思考錯誤

2002年5月12日
 またも10日の日記が紛失。復旧完了。

 さて、今日は久々のオフ。前日飲んだせいで体も重いが。

 1日中近ツリのプレゼンを考える。よく考えると旅行系で面接を受けた事がない。それどころかどんな業界かも良く知らない。

 いや、少しは知ってるが。

 そんな状況で書くのは厳しい。自分が行きたくなるようなツアーを考え出すしかないな、こりゃ。

 話は変わって。

 何かを「信じ込む」事が出来ない。

 つねにどこかで「たかが〇〇(仕事の名称)」と考え続けている。だから新聞社には入れない、入りたくない。

 新聞社は基本的に自社の正義を信じて疑わない人しかいない。社論は統一されなければならないし、何よりも過大なまでに仕事に誇りを持っている人が多すぎる。
 ある新聞社のエライさんがエラそうに言った。「記者になりたいんだったら家族なんかを省みてる暇はないよ」
 バカだ、こいつは。そう思った。だから何かを攻撃する記事は書けても何かを守る記事(利益、肥大した自尊心は除く)は書けないのだろう。

 たかが新聞、である。たいした記事も書かれていない、惰性で生きているメディア、と言ったら言い過ぎだろうか。
 別に、生きていくのに必要ではない。存在価値はエロ本とさして変わらない。
 しかし、その上で伝えてい事、発信したい事があるからやっているんだ。と、そういう謙虚さと気概が同居しなければならないと思っている。それが見えない。その自尊心が醜い。
 
 出版はまだマシに思える。だから受けている。(そして、落とされている)それでも、「たかが出版」である。その意識だけは常に持っておきたいし、捨てられないだろう。全員これを捨て去った出版など気持ち悪くてやってられない。

 そのせいもあるのか、落ちるのは。会社がそれを嫌がってるかどうかは分からない(そうでないと思いたい)が、自分の方に出版社に対する「憧れ」とか「熱狂」を嫌がってるところがある。

 「どうしてもこの雑誌が創りたい」「本にいつも関わっていたい」「小さい頃からの憧れの会社だ」「待遇なんてどうでもいいから」

 そういう熱意が無い。むしろそういうのを嫌がっている。特に、あこがれの仕事なんだから待遇なんてどうだっていいだろ、なんて声には。

 甘すぎないか?仕事だろ?食い扶持を稼ぐためにやるんだろうが。趣味ならサークルでやれ、何が大事って待遇以上に大事なものがあるか?やれやれ、金持ちは気楽な上に傲慢な事で。

 そう思ってしまう。嫌な奴だ。

 しかし、やれることがやれるなら待遇がどうでもいい、なんて多くの人々に失礼極まりない話だと思うし、そういう無邪気かつ有害な信仰がマスコミ各社のバカみたいな労働状況を生んでいる、と思えてならない。喜んでたくさん働いてくれるんだから、たくさん雇う必要は無いわけで。

 こんなこと考えてるからイマイチ会社に心酔出来ず、準備が不足して、落ちるのかもしれん。

 ・・・と考えてる自分自身が一番傲慢なのかもしれないし、単なる言い訳かもしれない。しかも、それでも出版を目指していて、受かればきっと嬉しいだろう。

 一心不乱になれば受かる保証などどこにもないわけだ。一心不乱になって、それで落ちるのが恐いから、先回りして言い訳してるという見方もある。

 頭でっかちだな。

 がんばろ。

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