「くだらない小説」

2002年8月18日
 売れているというだけでそこには既に価値があるだろうに。

 誰のとは言わないが、小説には「くだらない小説」とそうでないのとがあるらしい。
 前者は主にライトノベルやら、そこから派生した作品群を書いている作家の作品である事が多い。

 これらの作品は明らかに扱い方が違う。新聞の書評なんかではまず絶対に取り上げられない。ある意味ではマンガよりも地位が低いといっても良いだろう。

 かといってこれらが売れていないかといえばそんな事はない。中高生向けのカバーツヤツヤの本などそこらの本など問題にならないくらい売れている。しかも、業界として健全なのだ。

 読者が作家のファンになり、それを書いてみたいと思うようになり作家を目指す。そうして若い人材が増えていく。だからといって面白くない作品は次々と淘汰される。そういう循環がある。大家の作品だからハードカバーで何万部、なんて世界とは違うのだ。

 例えば絵本を下らない、と言って貶す人はいまい。そこにはその良さがあるからだ。その本質的な良さをいつまでも心に持ち続けている人が絵本作家やその編集者になる事は社会的に認められているが、中高生向けの本などはそうは思われない。(大体にしてそういう作品を叩くのはそれに一度はまった人である。過去の自分が恥ずかしくなるのか)

 そういう本も、純文学も、等しく価値がある。(そして、等しく価値がないとも言える。)
 その価値を判断する一番大きい基準は売れているかどうかであろう。
 無論、それだけで推し量れない価値というのは確かにあるのだから、言い過ぎの感もあるが、やはり根源的にはそれが一番大きなウェートを占めるべきであろう。死語に評価される(売れる)ような作品は、言い換えるならば生前は無価値だったという事。

 こと紙媒体の作品に関して言えば「下らない」とは「面白い」と同義である(TVだとちょっと違う)事が多い。つまらなければつまらないと言われるだけなのだ。そして、学術論文でなければ面白い事にこそ意義があるのだ。

 そういう意味でつまらない作品を書いている者こそ下らないと言われるべきだと思う。

 多くの中高生に影響を与えている作品があまりにも世間から無視され、白眼視されているのが気にかかる。漫画と同じ位の位置で良いからもうちょっとこう、積極的に話題にされるべきなんじゃなかろうか。読者の世界をそこで完結させてしまうと、更なる悪循環にはまるような気がする。論評する事によって、いわゆる一般書との垣根がなくなり、視野が広がってオタク化しないで済むと思うのだが。今の状態は隔離に近い。

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