今日の日記

2002年8月11日
歴史を教える時に使う問題集、あれをどうにかしたい気持ちでいっぱい。

 大抵の人はそうだと思うのだが問題を解く時に問題文など読まない。前後の文章で何を問いたいのかを類推して答えを書いていく。それは何故かというと、問題文全体が大雑把に二つに分けられるからだろう。

 一つは、その時代背景をあまりにも大雑把になぞっているだけである為、読まなくても空欄を見るだけで大筋が分かってしまう場合。
 
 二つ目は、雑然とした、寄せ集めの文章であるため読んでもなんの役にも立たない(イスラム教徒はトゥール・ポワティエ・・・→これに関連してイスラム教徒が守らなくてはならない戒律は?って全然関連してないし)。

 そういうのを何とかしたい。問題集の大部分は実は問題文が占めているのにその部分が役に立たない、読むに値しないんじゃ切ない。
 例えば、ローマ史について出題するのならば「ローマ帝国崩壊の世界史的意義について述べなさい」の問題に対する論述解答の形式で問題文を作り、穴埋めにすれば一石二鳥だろうし、必然的によくまとまるだろうから役にも立つだろう。

 もっと問題文自体に意味を持たせたい。

 そして、「何故それを問うたのか」を解答欄に反映させたい。「ナポレオンが好きだった食べ物」など問わないのはそれが覚えるだけの意義が無いからだ。すると、覚えているかどうかを問うてくる設問というのはそれを覚えている事に意義があるからに他ならない。

 フランス革命を何故覚えなければならないのか。

 意外とこれは教えてもらえない事である。しかも、そういう因果関係を教えた方が暗記自体も実はスムーズにいったりする。スラブはスレイブ(奴隷)の語源なんだよと教えた方がスラブは絶対に頭に残る(ちょっと際どい例かもしれないが)。

 そういうのを作ろうと思ったときに、教科書の出版社ではまず無理。ただ市販の問題集を扱っているところでは反響がよく分からないかも。
 暗記だけをしてるとつまらないから、好きになってくれる人が増えない。だから覚える事を徹底的に排除して面白くすべきだ。

 ゆとり教育のそういう一面には反対できる。特に暗記科目といわれている歴史については。

 歴史を好きになる人は、一部の人に過ぎない。全員に好かれる事は絶対に不可能だし、それをやろうとするとそれは興味を持たせることではなく遊ばせることをする必要が出てくるからだ。

 好きになる才能のある人のためだけに歴史を教えてはいけない。無論、好きになるような仕掛けを施すべきではあるが、最終的には、「最低限これくらいは知っておかないと」というラインまでは暗記させるべきである。そうしないと将来、何かのきっかけで好きになる可能性すら摘んでしまう事になるからだ。徳川家康が何をした人かわからないと、30年後に時代小説を読もうとも思わないだろう。

 「フランス革命」を何故覚えなければならないか、その理由を教える事は全てそれを覚えさせる為である。間違ってはいけない。好きになってもらう為にではなく、覚えさせる為にそれをするのだ。

コメント

you

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索