昨年の9月に、友人とトルコへ行った。

 マレーシア航空を使って行ったために移動時間は30時間。夏休みで夜更かし続き3時就寝、それで朝の5時起きで出発というから疲労度はかなりのもの。中継で3回各地で降りたのも睡眠を阻害して苦痛だった。考えてみると出発前日起きた時間から、2時間の睡眠と仮眠を挟んで70時間近くまともに寝てなかった計算になる。それで、友人はぶっ倒れた。

 カッパドキアで、3,400円程度のペンションに泊まった。最後の夜に客10人くらいでハマムへ行ったのだが、風呂上りにのんびりしていると、テレビでわけの分からない映像が流れた。

 最初は映画だと思い、次に事故だと思った。情報が錯綜していて何が何だか分からなかった。トルコ語が分からないのは辛かった。

 翌日、ネットカフェで事件のおおよその流れが判明した。フライトで通ったドバイ(UAE)を思い出し、暗澹たる気持ちになった。

 夜行バスのなかでヒゲもじゃのおじさんに話し掛けられた。トルコ語なので意味は分からないが、身振り手振りでアメリカへのテロに大喜びしてる様子はよく分かった。左手でビルを形作り、右手を飛行機に見立てて「アメリカ、ボッカーン(大笑)」を繰り返していた。愛想笑いを浮かべるのみだった。

 一人の日本人観光客に教えられたのは、日本赤軍がやったという誤報が広まっている、という事だった。実際に、「日本人がやってくれたんだよね、ありがとう!」とも英語で言われた。

 友人は体調が悪いのを無理して悪化→少し休んで回復→無理して悪化・・・という悪循環を繰り返していた。帰ってしまおうかとも考えたが、思い留まった。

 そんな中、イスタンブールで自爆テロがあったという話を聞いた。テロ以降日本人とよく情報を交換するようになっていた。イスタンブールを発つ、その日にあったというのだからニアミスという事になる。なんでも、タクシーの運転手も恐がって乗せてくれなかったという。

 エフェソスではトルコの青年と話をする機会があった。彼は、「トルコのインフレは全部アメリカのせいだ」と憎々しげに語っていた。

 あるモスクでは中年男性にトルコ語で話し掛けられた。理解できず、英語で問い返した。「ここはトルコで君らは日本人だ。なのに何故英語を使う?」と苦々しげに言われた。英語で。

 色々な事があったし、色々な事を思った。ネットカフェで情報を得るまでは本当に不安だったものだし、得た後は不安も増大した。今だから不安に思っていた自分を冷静に振り返れるが、戦争状態になったらどうなるのか、落ち着かなかった。NATOでイスラム教国というこの国の立場の不安定さを実感した。

 この時期に海外にいた大学3年生は多いと思うのだが、それぞれの9・11をどう自己PRに料理しているのだろう。自分は、どうにも使えていない。

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