私的「夢」論
2002年7月21日 高校の友人をのべ8人集めて飲んで、食った。うち一人は何年かぶりに会い、そして今度オペラで主役を張るという。
そんな中、あるアツい男と教育についての激論を交わした。アツいのは悪い事ではない。が、良い事であると言い切りたくも無い。思った事を書こうと思う。
子供に夢を。と、よく聞く。自然にあるなら良い事であろう。
しかし、夢を持たなければ、と駆り立てられるような状況はいかがなものか。夢、とはしたい事、であるはず。それこそ50歳になって見つかる人だっている。見つかるのが早いのか遅いのか、本来その違いしかない筈なのに、早く見つかった人を褒め称える風潮は解せない。たまたま、目の前に興味を持てる事があっただけではないだろうか。
仮に小学生がそういう風潮に追い立てられて自分では夢だと思えるものを持ったとして、それに向かって邁進した後「これは違う」と思っても後の祭りである。専門の教育を受けた後ではなかなか修正はきかないであろう。
「おまえ、夢とかないのかよ」
たまたま先に夢が見つかった人や、何年か先に人生を送ったおかげで夢が見つかった人間が、このような優越感を持つ事には疑問を感じざるをえない。
たかが20年やそこらしか生きていない中で得た知識によって組み立てられた、「夢」など底の浅いものでしかないのではないか。早い時期に「自分」を規定するのはそんなに素晴らしい事なのか。
これは、今の自分にも言えよう。これから考えざるを得ない。
ところで
ロッテは急に強くなってきた。これから成績がどう推移するかはわからない。野球と言うスポーツの特性である。が、しばらくは粘り強い野球を、零封されても「貧打線だ」ではなく「あの相手投手が素晴らしかった」と文句無しに言えるような試合を見れるであろう。
で
今日も見に行ってしまった。3−0から逆転勝利。素晴らしい。
そんな中、あるアツい男と教育についての激論を交わした。アツいのは悪い事ではない。が、良い事であると言い切りたくも無い。思った事を書こうと思う。
子供に夢を。と、よく聞く。自然にあるなら良い事であろう。
しかし、夢を持たなければ、と駆り立てられるような状況はいかがなものか。夢、とはしたい事、であるはず。それこそ50歳になって見つかる人だっている。見つかるのが早いのか遅いのか、本来その違いしかない筈なのに、早く見つかった人を褒め称える風潮は解せない。たまたま、目の前に興味を持てる事があっただけではないだろうか。
仮に小学生がそういう風潮に追い立てられて自分では夢だと思えるものを持ったとして、それに向かって邁進した後「これは違う」と思っても後の祭りである。専門の教育を受けた後ではなかなか修正はきかないであろう。
「おまえ、夢とかないのかよ」
たまたま先に夢が見つかった人や、何年か先に人生を送ったおかげで夢が見つかった人間が、このような優越感を持つ事には疑問を感じざるをえない。
たかが20年やそこらしか生きていない中で得た知識によって組み立てられた、「夢」など底の浅いものでしかないのではないか。早い時期に「自分」を規定するのはそんなに素晴らしい事なのか。
これは、今の自分にも言えよう。これから考えざるを得ない。
ところで
ロッテは急に強くなってきた。これから成績がどう推移するかはわからない。野球と言うスポーツの特性である。が、しばらくは粘り強い野球を、零封されても「貧打線だ」ではなく「あの相手投手が素晴らしかった」と文句無しに言えるような試合を見れるであろう。
で
今日も見に行ってしまった。3−0から逆転勝利。素晴らしい。
コメント