやっているのだろうか。意図とは正反対の効果を生み出すのだという事に。

 頑張れば頑張るほど見ていて辛い。もはや、読んでスカッとする段階ではないのではないか。

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