歴史を動かしているモノ
2002年12月28日 庶民史をこそ見直そうという動きは最近(10年単位の話だが)よく言われている。上っ面ばかり見ていても歴史を動かしているのは名もなき大衆なのだから、と。
そうなのだろうか。ならば政治の歴史を研究してきた先人達は歴史について何も分かっていなかったのか。
結論から先に言うと庶民は不変である。
その時々の流行、違いはあるかもしれないが、変化は基本的に存在しない。少なくとも前近代においては。
かと言って停滞している、という訳ではないのだが、一つの時代で区切った時には不変であると言える。右肩上がりに1度か2度くらいの線で不変であろう。
庶民の力が歴史に影響を及ぼしたという例は、枚挙に暇がない。それが最も大きく現れるのが反乱、日本で言う一揆だろう。
だが、反乱とは変化を求めて起こすものではなく、変化を嫌って起こすものではなかろうか。つまり、政治の上層部が変化を嫌うが為に下部、庶民に圧力をかけ、庶民がそういう負の変化を嫌がるが為にアクションを起こす、という事。
人は得られなかったことに対しては命を賭けない。既に得ているものを奪われた時にこそ命を賭けうる。行動も起こす。四公六民を三公七民にしようとして反乱は起こさない。が、五公五民、六公四民にすれば反乱も起こる。PSが壊された事に対しては泣きじゃくって抵抗しても、PS3や4が手に入らないかもしれないという事で泣く子供がいるだろうか。
生産力を向上させる為に努力もしよう、工夫もしよう。しかし、そのために反乱を起こしたりはしない。
宋の民衆が自ら動いたどんな行動よりもモンゴルに支配された事による変化の方がはるかに大きい。 明治維新という人為的表層的な出来事は、江戸300年のどんな出来事にも勝る変化を与えた。
フランス革命はごく一部の、庶民の上澄みの所業であり、変化を嫌ってそれに反対する農民達はヴァンデを始めとして蜂起した。
政治のもたらす変化が「奪う変化」である時は不変を求めてそれに反対し、「奪わない変化」である場合はそれに従う。自ら変化しようと身命を賭すようなことはない。
庶民の生活を変化させうる要因は、どうしても政治の側に大きい。イニシアチブは政治が握っていると言っても良いのではないか。
庶民史を軽視するべし、ではなくて、政治史を侮ってはいけないという事。なぜ政治史中心なのか、それにはそれなりの理由があろう。
なんて話を飲みながらした。
忘年会シーズンである。
そうなのだろうか。ならば政治の歴史を研究してきた先人達は歴史について何も分かっていなかったのか。
結論から先に言うと庶民は不変である。
その時々の流行、違いはあるかもしれないが、変化は基本的に存在しない。少なくとも前近代においては。
かと言って停滞している、という訳ではないのだが、一つの時代で区切った時には不変であると言える。右肩上がりに1度か2度くらいの線で不変であろう。
庶民の力が歴史に影響を及ぼしたという例は、枚挙に暇がない。それが最も大きく現れるのが反乱、日本で言う一揆だろう。
だが、反乱とは変化を求めて起こすものではなく、変化を嫌って起こすものではなかろうか。つまり、政治の上層部が変化を嫌うが為に下部、庶民に圧力をかけ、庶民がそういう負の変化を嫌がるが為にアクションを起こす、という事。
人は得られなかったことに対しては命を賭けない。既に得ているものを奪われた時にこそ命を賭けうる。行動も起こす。四公六民を三公七民にしようとして反乱は起こさない。が、五公五民、六公四民にすれば反乱も起こる。PSが壊された事に対しては泣きじゃくって抵抗しても、PS3や4が手に入らないかもしれないという事で泣く子供がいるだろうか。
生産力を向上させる為に努力もしよう、工夫もしよう。しかし、そのために反乱を起こしたりはしない。
宋の民衆が自ら動いたどんな行動よりもモンゴルに支配された事による変化の方がはるかに大きい。 明治維新という人為的表層的な出来事は、江戸300年のどんな出来事にも勝る変化を与えた。
フランス革命はごく一部の、庶民の上澄みの所業であり、変化を嫌ってそれに反対する農民達はヴァンデを始めとして蜂起した。
政治のもたらす変化が「奪う変化」である時は不変を求めてそれに反対し、「奪わない変化」である場合はそれに従う。自ら変化しようと身命を賭すようなことはない。
庶民の生活を変化させうる要因は、どうしても政治の側に大きい。イニシアチブは政治が握っていると言っても良いのではないか。
庶民史を軽視するべし、ではなくて、政治史を侮ってはいけないという事。なぜ政治史中心なのか、それにはそれなりの理由があろう。
なんて話を飲みながらした。
忘年会シーズンである。
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